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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第六章 鬼子と明日

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三 西洋の山姥

 夜の宿に、か細い泣き声が響いていた。

 鏡から現れた異人の子供。あらゆる意味で不可思議な事態に信太郎は困り果てる。


 だが、なにはともあれ子供が泣いているのだ。

 それは見過ごしてはならない。

 刀を納めて鞘ごと外し、屈んであやそうとする。


「ほら、もう大丈夫だ。悪かった。おれは傷つけない」


 しかし近寄ると子供はビクッと震えて後退りした。そして首飾りを握り締め、顔を横にブンブンと振りながら何事か呟く。

 言葉は分からない。ただ怖がられているのは仕草でも伝わる。

 まやかしに永の姿を使われたからといって凄み過ぎた。

 まさかこうなるとは。罪悪感が募り深く反省すれど、どうすればいいか分からない。困り顔でオロオロとするばかりだった。


 と、そこで後ろから呆れた溜め息が聞こえてくる。


「全く、何をしておるのじゃ。情けないのう」


 本物の永だ。苛立ちに顔をしかめている。

 するりと信太郎の横を通り過ぎ、子供の隣にしゃがんで優しげに語りかけた。


「おお、よしよし。せっかちな男が怖かったのう」


 途端に子供は目を見開き、ひしっと強く永に抱きつく。涙は止まり安心した表情で腕に包まれていた。

 信太郎も一安心だ。


「済まぬ。おれでは難しかった。しかしそれにしても初めて会う大人によく懐いているな」

「そりゃあ、お仲間じゃからの」

「お仲間?」


 疑問に眉を寄せる信太郎。初対面ではないのかと(いぶか)しんだ。

 永は子供の背をさすりながら、さらりと答える。


「この童から匂うのは、木と土と血肉の匂い。森奥に棲まう人食いじゃろうよ」

「……つまりは異国の山姥か」


 改めて子供を見る。

 異人らしい特徴の他に異質なところはなかった。人間と変わらないのはまだ子供だからか。

 落ち着かない妙な気配は子供そのものではなく、まやかしの妖術の影響かもしれない。


 西洋における山姥の子。大陸由来の妖怪話ならば知っているが、当然西洋にも妖怪はいるのだと初めて意識した。

 異国の存在だろうと、自分に近しいものを感じて懐いたのならば納得ではある。


「いつから気付いていたのだ」

「勿論最初からよ」

「何故早く言わぬのだ」

「ほ。鏡に入る術までは知らんからのう」


 西洋の山姥の術は永にも不可解らしい。あくまで似ているだけで別の存在なのだ。

 ただ、あやす姿は確かに母のようで微笑ましいものだった。


「呪いの原因は分かったな。しかし何故こんな事を?」

「親がいたはずじゃが、決死の念を感じるの。命を懸けて子供だけでも逃がしたんじゃろうな」


 子供に配慮してか永の声色はあくまで優しく、しかし内容は物騒だった。

 異国から遥々海を越えて逃げる為の鏡。

 信太郎はスッと肝が冷えるのを感じる。


「逃がすとは、何から?」

「西洋にも化け物殺しがいるのじゃろうよ」

「……そうだな」


 人食いならば、退治されるのが常。それは何処の国も同じ。狙われて、命からがら故郷から逃げてきたのか。

 悲しげに信太郎は顔を伏せた。そして薄い希望だと理解した上で縋ろうとする。


「親に会わせられぬか」

「海の外へ行くのが難しいのは人の方がよく知っておろう」

「永の力でも出来ぬか」

「……異国へ行ったところで期待は薄いじゃろうな。故郷に戻っても一人じゃと生きられるかどうか」


 厳しい現実に意気消沈。

 ただ、言葉が通じない子供は永の腕の中で幸せそうに見える。せめてこれだけは守らなければならない。

 そこで信太郎は即断する。


「つまり、おれ達で面倒を見るしかないのか」

「良いのかえ?」

「見捨てる訳にはいかぬだろう」

「ほ。それでこそわしの旦那様じゃ」


 永は満足げに笑う。夫婦は同じ気持ちだ。

 改めて自分達の子供として見やる。


「金平糖はまだあるか?」

「おお。そうじゃな。持ってきてくれんか」


 信太郎が荷物から出して永へ。一粒取り出し、子供の口に運ぶ。躊躇いの後、ぱくんとくわえられた。

 すると眩ゆいばかりに目を輝かせた。気に入ってもう一粒もう一粒とせがむのを二人は笑って受け入れる。


「ふふ、愛いのう」

「全くだ」


 優しい笑みを浮かべる永は、やはり母の姿。

 となれば自分は父かと信太郎は思えど、まだ恐れられている様子。まだ父とは名乗れそうもなかった。



 ひとまず落ち着きはしたが、実際この子供と旅をするには幾つも問題があった。


「この見目では外を歩けぬだろう」

「綺麗な色なんじゃがのう」

「ああ全くだ」


 異人が出歩けるのは一部地域に限られる。すぐ騒ぎになり、罰されるだろう。

 頭巾を深く被れば髪も瞳も隠せるだろうが、何かの弾みで露見する危険は残る。


「ふむ。お仲間なら大丈夫じゃろ。のう主、化けてみい」


 永が促すも、子供は小首を傾げるばかり。


「やはり言葉が通じぬのは困るな」

「まあ、なんとかするしかないの」


 自信ありげに言うと、まず永は子供そっくりに化けた。

 赤みがかった茶色の髪、青い瞳。見慣れない服や首飾りまで同じ。双子のように並ぶ。

 目を丸くして驚く子供。困惑しつつ永の体をあちこち触っている。

 そこから永は更に黒髪黒眼の子供に化けた。鏡も使い、真似するように身振りで伝えようとしている。


 しばらくすると意図を理解してくれたか、子供は同じように黒髪黒眼の姿に化けた。

 そうして永が元に戻れば、今度は母娘のように並ぶ。


「うむ。やはり術は達者なようじゃな。偉い偉い」


 大いに褒め、笑顔で頭を撫でる。

 満面の笑みを浮かべる子供は大層嬉しそうだ。


「そのまま名前を聞けるか?」


 何もしないのは申し訳ないと信太郎は思うが、懐いている永に任せた方が良さそうだと判断。

 永も不満を漏らさず、自分達を指し示しながら試す。


「わしは永。こっちが信太郎じゃ。ほれ言うてみい」


 一度では伝わらないが、それは当然。

 諦めず小首を傾げる子供相手に何度も繰り返していく。


「永」

「エイ!」

「信太郎」

「……シンタロ」


 そうして時間はかかったが、永の名は嬉しそうに、信太郎の方は不満げに口にした。

 辿々しい発音だが、名前だと理解してくれたらしい。小さな進歩が嬉しくなる。


「ほ。やはり賢いのう。では次の主の番じゃ」


 子供の肩に優しく触れれば、彼女は少し悩んだ後にボソリと答えてくれる。


「……Hilde」

「昼出?」

「ひるで。ひるで、か。合っておるかの。のう、ひるでや」


 こくんと頷く子供──ヒルデ。

 西洋の不思議な響きを信太郎と永は噛み締める。娘と共に旅する実感が心中に満ちてきた。


「ひるで。今日からわしらが親代わりじゃ」

「ひるでが安心して生きていけるよう努力する。安心してくれ」


 何処まで伝わったかは分からない。それでも永の胸に再び飛び込んだのは、多少なりとも思いが伝わったからだと信じたい。

 信太郎の方はまだ避けているようだが、急ぐ事でもないだろう。


「ひるで。もう夜も遅い。さ、わしと寝ようかえ」


 永が布団に入って手振りで誘えば、一緒に潜り込む。安心しきった笑顔は信太郎にまで笑みを浮かべさせた。

 そして疲れていたのか、すぐに寝息を立て始める。


「ふ。すっかり母娘だな」

「じゃろ? 主も早く父らしくなるのじゃぞ。子を怖がらせるなぞ正に人でなしじゃ」

「心得ているとも」


 隣で信太郎も布団へ。

 ただし眠るには早い。ヒルデを起こさないよう、夫婦は小声で話す。


「着物も買わねばならんし、宿の主人にも話を通さねばな。明日は忙しくなる」

「銭も要るの。主の分が減ってしまうわい」

「ひるでが優先だ。この子の為に全て使えばいい」

「それが主の悪いところじゃと言うに。ま、仕方ないがの」


 これまでとはまるで違う形の難題。

 困惑ばかりの信太郎も徐々に事の重大さを思い知り、眠れずに深く考える。

 これもまた己の使命だと腹を括ったのだった。

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