廿二 夫婦は股旅
大江山。
かつての戦場に雪が降る。清い白に覆われた山は静かで、激しい争いなどなかったかのよう。
それでも多くの者の記憶には深く痛々しく刻まれていた。
戦いが終わり、平穏が戻った頃。
周辺集落の被害者の為に、慰霊碑が草薙衆近くの八幡宮に建立された。襲った悲劇は大きいが、着実に復興は進んでいる。人の強さと図太さを示すように。
そしてここ、鬼の本拠地の跡地にも祠が造られた。鬼の軍勢を奉ったもの。それともう一つ、首魁とほたるだけを奉ったもの。
草薙衆が中心となり建立したのだ。
祟りを防ぐとともに、次なる鬼の軍勢を生ませないようにする為。人によっては他にも大きな意味も持っていたが。
「…………」
「……そろそろ行きやせんか。思い詰め過ぎですってば」
真剣に手を合わせ続けるのは宝だった。
ほたるとの数日間。そして最後の言葉。強く残る思いが後悔や覚悟となり、更に重く背負おうとしている。
それが分かるだけに、銀之丞は寒さに腕を擦りながらも強くは言わない。心配はしても、無理強いせずに傍で見守る。
やがて宝は晴れやかに顔を上げた。
「……ほたる。もう、あなたみたいな子は出さないようにするから」
「具体的に何するつもりなんで?」
「そりゃあ、色んなところ回って、虐げられてる子がいたら片っ端から草薙に連れて行くのよ!」
「良いんですけど、難しいですよ? それをするような方々は反発するでしょうし」
「あんたがなんとかしなさい。口が達者なのが取り柄でしょ!」
「……まあ、やれと言われりゃあ、やりやすけどね」
渋々といった体で、しかし決して全否定はしない銀之丞。宝も長くは話を続けず足を進める。
相棒の思いを受け止め、共に歩もうとしているのが既に二人の共通認識のようだった。
宝は立ち止まらずに振り返り、毅然とした顔で最後に言い残す。
「また来るからね」
黙々と山を降りていく。その瞳には決意の光があった。
人と妖怪。それぞれを単純に善悪には別けられない。人を害する妖怪を退治するだけでは平穏には程遠い。
全ての悪を排するのは困難で、本来の目的とも離れる。
しかし理解した上で、新たな道の歩みを止める気はない。
その証として、宝と銀之丞、更には漆然を含めた者達は、この山奥の祠へ訪れる事を毎年欠かす事はなかった。
辛喰童子との決戦には辛くも勝利したが、信太郎も草薙衆も酷い状態だった。
傷が癒える頃にはすっかり季節は冬。
寒風が辛く、旅は難しい。
討伐が冬備えに間に合ったのが不幸中の幸いか。周辺地域はひとまず安泰。落ち着いて休むべき状況であった。
それでも、夫婦は留まらない事を決めた。
「お二人共、やはり決意は固いか。当分屋敷に居てもいいんだ。冬の旅は勧めない」
「いいえ。お構いなく。私共は出発します」
薄曇りの日。漆然の屋敷前。
信太郎と永は、善意で提案する漆然に断りを入れていた。
綿を入れた着物に道中着、頭巾。冬の旅装束を着込み、折れた刀も打ち直してもらった。準備は万端。
あくまで毅然とした態度の信太郎達だが、漆然は顔をしかめた。
「もしや未だに罪を気にしているのか」
「それもあります」
「我々はお二人を英雄を認めている。今更責めるような恥知らずではない」
「罪は常に己の内にあるものですから」
信太郎は信念に基づき、堂々と語る。
「故に、贖罪はより多くより広く。留まっては大きな償いは為せません」
「やはり意思は変わらないか」
「はい」
堅い表情で頷く信太郎。
小さく溜め息を吐き、漆然は永に水を向ける。
「永殿の意見は違うのではないか。豊かな食も、過ごしやすい環境も好むと思ったが」
「言わせるでない。夫婦水入らずを邪魔されたくないのじゃ」
「はは。これは失敬」
きょとんとして、それから大笑。
重い空気は変わり、今度は柔らかく問う。
「信太郎殿もそうか」
「はい。恥ずかしながら」
「今更照れるでないわ」
「うむ。良い夫婦だ」
漆然は腕を組み、朗らかに微笑んだ。
「それでもたまには立ち寄ってくれると嬉しい」
「はい。仕事はこれからも増え続けるでしょうし」
「いや友として会いたいのだ」
「失礼。それは勿論喜んで」
「我々の女神もだ。皆喜んで信仰を捧げるだろう」
「大勢に敬われるのも悪い気はせんがの。やはり一人の女神の方が気安くて良い」
「ならば致し方ないな」
漆然は二人の選択を尊重。
こうして温かく見送られて、夫婦は再び旅立つのだ。
冷気に晒されながら街道を行く。
冬空からはいつ雪が降ってもおかしくない。厳しい道中は覚悟の上で、しかしやはり易くはなかった。
「おお、寒い寒い。凍えてしまうわい」
永は腕を絡めてきた。
強く寄り添い、信太郎からもしっかりと握る。寒さも遠退く熱が生じた。
「早速か」
「遅いくらいじゃ」
久方振りの二人きり。
艶っぽい声を他に聞く者はいない。
例え旅に向かない道行きだろうと、夫婦は睦まじく歩む。
「さて、これで良い食い物が出回るはずじゃな?」
「悪いな。報酬は少ない。出回ってもおれ達には縁遠いだろう」
「全くじゃ。甲斐性のない旦那を持つと苦労するわい」
あからさまに溜め息を吐く永。
しかしすぐに表情をころりと変えた。
「じゃからわしが預かっておる」
出した袋の中身は多くの金銭。視線で問えばアッサリと答えられる。
「女神への供物じゃ」
罪人からは財を没収すると言われた。だがこれなら話は別という事か。
漆然からの心付けだ。感謝しかない。最後まで尊敬できる人物である。
「折角じゃから都を見物してみたいのう。ここからは近いはずじゃな?」
「ああ。きっと良い物が待っているはずだ」
笑い、寄り添い、夫婦は先を行く。
人でなしの罪人の、贖罪と観光の旅。
今回で目と心に刻んだ、壮絶な鬼の最期。自らもいずれ同じ道を辿ると覚悟を改めた。
それでも今ではないと、夫婦は明るい明日を楽しみにしていたのだった。
第五章 鬼と大望 了




