廿一 鬼は黄泉路に笑う
崩れた山の中、破壊により谷となった戦場。煌々としていた炎もぶすぶすと燃え尽き、一帯は薄闇に包まれた。
二振りの白刃。その一方は半ばから折れ、もう一方は鬼の体の向こうにあった。
「私の勝ちです」
「ぎはっ。ああ、認めよう」
喋る首が胴と別れ、ゆっくりと落ちていく。
遂に信太郎の刃が届いた。辛喰童子の首を斬り、残心。
しかし信太郎もまた深手を負っており、双方がその場に崩れた。
永とほたるが互いの相手の下へ。片や瞬時に現れたように、片や突進するように。
「ようやったの、旦那様」
「辛喰様!」
永は労りの声をかけつつ支え、ほたるに巻き込まれないよう逃がす。信太郎は今にも気を失いそうな体で尚、前を見つめていた。最後まで目を背けまいと。
蛇身で囲い潤んだ眼差しを向けるほたるに、首だけの辛喰童子は落ち着いた声で応じる。鬼の首魁だけあって未だに話す力は残っていた。
「ぎははっ。済まんな。祝言は挙げられん」
「いいえ、そんな! そう言って頂けただけで、ほたるは……!」
「そう騒ぐな。美しい姿が台無しだ」
「ほたるの姿など……辛喰様こそ立派なお姿が……!」
「滑稽だろう? ならば笑え」
穏やかに、優しさすさ伴って。
この期に及んでも、鬼は笑う。
「滑稽などと仰らないでください」
「滑稽だ。大言を吐いておきながら、国造りも祝言も、何も為せなかった者など」
「辛喰様……いいえ! 御自身が何と言おうと、あなた様は素晴らしいお方です!」
「……ぎはは。良い顔だ。やはり己の目に狂いはなかった」
泣き笑い、心こもる言葉を交わす二人。思い合う男女の別れ。悪逆の鬼であっても、無粋な真似は誰もしない。ただ静かに見届ける。
と、不意に声は止む。別れは済んだのか。
ぐるん、と辛喰童子の目玉が信太郎達へ向いた。意地の悪い顔で、呪いのような問いかけを投げる。
「山姥、その旦那。貴様らはどうなるだろうな? 最早平穏無事に生きていけはせんぞ?」
「ほ。どうなるもなにも、気ままに生きるだけよ」
「修羅の道は望むところです」
「ぎはははははっ! ならば精々生きて苦しむと良い! さらばだ、人間共よ!」
高らかに声は響き、そして止む。
こうして、鬼の首魁、辛喰童子は死んだ。
鬼の国を造れず、妻と決めた者とも添えず。しかし悔しさも憎しみもなく、満足そうに。勝ち逃げのように。豪快な笑い声を残して。
そして。
未だ、弱々しい火が静かに燃えていた。巨大な蛇体の鬼は人間をきつく睨み続ける。
だがほたるもまた、力を酷使しており、命は尽きかけている。最後に残ったわずかな灯火であった。
胴と首を、愛しき男の亡骸を抱え、守っているのだ。子を守る母のように。
「辛喰様も持ち帰って魔除けにするんでしょ……? 絶対に渡さないから」
「阿呆。する訳なかろうが」
誰より早く答えたのが永。信太郎を残して歩み寄り、キッパリと断言した。
ほたるは怪訝な表情で警戒する。
「山姥の言う事なんて関係ないわ。どうせ人間の考えは違うんでしょ……」
「わしが許さん。ここは既にわしの山じゃ。全てはわしが決める」
「……そう」
勝手な物言い。しかし反対する声はない。草薙衆の者達も同意していた。少なくとも否と言える蛮勇を持つ者はいなかった。
「そちらこそわしらに恨みはないのかえ?」
「あるに決まってるでしょ。……でも、敵討ちしてる暇なんてね、ないの」
「ほ。ならば邪魔はすまい」
「ええ、辛喰様はもう離さないから」
ほたるは嬉しそうに笑った。
鬼の顔で、蛇の体で、それでも少女らしい愛らしさで笑った。あるいは幻視だったかもしれないが、そこには確かに少女の恋心があった。
「羨ましいでしょ」
「ほ。わしだって負けておらんわ。これからの生があるからの」
「その男も死にかけじゃない」
「女神の夫じゃ。死なせなどせんわい」
断固として言い切った。
ならば信太郎は死ねない。指一本満足に動かせず、痛みすら感じられない死人めいた体だが、生きなければならない。
その信太郎にほたるは水を向ける。
「あなたはどう? 山姥の旦那で本当に平気?」
「はい。勿体ない程の妻ですので」
「そう。覚えておいてね。女を裏切ると恐ろしい鬼になるんだからね」
非常に答えにくい言葉。裏切る訳がない、と信太郎はただ微笑んだ。永も一緒に微笑んでくれた気配がした。
それからほたるは、ついでのように後ろに並んだ内の一人に呼びかける。
「ああ、あと。そこのお節介なお姉さん」
「……なに」
「もっと早く会えてたら良かったのにね」
その穏やかな声を聞いた瞬間、涙を流す宝。本心の言葉だと分かって、悔いや嬉しさ、様々な感情に呑まれる。
走り寄って、抱えきれない体を抱き締める。着物に燃え移るのにも構わずに。見かねた銀之丞に引き剥がされるまでは、ずっと。
ほたるはもう、言い残す事はないようだった。
辛喰童子の首と視線を合わせ、そして炎を激しく燃え上がらせた。最後の沈黙を大切に、周囲から切り離すように。
焼ける。燃える。炭化する。恋が生んだ最後の炎が、二人の肉体をこの世から消していく。
やがて鬼の首魁と鬼に恋した娘は燃え尽きた。骨も残さず。全てをあの世へ持ち去った。あとに残したのは焦げた土だけである。
しばしの静寂の後、永は淡々と背後へ問う。
「さて、どうするのじゃ。このまま山で過ごすつもりかえ」
「勿論撤収を始めますが、あなたの意見があるのならば尊重しましょう」
漆然が代表して返答。信太郎にも並ぶ重傷のはずだが、平然と立っているように見える。草薙衆頭目の意地か。部下の前で威厳を保つ。
「ほ。ならばとっとと山を降りよ。仲間の手当てが必要じゃろう」
「それでは信太郎殿も我々が運びましょう」
「気の利かん男じゃの。皆まで言わねば分からんか?」
「……これは失礼」
漆然は深々と一礼すると、指示を出した。
草薙衆の者達はそれぞれに手を貸し肩を貸し、山を降りていく。遺体も丁寧に。五体満足の者は少なくとも、皆の鍛えた肉体が撤収を可能にしていた。
そしてすっかり日も落ちた山に、二人だけとなる。
力尽き地に体を投げ出した信太郎、その頭を永は膝に乗せて優しく撫でる。山の母を体現するように。
「ようやったの旦那様。体を休めると良い」
「ああ。助かる」
「しかし主がここまで体を張る必要はなかったのではないかえ?」
「何を言う。今までも妖怪相手に体を張っていたのだ。今更だろう」
「いいや。わしには分かる。今までとは違っておったじゃろう」
「鬼が強敵だったのだから当然……だが、確かにそれだけではないな。主の機嫌が悪かったからだ。今まで嫌々付き合わせてきた主が鬼に啖呵を切ったのだから、旦那としては張り切るしかないだろう」
「……そうじゃの。主のお節介な癖がうつったんじゃろうな」
冷たく言う永に隠れて、信太郎はこっそりと微笑んだ。
辛喰童子に啖呵を切った時の事を覚えている。永ならばあくまで信太郎に付き合わされるという形で発言しそうなものだった。
本当に信太郎の行動がうつったのかもしれない。だが以前からの照れ隠しを止めただけかもしれない。
信太郎はそうだと思う。しかし言葉にはしない。
「そうか。おれのせいか。不要な行動だったか?」
「いいや、わしの為ならば嬉しいとも。ようやく主も女心が分かってきたようじゃな」
暗い空を背景に、妖艶な微笑み。
傷だらけで疲労困憊の体にも穏やかな沈黙が優しく染み渡る。
ただ、どうしても視線は焦げた地面に向いてしまう。
「……わしらもあんな最期を迎えるんじゃろうか」
「ああ。俺達は罪人だからな」
「じゃが、共に行くのじゃろう?」
「ああ。最期まで、共にだ」
重い誓いを交わす。非業の未来を、愛しげに語る。
薄紫の空に白い月。
人でなしと化け物、あるいは英雄と女神の夫婦は、地獄への道を軽やかに歩むのだ。




