廿 人と鬼、死力の果て
「ううん? 見覚えがあるな? どうした、貴様も己らの婚姻を祝いに来たのか」
「……残念だが、違う。我々は鬼の討伐に来た」
「ぎははっ。よくもまあ、その様で豪語出来るものだな!」
血濡れの山に響くは、鬼の大笑。
今のところは余裕があるようだと、信太郎は漆然を支えて下がる。
部下の草薙衆も周囲に広がり囲む。ずらりと並び、壮観。だが鬼に緊張や重圧は与えられていない。悠々と見渡し、金棒を緩く担いだ。
ほたるも蛇体をくねらせ近寄ってきて、困ったような調子で話しかける。
「どうされますか辛喰様。これでは祝言まで時間がかかってしまいます」
「ぎはは。そう言うな、ほたる。祝いの客と品が増えたと喜べば良いのだ」
「成る程! その通りですね! では早速肉にしましょう!」
鬼の会話にやはり緊張感はない。仲良く献立でも相談するような空気感。
ただしそれを聞いて、焦って前に駆け出してくる影があった。
「ねえ、ほたるなの!? 鬼と夫婦になるって、それでそんな姿になったって、本当なの?」
宝だ。今にも泣き出しそうな顔で語りかける。
救おうとしていた少女とこんな形で対面すれば無理もない。
鬼と化したほたるは、首をそちらに向けると、じっと見つめてから答える。
「……ああ、あなたね。ええ、辛喰様が妻にと認めて下さったのは本当の話だけど、それがなにか?」
「……そう」
「ああ、それと。そんな姿、なんて言わないで。これは目に見える心の証なの。大切な、辛喰様への思いなの」
「…………そう」
宝は目を見開き、それから悲しげに目を伏せる。
「もう、あたしの手じゃあ届かないのね」
「ええ。手遅れね」
「……わたしも、地獄に落ちるから」
「そう。わたしは辛喰様と幸せに生きるけど、あなたの死は悼んであげる」
決意の表情を見せた宝と、穏やかな雰囲気のほたる。
宝は静かに前を見据え、薙刀を構えた。
銀之丞が傍に寄り、他の草薙衆もそれぞれに武器を向ける。
高まりゆく緊張感。
それを辛喰童子が笑い声で破った。
「ぎははっ。盛り上がってきたな。ここは一つ、相応しい武器を用意せねばならんか」
「辛喰様の金棒は相応しくないと仰るのですか」
「すぐに分かる。だからほたる、炎をくれ」
「はい、辛喰様!」
ほたるが吐いた炎に、金棒が突っ込まれた。しばらくして取り出せば、真っ赤に赤熱。
熱により柔らかくなったその金棒を、辛喰童子は素手で掴む。そして形を変え始めた。掌で伸ばし、指で整え、細く、長く、鋭く。仕上げに息を吹きかけ、豪快に冷やす。
やがて金棒は、武骨な大太刀となった。炎を照り返し、ぎらりと光る。
「見よ、やはりこの炎は素晴らしい。お陰でこれだけの武器が完成したのだ!」
「ああ! ほたるはお役に立てたのですね! 嬉しゅうございます!」
「ぎはは。言ったであろう。己の妻に相応しいと」
「辛喰様!」
凶器を手に、両者は仲睦まじく言葉を交わす。
鬼の金棒は、鍛冶の技を持つ証。
鬼の住む山の多くは良質な鉱山であり、となれば鉄の扱いに長けるのも自然。
中央に従わず、山に住まう者達。それが鬼の正体だとされる話もある。だが、辛喰童子は確かに人ではない存在だった。
「祝言の席に飾るのに良い。さあ人間共、首を差し出せ!」
ぶんと空気を鳴らし、大太刀が閃く。
山が斬れる。崖に跡が刻まれる。
遅れて広範囲から血が吹き出した。反応出来なかった草薙衆の者が倒れる。生き残った者達にも戦慄が走る。無論信太郎も心が揺らいだ。
一瞬の暴虐。
大太刀を肩に担ぎ、辛喰童子は笑う。
「ふうむ。まだ足りんな。可能な限り盛大にしたいものだが」
「いいえ。もうさせません」
「つまらん答えだ。芸は要らん。肉だけ寄越せ」
怪我をおして信太郎が抵抗の意思を示せば、辛喰童子は大太刀を振り上げて切りかかってくる。
凄まじい圧。斜めに受け流しても体の芯まで酷く痺れる。
「山の女神よ。鬼を討つ我が肉体を支えたまえ」
真摯に祈る。己だけでは足りず、それだけが戦闘を支える柱だ。
彼の背後では、おかめの面を外した永が事切れた草薙衆の一人を抱き上げていた。
慈しみの表情で目を閉じさせ、生を労る。見た目も相まって正に慈母。
辛喰童子にはそちらを見る余裕があった。
「なんだ山姥。今更力より見た目を気にするのか?」
「ほ。母親も女じゃからの。貴様も美しい妻の方がよかろ?」
美人姿であっても、力は健在。山への支配力も、永自身が放つ迫力も変わらず、むしろ増している。
母としての相、有り様を示し、今の美しい姿を本性としてみせたのだ。
子がいてこそ、母。
更に言えば草薙衆の祈りと信仰もまた、力。
ここに到着する前から祈りは届いており、それもずっと力に加わっていたはずだ。
化け物が暴れれば、呆気なく吹き飛ぶ程のちっぽけな人間。彼らを慈しみ、女神は祝福する。
「わしはこの山の女神。そして鬼から人を救う守護神となろうぞ」
永は朗々と告げる。神としての宣言、力ある言葉を。
草薙衆の者達は戦意を燃やして立ち上がる。強制でなく、意思を温かく支えられて。
それから辛喰童子の援護をさせないよう、ほたるとの戦いに臨む。
巨大な蛇体に比べれば小さな、しかし強大な力を持つ永。荒唐無稽な暴力と炎熱が飛び交う。
そして信太郎にも恩恵があった。人の身に見合わぬ膨大な力が満ちる。見合わぬ故の苦しみもまた大きいが、狂気的な精神力で飲み下した。最早呪いとも言える重い代償を喜んで受け入れる。
これなら剛力の大太刀も受けられるだろう。
だが無理はせず見切って受け流す。暴力を滑らせ、逸らす。集中を維持し、隙などは見せない。
後ろからは矢の援護があり、鬼の肉体を削っていく。絶大なる女神の加護を得て、悪逆を討つ勇士も奮い立つ。
信太郎は前面で立ち塞がり、皆の盾となった。
「随分冷静だな。仲間が死んだのに憎悪はないのか?」
射られながら、攻めたてながら、鬼は笑う。未だ余裕を保ち、辛喰童子は悪意をもって問いかけてくる。
「確かに憎悪は力にもなりましょう。しかし憎悪は刃を鈍らせもするのです。故に私は、あなたを憎悪でなく、義によって斬ります」
冷たく、理知的に信太郎は答えた。それが真実だと信じて。
馬鹿にされる物言いをされると考えたが、辛喰童子は意外にも、共感の温かみを伴って笑う。
「ああ、分かるぞ。折角憎悪を抱いた人間を鬼にしたというのに弱い者ばかりだった。だがほたるを見よ! 情によって鬼と化せばこれ程に強き存在となるのだ!」
熱く、情念豊かに叫ぶ辛喰童子。
ほたるの鬼への変性が、皮肉にも証明していた。
憎悪より強いものがある。それの一つが、他者を思う心なのだと。
「そもそも鬼を増やし国を造ろうとしたのはひたすらに己の為だった。人の戦を見て、美しいと望んで、やってみたいと焦がれたのだ。だが! 今はほたるとの今後が楽しみでならん。未来を思うだけで力が溢れてくる! 貴様はどうだ。本性を隠していては、己には勝てんぞ?」
「本性、ですか」
「そうだ。言え。貴様は何故に己を殺す」
人でなしの自覚を持つ信太郎。綺麗事を言える立場ではない。
世の為、人の為、これは事実であり本性だ。
ただ、確かにそれと並んで、他にも個人的な理由はあるか。
永の言葉を思い出す。
恩返しの為。自分の楽しみを守る為。それが本性だとはっきり言った。
ならば信太郎もそうだった。
妻の為。その割合も大きい。
「あなたの悪逆のせいで永の気分が悪くなります。楽しませる事が出来ません。故に、退治させて頂きます」
「ぎはっ。良き理由だ!」
気炎万丈。伴侶の為にと双方が猛る。
構えは大上段。真っ向からの勝負。
武器を打ち合い、足捌きを駆使し、殺し合う。援護もあるが、衝撃の余波だけで弾かれ届かない。その只中にいる両者は着物も肌も既に傷と血に覆われている。それでも闘志を滾らせて、笑う。
刃と矜持がぶつかる。
と、不意に衝撃が収まり、遅れて鋼が打ち合った甲高い音が響く。
「ぎっ、はははっ」
「ぐ、うっ……!」
結果としては、信太郎の刀が折れていた。
更に大太刀が肩から食い込んでいる。肉を裂いて骨まで断った。加護があればこそ耐えられる重傷。
しかし折れた信太郎の刀もまた、辛喰童子の腹を捉えていた。捻り、内部をかき乱す。
そして、時を見定めた草薙衆の援護。辛喰童子の背中に無数の矢が降る。それでも鬼は笑いながら大太刀に力を込め続ける。信太郎しか眼中にないと言うように。
「辛喰様ぁ!」
ほたるの悲痛な叫び。戦闘中の永から離れて辛喰童子の下へ飛ぶかの如く向かう。
「じゃから余所見するなと言うとろうが」
先回りした永が、横っ面に張り手。地面に突き落とす。
追いかけ踏みつけ、更に爪を頭蓋に深く突き刺した。炎に焼かれながら、仕留めるつもりの攻勢。
「邪魔しないで!」
ほたるは金切り声をあげると、激しく炎を噴き上げて崖に頭突き。流石の永も重量に挟まれて苦しげに呻く。
そこに、宝が飛び込んできた。薙刀で切りつけ、ほたるの意識がそちらに向く。
永はその隙に崖を砕いて退避した。
「わしをなんじゃと思うておる」
「神様でしょ。敬うのは当然じゃない」
「ほ。良い心掛けじゃの」
宝を含めた草薙衆を率い、永は己が役目と対峙する。
信太郎を信じて、また信じられて。
「山の女神に願い奉る。この戦いにどうか勝利を」
「支配者は己だ。願うならば命乞いにせよ」
信太郎は辛喰童子と至近距離で、体に刃が入ったまま睨み合う。
大太刀が食い込むが気合いを入れた。相手の腹から折れた刀を抜いて、柄でこめかみを殴る。反撃の膝蹴り。増えた鈍痛を堪えて首に折れた刃を刺す。が、片手で弾かれ落としてしまった。
仕方ないので抱くように鬼の体を掴む。そして雄叫びをあげてひねり投げた。大太刀が両者から離れ、山肌を転がっていく。
互いに迷わず拳を突き出した。拾う隙は与えまいと。
同時に動いたのが、女達。丁度近くに転がってきたので、永とほたるが大太刀を確保しようと追う。並び走り、炎が燃え移った永の顔が歪んだ。
だからか、先に追い付いたのは、ほたる。舌で器用に掴むなり高速で移動し、辛喰童子の下へ。後退してきたところで優しく渡した。
「辛喰様!」
「おお、ようやった。助かる。ついでだ、更なる炎をくれ」
「はい! お任せください!」
鬼が燃える。熱く、焦熱が世界を覆う。
炎を纏う肉体。赤い肌が熱した鉄のように光る。山、それも鉱山、鋼鉄の化身。荒神の姿。
楽しげに愉快げに、そして凶悪に笑う。
「さて、旦那様。わしらも共同作業じゃ」
信太郎の下にも永が来る。着物と手の先が燃えているのが心配を誘うも、強気な微笑みに遠ざけられた。手には折れた刀の、柄と刃先。
二つの刀身を擦り合わせ、研ぎ、整える。辛喰童子と同じようで違う、繊細な手つき。
刃物を研ぐのはいかにも山姥らしい。
完成した新たな刀は脇差し程に短くなったが、女神の刃だ。
鋼もまた山の恵み。だが女神とは相性が悪い。やはり植物や獣の方が合う。
故に、扱うべき者へと、授ける。
「さて、旦那様。わしの力があれば鬼にも敵うのじゃろう?」
「……麗しき女神に最上級の感謝と敬意を」
信太郎は刀を地面に刺し、手を合わせた。
呼吸を整え、力を抜き、精神統一。そして祈る。誠意を込めて、信心を示す。
「祈るべきは己だと言っておろう!」
攻めてくるのは赤々と炎纏う鬼。輝く鋼。一直線の突撃である。
居るだけで空気を焦がし、振るだけで山を割り、力を用いれば生き物を滅ぼす。最大級の暴力が一人の男を襲おうとする。
そこに矢の雨が降り注ぎ、漆然や宝が割り込もうと駆けた。
それらの邪魔をほたるが焼き払い、打ち払う。
互いに総力を懸けた、人の枠をはみ出した荒々しい乱戦。
その中で、信太郎はまだ祈る。
ただ己の祈りと向き合う。
極限の集中は世界の時を遅らせた。頭蓋に振り下ろされる大太刀は酷くゆっくりと迫る。炎熱さえも遅い。震動や火傷の感覚はあれど、精神を乱す程ではない。
地面に刺したまま柄を握った。
力を込めると抵抗を感じる。刺さる大地、山そのもの、つまりは永も、刀をがっしりと掴んでいた。
刀を通して、二人の力が合わさる。
間合いはあちらが広い。
故に辛喰童子の攻撃が届く直前に、全速で踏み出した。溜めた力を、山を通じて得た力を、全身を駆動させて解き放つ。
狙いは低い姿勢からの切り上げ。そしてそのまま返しての振り下ろしだ。
「さあ、己を祝え人間っ!」
「……いいえ、代わりに祈りましょう」
鬼神が起こす災害を前に、信太郎はただ、一息に二人の得物を振るった。
決着。それを知らせるように。
この世ならざる景色の山に、清く澄んだ音が高らかに響き、そして血飛沫が舞った。




