十九 夫婦二組喰らい合い
「ぎははっ。ほたる、良い炎だ! その調子で焼けば良いぞ!」
「はい、辛喰様! 仰せの通りに!」
「永、ほたるを頼めるか」
「ほ。主が首魁の相手か? 面白い度胸じゃの」
空は曇天。光は薄い。吹くのは乾いた寒風。
炎が燃え上がり、山が揺れ動き、鋼が打ち鳴らされる。化け物共の荒ぶりがこの世ならざる景色を生み出す。
戦いはより激化していた。
辛喰童子の金棒を、信太郎が迎え撃つ。砕かれて短くなっていても未だ脅威の殺傷力。
加護を受けた極限の集中力は神速の攻撃も見極める。研ぎ澄まされた技をもって柔らかく流し、懐に潜り込んで切り上げ。が、頭突きによる強引な防御。勢いが乗り切らず、額の骨で刀が止まる。びりびり痺れる腕。
それでも力で押し切ろうとすれば、相手は一歩強い踏み込み。体当たりを仕掛けてくる。すかさず流れに沿って回転。刀を引きつつ背後に回る。
そこに裏拳めいた横振り。しゃがんで潜り抜け、足元から胴へと刀を走らせる。応手は叩き落とそうとする拳。読み通りなので太刀筋を曲げて、拳より低く。すぱっと腿を切り裂いた。赤く線が飛ぶ。
すると即座に蹴り足が顔面に来た。そのまま目を開き歯を食い縛って受け、のけ反りながら衝撃を逃がす。
そして追撃の金棒による突き。横っ飛びの直後にごうと風が唸り、触れてもいない皮膚を抉っていった。
細かい技を重ねて、互いに大振りの為の隙を探る。もっとも細かいというのはあくまで比較しての話であり、周囲には凄まじい余波が吹き荒れていたが。
女神、荒神。両者はそれぞれに人知を超えた力を持つ。今や辛喰童子の方にも油断や遊びはなくなっていた。
もう片方。
化け物と化したほたるの噛みつきには、永が応じる。
寸前まで引き付けて、唐突に消える。現れた先に尻尾が振るわれても、再び姿はなくなった。暴れる巨体の周りで戯れるように神出鬼没を繰り返す。
変性したとはいえ元々が単なる村娘。技巧もなくただ真っ直ぐに突っ込んでくるだけなので回避は容易い。だが、燃え盛る炎に攻めあぐねている。
と、そこで一手。
頭上から落石、土砂崩れ。自然発生ではなく、永の山の女神としての力を用いたのだ。
炎をほたるごと呑み込み、消火する。煌々と照らされていた戦場が暗くなった。
ただし、それもほんの一時。すぐに蛇体を起点に炎熱が広がった。
「その程度でこの炎を消せると思ったの!? 辛喰様にも認められた熱なのよ!」
「ほ。それに価値があると思うのは主らだけじゃ」
「ならなあに? 山姥の情はわたしより大きいの? あなたも気持ちを見える形にしたらどう!?」
「気持ちの見えん山姥で悪かったの。では形にしてみようかえ」
辺りに影がさす。
崖から木々がせり出す。急成長を続け、遂には自重に耐えきれずに折れ、落下。
そしてほたるの上に降り注ぐ。
彼女は上を向き、炎を吐いた。焦熱は重量をものともせず落ちきるより早く焼いてしまった。炭を通り越し、灰となって木々は散りゆく。
「ああ、残念! あなたの心はこんなものなのね!」
「ほ。心など見えんのが普通じゃろうが」
返答は顔より下から。
そして破裂音。苦悶の声。瞬く間に移動してきた永が大木を振り回して顎を打ち、巨大な蛇体をふっ飛ばした。確保していた得物は砕け炭化して崩れるが、一撃持てばそれで十分。
天に向かって真っ直ぐに延びるほたるの蛇体を追いかけ、高く跳ぶ。
頭から離れ、他より熱が弱い尻尾を狙い掴むと、振り回すべく体を捻った。
しかし、いつの間にやら背後に金棒。濃い殺気。
「我が妻から手を離してもらおう」
「そちらこそ、妻に手出ししないで頂きたい」
言葉の後に澄んだ金属音が鳴った。
辛喰童子と信太郎が鍔迫り合い。刀と金棒。得物の重みに差はあれど、拮抗している。これもひとえに永のおかげ。感謝の祈りは常に胸の内に。
地に引かれる体重、流れる姿勢。宙にあっても制御してみせた。技をもって少しずつ力をずらす。
両者は着地の衝撃も軽くいなし、鍔迫り合いの体勢を保っていた。背後では永がほたるの蛇体を振り回して叩きつける衝撃が轟く。
「どうした、山姥の方が威勢が良いな。貴様は口だけか?」
「いいえ。むしろ口先は苦手とする分野です」
「ぎはっ」
睨み合いの最中、わずかな好機。ずらした力と重心を利用して巻き上げ、返す刀で斬りつける。
固い肌に刻むのは、浅く長い傷。深ければ刃が止まるので、危険を冒さず手堅く攻める。傷は時間と共に力を失わせるだろう。長期戦は覚悟している。
辛喰童子はこきりと首を鳴らし、猛々しく笑う。
「つまらん男だ」
「永にもよく言われます」
「ぎはっ。尻に敷かれておるのか。そんな様で己に勝てるとでも?」
「はい。そのつもりです」
会話の合間にも凶器と血が行き交う。
辛喰童子は刃を受けながら、むしろ刃を食い込ませるように進んで強引な攻撃をしてくるようになった。人間なら自殺行為でも、頑丈な鬼ならば有効な戦法。堅実な信太郎を見ての方針転換か。
鬼が金棒を振れば風が渦巻く。
周りの石や吹き飛び。視界は遮られ、耳と鼻も正常ではなくなる。踏ん張ろうとも足場ごと流される。見切るのが格段に難しい。そこに専念すれば、ますます防戦一方。手がつけられなくなってしまう。
だから逆らわずに乗った。
五感も満足に機能せず体も意思に背く、水に溺れているような風圧の中で、まず場そのものを見極める。探し手繰るは、流れと理想の動きの一致。
そして、足裏でしっかりと地面を捉えた。前方には暴威の気配。
祈り、爆発的に力を得る。一歩横に移動。すぐ傍をかすめる暴力に、肌が爆ぜたように抉れた。
視線が交錯。
神速の反撃が閃く。鬼の腕が縦に裂け鮮血が舞った。
やはり堅実に、とは言っていられないか。必殺の圧を常に持たなければ、食われる。
「ぎははっ。やりおるな!」
「では更に楽しませましょう」
首筋へ横一文字。
金棒を盾代わりに構える辛喰童子。ならばと握る手に向かって切り上げた。指先が落ちる。それより速く、切り返した振り下ろしが頭頂へ。
残念ながら刃は顔をかすっていっただけだ。
ただその後退を追って信太郎が連撃を繰り出した。今度は攻め続ける。
勝負として受け入れたのか、辛喰童子は反撃せずに逃げる。回避と防御を抜けて傷を与えても、笑いは剥がせない。鬼は笑顔のまま、必殺の瞬間を狙っている。
実際、一撃あればそれで終わりだ。
傷がどれだけ増えても実感がなかった。
信太郎の刃は通じている。通じてはいるが、芯には届いていないのだ。気は欠片も抜けない。
だが端から見ればこちらが優勢に映るか。
「辛喰様!」
ほたるは悲痛な金切り声を響かせた。焦った様子で愛しき鬼の下へ向かう。
ただしその行く手には永。正面に現れ、大岩を持ち上げている。
「小娘。わしを無視してはいかんぞ?」
「邪魔しないで!」
叫び、そのまま口を開けて突撃。
牙と炎が邪魔者を呑み込もうと迫る。大岩ごと噛み砕こうと、深い大口が開かれた。
対する永は、先んじて大岩を粉々に砕きほたるへ降らせる。勢いの弱まる炎。すかさず顔の上に跳び登った。
「熱いわ。涼しくせんか」
「恋の熱は冷やせないわ!」
「知らんわ。阿呆」
拳骨。母が悪戯をした子にするような動作で、しかし人外の剛力で上から殴りつけた。
叩きつけられた巨体。山が揺れる。宙から永は追撃に降りてきた。
ほたるは跳ね起き、牙で迎え撃つ。掴んで止める永。炎に焼かれながら上顎を爪で裂いて牙を落とした。
しかし背後から荒れ狂う尻尾が襲う。これも後ろ手に容易く掴む。掴んだ爪により血が飛んだ。
が、蛇体の重量で押し切られた。ほたるは虫でも叩くように、巨体を活かして地面に押しつけ、潰す。
またも山が崩れていく。
信太郎と辛喰童子の戦いにも影響があった。
流れる土砂。倒れて滑る樹木。信太郎はその中を飛び、駆け、ひとまず安全地帯を探す。
そんな事はお構い無しに、鬼が追いつき後ろから金棒を繰り出してきた。
身をかがめて避け、振り返って反撃を足へ。跳んで避けられ、今度は上から叩きつける金棒の一撃。相手を見据えつつ前に進み、振り切ったところで腕を狙った。だが勢いが乗る前に無理矢理肘打ちで迎撃。鋼に打ち込んだような感触を押さえつけ、下からの金棒に対応する。
足を止めぬまま、幾度もの攻防。刀と金棒が火花を散らし、後方へ置き去りにしていく。
「あちらは気にしないのですか」
「どうせ貴様が邪魔するのだろう。先に片付けるまでよ」
山が落ち着いてきた。落石も土石流もない。
それでもぶつかり合いは続く。立ち止まり、至近距離で、むしろより激しく鋼が打ち鳴らされる。
その空気を、鬼が唐突に変えた。
「だが、確かに一度合流しておくか」
下からの掬い上げるように振った金棒。それが、手を離れて空へと飛んでいく。
やがて上昇が止まれば、流星のように降ってくる。
信太郎は漆然から聞いた話を思い出し、戦慄した。
山が跡形もなくなるかもしれない。
付近にまで被害が及ぶかもしれない。
思考の隙に、いつの間にか辛喰童子はほたるの下へ行っていた。
そこには永もいる。二対一になる事は放置できないが、金棒も無視できない。
迷いと焦り。
乱れる精神を一呼吸で整えた。姿勢を正し、泰然と構える。
「山の女神に誓います。私は災いを打ち払いましょう」
ただ真剣に、刀を振るう。
祈り、力を溜める。体の隅々までを意識する。
天からの流星を斬りつけようと、深く集中。
だが、その前に。
意地の悪い笑みが浮かぶ。
「ぎはっ」
辛喰童子が横腹への回し蹴りを放った。
構えられもしなかった信太郎に、衝撃。肉体が千切れるような感覚が駆け抜けた。
軽々吹き飛び、山肌を転がる。全身を打ちながらも、意地で意識を保って、敵を見た。
金棒を受け止め、その衝撃を回転でいなす辛喰童子を。一足飛びで追い打ちをかけてくる辛喰童子を。
立ち上がろうとする信太郎に、影がかかる。
「終いか?」
いやらしく笑う辛喰童子。
振り上げられる金棒に、対応手段はない。体は未だ痺れ、上手く動かなかった。
鬼が待ってくれるはずもない。
死が、無慈悲に振り下ろされる。
そう思ったのだが、届かない。
金棒も、音や風圧も、新たな影が割り込んできて遮ったのだ。
信太郎はその事実に胸が熱くなる。
「……間に合ったな」
頼もしい声と後ろ姿は知っている。
割り込んだ影の正体は禿頭の偉丈夫。
草薙衆の頭目、漆然は辛喰童子の金棒を同じく金棒で受け止め、毅然に笑っていた。生々しい傷をものともせずに。




