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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第五章 鬼と大望

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十八 目に見える情の形

「まだ……ねえ、まだなの……? すぐに片付くはずでしょう? 辛喰様……」


 曇天の下に崩れゆく山。寒風が砂煙をさらう。戦いの様子は音だけでしか伝わってこない。

 ほたるは辛喰童子の姿が見えなくなってもその言いつけを守り、高台から動かない。じっと崖下を見続ける。


 しかし、見送ってからどれだけの時間が経ったか。ほたるの心には暗い色が満ちていく。

 不安。耐えられない。孤独。息が出来ない。口が渇く。絶望。胸が痛い。

 あの強い辛喰童子ならすぐに戻ってくると信じていた。なのに、未だ戻らず。待ち焦がれる彼女の感覚としてはとうに何日にも及ぶ。実際は半刻にも及ばないというのに。


 だが、それだけなら、長いだけなら耐えられる。そのはずだ。

 醜悪な村での日々は事実十年以上に及んだのだから。




 貧相な村は常に生け贄を求めていた。

 悪と厄を引き受ける人柱を求めていた。

 狭く、資源が限られた地域。たまる不満を解消し、より多くの人間の生活を回す為の悪知恵が必要とされていた。

 村人に不幸がある度に責められ、傷つけられ、石や泥が降りかかった。何もなくとも侮蔑と罵倒に晒されていた。八つ当たりでしかないのにそれが正義だった。

 理不尽に声は届かず、これがお前の家の役目だと正当化させられていた。味方は親だけだった。その親も治るはずの病で死んだ。

 他人を恨み、憎み、その不幸を願う。しかし長年の間にそれも擦り切れ、やがて無になった。ただ時間が経過するだけの日々。


 そんな地獄が、唐突に終わる。

 ある夜に鬼がやって来て、村の人々を皆殺しにしたのだ。

 家々が燃え、人々が逃げ惑った末に命を落とす。血と肉と炎と悲鳴の、真っ只中で化け物達は笑う。

 そのおぞましいはずの光景を見て、ほたるは静かに笑っていた。爽快な気分だった。美しい光景に心が洗われるようだった。

 やがてほたるの下にも、鬼が来た。返り血を浴びた赤い肌。凶悪な金棒。精悍な顔つき。やはり美しい存在を目の前に、胸が震えた。

 迫る死にも恐れはない。最期に最高の気分を味わえて、むしろ感謝すらあった。憧れさえも。最後に満足を味わえた。

 安らかに死を待つ。

 だが、目が合うと、鬼は嬉しそうに笑ったのだ。


「良い顔付きだ。人間がそれだけ憎かったか? いや、そうか。憎悪以上に、これ(・・)が美しいのだな?」


 ほたるは言葉も返さず、頷きすらしなかった。思わぬ共感に、ただ驚くばかり。

 だが理解が馴染めば、胸に溢れるのは熱。共感の嬉しさ。鬼への興味と慕う気持ちが生まれる。

 表情だけで、意思は通じたらしい。

 鬼は不敵に笑って、ほたるへと血塗れの手を差し出してきた。


「ならば付いてこい。今日よりお前も鬼となれ」


 そうして手を取り、血に濡れて、彼女は救われたのだった。




 なのに、再びの、孤独。


 今度は耐えられない。

 息が出来ない。支えが消えて立っていられない。震えが止まらない。

 あまりの苦しさに、何もかもが、変質していく。


「……もしかして、捨てたの?」


 ふと湧きあがる疑念。辛喰童子が勝つのは間違いないのだから、とうに勝って何処かへ去ってしまったのではないか。そんなはずはない。信じているのに。

 しかし幾ら振り払おうとも疑念は段々大きくなり、やがて確信に近くなっていく。

 顔を激しくかきむしる。爪を立て、傷を作りながら自らの大き過ぎる感情に呑まれていく。


「確かめなきゃ……会って、追いかけて確かめなきゃ……」


 暗く、低く、深く、恐ろしく。

 濃密な情念が、姿に影響を与える。肉体が蠢き、肌に鱗が生じ、内から炎が吐き出される。不気味な変貌は、時をかけずに完了。

 人から、化け物へ。

 変性。

 そして衝動のままに、慕う相手がいるであろう戦場へと降りていった。





「辛喰様あああぁ! どうして!」


 名を叫び、その主に巻きつき、炎をもって包む。

 崩れた山に、赤々と燃える巨大な蛇体。永の力により生えた草木や花にも燃え移って広がり、辺りは地獄のような光景。常人なら息も忘れる恐ろしさ。


 信太郎と永は距離をとって様子見に徹する。事情は完全には分からずとも、大方は把握してしまった。自然と顔は伏せられ戦意が緩む。


「……救えなかったのだな……誓ったのだが」

「仕方あるまい。あれがあの娘の本心じゃ。望みは救いでなく、色恋だったんじゃろう」

「色恋……いや、これも立派な選択か。ただ、これは、まさかこのまま……」

「かもしれんが、かといってこの炎では止めも刺せんしの」

「いざとなれば炎にも飛び込むのだが」

「まだ早いじゃろう。その気力はとっておけ」


 正確には何も手出し出来ない。

 熱波が離れていても届く。汗が玉のように浮かぶ。それでもこの場を離れられない。監視は必要だ。


 つい直前まで戦場だった事を無視して、激しき愛憎劇が勝手気ままに繰り広げられる。


「どうして来ないの! どうして捨てたの! どうして裏切ったのぉっ!!」


 ほたるは問いかける。その度に炎の勢いが増す。既に人でない彼女だが、その台詞は人のままだ。理屈を置き去りにしていたとしても。

 辛喰童子は炎の中で消え入るような声だけを返す。


「……ほたる」

「ねえ、答えて! 答えてっ!!」


 一際熱い呼び掛けに、辛喰童子は腕力で蛇体の締め付けをこじ開けると、ほたるの顔の前に飛び出た。

 そして目と目を合わせて、恍惚の表情で、鬼は応える。


「そなたこそ、我が妻に相応しい!」


 告げた内容はあまりにも突飛。

 本人は絶大な自信に満ちていたのに対し、ほたるの方が呆けてしまった。変貌した鬼の如き顔にも驚きの表情。

 熱かった炎もつられて弱まる。声も、本来の少女めいたものとなった。


「え……? 妻……? 本当、なの……?」

「己は知っておったのだぞ。そなたの人に対する憎悪を。その重さを。なのに今まで鬼にならなかった。故に失望し興味を失いかけていた。……だが! その重い憎悪よりも尚、己への情念が強かった! 嗚呼、己の目は節穴だったのだ!」


 辛喰童子は語る。

 口早に、熱を込めて、思いを全て吐き出し尽くすように、語る。


「その体は情の永さ。その鱗は情の硬さ。その炎は情の熱さ。今のそなたの姿がなによりの証左よ! これだけの情を抱いておるそなたと夫婦となれるのならば、嗚呼! なんと素晴らしい事か!」


 妖怪の理に基づいた吐露。

 詳しく語られ、遅れながらほたるにも本気の思いが通じる。いや彼女だからこそ確かに通じた。鬼と化した顔から涙すら溢して、彼女は歓喜した。


「ああ、辛喰様。わたしは嬉しゅうございます……」

「己もそうだ。これ程の相手に出会えるなど、げに素晴らしき幸福よ!」

「そうとまで言って頂けるのですね……」

「当然だ!」


 話が噛み合い、思いを分かち合う。二人だけの空間を形成して蕩けた眼差しで見つめ合う。優しく体を撫でる。行動は正に恋人達のそれ。

 少女にようやく訪れた、幸せの時か。

 しかしそれは、人との敵対を意味する。心も体も、今や完全に化け物の側に立った。


 事態の成り行きに呆気にとられていた信太郎と永も、今後を察して気を引き締め直した。

 そんな彼らに、辛喰童子はにやついたまま視線を向けてくる。


「だが、あれらが邪魔だな」

「はい。全くです。早く片付けましょう!」

「おっと、粗末には扱うな。あれの肉は良き婚礼祝いになるだろう」

「ああ、それは素敵な考えですね!」


 二人は寄り添い、賑やかに仲睦まじく行動方針を確認。

 殺気や闘志はなく、ただただ喜びと楽しみで溢れている。

 だが、躊躇なく敵は殺すだろう。

 暴力と色恋も容易く両立する。それもまた妖怪の理なのだから。


「さあさ、ほたるよ! これが終わったら、盛大な祝言を挙げようぞ!」

「はい、辛喰様!」


 彼らとはある意味で似た者同士。人でなしと山姥の夫婦も、人の道理を外れた化け物の道に進んでいたら、あるいはこうなっていただろうか。

 だが二人は選択したのだ。地獄へ落ちると知りながら正しき行いを続ける道を。

 信太郎と永は目を見合わせ、頷いた。不敵な微笑みが言葉より雄弁に互いを鼓舞する。


「夫婦の先達として目にもの見せてやるわい」

「ああ。おれ達の方こそ、素晴らしき出会いであったと示してみせよう」


 炎燃える崩れかけの山で、二組の夫婦は殺し合いに臨む。

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