十五 鬼というは化け物はかくありて
「辛喰様!」
立ち上がり殺気を漂わせた辛喰童子を、少女は必死に引き留める。潤んだ瞳に、震える声。救いを求める幼い懇願は彼女が抱える思いの大きさを表していた。
だがそちらを見る事もせず、鬼は冷たく言い放つ。
「ここで待っておれ」
「どうか、どうかお傍にいさせてください!」
「断る。貴様は鬼ではなかろう」
「……そんな」
「すぐ勝って戻る」
「はい。必ず、必ずですよ」
悲しげで悔しげな顔のほたる。父を見送る子供のような、夫を見送る妻のような、というべきところだろうが、それにしては目に危うい色が映っている。
そんな些細な点に気付く素振りもなく、辛喰童子は挑戦的に永を見た。
「下へ行くぞ、山姥」
「ほ。命令などするでないわ」
そのまま振り返る事なく、軽い調子で飛び降りる。続けて永も姿を消した。
高台に一人、暗く俯いたほたるを残して。
両者は信太郎のすぐ傍へ。
血溜まりに死屍累々。戦場で向かい合う夫婦と鬼の首魁。片や鋭い闘志をみなぎらせ、片や嘲笑を浮かべる。
「ぎはは。殺しも殺したな。これでは鬼の事をとやかく言えんのではないか?」
「はい。私は人でなしですので。しかしこの事態は、あなたの指揮が原因では?」
「ぎはっ。それはそうだが、まだ都に向かった者らもいるだろう? 他の人間に任せたようだが、今頃どうなっておるだろうなあ?」
「宝殿も銀之丞殿も強い方です。数には負けません。あなたの失策です」
「ほおう。ならば、やはり鬼に人の真似事は向かんかった。それだけよ」
「ではこれからは鬼の流儀で戦うと?」
「そうなるな」
辛喰童子が悪びれもせず答えた、その、ほぼ同時に。
前触れのない風切り音が鳴った。
会話から一転、致命の一撃が交差する。刀、爪、金棒。それぞれの得物が火花を散らす。
「ほおう。山姥、単なる化け物ではないようだな」
「ほ。分かっておるならば大人しく首を差し出すんじゃな」
「ぎはっ。何を言う。この山の主は神などではない。この己よ」
真冬めいた永の凍てつく視線にも、辛喰童子は退かずに熱をもって対抗した。互角の睨み合い。
永の顔におかめの面はなく、美人の姿のままだ。それでも以前の本性をさらけ出している時と同等以上の力がある。頼もしく、誇らしい。強力無比な鬼の首魁にも勝てると気持ちが奮う。
しかし信太郎の方にはつまらなそうな目が向けられる。
「それより、貴様。前に遊んだ人間より随分と弱いな?」
あからさまな挑発。化かし惑わす妖怪の習性か。
あくまで冷静に、信太郎は真っ向から見据える。
「やはり漆然殿は鬼から見ても強者でしたか。確かに私はあの方には及びません」
「ぎはは。弱いと自覚しておると?」
「しかし永がいるのならば話は変わります。必ずやあなたを止めましょう」
強く真っ直ぐ言い切る。愚直なまでの返し。この言葉を心底から信じている事実として掲げ、鬼へ立ち向かう。
辛喰童子は口が裂けたように笑い、金棒を高く振り上げた。
「ほおう。面白いな」
そして地面に叩きつける。
単純な動作が災害並み。既に枯猪童子が大きく破壊していた場が、更に崩壊。地面の裂け目に倒れた鬼が落ちていく。
信太郎と永は素早く飛び上がったが、辺りは崩壊した岩場であり着地する所がない。
だがそれより間近な問題として、辛喰童子が宙まで追ってきた。迫る金棒。無理にでも迎え撃つか、かわすか。わずかな時間に考える。
「旦那様。備えるがよいぞ」
信太郎を永が突き飛ばす。すぐに理解して身をひねり、着地。少々強めの力で上手く崩壊の範囲外まで運んでくれた。
そして永は梟に化ける。
静かに飛び去れば、金棒は空振り。ただ、それだけでも暴風が巻き起こった。強く煽られ飛行を乱す。
鬼はそこを見逃さない。
空中でもお構い無しに腕を振り回し、金棒をぶん投げる。剛力が可能にする荒業。
回転しながら金棒を中心にまたも風が荒れる。目に見える勢いは、まるで小さな嵐。
それを、巨大な掌が受け止めた。
今度は巨大な姿に化け、永は冷たく鬼を見下ろす。
「ぎははっ。それで山姥か。巫山戯た姿だな。なんだ、神のつもりか?」
「つもりもなにも事実よ」
「いいや。ここの主は己だ」
辛喰童子は凄む。笑っているのに、発する圧力が空気を歪め震わせていた。
巨大に化けた永との対峙は尚も互角。山が睨み合いに耐えかね恐れたように、不自然な静寂がそこにあった。
「そうしてわざわざ誇示せねばならんとは、神を名乗るには格が足りんのではないか」
「ふん。こんなもの、わしとて好きではないんじゃがな」
「嫌うのならば元に戻って大人しく潰れておけば良い」
「じゃがの、そこの小鬼の方をより嫌うておる」
「ぎはっ。ならば殺してみせよ」
手を広げ、辛喰童子は悠々と待つ姿勢。
お言葉に甘えてとばかりに、永がつまんだ金棒を空から放り返す。軽い動作に反する極めて重い一撃。
静観していた信太郎も時を揃え、足場となる場所を見極めて次々と跳び越え、猛る。
凄まじい衝撃や破壊が予想されるが、相手の強さは承知している。間違いなく足りない。故に攻めた。
実際、同時に来る攻撃にも余裕綽々と、辛喰童子は笑う。
「なんだ、返してくれるか。助かったぞ」
先んじた信太郎の刃は見もしない。手で叩いて勢いを殺され、硬い筋肉で受けきられた。そして高速で落下する金棒へ手を伸ばすと、受け止め掴み、少し後退りしただけで衝撃を受け流す。
力だけでなく技もある。脅威を改めて認識。
駆け抜けていた信太郎は反転し、呼吸を整えて構え直した。
辛喰童子は再び金棒を手に、待っている。遊ぶように。戯れるように。
それでもまかり通るだけの存在だ。まともにぶつかれば、刀どころか全身が砕ける。
そう判断した信太郎は短く祈り、全力の踏み込み。足に集中して限界を超えて加速。
金棒を振り切られる前に間合いをつめ、先手。鋭く速く、横に薙ぐ。
鮮血はわずか。
油断の代償というには足りない。手応えに余裕もなく、振り返って構える。険しい視線の先で、鬼は愉快に笑っていた。
「ぎははっ。なんだ、それなりにやるではないか」
「お気に召しましたか」
「阿呆。そんな奴にいつまで敬意を払っておる」
上からの呆れ声。
次いで辺りが唐突に暗くなった。その原因は光を遮る足の影。単純な踏みつけが小さな鬼を襲う。
信太郎は退避。
ずん、と鈍い振動が山に伝わっていく。風が土埃を高く巻き上げた。
遠くからも山が崩れる音。山の化身たる暴力に鬼の首魁も下敷きになる。
はずだったが。
「軽いな」
辛喰童子の声が現実を語る。
巨体の重さを片手で支え楽々と持ち上げている。山そのものにも匹敵するような化け物。
余裕の笑みを浮かべて、鬼は凶暴な殺気を放った。
「やはり神を名乗るには足りん」
爪を突き立てて足を掴み、背負うように剛力で引く。軸足が跡を描きながら巨体が軽々と動き、地へと引き倒された。
何度目かも分からない地響き。いつこの山が更地になってもおかしくはない。
辛喰童子は跳び、倒れた永の顔の上に立つ。額の真上を狙って金棒を振り上げた。
それを追って信太郎も高く跳躍。
「ぎはっ。良いのか。貴様の女だろう?」
「故に退いて頂きたい」
位置は信太郎が上。なるべく永を踏まぬよう、宙から切りかかる。
迎え撃つ金棒。直接ぶつからぬように瞬きの間の駆け引き。虚を突く技を幾度か入れつつ、頭蓋を狙う。
対する辛喰童子は全く動じず、むしろ小細工を嘲笑いながら、ただ真っ直ぐで豪快な振り回しで打ち払おうとしてきた。事実これだけの力があれば最適解であるだろう。
ところが、踏み締めていた足場が不意に消える。
がくんと落ち、空を泳ぐ鬼の足。力が逃げ金棒がさまよう。顔にあるのは驚愕でなく未だ笑みだが、失態を引き出せた。
頭の上で暴れられて永が大人しく待っているはずがない。それを含めての駆け引きだった。
わずかな隙に額へ刺突を叩き込む。
貫けはしなかったが確かな鈍い音。頭蓋骨にひびくらいは入っただろうか。着地し向かい合えば両者は健在。
巨人からまた化けたはずの永の姿は見えない。離れる気配すら捉えられなかった。神出鬼没の面目躍如。
「のう旦那様。しばし一人で相手しておれ」
何処からともなく不思議な声の響きが届く。
辛喰童子の動きから目を離さぬまま、信太郎は頼もしさを感じつつ返す。
「しばしとはどの程度だ?」
「知らん。出来る限り長い方が良い」
「ならば奮闘せねばならぬな」
信頼のやりとり。胸が熱くなるも冷静を保つ。
そしてすぐに唄のような声が静かに響き、緩やかに舞う。
呪い。流麗でありながら、不穏。惑わす魅力に、不安を呼ぶ魔の気配。妖しさに満ちた古き唄だ。
この山と永を結びつける為の儀式である。
「ほおう、呪いか?」
辛喰童子は興味深そうに笑う。危険を察知して、尚も余裕は崩れない。
「だが、この山は己の土地だと言ったはずだがなあ?」
息を大きく吸い込んだ。
何らかの手段で対抗しようとしている。ならば、それを阻止するのが役目だ。
すぐに信太郎は地面を蹴った。脆く崩れる寸前の頼りない足場でも全速力。
距離を無にする速度は破壊力も生む。
放つは強烈な抜き打ち。風を切り高く鳴らす。鋭く、両断する技の冴えが辛喰童子の胴を狙った。
しかしそれは、鬼の影を捉えない。
「だから言ったであろう。貴様は弱いな」
完全に刀を振り切った信太郎に、嘲る声が背後から。
危険を察知して避けようとするも、速いのは辛喰童子の方だった。
「が、あっ……!」
芯まで軋む衝撃。背中へ金棒を打ち据えられ、信太郎は空を舞いながら血反吐を吐いた。




