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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第五章 鬼と大望

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十五 鬼というは化け物はかくありて

「辛喰様!」


 立ち上がり殺気を漂わせた辛喰童子を、少女は必死に引き留める。潤んだ瞳に、震える声。救いを求める幼い懇願は彼女が抱える思いの大きさを表していた。

 だがそちらを見る事もせず、鬼は冷たく言い放つ。


「ここで待っておれ」

「どうか、どうかお傍にいさせてください!」

「断る。貴様は鬼ではなかろう」

「……そんな」

「すぐ勝って戻る」

「はい。必ず、必ずですよ」


 悲しげで悔しげな顔のほたる。父を見送る子供のような、夫を見送る妻のような、というべきところだろうが、それにしては目に危うい色が映っている。

 そんな些細な点に気付く素振りもなく、辛喰童子は挑戦的に永を見た。


「下へ行くぞ、山姥」

「ほ。命令などするでないわ」


 そのまま振り返る事なく、軽い調子で飛び降りる。続けて永も姿を消した。

 高台に一人、暗く俯いたほたるを残して。




 両者は信太郎のすぐ傍へ。

 血溜まりに死屍累々。戦場で向かい合う夫婦と鬼の首魁。片や鋭い闘志をみなぎらせ、片や嘲笑を浮かべる。


「ぎはは。殺しも殺したな。これでは鬼の事をとやかく言えんのではないか?」

「はい。私は人でなしですので。しかしこの事態は、あなたの指揮が原因では?」

「ぎはっ。それはそうだが、まだ都に向かった者らもいるだろう? 他の人間に任せたようだが、今頃どうなっておるだろうなあ?」

「宝殿も銀之丞殿も強い方です。数には負けません。あなたの失策です」

「ほおう。ならば、やはり鬼に人の真似事は向かんかった。それだけよ」

「ではこれからは鬼の流儀で戦うと?」

「そうなるな」


 辛喰童子が悪びれもせず答えた、その、ほぼ同時に。

 前触れのない風切り音が鳴った。

 会話から一転、致命の一撃が交差する。刀、爪、金棒。それぞれの得物が火花を散らす。


「ほおう。山姥、単なる化け物ではないようだな」

「ほ。分かっておるならば大人しく首を差し出すんじゃな」

「ぎはっ。何を言う。この山の主は神などではない。この己よ」


 真冬めいた永の凍てつく視線にも、辛喰童子は退かずに熱をもって対抗した。互角の睨み合い。

 永の顔におかめの面はなく、美人の姿のままだ。それでも以前の本性をさらけ出している時と同等以上の力がある。頼もしく、誇らしい。強力無比な鬼の首魁にも勝てると気持ちが奮う。


 しかし信太郎の方にはつまらなそうな目が向けられる。


「それより、貴様。前に遊んだ人間より随分と弱いな?」


 あからさまな挑発。化かし惑わす妖怪の習性か。

 あくまで冷静に、信太郎は真っ向から見据える。


「やはり漆然殿は鬼から見ても強者でしたか。確かに私はあの方には及びません」

「ぎはは。弱いと自覚しておると?」

「しかし永がいるのならば話は変わります。必ずやあなたを止めましょう」


 強く真っ直ぐ言い切る。愚直なまでの返し。この言葉を心底から信じている事実として掲げ、鬼へ立ち向かう。

 辛喰童子は口が裂けたように笑い、金棒を高く振り上げた。


「ほおう。面白いな」


 そして地面に叩きつける。

 単純な動作が災害並み。既に枯猪童子が大きく破壊していた場が、更に崩壊。地面の裂け目に倒れた鬼が落ちていく。

 信太郎と永は素早く飛び上がったが、辺りは崩壊した岩場であり着地する所がない。

 だがそれより間近な問題として、辛喰童子が宙まで追ってきた。迫る金棒。無理にでも迎え撃つか、かわすか。わずかな時間に考える。


「旦那様。備えるがよいぞ」


 信太郎を永が突き飛ばす。すぐに理解して身をひねり、着地。少々強めの力で上手く崩壊の範囲外まで運んでくれた。

 そして永は梟に化ける。

 静かに飛び去れば、金棒は空振り。ただ、それだけでも暴風が巻き起こった。強く煽られ飛行を乱す。

 鬼はそこを見逃さない。

 空中でもお構い無しに腕を振り回し、金棒をぶん投げる。剛力が可能にする荒業。

 回転しながら金棒を中心にまたも風が荒れる。目に見える勢いは、まるで小さな嵐。

 それを、巨大な掌が受け止めた。

 今度は巨大な姿に化け、永は冷たく鬼を見下ろす。


「ぎははっ。それで山姥か。巫山戯ふざけた姿だな。なんだ、神のつもりか?」

「つもりもなにも事実よ」

「いいや。ここの主は己だ」


 辛喰童子は凄む。笑っているのに、発する圧力が空気を歪め震わせていた。

 巨大に化けた永との対峙は尚も互角。山が睨み合いに耐えかね恐れたように、不自然な静寂がそこにあった。


「そうしてわざわざ誇示せねばならんとは、神を名乗るには格が足りんのではないか」

「ふん。こんなもの、わしとて好きではないんじゃがな」

「嫌うのならば元に戻って大人しく潰れておけば良い」

「じゃがの、そこの小鬼の方をより嫌うておる」

「ぎはっ。ならば殺してみせよ」


 手を広げ、辛喰童子は悠々と待つ姿勢。

 お言葉に甘えてとばかりに、永がつまんだ金棒を空から放り返す。軽い動作に反する極めて重い一撃。

 静観していた信太郎も時を揃え、足場となる場所を見極めて次々と跳び越え、猛る。

 凄まじい衝撃や破壊が予想されるが、相手の強さは承知している。間違いなく足りない。故に攻めた。

 実際、同時に来る攻撃にも余裕綽々と、辛喰童子は笑う。


「なんだ、返してくれるか。助かったぞ」


 先んじた信太郎の刃は見もしない。手で叩いて勢いを殺され、硬い筋肉で受けきられた。そして高速で落下する金棒へ手を伸ばすと、受け止め掴み、少し後退りしただけで衝撃を受け流す。

 力だけでなく技もある。脅威を改めて認識。


 駆け抜けていた信太郎は反転し、呼吸を整えて構え直した。

 辛喰童子は再び金棒を手に、待っている。遊ぶように。戯れるように。

 それでもまかり通るだけの存在だ。まともにぶつかれば、刀どころか全身が砕ける。

 そう判断した信太郎は短く祈り、全力の踏み込み。足に集中して限界を超えて加速。

 金棒を振り切られる前に間合いをつめ、先手。鋭く速く、横に薙ぐ。

 鮮血はわずか。

 油断の代償というには足りない。手応えに余裕もなく、振り返って構える。険しい視線の先で、鬼は愉快に笑っていた。


「ぎははっ。なんだ、それなりにやるではないか」

「お気に召しましたか」

「阿呆。そんな奴にいつまで敬意を払っておる」


 上からの呆れ声。

 次いで辺りが唐突に暗くなった。その原因は光を遮る足の影。単純な踏みつけが小さな鬼を襲う。

 信太郎は退避。

 ずん、と鈍い振動が山に伝わっていく。風が土埃を高く巻き上げた。

 遠くからも山が崩れる音。山の化身たる暴力に鬼の首魁も下敷きになる。

 はずだったが。


「軽いな」


 辛喰童子の声が現実を語る。

 巨体の重さを片手で支え楽々と持ち上げている。山そのものにも匹敵するような化け物。

 余裕の笑みを浮かべて、鬼は凶暴な殺気を放った。


「やはり神を名乗るには足りん」


 爪を突き立てて足を掴み、背負うように剛力で引く。軸足が跡を描きながら巨体が軽々と動き、地へと引き倒された。

 何度目かも分からない地響き。いつこの山が更地になってもおかしくはない。


 辛喰童子は跳び、倒れた永の顔の上に立つ。額の真上を狙って金棒を振り上げた。

 それを追って信太郎も高く跳躍。


「ぎはっ。良いのか。貴様の女だろう?」

「故に退いて頂きたい」


 位置は信太郎が上。なるべく永を踏まぬよう、宙から切りかかる。

 迎え撃つ金棒。直接ぶつからぬように瞬きの間の駆け引き。虚を突く技を幾度か入れつつ、頭蓋を狙う。

 対する辛喰童子は全く動じず、むしろ小細工を嘲笑いながら、ただ真っ直ぐで豪快な振り回しで打ち払おうとしてきた。事実これだけの力があれば最適解であるだろう。


 ところが、踏み締めていた足場が不意に消える。

 がくんと落ち、空を泳ぐ鬼の足。力が逃げ金棒がさまよう。顔にあるのは驚愕でなく未だ笑みだが、失態を引き出せた。

 頭の上で暴れられて永が大人しく待っているはずがない。それを含めての駆け引きだった。

 わずかな隙に額へ刺突を叩き込む。

 貫けはしなかったが確かな鈍い音。頭蓋骨にひびくらいは入っただろうか。着地し向かい合えば両者は健在。

 巨人からまた化けたはずの永の姿は見えない。離れる気配すら捉えられなかった。神出鬼没の面目躍如。


「のう旦那様。しばし一人で相手しておれ」


 何処からともなく不思議な声の響きが届く。

 辛喰童子の動きから目を離さぬまま、信太郎は頼もしさを感じつつ返す。


「しばしとはどの程度だ?」

「知らん。出来る限り長い方が良い」

「ならば奮闘せねばならぬな」


 信頼のやりとり。胸が熱くなるも冷静を保つ。

 そしてすぐに唄のような声が静かに響き、緩やかに舞う。

 まじない。流麗でありながら、不穏。惑わす魅力に、不安を呼ぶ魔の気配。妖しさに満ちた古き唄だ。

 この山と永を結びつける為の儀式である。


「ほおう、呪いか?」


 辛喰童子は興味深そうに笑う。危険を察知して、尚も余裕は崩れない。


「だが、この山は己の土地だと言ったはずだがなあ?」


 息を大きく吸い込んだ。

 何らかの手段で対抗しようとしている。ならば、それを阻止するのが役目だ。


 すぐに信太郎は地面を蹴った。脆く崩れる寸前の頼りない足場でも全速力。

 距離を無にする速度は破壊力も生む。

 放つは強烈な抜き打ち。風を切り高く鳴らす。鋭く、両断する技の冴えが辛喰童子の胴を狙った。


 しかしそれは、鬼の影を捉えない。


「だから言ったであろう。貴様は弱いな」


 完全に刀を振り切った信太郎に、嘲る声が背後から。

 危険を察知して避けようとするも、速いのは辛喰童子の方だった。


「が、あっ……!」


 芯まで軋む衝撃。背中へ金棒を打ち据えられ、信太郎は空を舞いながら血反吐を吐いた。

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