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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第五章 鬼と大望

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十四 鬼は巨きく、鬼は化ける

 鬼が都を襲うという窮地に、援軍が駆けつけた。

 たった二人が何よりも頼もしい。荒れた息や乱れた姿もまた彼らの強い思いを示す。

 その頼もしい相手に、永が辛喰童子を睨んだまま、叫んだ訳でもないのによく通る不思議な声で指示する。


「主らよ、こちらは良い。東の森じゃ。都に向かう鬼がおる」

「なに、いきなり命令!?」

「まあまあまあまあ。そう怒りなさんな」


 苛々している宝を宥めつつ、銀之丞は手早く矢をつがえる。

 そして指示通りに右手の森へ放った。木々に隠れた鬼には命中したか分からない。当たらずと牽制になれば効果はあるが、それだけでは不十分だ。

 真摯に祈り、事を為す力を乞う。

 加護を受けた眼なら見える。そして加護を宿した矢なら強い風を巻いて邪魔な葉を散らせる。戦果が大きく増した。

 ただそれでも。矢の数、時間。降りるまでに間に合うかと言えば分が悪い。それでも信じるしかない。

 故に、初めは信太郎へ助太刀しようとしていた宝も、方向転換。


「私が行く。着いたらあっちを手伝いなさい」

「……いいやぁ。両方見て、両方に届くのが弓矢の良いところでしてね」

「そ、大変ね。じゃあ任せたから」


 返事も聞かずに飛び出した宝は、加護も受けて尋常でない速さで鬼の進路へ向かった。正しく矢のように。

 数を理解しているのか。敵うと思っているのか。大きな溜め息が漏れる。

 それでも銀之丞は何処か嬉しそうに笑って、新たな矢をつがえた。


「まあ、任されたからには守りますよ」




 鬼の正面で、信太郎は仲間の有り難さに感謝していた。胸の内に闘志とは異なる熱さを感じる。

 一度目を閉じ、深呼吸。

 もう慌てて突破する必要はない。

 息を落ち着け、焦りを取り除く。心身の調子を整える。難事を可能にするには、人に出来る全てを尽くす事が必要となるのだ。


「戦場で何をしておるかっ!?」


 ただ鉄火場に見合わぬ態度は鬼の怒りに触れた。

 枯猪童子の巨体が場を震わせて猛烈な勢いの体当たり。

 大きく揺さぶられ足場も不安定。されど落ち着いてどっしりと構える。

 風圧と小石を浴びながら至近距離まで待つ。そして最低限の移動で避けつつ、脇腹を切り裂いた。


「ぬうっ! 気は緩んでおらんかったか! ならば、良ぉし!!」


 振り返り、胸を張って叫ぶ。鮮血が噴き出したが、あまり効いてはいないようだ。やはり頑丈。

 力みそうになるところを、意識して脱力。心を整える。

 相手は再び腰を落とし、突進の構え。筋肉が膨らみ、十全に力を溜めている。真っ向勝負だけを望んでいる。

 信太郎も構え直したところに、背後から聞き慣れた声。


「逃げるとは情けないの。正面から正々堂々立ち向かわんか」

「そろそろ……永の真似は止めて下さい」


 静かに刃が閃いた。妻に化けたもう一体の鬼、濃鹿童子を振り向き様に一刀両断。

 上半身が地面に落ちる。

 しかし、それで終わらない。

 瞬きの間に、変化。別れた上半身と下半身のそれぞれが、幼い子供に化けた。二人の幼子の姿で、鬼は笑う。


「きゃはははっ!」

「きゃはははっ!」


 心理的な抵抗を狙っての行動か。

 信太郎は眉をひそめる。確かに正体が分かっていても刀は向け辛い。

 だとしても、冷えた頭では敵と認識している。冷静に近くを走り回る子供姿の鬼を切り払った。

 しかし手応えは薄い。転がって、すぐにがばりと起き上がる。


「酷いね!」

「惨いね!」


 無傷で駆け回る子供姿の化け物。

 人を化かす鬼の本領か。

 甲高い笑い声がいやに響いてくる。集中力が削がれる。騙されずとも、精神に効く。

 これならば、枯猪童子の方が遥かに分かりやすく戦いやすい。


「我の方を向けぇいっ!」


 その枯猪童子は、激しい雄叫びをあげながら高く跳んだ。大きく濃い影が辺りを包む。

 巨体に見合わぬ高さには驚くが、やはり容易く避けられる。ただ問題は、その威力。

 着地と同時に組んだ両手を叩きつければ、大地が割れた。轟く。揺さぶられる。圧倒的な剛力。

 体勢を崩さないよう踏ん張ったところに、続けて岩を投げつけられた。足場が悪くなった現状では、逃げ場が限られる程の大岩。

 無理矢理強く踏みしめ上に跳んでかわす。

 その頭上から、甲高い子供の声が降ってきた。


「きゃはははっ! 高いね!」

「きゃはははっ! 凄いね!」


 視認するより前に、ずしりと重み。二体に別れた鬼が頭にしがみつき、離れない。きつく締め付けられる。

 刀は、届かない。宙では対抗の手段が限られる。

 仕方なくそのまま墜落。不十分な受け身で、全身を強かに打った。


「きゃはっ! 蛙みたいだね!」

「きゃはっ! 蟻みたいだね!」


 倒れた頭に上から嘲笑。踏みつける足は残酷な子供の悪戯らしい仕草だが、鬼の剛力を併せ持つ。人の骨など容易く踏み砕くだろう。

 だが地面さえあれば、力は通る。素早く手をつけて跳ねるように起き上がり、その勢いをもって二体をはね除ける。

 そこに間髪入れずに、しわがれた叫び声。


「濃鹿などに負けるのか! 許さんぞ、我と戦えぇい!」


 直情。愚直。枯猪童子が爆発的な加速で接近してきて、目前に大きな拳が迫る。

 純粋な暴力には、やはりこちらも純粋な力が要る。


「麗しき山の女神よ。どうか御力をお貸しください」


 短くも真摯な祈り。

 女神としての格が高まっているのか、好ましい言葉を選んだお陰か、我が身さえ壊しかねない理外の力が身体に満ちる。骨身に響く痛みを呑み込み、あえて強がり笑みを浮かべた。

 鋭く息を吐き、踏み込む。

 強烈な一歩に全てを乗せ、逆手に握った柄を拳へ打ちつけた。

 鈍い破裂音。剛力と剛力。拮抗する衝撃が周囲に放射していく。


「ぐうぅっ! 良おぉし! 力と力のぶつかり合い、これぞ戦いよお!!」

「残念ですが、あなたの嗜好には付き合いません」


 激情の中でも冷たく。

 一度勢いの止まった殴打ならば恐れるに足らず。手首を返しつつ体重移動。抑えられた力をも利用し、逆手持ちの柄から刃へと、流れるように振り抜く。

 大きな拳を横一文字に切り裂いた。


「うぬぬぅっ! まだまだ終わらぬぞおっ!」


 血濡れの枯猪童子は雄叫びで己を鼓舞し、残る左腕を振るった。負傷をものともしておらず、豪腕は健在。余波の風だけでも空気を弾く。

 相手は手負いの獣。受けに回っていられない。

 圧力に肌を打たれながら、信太郎は懐に飛び込む。頭を揺さぶられながら、冷静な見切り。ぎりぎりのところをかわして刀を振り抜く。

 その直前に、小さな影が飛び込んでくる。


「止めてっ!」


 見た目だけでなく、感覚全てが懸命に立ちはだかる幼子の姿を捉えた。幼い愛情、尊い思いがそこには見えた。

 濃鹿童子。正体は分かっているはずなのに、罪を錯覚。心がざわめき不快感を呼ぶ。妖怪は人の善意を試すかのように化かす。夢か幻めいた、妖怪の業。


 だから、信太郎は自らの罪と使命を強く意識する。

 人を害し、妖怪を滅してきた。罪は今更。感情を冷やし、理性を柱に据える。

 刃は鈍らせない。甲高い風切り音。二体をまとめて、一息に振り抜く。

 寒空へと血飛沫が盛大に散った。


「がああああぅあああぁっ!!」

「いたい……いたいよう……」


 それぞれに苦しむ鬼。震えながら暴れる枯猪童子と、未だに罪悪感を誘おうとする濃鹿童子。

 どちらにも手は緩めない。

 手負いの獣が回復する前に袈裟に切り伏せ、返す刀で今度は惑わずに幼子の姿へとどめの一太刀。

 断末魔が響いて、止まる。また罪を重ねた。決然と鬼を見送る。


 そこに、殺気。

 未だ振り切った姿勢の信太郎の背後から、小柄な不意打ち。化けた濃鹿のもう片方。爪が血を求めて鈍く光った。


「助かります」


 見もせずに感謝。奇襲の鬼に援護の矢が突き立つ。銀之丞の見事な働き。

 この隙に振り向き、一閃。手応えは手元にしっかりと残る。


「酷いよ……」

「はい。私は人でなしですので」

「じゃあ……お兄さんも退治されなきゃね」

「はい。その通りなのかもしれません」


 死にゆく鬼の呪いも正面から受ける。当然の報復と信じて。

 と思った矢先、濃鹿童子は更に化けた。大きな顔だけの、牙がずらりと並ぶ化け物が人を食らうべく襲いくる。

 しかし再び加護を得た矢が放たれ、その後頭部に命中し貫く。今度こそ絶命。熱を失い転がった。

 視線を銀之丞と交わし合う。戦果を確認した彼は、別動隊に対処する宝を助けるべく山を降りていった。

 血と破壊の跡が残る戦場はしんと静かになる。ほんの、一時ばかりの事ではあるが。





「さて、どうするつもりじゃ?」

「ぎはっ。そう急くな。酒が勿体なかろうが」


 高台から戦況を確認した永の問いかけに対し、あくまで軽薄なままで盃を一気に呑むみ干す辛喰童子。慌てもせずに傍らのほたるへ空の盃を渡す。

 それからおもむろに鬼の首魁は立ち上がった。


「では始めるか」


 気負わず、怒らず、化け物はただ、強く在る。

 凄惨な宴は、未だ終わりからは遠い。

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