十一 鬼の歓迎
鬼が倒れ、森は静かになった。
だが、血の匂いが一面から漂う。影と濃い緑がより陰惨な空気を生む。憎悪を煽られた人々も多く倒れており、平穏には程遠い。
一息つき、傷を手当てする四人の雰囲気は暗い。宝の重傷は草薙衆が保有していた秘薬により塞がったが喜べる余裕はなかった。
「さて、これからどうするのかえ?」
永は首を切り飛ばして血に染まった手を鬼の着物で拭いながら言った。
信太郎は銀之丞と宝、周囲の人々の様子を見つつ、応じる。
「この方達を放置する訳には参りません。かといって安全な場所まで送る事も難しいでしょうね」
「人数が人数ですしねえ。まあ、出来ない事はないでしょう。さっさと終わらせちまいましょうや」
「流石にわたしは無理」
「のう、主ら。悠長にしておって良いと思うておるのかえ?」
永の静かな忠告。冷たく、有無を言わせぬ声が、三人の口を止める。
「たはっ。分かってんじゃねえか」
そして、しわがれた声が応えた。
その声を発したのは一行の誰でもなく、地に転がる鈍猿童子の首であった。
「たはははははははは! 申し訳ない、辛喰様! 鈍猿は負けました! たははははははははっ!」
強い生命力が可能にしたのか、鬼は首だけで大笑している。更には跳び上がり、牙を剥いて宝へと向かった。
奇襲。今際の一撃。驚きに身を固くすれば避けられない。
しかし迎えたのは、薙刀の一閃。
「油断なんてしてないわよ」
真っ二つ。上顎と下顎が別れては流石に噛みつけもしない。
負傷を感じさせない華麗な刃が、今度こそ引導を渡した。
「たははっ! こりゃあ参った参った!」
鬼は事切れる前のわずかな命を限界まで笑い続け、やがて突然止まった。凄惨な姿ではあるが何処か満足げに笑う死に顔が残る。
ただ、この壮絶な死に際は、単に意地を張った訳ではなく最後の一仕事。首魁への報告。
死の気配に皆が緊張した。
「仕方ないのう。主らはそこらの男共をなんとかせい」
見上げれば、少し前に見た光景が再び。
木々の隙間から覗く空に、大きくなる点。大木の槍。
信太郎達はともかく、周囲の人々は逃げられない。故に、誰もが逃げる訳にはいかない。
三人がかりで抱え、少しでも移動させる。残る永が樹上へと飛び上がり、構える。
極限まで引き付け、衝突。
山姥の張り手が大木を打った。
小気味良い破裂音とともに一度浮き、軌道が変わる。続けて更に蹴撃を叩き込み完全に逸らした。
そして墜落。地面を貫き、凄まじい地揺れを起こす。
土や木片が激しく弾け跳んだ。
周囲の人々を庇い、信太郎達は盾になる。代わりに傷つくのも構わず、躊躇なく体を広げた。負傷した身には辛い時間。
痛みに耐える中、やがて余波が収まる。
突き刺さった大木に抉れた地面。こんな惨状にも見慣れてきてしまっている。危険性を正しく認識せねばならない。
「さて、これからどうするのかえ?」
先程と同じ永の問いかけ。
しかし空気が違う。問題が増え、難しくなった。三人の顔色は悪く、疲れが表に出てきてしまう。
少し考え、信太郎は提案する。
「やはり二手に別れませんか。この方達を保護するには、攻め込んで攻撃を止める事が必要です」
「こんなもの、放置すれば良いじゃろうが」
「勿論それも考えられる手ですが、どうしますか」
銀之丞と宝に選択を委ねる。残酷な事かもしれないが、覚悟はあるはずだと信頼している。
彼らは視線を交わし、頷き合う。
「……分かりやしたよ。あんたらは行ってくださいや」
「今更疑ってないから、きっちり仕事してきなさい!」
銀之丞は溜め息を吐き、宝は背筋を伸ばし指を差してあくまで強気に言った。
「その代わり、ちゃんとあの子を助けるんだからね!」
彼女は、未だほたるを案じている。
鬼の味方に付く程の憎悪を宿した彼女にも、救いを。その気持ちは信太郎としても同じだ。
「救います。約束しましょう」
「ほ。安請け合いは出来んの。あやつが選んだ道じゃ」
信太郎と永はそれぞれに応える。
その答えに宝は顔を険しくするも、気を取り直して男を担ぐ。重傷の身で無理しているはずだが、あくまで強気に。
「早く済ませて戻ってくるから!」
「期待はせん。主が来た時には終わっておるかもしれんぞ」
「それならそれでいいわよ」
二組は逆を向き、足早に動き出す。
守る為に。攻める為に。それぞれが、人々を救う為に。
今のところ空に異変はない。かといって次なる攻撃がないという保証もない。むしろ必ずあると言ってだろう。
なので危険を減らすべく、信太郎は吠える。
「辛喰童子よ、受けて立つ! 大人しく待て!」
山中に大声が響いた。驚いた鳥が一斉に飛び立つ。
意図は確かに伝わった気がした。鬼を信じるしかないというところが難だが、恐らく大丈夫だろう。相手の思惑に乗っている内は。
「やかましい。耳が痛いじゃろうが」
「済まぬ。また饅頭辺りで許してくれ」
「じゃが威勢は誉めてやろうぞ」
「……それは有り難い」
軽口を伴に山道を走り登る。
鬼や他の妖怪に警戒しつつも、速度を最優先。平地でも無茶な速度で飛ぶように進んでいく。
だが予想に反し、いつまで経っても敵意は現れない。
「これは、おれ達を招待するという事か?」
「かもしれんの。ろくでもないものが待っておるじゃろうが」
「ああ、分かっている。鬼の狙いは鬼を増やす事。おれの憎悪を駆り立てるような何かを用意しているのだろう」
冷静な推測。
最悪の想定は幾らしても足りない。自分を、それから全てを守る為には、何が起きても常に平常心で動ける事が求められた。
それに頷いた上で、永は試すように人の悪い笑みを浮かべる。
「自分は鬼になどならんと思っておるか?」
「まさか。おれとて例外でない事は承知しているとも。だが」
言葉を切り、改めて隣の妻を真剣に見る。
「それは、永。主に何かがあった時だけだろう。女神様に何か、などまずない。故に、おれは大丈夫だ」
「ほ。言いよる」
真顔で言い切った信太郎に、嬉しそうな永の返事が返ってくる。難しい彼女も満足の答えだったらしい。
永が無事である限りは、信太郎は憎悪に身を任せなどしない。
あるいは、そんな風に考えている時点で、既に鬼の仲間なのかもしれない。それでも構わないと、選んだ道を進む。
人でなしと化け物は、止まれない暴れ馬のように、道なき山を駆け抜けた。
木々が開けて、平らにならされた場所を見つけ、夫婦は立ち止まる。
そこでは宴が行われていた。
粗暴に食べ物を食らい、雑に酒を飲み干す。何処から調達してきたのか、足の踏み場もない程の器で埋め尽くされている。
歌って踊って騒ぐ。人と無縁の妙な歌と踊りだ。
楽しみ浮かれる鬼達。そこに悪逆はない。まるで人間のように宴を満喫している。
「よくぞ来た。英雄と女神よ。我らの宴を存分に楽しんでくれ」
一番奥、一段高くなったところに、辛喰童子はいた。隣には鬼側唯一の人間、ほたるが寄り添う。
「阿呆。こんなものに参加する訳がなかろう」
「我々は楽しむ為に来たのではありません」
「ははははは! まあ、そう言うな」
即断で拒否する二人。すると笑い声を残し、辛喰童子の姿が消える。
吹き荒れる一陣の風。無数の皿をひっくり返し、多くの鬼を転ばし、宴を乱す。
圧。殺気。
そして風は再び形を表す。暴力の気配を伴って。
「……ほう」
瞬きの間に、緊迫。
目前で金棒を振り上げる辛喰童子の首筋に、刀を抜いた信太郎と面を被った永がそれぞれに戦意を突き付けていた。
「やはり良い。我が目に間違いはなかった。上客として迎え入れようぞ」
「ほ。お断りじゃと言うとろうが」
「いえ。荒事にしないというのならば、お誘いに応じましょう」
刀を納める信太郎。
怪訝な目付きだけで問うてくる永に、真剣な目で返答。やがて永は折れ、溜め息を吐きながらやれやれと首を横に振った。
「決まりだな。我らは歓迎しようぞ」
辛喰童子は凶悪な様相で笑う。宴らしくない、あるいは鬼らしい笑み。
かくして鬼の宴に、人でなしの夫婦は足を踏み入れたのだった。




