十 鬼は戯れる
「さあて、名乗ったからにはそちらの名前も聞こうじゃねえか」
鈍猿童子と名乗った鬼は余裕の笑みで縄張りへと迎えてきた。
武器もなく、敵意や暴力的な雰囲気はない。ただ不気味な悪意が滲んでいる。丁重さの裏にある残虐さを隠そうとしていない。
だから、こちらの返事は、刃。
真っ先に飛び込んだ宝が、豪快な構えから薙刀を振るった。
「おお、恐え。野蛮な礼儀知らずだ。人間はこうも言葉の通じん生き物だったかあ?」
軽く後ろに跳んで避けた鈍猿童子。意地悪く嘲る。未だ戦意は見せてこない。
その様で余計にこちらは燃えた。薙刀の勢いを維持したまま、宝は怒り心頭の表情で喧嘩を買った。
「あたしは宝! これで文句ないでしょ!?」
「たはっ。良い。勢いのある娘は好みだ。大人しく肉になれば更に良い!」
「誰がなるもんか!」
暗い森に散る火花。爪と鋼がぶつかり合った。
宝が繰り出す薙刀は鋭く、縦横無尽に致命傷を狙う。頭、首、胸、腹。滑らかに繋がる連撃が鬼を切り裂かんと舞う。
しかし鬼の固い体は十分な凶器。そして見切る目と技があった。全て受けられるか、流されてしまう。
信太郎も切り込み、銀之丞も矢で援護。回り込み、位置を整えて三方向から仕掛ける。
袈裟斬り、切り払い、射撃。どれも必殺の技。
それでも素早い身のこなしがなかなか捉えられない。鈍猿童子は飛び跳ね、楽しむように嘲笑うように避け続ける。反撃すらないのは敵として見られてすらいないからか。
やはり連携の精度が肝。三者は視線を交わす。
一旦攻勢を緩めた。鈍猿童子は怪訝な、それでいて期待するような顔だ。
その期待に、応えられるか。
構えと敵意で注意を引き、そして矢。連射し、撃ち分け、動きを誘導。次いで逃げ道を塞いでからは、攻撃。左右から二つの刃が命を狙う。風を切る音が鳴った。
が、あえなく空振り。
鬼は真上。瞬く間に軽々と跳び、枝の上に乗って笑っていた。
「たはは、面白れえなお前ら。こいつは楽しい。今夜は久方振りに気持ち良く眠れそうってもんだ」
「やかましいわ、阿呆。悪夢でも見ておれ」
馬鹿にしたような発言の最中、更なる上方に永。
早業で鈍猿童子が乗る枝を切り落とし、落下させた。それでも鬼は陽気に振る舞う。
「たはははは! これは失態。俺も死ぬかもしれねえなあ?」
隙を突こうと動いた信太郎と宝を、可笑しそうに見てくる。構わず、気持ちを整えて一閃。
爪と角を上手く扱い、尻餅をついた姿勢であっても凌がれた。歯噛みするところ、平常心を維持する。
鬼はそのままなんなく飛び上がって立ち、攻勢を捌きながら全く無関係な事を口にした。
「さあて、そろそろか」
口に手を当て、森中に響く大声で叫ぶ。
「人間共、朗報だ! 役立たずの退治屋がここにおるぞ!」
びりびりと声が辺りに響く。耳が痛くなる程の呼び声は不穏な内容。
その反響が収まる頃に。
新たな物音が生まれ、近付いてくる。周囲から続々と人影が集まってきた。
「お前らが、お前らが」
「なんで、もっと」
「遅いんだ」
まず感じられたのは、濃厚な殺気。
憎悪を張り付けた顔に、恨み節。手には枝や石を持つ。中には肌が変色し、鬼になりかけている者もいた。淀んだ空気が輪をかけて暗く見せている。
生き残りはまだ数多くいた。それは喜ばしいが、純粋に祝えない。誰もが憎しみに囚われている。襲撃の影響だけでなく、更に鬼が何かをしたのか。
憎悪は信太郎達を害そうとしていた。
鈍猿童子は息を呑む一行をにやにやと眺めている。やはり自ら仕掛ける気はなさそうだ。
その推測を信用し、信太郎は生き残りの人々へ深く頭を下げた。
「真に申し訳ありません。力不足により皆様を救えませんでした」
それから顔を上げ、真っ直ぐに向き合う。もしくは一方的に、かつ傲慢に。
「せめて今後は役に立ちましょう」
素早い構えから、一足に駆ける。
すれ違う度に、剣閃。目にも留まらぬ峰打ちで、殺意溢れる集団を沈黙させていった。
「ほおん。見た目だけで力は足りねえか。戦力にはやはり、俺ら生来の鬼こそが相応しいってこったな。いんやそれとも」
眺めた一幕を分析する鈍猿童子。鬼全体の計画にも関わるかもしれないと、耳を傾ける。
やがて結論を出した鬼は、大きく裂けた悪意の笑みを向けてきた。
「貴様らならば鬼になっても使えるか? 誰ぞ一人食らえば憎かろう?」
瞬間、雰囲気が変わった。遊びから戦いへ。殺し合いへと。
ぎらりと爪を振りかざし、襲いくる。
同時に、こちらも闘志を燃やした。
「南無八幡大菩薩!」
「たはっ! 心地よい殺気だな!」
「黙りなさい!」
両者が衝突し、互角に弾く。
そのまま宝は弾かれた勢いを止めず、嵐の如く薙刀を振るう。回転する毎に、速さが増していく。見えない刃となって周囲を切り刻む。
しかし鈍猿童子も同等。腕をだらんと下げたまま後退しているだけのように見えるのに刃を通さない。断続的に鳴る甲高い金属音が防いだ事を示す。時折交ざる銀之丞の矢にも対処している辺り手数が圧倒的に多い。
甲高い音は鳴り止まず、むしろ激化していく。高度な攻防により血が流れて舞っていくが、全てかすり傷。どちらも命には届かない。
「おおっと、そうか! 誰でも良いのだったか!」
唐突に声を発し、鈍猿童子が足元の枝を蹴った。
その先には倒れたままの男。
鋭い先端が眼球に刺さる、寸前。枝はぱしっと叩き落とされた。
男を守った永は馬鹿にした風に鬼へ声をかける。
「小悪党じゃな。分かりやすいわ、阿呆」
「たはは。上手くいかねえな」
失敗も気にせずからりと笑い、懲りずに周囲への攻撃を続ける。戦闘そのものより精神的に削ろうとしているのか。
そちらは永に任せた。不機嫌そうだが傷一つ許さないので安心出来る。
一方で信太郎達は連携し、鈍猿童子に専念する。
防御一辺倒ではなくなったせいか、攻撃は通るようになってきた。ただ、それは互いに、だ。信太郎も宝も傷を増やしている。決定打のない消耗戦にも、戦意は途切れていない。
ただ、時間がかかり過ぎたか。攻防を続けつつ、鈍猿童子は少し様子を変えて喋る。
「辛喰様は出来る限り恨みを買え、と言われたんだがな。さて、これ以上はどうすべきか」
挑発めいた台詞も楽しげに。
その後に、楽しげなまま、必殺の行動。
「やはり肉だな」
口を開け、牙を剥く。獰猛な笑みは獲物を宝に定め、突進してきた。
変化にも惑わず。先に矢が命中し、刃が顎を裂く。
しかしそれでも尚鬼は止まらず、宝の肩に噛みつく。骨の砕ける鈍い音。そして荒々しく食いちぎった。
「う!」
肉を抉られ、うめく。ぼとりと血が落ちる。
しかし宝も止まらない。膝もつかない。決意の面持ちで意地を張る。
器用に腕を折り曲げ、至近距離の鈍猿童子の頭を薙刀で突き刺す。そして縦に斬り払った。
血が勢いよく吹き出す。裂けた傷が前後に開く。にもかかわらず、鬼は大声を張り上げた。
「見ろ! 貴様らの仇が死にかけだ! 殺すのなら今ぞ!」
殺意が一斉に鬼へと向いた。高らかな言葉により、周りの人々が起き上がったのだ。
覚めた瞳は濁り、不気味に輝く。
再び呼び起こされた憎悪。更に変質しつつある肉体。鬼のなりかけが迫ってくる。
「お前ら退け!」
「こいつは、俺が!」
真っ当な意志はない。感情に駆られるだけの存在。完全に行動が鬼の支配下に置かれている。自らを餌に人間の感情を操ったのだ。
誰もが自らの手でとどめを差すつもりだ。その感情は理解するし、否定出来ない。だが今は駄目だ。
信太郎は行動に躊躇する。
死にかけの鬼をわざわざ守る必要はなくとも、止める必要はある。鬼が大人しくしている訳はなく返り討ちになるだろうし、放置すれば人々は鬼と化してしまい、仇を殺せば平穏に後戻りは出来ない。
そうなる前にこちらで鈍猿童子を仕留めておけば収まるか。
その場合、憎悪と殺意は信太郎達に来るだろう。鍛練や技量を超越した、恐ろしい人々の敵意が。
だとしても止めるべきだ。問題は全て力で解決すればいい。
強く一呼吸。速い踏み込み。
信太郎は鈍猿童子の首を狙い、素早く振り抜く。
風を切り、一閃が急所を捉えた。
肉を裂き、骨に届き、しかし手応えは芳しくない。骨が斬れずにそこで刃が止まってしまった。
「たはははは! 全く、良き戦士だ!」
半ばまで切れた首筋から血をだくだくと溢しながら、鬼は大いに笑う。それが益々人々の憎悪をかき立てる。
彼らが四方から集まってきた。
「だが足りん! 大いに弱い! 遊びにしかならん! 人は時に思いこそが大事なのだろう? その為ならば命ぐらい捨ててみせろ!」
「申し訳ありません。皆様」
丈夫な鬼はひとまず後回し。鈍猿童子への意識を残しつつ、辺りへ視線を移す。復讐者の群れと対峙。
再び狙い澄ました峰打ち。
しかし倒れない。倒れてもすぐに起き上がってくる。既に人間の耐久力ではない。
鈍猿童子よりも宝と共に彼らの対応に追われてしまう。 そして気を抜けば致命の一撃が見舞われる。
必死に駆け回るが、全てに集中し続けるのは至難。精神力がじりじりと削られていく。
「そうれ、まだ起きるぞ! 人間よ、鬼へ変質したのならば仲間に迎えてやろう!」
「そんなもの仲間ではなかろうが。阿呆」
「阿呆は貴様だろう?」
背後から不意打ちした永に、鈍猿童子は嘲りを返す。
そして永の脳天への一撃を掴んで防いだ。同時に反撃が喉元に伸びていたが、永もまたしっかりと防御している。
神出鬼没も対応され、互いに死を突きつけた膠着状態。
どうにも攻めきれない。憎悪と嘲笑が止まらない。
「山の女神よ。御助力に感謝致します。我が生を捧げます故、どうかこの矢に加護を」
そこに届くは真剣な祈り。
不意に森が騒いだ。風より速き衝撃が豪と駆け抜ける。葉が舞い、枝が落ち、幹が揺れる。人波と木々の間をすり抜け、目指すは一点。
正体は加護を受けた神速の矢であった。
「いい加減黙っといてくださいや」
反応もままならず、的確に命中。
矢は鈍猿童子の頭を貫通した。そのまま矢の勢いに引きずられるようにして倒れかけ、即座に永が首を飛ばす。
鬼の生首が転がると同時に、周囲の人々も糸が切れたように地に伏せた。
静まった森の中、四人は疲れた顔で臨戦態勢を解く。勝利の喜びなどそこにはなかった。




