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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第五章 鬼と大望

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九 化け物の領域に踏み込めば

 どんよりと曇る空。冷たい風。近付く冬の気配が濃い環境に、信太郎、永、銀之丞、宝の四人は立っていた。

 峠を越えて開けた視界、向こうにそびえる山をじっと眺める。


「あれが大江山ね」


 宝が一行でもとくに険しい目付きで呟いた。声にも感情がありありと込められている。怒り。敵意。視線で攻撃するかのように睨む。

 屋敷から三日。ようやく目に見えた目標に昂っていた。


 漆然から策を提案されたが、その準備には時間がかかる。

 しかしそれまで鬼を放置できない。

 故に強行偵察。再び信太郎達は先遣隊として出立したのだ。


 信太郎も熱くなる内心を抑え、冷静に永へ問う。


「なにか見えるか?」

「まあ、ちらほらとうろついておる鬼はおるの」

「やはり拠点はここで合っていたか。しかし、うろついているだけか? 警戒されてはいないのか?」

「さて、どうじゃろうの。分かりやすい見張りはおらんが」


 敵地を観察し、具体的な方策を練る。

 信太郎は疲労も気にせず頭を巡らせ始めた。


 出発してから、ここまでは鬼と遭遇していない。途中に立ち寄った集落でも新しい鬼の話は聞かなかった。襲撃前の先遣隊として出発した時とは大違いだ。鬼の略奪はぱたりと止んでいる。

 つまり、首魁が鬼を呼び寄せ、本拠地へ待機させている。その命令が守られている。

 しっかりと統率がとれているのか。化け物ではなく集団、軍となれば更に厄介。

 それにしては無防備なのが気にかかる。鬼だからだ、と勝手な推測でいては危険だ。罠を警戒しなければならない。


「んで。どうするんですかい? まさか乗り込むつもりじゃあないでしょう? あくまで準備が整うまでの時間稼ぎですからね?」

「そんなもの分かっておるわい。まあ? 向こうから仕掛けてきたら話は別じゃがな」

「縁起の悪い事言わんでくださいや」


 心配げな銀之丞が永の言葉に苦言を返す。

 一人顔色が悪い。貧乏くじを引いたと言ってはばからない。飄々としていた彼も陰ってしまっている。及び腰で恐れているのが窺えた。

 当然の反応だ。進んで死地に突き進む方がおかしいのだから。


 そのおかしい方に属する宝が、苛立ち混じりに相棒へ詰め寄る。


「何怖じ気付いてんの。あんたそんなに心配性だった?」

「……誰かさんがのめり込み過ぎてるせいで、引き戻そうとすりゃあ、こうせざるを得ないんでしょうよ」

「……そ。悪かったわね」


 じとっと宝を見つめれば、悪びれもせずに銀之丞へ返す。

 しばし視線を交わしたところで、どちらも譲らない。

 相棒の身を心配するが故の消極的な姿勢であったのだ。

 確かに信太郎も彼女に危うさは感じていた。救う為に自らの命も投げ出しかねない、と。もっとも、人の事をとやかく言える立場ではないだろうが。


「じゃああんたが考えなさいよ。もし鬼が攻めてきたらどうするわけ?」

「……考えるもなにも、ここらに陣を張って防衛に専念するしかないでしょうよ」

「この人数では難しいでしょう。陣を張るのも厳しいですし」

「時間稼ぎってんなら、突っ込んで犬死により効果的でしょうよ。目的を忘れちゃいませんかね」

「そちらこそ忘れておらんかえ? あの屋敷跡の大穴を」


 淡々とした指摘に押し黙る銀之丞。更に顔色が悪くなった。

 あの辛喰童子の力では、仮に堅牢な城塞だろうと容易く粉砕される。守りに徹するのは悪手だ。


 悩む銀之丞を揶揄するように、永は冷たく話を続ける。


「それとも、祈って神仏が助けてくれるのを期待するのかえ。それもよかろう。かつての武者もそうじゃったんじゃから」

「……あなたも神なんでしょうよ。山の女神サマ。それなら救ってくださいや」

「ほ。良い心がけじゃな」

 

 今度は気分が良さそうに笑った。

 銀之丞は光明を見出だしたように調子を取り戻す。あからさまな媚びる表情で寄りすがる。


「へへ。祈りも供物も捧げやす。ですから加護なりなんなり……」

「いや、残念じゃがそんな余裕はもうないようじゃぞ」


 急に雰囲気を尖らせた永にならい、一行は向かいの大江山を見据える。

 すると空に点。それが徐々に大きくなる。

 やがて見えた正体は、大岩。小石のように投げられたそれは、鬼の先制攻撃。

 鉄火場と理解して全員一斉に逃げる。

 そして二手に分かれた一行の中心へ岩が激突した。地響きが起きる程に豪快。


「ふふ。これは宴への招待かの」

「乗るつもりなんですかい? 大人しく引きましょうや」

「あれでもかや?」


 永が指差さした先を見れば、再び岩が空を飛ぶ。

 しかし今度は一行より遠く、頭上を越え、集落の方へ。


「……南無八幡大菩薩」


 苦い顔で、銀之丞は静かに唱える。

 そして鋭い一射。激しい風音。強弓から放たれた矢が岩を破砕した。

 降り注ぐ欠片を払いつつ、信太郎は提案する。


「銀之丞殿。応じねばこの脅しは続くでしょう。いつまでも続けられはしません。正面突破しか選択肢はないかと」

「ああぁ……分かりました分かりましたよ。これはもう死ぬ気で突っ走るしかないんでしょうね!」

「ようやく腹括ったのね。じゃあ行くわよ!」


 四人は真剣な形相ながらも喋りつつ山道を駆けていく。どこか余裕がある様子も、すぐにぴりっと緊張が増した。

 やはり追撃があったからだ。

 空には続けて、木や岩と物騒な殺気溢れる雨が降る。驚く暇はない。

 時に避け、時に砕いて進む。

 永が平手で叩き、信太郎が受け流し、宝が刻んで、銀之丞が撃ち落とす。加護の力があればこその荒業。破片を浴びるのはやむなし。傷は増えていく。

 高速の重い飛び道具を見て、判断して、動く。目まぐるしい攻防。

 一つの失敗が命取り。

 そうしてなんとか全員で潜り抜けて山道を一気に駆け落りる。止んだ頃に背後を振り返れば惨状が広がっていた。倒れた木々に、幾つもの大穴。鬼の所業。


「やれやれ。乱暴じゃの」

「一応ここは安全ですかね」

「気を付けましょう。鬼がいつ来ても不自然ではありません」

「今のところ気配はないわよ」


 四人は小休止。汗を拭い、水を飲み、息を整えた。

 そして進む。攻撃が再開するまでに鬼の下へ辿り着かねばならない。

 気は休まらなかった。行き着いた森の中は、不穏な空気が漂う。


「確かに鬼はいません。しかし何故攻撃が止んだのでしょう」

「森に入って見えなくなったからでしょ?」

「当てずっぽうでも攻撃は出来るじゃろう。見えなくとも止める理由にはならん」

「じゃあ何?」

「ふむ。遊んでおるだけなのかもしれんの」

「趣味が悪いわね」

「鬼じゃからの」


 顔をしかめて言う宝へ、永は投げやりな返答。宝は永に対しても言っていたのだが効かなかったようだ。

 鬼の思惑は、考えようと答えは出ない。妖怪の気紛れを読み切るのは至難の技だ。その場その場での対応が求められる。

 しばしの小休止で気力はある程度戻っていた。信太郎は目付き鋭く前を向く。


「進みましょう。後手に回ってはいられません」

「方角は見失ってませんかね?」

「このまま真っ直ぐでいいでしょ?」

「山を侮っておらんかえ? 雑に行けば野垂れ死にじゃぞ」


 冷たい指摘に足が止まる。

 山姥の言葉とあっては無視出来ない。三人の目が永を向く。


「まあ、わしは迷いなどせんがの……む?」

「どうした。やはり鬼が待ち伏せを……」

「いや、人の気配じゃの」


 一旦安堵する一行。だとしてもやはり気は抜けない。

 人を襲う鬼や妖怪が近くにいる場合もあれば、ほたるのように鬼に協力する場合もある。


 目的は何か。

 山の怪異に襲われているのか。

 迷い、遭難しているだけなのか。


 慎重に警戒しながら進めば、前から音が聞こえてきた。顔を見合わせ、備える一行。

 進む内にハッキリ聞き取れるようになったそれは、激しくぶつかり合う荒々しい声。更にまずい事に物騒な台詞だった。


「死ねえ!」

「手前こそくたばりやがれ!」


 森の中で、人間の男同士が争っていた。

 手には石と太い枝。原始的な暴力の応酬。目は血走り、口から泡を飛ばし、我を失って怒りに呑まれている。既に深い傷もあり、単なる喧嘩では済まないだろう。

 警戒を捨て、まず宝が血相を変えて叫んだ。


「止めなさい!」

「どうか落ち着いてください」


 続いて信太郎と銀之丞が急いで二人を引き離し、羽交い締めにして抑えた。

 力自体は普通の人間なので簡単ではある。


「離せ! 離しやがれ!」

「邪魔すんじゃねえ!」


 しかし、ひたすらに暴れる。手足を振り回し、落ち着く様子はまるでない。手負いの獣のよう。

 信太郎はなるべく安心させるように、優しく尋ねる。


「なにがあったのです。傷を手当てします。事情を聞かせて頂けませぬか」

「うるせえ! 離せ! この野郎が!」

「やかましいのは主じゃ」


 永が頭を叩いた。小気味良い音が響く。

 だが軽い動作と音に反して威力は強烈である。暴れていた男は一撃で昏倒。ぐったりと力が抜けていた。


「さて、主も言葉の通じん獣かの?」

「ひい……っ!」


 もう一人の男は恐怖により強制的に大人しくなった。酷く青ざめ、凶暴さは消失している。

 荒業に過ぎるが、致し方ないか。


「一体どうされたのですか。何故こんなところに?」

「……村が、鬼に襲われて、もう死ぬんだと思ったんだが、気付いたらこの森の中だった」

「そちらの方も同じ村の方でしょうか。何故争いに?」

「……こいつは、そうだ。おれのおっかあを見殺しにしたんだ」


 低い、冷たい感情の声。

 急に何かが切り替わったように、男は口早に喋り始めた。


「こいつは自分だけ助かりやがった。いや、それだけじゃねえ。前々から騙してやがったんだ。そうだ、許しちゃならねえ野郎なんだ」


 ぶつぶつと呟く。目は虚ろ、耳には届かず、その顔は既に正気ではない。

 熱が増していく。濁っていく。呑まれていく。

 彼を支配しているのは、憎悪。


「そうだ! こんな野郎は──」

「やかましい」


 永が再び手を出せば、昏倒。一瞬にして静まった。

 いまいち深刻さに欠ける一幕だったが、実態は極めて重い。


 男は今、鬼になりかけていたのだ。


「鬼はこうやって仲間を増やそうとしておるのじゃな」

「この様子では他にも数多いでしょう。急がねばなりません」

「命はあった、ってのは喜ぶところなんでしょうかね」

「最悪」


 鬼の所業に空気が強ばる。

 到底野放しには出来ない。想像していなかった恐ろしい思惑を目の当たりにし、使命感が燃えた。

 そして素早く行動へ。まだ救えるはずだと、人の気配を探る。


 その一行の下に。


「オォイ。折角仲間入りしそうだったってのに止めてんじゃねえやい」


 不機嫌そうなしわがれ声が飛び込んでくる。

 信太郎達が一斉にそちらを見れば、派手な着物の鬼が一体、獰猛に笑っていた。


「よお。俺は鈍猿童子(にびざるどうじ)。辛喰様からこの人間共の世話を任せられたモンだ」

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