七 篤き信仰は童子へ
「これは……」
山から屋敷の異変を見て戻ってきた信太郎達は目の前にした光景に絶句した。鬼を撃退しながらも急いで帰還したが、時既に遅し。
大穴である。
地面が深く抉れ、崩れた壁や散らばる木材がわずかに散らばる。最早廃墟とすら呼べない跡地。相手が鬼だとしても信じられない非現実的な有り様だった。
跡地に寄り集まる人々は多くが沈んだ顔であり、絶望の中にあった。ただその数は多く、治療に励む者や付喪神もいる。彼らを守り救う事は出来たのだとひとまず胸を撫で下ろす。
この雰囲気に呑まれまいと腹に力を込め、信太郎は言う。
「漆然殿にお話を聞きたいところですが、御無事でしょうか」
「頭領が負ける訳ないでしょ……っ!」
「ええ、無事に決まってやす」
宝と銀之丞は険しい顔で断言した。
強い信頼による言葉。祈りや願いにも聞こえるのは、見て見ぬ振りをしておいた。
信太郎たちもまた疲労や負傷はあるが全ては些細な事。
まずは話を聞けそうな人を探して案内してもらい、一行は漆然と再会する。いや、再会と言えるかどうか。
「漆然殿!」
「頭領!」
二人は涙声で呼びかける。宝はもとより、銀之丞も感情を露にしていた。
漆然は意識がなく、重症だった。
布で覆いきれない大きな傷、染みる血の跡。おかしな方向に曲がった腕。息はあるようだが見るも無惨な姿である。鬼と戦った結果か。
ある程度二人が落ち着いた頃、傍に控えていた男が声をかけてきた。
「私が顛末を話しましょう」
青次と名乗った男もまた重症の様子。血が染みた包帯が腹部に巻かれている。
今動ける中で一番の上役だという彼の言葉に、宝が再び感情を高ぶらせた。
「ねえ、なんでよ!? 頭領が負けるなんてあり得ない!」
「鬼の首魁はそれだけ強かったのです。……それと、童子様の祠の加護を失ってしまって……」
弱る青次の視線を追って、信太郎達も見る。
完全に跡形もなく、大穴のせいで既に何処にあったのかも分からない。
しかし祠は、童子様は屋敷の守護の役割を果たしていたはずだ。
「それこそなんで? 守ってたんでしょ? 鬼は中に入れないように!」
「……はい。漆然殿が鬼の首魁に向かっても代わりに私が守っていました」
「じゃあなんで!?」
「ほ。そんなもの決まっておる。内から崩されたんじゃろ」
永がなんてことのないように平然と答えた。訳知り顔で、分からない人間を馬鹿にするように。
無論反応し、宝の勢いが更に増す。
「は!? なんで!? 人に化けた鬼でも他にいたって言うの!? そんなのある訳ない!」
「だ、そうじゃが。のう、主。わしの言った事は間違っておるか?」
「間違ってはおりません。それが真実です」
永の言は重々しい頷きに肯定された。その様に現実を察したか、宝は言葉を失う。
そして青次は語り始めた。
それ、が起きたのは、漆然が出陣したすぐ後の事だった。
頭領の代わりに青次が草薙衆を纏め、指示を出す。戦況の変化に次々と対応していく。
そんな折に現れた人物は、荒事の場にそぐわない存在だった。
「こら。危ないから中に入っていなさい」
「…………」
つい昨日来たばかりの少女、ほたる。屋敷の中から遠巻きに見てくる非戦闘員はいても、ここまで近くに来たのは初めての事だ。危ないのに、なにか気になるのか。
ほたるは沈黙し、じっと見つめてくる。その目は暗く、青次は底が深い闇のような錯覚を覚えた。
不審な気配。妙な胸騒ぎ。
それを無理矢理振り払う。怖いのは少女の方なのだ。心配もあり優しげに語りかける。
「どうかしたか? 怖いのか?」
「…………うん」
「報告です。北に動きがありました!」
「……分かった。聞こう」
おかしな様子のほたるは気にはなるが、事態は急を要する。
無力に情けなさを覚えるも伝令に意識を向けた。
が、その青次の目の前で。
「ぐうっ!」
ほたるが伝令の腹を、懐から取り出した小刀で刺していた。
「な……?」
思考が、止まる。
理解が追いつかない。
何故。それだけが頭に満ちる。死地は何度も経験してきたが、どれにもあてはまらない。正体は化けた妖怪ではなく、確実に人間だ。その事実が異常への反応を遅らせる。
その隙に、彼もまた小刀の餌食となってしまった。
「……っ!」
刺すだけでなく、手首をひねり抉られる。殺す為の技。予想外の苦痛に地に膝をついた。
ほたるはまるで気にもしない。青次の横を駆け抜け、その先の祠へ向かう。
そして血塗れの小刀を祠へと突き刺した。少女の力では浅く刺さるのみだが、赤い流れが守り神を汚していく。
更には庭に転がっていた大きめの石を拾い、思いっきり叩きつけ始めた。
「止めろ!」
守り神への冒涜行為。
それがどんな結果をもたらすか。
青次は痛みを耐えて少女へ駆け寄り、両手を掴んだ。強く、骨を砕かんばかりに。
しかし激痛があるはずの彼女は、儚く微笑んだ。
「なんてお優しい。武器を使わないだなんて」
大人びた色気と恐ろしさ、まるで鬼女を思わせる、人ならざるような声。そこに少女の面影はない。全くの別人めいた様子。
思わず怯んでしまう。
その一方でほたるは空いている足で祠を蹴りつけた。
何度も何度も、草履の底が土の跡をつける。冒涜は止まらない。
「ぐ、この!」
片手を離して腹に回し、全身を抱えるように抑えて後退しようとする青次。
しかしまたもほたるの反応が早い。下がりきる前に手を伸ばして祠から小刀を引き抜き、後ろ手に刺してきた。またもしっかりと抉り、傷口を広げる。慣れた手付きが恐ろしい。
苦痛、失血により力が失われていく。それでも青次は離さない。抑え、守る。その為に意地を張る。
「誰か来てくれ! 応援を頼む!」
「この期に及んでも殺そうとしないだなんて、ああ全くお優しい」
怖気の走るほたるの笑い声。傷に、それ以上に心に妖しく響く。
力は強くないので抑えていられるが、それも消耗次第だ。
持久戦の覚悟をする。
やがて人が走り寄ってくる。これでもう大丈夫だ。そう安心する。
が、ここでほたるは高らかに声をあげた。
「ああ、全く。童子様だなんて酷い嘘。正体は鬼なのに。殺した鬼を貶めて人を守らせるだなんて、ああ全く酷い話!」
途端に周囲がざわめきだした。避難民にまで聞こえていたか、屋敷が困惑、動揺している。逆に草薙衆の面々は顔を青くひきつらせた。
その変化にほたるは笑みを深くし、小刀を青次の腹から引き抜いて投げた。
祠にすこんと刺さり、血が垂れて跡を描く。汚していく。
「鬼を貶めて、辱しめて、鬼の死骸の上にある平和は素晴らしいものでしたねえ!」
「止めろ……止めろ!」
「殺した鬼の死骸を利用してまで助かろうとするだなんて、ああ全く馬鹿らしい!」
加護の気配が弱まる。祠を粗末にされ、人の向ける感情が恐れになったが故に。
この信仰は初めから守護の為に作られた。
童子様の祠にある御神体は、確かに鬼の首。過去、かつての鬼の首魁を討伐した際にその首を奉って造られたのだ。
強い魔であるが故に強い魔除け足り得る。
妖怪と神の境は曖昧であり、些細なきっかけで変化しうる。奉れば神に。忘れられれば妖怪に。
かつて、神や人ならざる存在を意味する童子から、意味を与えて名を縛った。その儀式により、今まで加護を得られていた。
しかし今、信仰を失い、再び単なる鬼の一部に戻りつつある。
「ああ! ああ! 人はなんて残酷! なんて滑稽! 鬼に頼って生きている癖に!」
「……仕方なし。人に仇なすならば──」
罪の覚悟。腕に剛力を込め、命を奪ってでも少女を強引に止めようとする。
が、しかし。
爆音。
空から降ってきた何かが、その衝撃によって青次を吹き飛ばす。抱えたほたるごと宙に舞った末に地へ落ちたが、ほたるだけは何かに優しく抱きとめられた。
「ああ、辛喰様! ほたるは成し遂げられたのですね!」
「おう、その通りだ。ようやったほたる。誉めてやろう」
「はい!」
現れたのは現在の鬼の首魁、辛喰童子。
鬼は少女の頭を優しく撫で、彼女は嬉しそうに愛らしい笑みを浮かべた。屋敷で見てきた彼女ともつい先程までとも違う顔。感情の深さが目に見える。初めから繋がっていたのだ。
それから辛喰童子は信仰の薄れた祠を拳の一撃で軽々と壊し、中から御神体を取り出した。鬼の頭蓋骨である。
「さて、我らが先祖の首。頂いてゆく」
「……っ。それは、我らが守り神。返してもらおう!」
満足した鬼の前に飛び込んできたのは、こちらの頭領。消えた敵を追ってきた漆然が到着と同時に叫び返す。
それに、辛喰童子は見向きもしない。 頭蓋骨をぽんぽんと玩んでいる。
「面倒だ。我は殺しも戦も好みだが、今は飽いた」
「そういう訳にはいかん。ここで貴様は討ち果たす」
「だから用が済み次第帰る」
軽い発言をしつつ、辛喰童子は金棒を豪快に上空へ放り投げた。
大きな武器が点に見える程の高さにまで上がり、そして上昇は止まり下降へ。
屋敷に真っ直ぐ落ちてくるそれは、さながら流星。鬼の所業に草薙衆は戦慄する。
「ほたる。行くぞ」
「はい、辛喰様!」
「生きておればまた会おう! 火の粉は払うが、鬼になってくれば歓迎するぞ!」
楽しげに大笑し、少女とともに鬼の首魁は悠々と消える。
まるで気まぐれな嵐。正に神出鬼没。目的の戦利品を奪われ悠々と逃げられた以上、これは敗戦だ。
だが、終わりではない。残された者達は、空より降る金棒に備えなければならない。
「俺が止める。皆は避難させよ!」
「しかしあれは漆然殿だろうと……!」
「命令だ。早く頼む」
静かな漆然の言に部下達は反論を胸にしまって従う。そうするしかない。なにせ時間がないのだ。
避難は慌ただしく行われる。草薙衆が人々を先導し、逃げ出す手伝いをする。混乱と恐怖の中でも上手く進んでいるようだ。
そして漆然は一人、集中して構えた。威風堂々、金棒を睨む。
「南無八幡大菩薩」
祈り、神の力を宿す。
人を外れた剛力。修羅の如く。人に過ぎたる力が溢れて体を傷つける。
それでも心は穏やかに。足を開き、自然体。太刀を下段に構えた。
呼吸を整え、姿勢を正し、金棒を防ぐ未来を思い描き、そして祈る。
音が、破壊の気配が徐々に近付いてくる。ゆっくりに感じる時も、やがて終わりが訪れた。
「……ふうっ!」
気合いの一閃。
太刀を、天から来る金棒に振るう。流麗であり神速の達人技を剛力でもって放つ。
その日、流星と人の激突により、凄まじい衝撃が生まれた。




