六 化け物は人の領域を侵す
外からはけたたましい破壊音。内からは不安げなざわめき。悲鳴や怒号、人の感情に満ちた声が響いている。
屋根の上から弓矢が放たれ、その下では刀や槍を携え直接切り結ぶ。
鬼の襲来により、安全だったはずの屋敷が戦場と化していた。
時は朝、随分明るくなった頃。屋敷の庭が本陣。
強者達が集まり、それぞれの役目を果たすべく忙しく駆ける。持ち場へ向かい、武具や怪我人を運ぶ、皆それぞれが鬼気迫る表情で励んでいる。
戦えない者達もなにか出来ないかと内から出てきているが、基本的に断って中へ入るように言い聞かせている。勇気は買いつつ、彼らの安全を守る事こそが我らの使命なのだと。
この鉄火場を纏めるのが、気迫みなぎる禿頭の偉丈夫。守り神の祠の前に仁王立ちし、頭領たる漆然は部下を指揮する。
その頭の中では情報の整理と方針の練り直しが行われていた。
鬼の襲撃。この事態はあると予測していた。
ただ、予測よりも随分早かった。付近の襲われた集落の位置や数から、猶予はまだあると判断していた。
かといって安心しきってはいなかった。元々各地からの援軍が間に合わないと踏み、その時間を稼ぐ為に信太郎達を送り出したのだ。
襲撃は彼らの見送りから半刻あまり後。この判断が裏目になったか。とも思うが、彼らが数を減らしてくれているだろうし、上手くいけば挟み撃ちに出来る。そう前向きに割り切るしかない。
今は目の前を乗り切る事に集中。
漆然は伝令の報告に耳を傾けては適宜指示を出していく。
「北は鬼の数は十。現在の戦況は拮抗しています」
「良し。維持に努めよ」
「西は数は五。戦力には余裕があります」
「油断はするな。功を焦らず慎重に戦え」
「南は二十。負傷者多数。押されぎみです」
「防衛に専念。援軍を送るまで持ちこたえよ」
「東は撃破し、残りは逃げていきました。敵影はありません」
「深追いはするな。見張りを残し、南へ助太刀に向かえ」
各所の状況は敵の数の割に良い。
流石の精鋭。心強い彼らには感謝しかない。
ただ鬼の攻め方がばらばらなのが少し気にかかった。散発的なおかげで助かっている部分もあるのだ。特に気にせず好きなように暴れているだけなのだろうか。策の可能性も考えておかねばならない。
善戦には他にも理由がある。
漆然はちらりと背後を見た。
童子様の祠だ。
守り神であり、守護の力がある。魔除けの結界となって鬼の力を削ぎ、弱め、こうして防いでくれる。実に有り難い事だ。
といっても、過信は禁物。そしてこれは、諸刃の剣だ。
もし浸入され、奪われた場合、取り返しのつかない事態になるのだ。
厳重に守らねばならず、それ故に漆然はこの場を離れられない。
だが、そうも言っていられない場合がある。たった一つの出来事で戦況がひっくり返る恐れがあり、それには漆然が直接対峙すべきだからだ。
「鬼の首魁は?」
「首魁の姿は未だ見えません」
「警戒を続けよ。何よりも優先して俺に伝えるんだ」
顔が自然と強ばる。手に汗がにじんだ。
鬼の首魁、辛喰童子。
情報は少ない。
鬼を暴力で纏める鬼であり、鬼を増やす恐ろしい考えを持つ鬼である。
直接戦った者は誰一人戻ってきていない強者。
倒さねばならないが、自分でも敵うかどうか。
戦いに備え、精神統一。指示の合間に軽く体を動かして慣らしておく。
各所の指揮は順調。それでも戦況に反して緊張感は増していく。
そして、不意にその時は訪れる。
「西の鬼は全滅しました」
「そうか。では……っ!」
報告の途中、漆然は顔をあげた。
重く狂暴な気配に、殴られたような錯覚。見ずとも肌が震える存在感に挑発されている。
間もなく伝令が、恐れにあわてふためいた顔で駆け込んでくる。
「しゅっ首魁です! 鬼が、辛喰童子と名乗りました!」
「分かった。ここは任せる」
一度目を閉じ、開ける。心を落ち着かせ、出陣。
人ならざるような迫力を纏って、男は駆けた。
屋敷の外は酷い有り様だった。
地面が赤い。木々が赤い。血と肉によっておぞましく染められていた。
倒れた人間、鬼。死の匂いが濃厚な場に、一つの影。
惨劇の只中に、それは立っていた。
「……お前が辛喰童子か」
「応とも。そう言う貴様こそ、化け物狩りの頭か?」
「ああ。漆然という」
「ぎ、はははっ。丁寧な事だな」
乱杭歯を剥き出しにして可笑しそうに笑う。子供のように明るく、朗らかに。
赤黒い肌。額から突き出た二本の角。
体格はさほど大きくない。むしろ他の鬼よりも細い。巨大な金棒を引きずるように持つその姿は、肩書きに釣り合っていない。
しかし存在感が何よりも重い。気迫が場の空気を歪めてすらいる。視覚と、それ以外の感覚が齟齬を起こしてしまう。
本能が絶対的な強者だと認めていた。
一つ呼吸。太刀を構える。
「……斬る」
「ぎししし。よい気迫だ。さぞかし肉は旨かろうなあ」
話を打ち切り、激突。
堂々と待つ辛喰童子に、漆然は強烈な踏み込みによって一瞬で間合いをつめた。
太刀を一閃。空気が遅れて震えた。
だが刃は通らない。横腹でぴたりと止まっている。重く固い手応えに手強さを実感する。
にい、と笑い辛喰童子は金棒を振り上げ、そしてぶおんと鳴らして叩きつけた。
当たる前に漆然は離れたが、代わりに地面が大きく陥没。
地形が変わり、余波に多くの者が巻き込まれてしまった。被害に悔やむ。
戦闘は屋敷から離れた場所にしたいが、離れ過ぎれば無視して屋敷を攻めないとも限らない。いやその方が鬼らしい。避けねばならない。
「皆は引け! 屋敷の者達を守れ!」
「……しっ、承知!」
「ぎはは。良い。強いな、お前は」
声を残し、鬼が消えた。
同時に漆然は背後に太刀を振り切り、鬼の肌を薄く裂いた。読みは的中。しかし浅い。
一方で辛喰童子は嬉しそうに笑う。そしてまた消えた。
集中。再度気配を辿る。
揺らぐ殺気めがけて踏み込み、大上段から一刀を振り下ろした。
「せえいっ!」
「ほおう。良いな」
渾身の力を込めていたが、辛喰童子は正面から片腕で受け止めた。余裕綽々。しかもこそから、金棒を豪快に振り上げる。
素早く、一歩で大きく離脱。
鬼が地面を叩けば、土塊や石が猛烈な勢いで飛んでくる。それすら必殺の攻撃になり得るのだ。足を止めずに、酷使。更に横へと跳ぶ。
そこに、金棒の影。
風が避けた先の全身を叩く。体勢を無理矢理保つが、軽々と振り回される追撃に急いで走る。
逃げの一手になってしまった。こちらから攻める隙が見えない。
目で追えない速さで移動する上に、遠くても余波が届く。出鱈目な間合い。剣術の道理は通じない。
勘と経験。妖怪相手に戦い続けた人生が頼り。
動きを読む。先手を打つ機会を狙う。それだけが突破口。
辛喰童子は楽しげに駆けては得物を振り回し、跳ぶ。辛喰童子は妖怪らしく自由に、縦横無尽に暴れている。
先読みは不可能ではなくとも難しい。
それでも辛抱強く時を待つ。
笑いながら戯れるように消える鬼。その先は死角、背後か。
ではなく、正面。嘲笑うような裏をかく不意打ち。
今だ。
漆然は気炎をあげて強烈に踏み込んだ。
達人の刺突が空を穿つ。乾いた音は遅れて鳴った。
一直線の軌跡は速く鋭く伸び、金棒を握る右腕を貫いた。
「ぎひひっ。やりよる。流石は化け物殺し共の頭だけはあるな」
「笑っていられるのも今の内だ」
漆然は手首を捻って抉りつつ、太刀を振り抜く。
辛喰童子はその間に金棒を軽く放り、右手から左手へ。そして素早く振り下ろす。
轟音が響き、互いの距離が空いた。
仕切り直し。
漆然は太刀の血を払い、辛喰童子は流れる血を広げるように右手をぶらぶらと揺らしている。対極の相対。
そんな睨み合いの最中。
屋敷に異変が起きた。
場の空気そのものががらりと変質する。満ちていた強い魔除けの力が薄れていく。
それを感じてか、辛喰童子の殺意が霧散した。
「ぎっ、ぎふはははっ! やっとか、待ちくたびれたぞ!」
手を広げて大笑する。実に楽しそうに、嬉しそうに。純粋な子供のように。
起きた結果と鬼の言葉により、漆然は気付く。
これまでの流れは首魁の目論見通り。単なる暴力や略奪ではなく、明確な意図と計画のある襲撃だったのだ。
歯軋りして己の甘さを悔やんだ。
「……そうか。だから今日この時に襲撃を!」
「ぎひっ。今更遅い! 人は愚かだと、何故自覚せんのだ!」
漆然を無視して、屋敷の敷地へと門を跳び越えて進む辛喰童子。後方に控えていた他の鬼も次々と入り込むべく突き進んでくる。
そこには何の抵抗もない。力は強いまま、全く削がれていない。
今や、守り神の加護は失われてしまっていた。




