十四 散りゆくは徒花なりや
月が出ていた。
大きく輝く秋の名月。流れる雲も名脇役となり、眩い景色が夜空に広がる。
その下には、戦場。
大蛇と大百足、そして山姥が全てを懸けて争う。
体が、力が、人を遥かに超えた大きさで振るわれる。
色とりどりの葉はすっかり散り、泥だらけのまだら模様。川は土砂や倒木で塞がれている。山肌は削れ、整えられていた山道は消え去った。
戦いの跡は酷い。災害に並ぶ有り様。
強者達は拮抗。故に夜が更けても未だ続いている。
しかし自然への新たな被害は少ない。殺意溢れる攻撃は空中へ逸らされ、弱められ、出だし自体を潰される。
山姥は目にも留まらぬ速さで移動し、あらゆるものに向けられた怒りの攻撃を的確に対処。因縁の戦を妨害していた。
大妖怪からすれば羽虫のような体格の差があるが、力は同等。化け物ならざる山の女神である。
蛇も百足も、山も、致命傷から遠ざける。守る為の戦闘。
信太郎が離脱しても、単身でやり遂げつつあった。
信太郎の祈りが、永の格も引き上げるから。繋がりが力になっていたからだ。
「ええい山姥! どこまで我を愚弄する!」
「おのれ! 蛇を滅ぼす好機なのだぞ!」
「ほ。そちらこそ、いつまでも学ばん獣じゃの。大人しく巣に帰らんか」
永は面の内で嘲笑い、苛立ちを飄々と受け流す。
潰そうとしてきた蛇の尾を蹴りあげ、食いちぎろうとしてきた百足の牙を易々とかわした。怒りで濁り単純となった動きなど、力が同等ならば恐れる理由はない。
規模が桁違いなだけで、子供の遊びのような心持ちで永は対処していく。
決定打の無い、ひたすらな消耗戦。
終わりは見えなかったこの戦いも、遂に新たな事態が訪れる。
「百足。一時水に流す。先に山姥を潰すか」
「ああ、蛇。我らの決着は万全整えた後だ」
蛇と百足の、一時休戦。
それぞれ勝手に暴れていた両者が、誇りの為に誇りを捨てた。
「ほ。獣が知恵をつけよったか」
面の内で嗤う永。
そして並ぶ仇敵達は、大妖たるに相応しい気迫を纏った。
「来るがいい。軽うく相手してやろうぞ」
「抜かせ。己が身を弁えろ」
「この屈辱、必ずや晴らす」
強烈な殺意が圧を持って空間を支配するように放たれた。
牙を剥き、豪と迫る。意志疎通し、片方が逃げ道を絞り込んで片方が待ち構える。やはり単純だが、面倒な手。誇りを捨てた殺意なだけはある。
だがしかし、そんな殺意も何処吹く風。
頃合いだと判じ、永は梟に化けた。
そしてするりと上空へ。静かに、優雅に空を飛んでいく。
後から追ってくる、ぎらついた牙。
戦場は木々の上へ。視界が広がった領域に、蛇と百足の首が飛び出している。
「ええい、ちょこまかと!」
「正々堂々立ち向かわんか!」
「ほ。獣が吼えよるわい」
豪快な突進も響く怒号も受け流し、梟は意地悪く笑う。
永には戦う気などない。付き合っていられない。怒りを引き付けられれば、こうして相手は乗ってくるのだ。愚かな獣が、下らない矜持の為に。
伸ばされる長い体の傷口から血が流れ大地を汚す。
その間を、届きそうなのに届かない絶妙な範囲を見極めて、梟は縫うように飛行。嘲笑う子供のように。
大妖達は小さな標的を捉えられない。その怒りで視界が更に狭まり、そして反応が遅れる。
それは無様な踊りか。天へと必死に手を伸ばす亡者か。
追う。逃げる。噛みつく。飛び去る。激しき憤怒も、軽やかにあしらえば涼しいものだ。夜風が気持ち良く吹き抜ける。
業を煮やした蛇と百足の視線が交錯。憎悪に燃える瞳が共闘者を見据える。
そこには火花。元々が解消前提の関係。永を無視し、再び双方を敵と定めたのだ。
互いに牙を、仇敵に突き立てようと首を伸ばす。
「やれやれ。敵から目を離すとはなんとも愚かじゃの」
が、それもまた掌の上。
永は梟から化けた。
巨人。小さきモノから、同等以上の大きさの化け物へと。
そして両手で一つずつ首根っこを掴み、地面に叩きつけるように押さえ込んだ。
「ぐうぅ!」
「がかぁ!」
蛇も百足も確かに体力は削れていた。
息も絶え絶えだが、必死に暴れ、もがく。それに合わせて山が揺れる。規模の大きな抵抗。
それでも永の手からは逃れられない。
「まだ、我は戦える……」
「代々の悲願、必ずや……」
「……ほ。全く、下らん奴らよの」
侮蔑の視線を高みから投げかける永。
力で反抗を抑えつつ、月を背景に敗者を見下ろす。
「とうにそんな事を言える立場でないと分からんか」
「何を抜かすか山姥」
「いかに主が力を見せたと言えど、愚弄は止めよ」
「見よ。森のモノらが主らを見る目を」
促されて初めて気付き、蛇と百足は悔しげに唸った。
周囲を、観戦者が囲んでいた。
妖怪。動物。様々な山に住むモノ達。その目が、じいっと見ている。
恐怖よりも、探るような色が強い。争いに巻き込まれまいと逃げていたが、静かになった事で、様子を見に戻ってきていたのだ。
両者がこの地でしてきたのは、力による支配。故に力が足りないと判断されれば、影響力は落ちる。余所者に負けては、それ以上に小さな梟にいいようにあしらわれては、威厳も形無しだ。
見放された神では、信じる者がいる神には勝てるはずもなかったのだ。
このままでは仇敵を打破しようと、この地の支配者足り得ない。認める民はいない。恐怖と信仰によって支えられていた力は落ちている。
憎悪のままに暴れていた荒神も、道理は理解していた。
苦々しくも最低限の威厳を備えた声で、両者は締め括る。
「……争いから手を引こう」
「ああ。再び約定を結ぼうぞ」
痛み分け。心中は想像するに腸が煮えくりかえっているだろうが、表面的には平静だ。
細かい諍いは続いても、そこまで。
仕組まれた戦争も、これで終幕である。
その、前に。
「ぬっ……!」
かすかな地面の振動を感じ、永は長達を掴んだままの両手を素早く上げた。
直後に。穴を開け、飛び出してくる巨大な影。
「いざ! 蛇の長殿よ、尋常に勝負を!」
高く上げた手の下まで追いかけてきたそれは蛇を狙ってきた。
永は更に移動し、なんとか逃げ切る。が、避けきれなかった足が永の手にかすり、傷をつけられてしまった。
途端に走る激痛。永は声を呑み込んで耐える。
憎悪に煮詰められた、死をもたらしかねない傷。安全を確保すべく、即座に蝕まれた部分を爪で切り飛ばした。
一度人間の大きさに化け直す。手が離れ地に落ちた蛇と百足、そして相手を見た。
別の大百足。禍々しい鬼、荒神の相を備えた存在。
楼奥である。信太郎に任せたはずだが、抑えきれなかったか。あるいは、見逃したか。
天から地に戻った彼は、ゆっくりと百足の長に近付いていく。
「……父上」
「楼奥か。もうよいのだ。もう……」
「この阿呆」
うなだれる長に、不意の突撃。
永が蹴り飛ばして強引に動かしたが、頭の端を尾で強烈に打たれた。顔面が割れ、長に降りかかるのは死の気配。
その間に態勢を整え直した楼奥は、続いて、もう一度蛇へ。
殺意に戸惑い、反応出来ない。永も間に合わない。不可避の突進。
ギチギチと絡み、締め上げる。足が強く食い込む。既に牙のない百足だが、未だ害する力はあった。
蛇の長も抵抗するが、楼奥にはまるで効いていない。弱った体では為すすべなしか。
威厳もなにもなく叫ぶ。
「百足! これはなんだ!? 今更違えるのか!」
「知らぬ! 我とて害されたのだ!」
「ならば手を貸せ!」
「ぐ……致し方、なしか……!」
両者が悔しげながらも共闘に合意した、その途端。
楼奥の力が緩んだ。
恐ろしい形相のはずが、きょとんと間の抜けた色を持つ。
「く、かかっ。くかかかかっ!」
そして大笑。
「無様無様無様! なんと情けない! 下らん下らん、そうだ、貴様らは長く永く下らん事に拘泥しておったのだ!」
哄笑。嘲笑。
彼は内にある全ての憎悪が爆ぜたように苛烈な笑い声を響かせる。
体が割れる。傷が広がっていく。自らの体を壊しながら、嗤う。
楼奥の生命は尽きかけていた。牙も既にない。十の為に与え、太紋に託し、信太郎が砕き、全て失った。頑丈なはずだが、さもありなん。
時間切れである。鬼の代償。理に反した力は身を滅ぼす。約定破りの呪いが、強い憎悪が、命を削る鬼の力が、楼奥自身を蝕み崩壊させていたのだ。
むしろ今までよく動けていたと驚嘆すべき、重い執念が彼にはあった。
だが、それも限界。
「今の言葉、この時ばかりでないぞ。永劫守り続けよ。……違えれば、祟る」
ぼろぼろと崩れていく体を意にも介さず、静かに語った。力ある呪言。新たな呪い。
長の両者は固まり、呆然と眺めている。永も神妙な面持ちで見つめている。
そこに力強い声が通った。
「憎しみは晴れましたか」
信太郎だ。
姿は満身創痍。血塗れ。死人めいた惨状。
それでも目には慈しみのある穏やかな光を宿す。
楼奥は振り返った。こちらもまた穏やかな雰囲気で。
「……晴れるものか。彼女はこんなもの望んでいない」
「……でしょうね」
「だが、これでいい。奴らはもうただ図体ばかりの化け物でしかないのだから」
自壊は加速。崩れていく体は既に取り返しのつかない姿だ。
出来れば避けたかった。信太郎は悔しく思いつつ刀を納め、姿勢を正して近付いていく。
そして目を閉じて真摯に手を合わせた。
力尽きた楼奥はゆっくりと地に伏し、虚ろな瞳で呟く。
「……醜く暴れた鬼にも祈るのか」
「はい。私も人でなしですので」
「……は。戯言を」
「あなたの安寧を望んでいるのは真実です」
「力が足りなかった。手遅れになる前に何も為せない、下らぬ生だっただろう」
「ただ、為せなかっただけでしょう。これまでの道行きは、確かに尊いものです」
顔を向き合わせて述べたのは、心からの言葉。
手段は間違っていても、その思いは否定しない。長に相応しいものだったと考える。敵ではあったが、怒りや憎しみはないのだ。決して。
それが確かに伝わったのだろう。
楼奥は壊れゆく百足の顔で、やはり穏やかな微笑みを浮かべたように見えた。
「そうか。ならば、地獄でも胸を張ろう」
彼は、この世を去った。
生き様を見届た信太郎は最後まで目を離さなかった。
それから彼もまた限界を迎えてふらついたところを、永が優しく支える。呆れた風に溜め息を吐いて、それでも仕方がないと包み込むように寄り添った。




