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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第四章 蛇と百足と執着

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十三 鬼は血溜まりに生まれる

 下らない、と楼奥は蔑んでいた。


 人間の営みが発展していく中で、いつまでも強者ではいられない事を理解しない愚かしさを。

 実態に見合わぬ、滑稽でしかない矜持を。

 ただ先祖の行いを無思慮になぞっているだけの蛇への敵意を。

 百足の全てを──その一員である自分自身さえも蔑んで生きていた。


 だから、冷淡で合理的で否定意見ばかりとなり、一族では浮いていた。

 それが交渉に適役だと見られていたのだろうか。ある時、蛇との対話を任せられた。

 それもまた呆れる。作法、話術、支配地域の発展具合、武力以外の手段で打ち負かせと口を酸っぱくして言い含められたが、まるで興味が持てなかった。

 楼奥に当然実行する気はなく、一族に泥を塗るつもりで対話に臨んだ。


「何も問題がなければすぐにでもこの対話を終わりにしたいが、よいだろうか」

「そちらこそ、優位を得る機会を棒に振るのですか」

「無駄話はしたくない。現状維持を望む」

「……私も同感。暴力でなくとも争いなんて無駄ばっかり」


 意外な言葉に、改めて相手を見る。

 蛇は、まるで鏡のように楼奥と同じ目をしていた。虚ろ。奥に秘めた身内への失望と諦念が満ちた瞳。

 とお。蛇の女もまた、時代遅れの蛇の一族に不満を持っていたのだ。

 楼奥は思わぬところで思わぬ相手と、心から通じ合った。


 それから、定期的に開かれる蛇と百足の対話は変わった。

 長への報告には、両者に関わる重要な話し合いでの決定のみ。しかし実際にはそれより長い世間話をするようになった。

 理解者との対話は、数少ない楽しみとなっていたのだ。


「昨日、新しいお芝居を見に行ったの」

「どうだった」

「とても素敵。お話も、役者さんも」

「残念だ。こちらでは流行っていない。食料や資材だけでなく、娯楽の交流も増やしたいものだな」

「ええ、増えたらもっと豊かになるわ」


 気が合い、意見が合い、趣味が合う。可能な限り長く話をしていたい。しかし交流が許されるのは、唯一この場だけ。

 だから、ふとした時に考えてしまう。

 何故自分は百足なのか。何故彼女は蛇なのか。

 その度に、口元には嘲笑。天への恨み言は滑稽で無様で、やはり己も下らない生き物だと自嘲したものだ。


 そんな、ある日。


「人間と夫婦になったの」


 十の嬉しそうな報告に、楼奥の感情は揺れ動いた。

 蛇と百足。自分ではあり得ない事だと理解していて、だからいつまでも友である事を望んでいた。そのはずだったのに。


 嗚呼、やはり。己はなんと下らない生き物なのか。


 あくまで顔は平静に、感情を制御し隠す。一族への侮蔑と同じように。

 そして晴れやかな笑みを浮かべた。


「助かった。身内に聞かれたら面倒だが……ここなら気兼ねなく言える。おめでとう」

「ええ、ありがとう」


 自分はその場所に相応しくない。

 だから、これが彼女の幸せなのだと心から祝福した。


 だが、十の幸せはそう長くは続かなかった。

 呪いを受けたと聞いたのは、治療法を求めて山を登ってきた旦那から相談を受けた時だ。


「どうか、助けてくれませんか。どうか、どうか……」

「分かりました。力の限り助力しましょう」


 旦那に地に膝をついて請われた楼奥は、頭を同じ視線に下げて力強く頷いた。

 この時胸に浮かんだのは、深い納得。それこそ身内への怒りを覆う程に。


 楼奥は己の牙を用い、自身が身代わりとなって呪いを引き受ける事にした。蛇と百足の因縁、己と彼女の縁を利用すればそれも叶うはずだ。

 何故自分は百足なのか。何故彼女は蛇なのか。

 自分は、この時の為に百足として生まれてきたのだ。彼女を救う為に百足だったのだ。

 幸せならば、それで良い。

 その納得の下に、心から晴れやかな気持ちで、彼女に相応しい旦那を助け送り出した。


 それから、数日。

 楼奥に異変はない。十は当然として旦那も訪れず、報せはない。己の呪具が効かなかったかと不安になる毎日。

 いてもたってもいられず、自分から山を降りた。

 慎重に気配を隠しても、十以外の蛇に見つからずに探すのは困難。

 だから山の魑魅魍魎に指示して探させた。

 その、結果が。


「……何故だ、何故、何故……」


 楼奥は墓前に立ち尽くす。

 ここまで愚かだとは思わなかった。

 蛇も、自分自身も。拒絶し、あまつさえ死なせた。命よりも、無意味な矜持とやらを優先させたのだ。それを己は予想出来たはずだ。百足と同じなのだから。

 これは、己の為した結果だ。


 いつまでも呆然としていると、背後から歩いてくる人物がいた。


「なあ、なんでだ」


 例の旦那である。

 ただし、絶望に歪み憎悪に血走った、人から外れかけた表情をしていた。更には低い凄みのある声で、そして手には草刈り鎌。

 楼奥は再び深く納得した。

 旦那の前で無抵抗に待つ。


「なあ、なんでだ」

「愚かだったからだ。全てが。だから、許すな」


 返答は、滅多刺し。

 鎌がひたすら乱暴に振るわれた。傷が無数に刻まれ、血が流れ出して墓場は赤く染まる。

 当然の復讐を、楼奥は手足を動かさず、声もあげず、大人しく受け入れていた。

 やがて肩で息をする程に疲れ切り、旦那は止まる。

 そしてゆっくりと、鎌を自らの首に添えた。

 何をするつもりか把握し、死にゆくはずだった楼奥の意識が覚醒する。


「待て。何をしている」


 死にかけの体で尚、強く手を掴んだ。鎌をがっしりと固定。逃がさない。

 旦那はこの状況に動じなかった。目を合わせても恐れや怯えはなく、ただ、泣きそうな顔で懇願する。


「何故止めるんだ……一思いにやらせてくれ……行かせてくれ……」

「許すなと言ったはずだ。お前こそ何故そんな事をする。まだ終わっていないだろう。たった一人で満足するな。決して、完遂するその前に、投げ出すな」

「…………ああ。その通りだ……まだ、残っている……俺はまだ、遂げてない……!」


 返り血に染まった顔が、不気味に蠢いた。濃厚な憎悪が人を人ならざるモノに変質させていく。

 こうして同盟は結成された。

 憎悪により異形と化した、鬼の同盟である。






 硬い百足の甲殻と刀の鋼がぶつかり、激しく火花が散った。力は互角で、技もまた。絶え間のない攻め手の応酬が、辺りに恐れを撒き散らす。


 楼奥は最早大百足と呼べない妖怪となっていた。深い憎悪が体から漏れ出たかのような、禍々しい姿で力を振るう。

 しかしこれで感情を制御しているらしく、動きに荒さはない。的確に冷酷に、計算された命を獲る為の動きをしている。暴力でなく、あくまで研ぎ澄まされた戦闘技術。

 憎悪のままに向かってきた太紋も強敵だったが、また違う形で厄介。必ず成し遂げるという確固たる意思を感じさせる。

 これを相手に勝とうとするならば、こちらも強固な信念を示す必要がある。


「山の女神に願い奉る」


 信太郎は永、あるいは山そのものに祈り、更なる加護を呼び込む。肉体に剛力が満ちた。その代わりに消耗と激痛。

 傷が広がり、血が噴き出し、骨がひび割れる。体が悲鳴をあげている。人間を超えた力が、力に見合わない器を壊していく。

 死にかけの体で、尚信太郎は堂々と立つ。

 鬼とはまた違った形で恐ろしく、歪な姿だ。


 楼奥は百足の姿であっても分かる程、呆れた声で否定する。


「理解出来ません。それ程の価値があれらにありますか」

「私は所詮人でなし。他者の価値を判断する立場にありません」

「では何故戦うのです」

「ひとえに、より多くを救う為に」


 信太郎は真剣に告げた。声にも未だ強い張りが残る。

 優先すべきはなによりも無辜の人々。

 罪人の自己満足、道楽。そうだと開き直って、後は迷わない。道なき荒れた道を突き進む。


 その覚悟もやはり楼奥には届かない。

 百足のまま、人のように首を横に振った。


「ここまで相容れないとは。私の目は曇っていたようです。やはり……殺さねばなりませんか」

「残念です」


 空気が強張る。戦闘の熱気よりも、殺意によって冷える。


 そして衝突。

 牙。毒。楼奥は持てる全てを存分に発揮。

 信太郎は己の体と刀のみ。打ち払う。叩き込む。

 力は同等、鍔迫り合いの形になる事もしばしば。仕切り直し、またぶつかる。

 真っ向からの強烈な攻撃から、意識の虚を突く一手まで幅広い。常に頭も働かせねばならない。


 迫ってきた牙は囮、本命は尾で背後からの一撃。察して横に跳んで避けたが、尾は止まらずに土を叩き、土砂を巻き上げ視界を封じてくる。

 耳、鼻、肌感覚。総動員して信太郎は追撃の方向を察知。

 木を回り込んで盾にし、突き破ってきたところを跳ぶ。そのまま空中で折れた木を打ち込み、鉄槌のように叩きつける。

 全身全霊の攻撃が確かに通った。

 しかし木への着地際に、殺意の尻尾。跳ぼうとしたところ、足場が揺れる。仕方なく転がるように降り、途中で百足の背中を蹴って頭へ突撃。食らいつこうとしていた牙に、狙い済ませた刺突を繰り出す。

 音を立てて砕ける牙。

 喜ぶ間もなく、背後から倒木。刀を引きつつ体を回転させ、素早く移動。遅れて地響き。

 逃れた先だが、足場が安定しない。地面が楼奥の動きに合わせて暴れている。

 嫌な予感に対応しようとしたが、その前に下から突き上げられてしまった。穴を掘ってきた尻尾による攻撃だ。

 空中でも体をひねり、手を伸ばし、枝を掴む。口を開けて迫る楼奥に対抗しようと足掻く。

 枝から跳び、より太い幹へ。しかしそこは腐食しており、足がついた途端に崩れてしまった。百足の毒のせいか。

 踏ん張りも効かない、不自由な状態。ただ肉体のしなりと体重移動。今出来る全てを乗せて刀を振り切る。


「ふうっ!」


 頭とかち合い、豪快に吹き飛ばされる。

 が、負けてはいない。全身を揺さぶられ強かに打ったものの、牙は防ぎ受け身も的確。窮地を最低限の負傷で抑えた。

 いや違う。地面が柔らか過ぎて沈んでしまう。起き上がれない。

 腐蝕。これもまた毒か、呪いか。

 距離がある内に足場を確保しなければ。

 そう思ったところに、影。周囲の木々が全て信太郎に向かって倒れてくる。計算の内か。


「う、おおおっ!」


 判断は力業。

 無理な体勢だが、気合いの一刀を地面に叩きつけ、柔らかな土を吹き飛ばす。そこから振り上げ、更に飛ばす。そうして掘り出した固い岩盤に足を付け、しっかりと踏みしめる。

 これならば十全。集中し、力を発揮すればよい。

 気炎万丈。剛力でもって大木の雨を打ち払った。

 そして強く踏み切り、高く高く垂直跳び。

 目眩ましの木々を蹴散らして突き進んできた楼奥を眼下に、位置を確保。呼吸を落ち着ける。


 天と地。弾かれた大木同士が激しくぶつかる音が鳴り響く中、両者は戦意を高めていく。

 睨み合いながら、楼奥は上へと突進する為の体勢を整える。信太郎は落下の勢いを活かすべく構える。


「山の女神よ、麗しき女神よ、身命を懸けて奉る!」

「我こそ山を崩し穿つ大百足なり!」


 敬意と誇りを込め、吼えた。

 祈り。力ある言葉により、更なる加護を呼び込む。

 血が、肉が、骨が、甲殻が、牙が、散乱。互いに心身の崩壊が酷くなる。

 あらゆる犠牲を払いつつ、眼光だけはぎらぎらと輝く。


「力を授けたまえ!」

「我が力を行使せん!」


 先手の楼奥。長い体を引き絞り、溜め、鉄砲のように放った。

 見極め、後手をとる信太郎。精神集中から、全身をしならせて体重を乗せ、雷光の如く刀を振るう。

 人知を超えた衝突。正面からの真っ向勝負。

 より大きな力をぶつける技術と、より大きな覚悟を力に変える手段、それらが極限を生み出している。


 轟音が、響いた。

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