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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第四章 蛇と百足と執着

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十 大蛇は呑み込み押し流す

 太紋はその時を、今でも鮮明に覚えている。

 初めての出会いは、彼女が目の前で派手に転んだ事が切っ掛けだった。


「あの、大丈夫ですか? 軽い怪我なら手当てしましょうか」

「済みません。歩く事には慣れていなくて……」


 怪我したところを助けた。そんな些細な出来事も、彼女の存在によって特別な思い出として切り取られたのだ。

 そして、特別な思い出は、その後も続いていく。

 初めは恩返しだと言って、豪華な食事を振る舞ってくれた。だが豪華なあまり、これでは割に合わないと、次は太紋がお返しをすると約束をした。

 そうして何度も会うようになった。芝居を見に行ったり、語り合ったり、景色を見たり、楽しく素晴らしい日々。彼女を愛おしく思うのにそう時間はかからなかった。


 愛しい日々に大きな変化があったのは、彼女が苦手ななめくじを間近で見てしまった時だ。

 驚きによって表れた彼女の正体は、蛇だった。

 人より大きい、尋常の獣ならざる大蛇。この土地の守護神である、蛇神の娘。しかし、語る様は優しげで愛らしくて、なにも変わっていなかった。だから変わらず、気安く対応した。


「驚かせてしまいましたね」

「薄々人じゃない気はしていたんだ」

「あら。やはり人については勉強不足でしたか」

「いや、あまりに綺麗だったから」

「まあ。ふふふ」

「それより、もう会えないのか?」

「正体が露見した化け物は姿を消すものです。ただ、帰る場所は父の領域。すなわちこの町ですね」

「ならば会いに行けるな?」

「わたしは蛇ですよ? あなたは人です」

「構わない」

「……でしたら追いかけてきてくださいね」


 目を見て、強く断言。決して離さないと気持ちを伝えた。

 少しの驚き顔の後に笑って受け入れてくれて、心の底から嬉しかった。

 父である蛇神の下に一度帰った彼女を追いかけ、一族を説き伏せるのに手間取ったものの、そうして二人は夫婦となったのだ。


 しかし、別れの時は訪れる。


 きっかけは、太紋の失態だった。

 十が好きな山鳥を求めて山奥へ入り過ぎて、百足の領域に踏み入ってしまったのだ。大百足が現れ、蛇の住人が縄張りを冒したと喰われそうになった。

 そこを救ったのが十。美しい白蛇は百足に絡んで食いつき、追い散らした。


 だがその晩、彼女は倒れた。

 病かとも思ったが、呪いだと言われた。蛇と百足の不戦の約定を破った報いだと。つまり太紋のせいで、彼女は倒れたのだ。

 人の医者も蛇の一族も手は尽くしたが、治る見込みはない。真っ暗な絶望にうちひしがれた。


 見るからに辛そうな病床で、しかし彼女は気高さを損なっていなかった。


「そんな顔をなさらないで下さい。あなたが前を向いてくだされば、私も戦う力が湧いてきます」


 強い彼女に対し、太紋はただただ無力を噛み締めるばかり。

 悔しく、情けなく、恥ずかしい。力になれない事が、ひたすらに無念だった。

 だから決意が生まれる。


「必ず、必ず助けるから!」


 山を登り、百足の里へ。

 蛇が無理ならと、もう一つの力ある神を頼ろうとした。

 今後は踏み入らないよう、領域の境で叫ぶ。

 自分の全てをも犠牲にする覚悟を持っての行動だったが、親切な上に百足とも縁がある男に助けられた。手を尽くしてくれ、太い針のような、呪いを払う道具は手に入った。確実に効くとは言い切れないとの事だが、何もないよりは良い。喜び勇んで帰る。


 しかし、悪夢に嗅ぎつけられた。

 町へ入ろうとしたところで、蛇の長が待ち構えていたのだ。


「百足の匂いがする。小僧、それを持ち込むな」

「あんたの娘を救う為だ! さっさと通してくれ!」

「ならば尚更! 百足の手を借りて生き永らるなど、言語道断!」


 問答無用。尾の一撃。

 強かに食らった太紋は軽々と飛ばされ、呪具も砕かれてしまった。それと同時に希望も消える。


「……あ、うああああっ!」


 地面に這いすがって泣き喚き、怒りに血が頭に上った。

 その後はいまいち覚えていない。殴りかかって返り討ちにされたらしいと、後から推測した。

 目を覚ました後に、それより重大な事があったからだ。

 帰った時、彼女は既に息を引き取っていた。それが全てだ。全て、失った。

 三日月の薄明かりに、影は色濃く伸びる。

 彼女と見た心中物の芝居が頭をよぎる。それもまた幸せなのだと囁く声が聞こえた。

 それでも後追いをしなかったのは、憎悪が熱く激しく燃え上がっていたからだ。






 一族を裏切り名誉を捨てたと、死後に追放された蛇女房が眠る、墓場。

 その旦那は姿を変え、憤怒に染まった赤い顔で吼えた。


「お、おおおっ!」


 大木が根元から引き抜かれ、腕力のみで持ち上がる。人の身では成し得ない、鬼の所業。

 そのまま槍のように速く突き出された。

 信太郎は落ち着いて横っ跳びでかわす。

 しかし強引な軌道修正で横に振られ、再び迫る。今度は真上に跳び、追ってきた大木の槍に着地し、幹を疾走。

 一歩、二歩、瞬く間に太紋まで到達すると、素早い峰打ちを肩口に叩き込んだ。

 が、相手はびくともしない。血走った目で睨み付けられる。


「手加減か。随分舐めた態度だな。それで俺を止められると思っているのか!」

「これは失礼。止めたいだけで、殺したい訳ではないのです」

「ふんっ。蛇と百足を殺すと決めた時から、死ぬ覚悟ならしている!」

「重ねて失礼。しかし、みすみす死なせてはあなたの父上殿に合わせる顔がありませぬ」


 やはり身内思いなのか。

 父。その言葉に、怒りの空気が、少し緩む。


「父はなんと?」

「ただただあなたの身を案じていましたよ。蛇に直談判する程に」

「……そうか」


 弱まった勢いに、淡い期待を込めて声をかける。


「止まるので?」

「いいや。止めるつもりは、ない」


 言い聞かせるような返答により、切り替わる。改めて瞳に戦意の火が灯ると、拳を振るってきた。

 その手には、短く鋭い凶器。

 毒牙。恐らく共犯者から受け取った、蛇と百足を死に至らしめた物だろう。

 反応し、避けていても剛腕の風圧で叩かれる。どちらにしてもまともに食らえば致命傷だ。

 至近距離では分が悪い。

 それでも、正々堂々向き合わねばならない。そうでなければ、この憎悪は晴れずに淀んでいくばかりだ。鬼と化しても、最後まで人としての道を行かせたい。

 わがままな思いを胸に、信太郎は死線に挑む。






「またか山姥。なんのつもりだ」


 蛇の長の行く先を、おかめの面を被った永が塞いでいた。

 町から離れた、静かな河原。紅葉の美しい、本来なら穏やかな環境。

 巻き込む人も建物もない自然の只中で、対峙する両者の間に激しく火花が散る。


「無論主を止めるのよ。分からず屋は力で叩き伏せるしかあるまいて」

「笑止。山姥如きが我に敵うと思うてか」


 今度は本気で相手取る。

 永の意思を受け取ったか。大地が、鳴動する。

 狂暴な大蛇の本性が剥き出しに。場に在るだけで他を圧する威容は、流石神として扱われる大妖。

 そして凶悪な牙を剥いた。殺意を伴い、小さな山姥へと飛びかかる。

 轟音、衝撃。河の水が舞い上がり、石が暴れ弾け飛ぶ。たった一つの行動で景色が一変。見るも無惨な荒れ地と化した。

 それが、幾度も。蛇行しながら獲物を追う蛇は、人の手には余る激流のよう。自らが治める土地を乱しながら流れるその様は、最早土地神の姿ではなかった。

 ただし永はその流れに呑み込まれない。子供が遊ぶような軽やかさで、駆け回り跳び跳ね、機敏に避け続けている。


「どうした! 口だけか山姥!」

「わしが口だけ、とは見る目がない男じゃの。強く、賢く、その上気も利く、非の打ち所のない女じゃろ?」

「惚けるでない!」


 慣れていない侮蔑的な発言に刺激され血が上ったか。邪魔者の排除から、怒らせた敵の殺害へと意識が変わった。

 更に激しく、更に荒々しく。音も衝撃も容赦なく撒き散らされる。

 しかし代わりに単調な突撃ばかり。永ならば容易く読め、かわせる。幾ら力が強くとも負ける気はしない。百足の里へ向かわないよう誘導していく。

 荒れ狂う風と水の中でも、そよ風と小雨を浴びるが如く。

 やはり畜生かと永は内心で嗤った。


 このまま時間を稼いでいれば、目的は達せられる。

 要は蛇と百足の戦争になりさえしなければいいのだ。激情を発散させ、力を使い尽くさせれば、いずれは否が応でも止まる。


 優雅に舞うように避け、あしらう。牙も尾も当たらない。面を被っていても分かるよう、高らかに笑い声をあげる。


 しかし風向きは、急に狂った。

 新たに近づいてきた、強大なる気配。山姥と大蛇は同時に動きを止め、とある方向を見つめた。

 永は苦々しく毒づく。


「全く、間抜けな畜生ばかりじゃの……っ!」

「殊勝な心がけだ。貴様の顔に免じて、配下は見逃してやっても良いぞ」


 蛇が永から目標を移した。ぎらぎらと不穏に輝く瞳で敵視する。

 現れたのは、大百足。その長。

 もう片方の、神として扱われる大妖。そして会わせてはいけなかった仇敵同士である。


「蛇。その必要は無い。約定は破られた。望み通り、全面戦争を始めようではないか」


 災害が、二つ。互いに激しさを増して巻き起こる。

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