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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第四章 蛇と百足と執着

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七 山の機嫌は移ろいやすし

楼奥(ろうおう)。それから蛇の匂いがするぞ。敵と通じるとは何事か」


 光を遮る影は、この里の長であろう大百足。

 伝説にあるような山を七巻き半する長さとまではいかないが、比較すれば人が虫のように見える程には巨大。社の大蛇と同程度か。

 その大妖が、怒りに満ちた様相で小さな者達へ迫りくる。見るだけで根元的な恐怖が放たれていた。

 実の息子ですら恐れる。楼奥はひきつった顔で住み処から駆け出し、地に膝をつく。


「お聞きください父上。彼らは敵ではありません。共に立ち向かう同志なのです」

「何を言う。戯言に惑わされたか。それとも自ら裏切りを選んだか。いや、あの女蛇に誑かされたか」

「……いいえ、違います。此度は蛇と百足が協力して臨まなければならない一件なのです」


 一瞬、楼奥の顔に浮かんだのは、静かな怒りが感じられるような真顔。しかしすぐに感情を整理したのか、真剣に訴えかける表情となった。自らの心を殺して他に尽くす姿勢は、信太郎にとっては好ましい。永ならば苦言を呈するだろうが。

 全てを込めた懸命な説得は、しかし長に一蹴されてしまう。


「黙れ。蛇と通じる子ならば、我には無用」


 問答無用。

 牙を剥いて首を引き、一直線に襲いかかる。小細工無しの豪快な暴力。

 標的とされた子に応戦する気配はなく、人に化けたまま父を見据えて身構えている。それは覚悟の表れか。


 しかし突進は本来の目標に届かなかった。

 余波が辺りに暴風を巻き起こしたのみで楼奥は無事。脇に抱えて跳び、避難させた者がいたのだ。

 永である。楼奥当人は望まなかったかもしれないが、穏便に無傷で抑えきった。

 そして突進により間近にまで近付いた顔に対し嘲りを含んだ笑みを浮かべ、口を開く。ここは適任だろうと、信太郎は任せた。


「ほ。話も出来んとは、まるで獣じゃな。もうちいと大妖としての器を示そうとは思わんのか。情けないものよの」

「山姥か。同じ山の妖怪として敬意は払うが、蛇の味方をするのならば容赦はせん」

「だから話が出来ん獣と言うとるのじゃ。そもそもわしらは蛇の味方ではないわ。百足の味方でもないがの」

「ならば何をする。何の為に我が地を訪れた」

「無論、世を乱した愚か者に罰を与える為よ」

「それは蛇だ。蛇が我が子を殺した」

「たった今子を殺そうとした者の言葉とは思えんの」

「子とは言え、世を乱した愚か者に与するのならば、我が一族の恥。この手で始末をつけねばならん」

「ふん。まあ、いいわい。百足を殺したのは蛇でなく、蛇を殺したのは百足ではない。かもしれん。重要なのはそこじゃからの」

「何をほざくか、山姥。我らを害せる者など他にいる訳がなかろう」


 蛇からも聞いた根拠。

 永と信太郎は目配せを交わす。

 人間である信太郎は長の眼中にない。このまま永が続ける。


「少々傲慢に過ぎるの。人間を侮り過ぎじゃ。数に入れて考えんか」

「人間? 人間が我が子を殺したと?」

「かもしれん。まだ決め手はないがの」

「笑わせるな。人間など我らには遠く及ばん」

「やはり獣以下じゃな。もう少し学ぶという事自体を学ぶといい。主の先祖は人間に討たれたじゃろうが」

「それは人間が卑劣な手を使ったからだ! 弱き存在に変わりはない!」

「ならば今回も卑劣な手を使ったかもしれんじゃろうが」


 睨みつつも、押し黙る百足の長。

 言い返せないのか、百足の顔であっても悔しげなのが伝わる。

 やがて諦めたように、今までより覇気の薄れた声で喋った。ただし内容には未だに不満が残っていた。


「……分かった。ならばそこの人間に証明してもらおう。さすればこの山での調査を認めてもいい」

「何故そんな事をする必要があるのじゃ。言葉で納得せんか阿呆」

「ここは我が治める地。我こそが掟なり」

「器が小さいの。じゃから息子も反発──」

「いや、よせ永。おれは構わぬ」


 堂々と前に進み出る信太郎。

 初めて大百足の長と目が合った。蔑みなどはないが、単純に興味の薄い目。これを、力で変えねばならない。


「我直々に試してやるが、覚悟はあるか人間」

「覚悟ならばあります。謹んでお相手させて頂きます」


 ぴくりと反応する長。険が深くなった。態度で少しばかり機嫌を損ねたらしい。

 戦闘なのだから致し方なし。構わず心身を整える。


「南無八幡大菩薩」


 祈り、神から力を借り受ける事は、卑劣な手だろうか。そうだとしても、あちらに合わせる気はない。これも己の力の一部だ。

 落ち着いて長を見据え、構える。


 そして大百足の力が振るわれた。

 先程楼奥に向けた突撃よりも、更に速く豪快に頭が迫りくる。

 巻き起こる風の圧力。重い衝撃。津波や土砂崩れ、災害のような一撃。信仰対象となるのも納得の強大な力である。

 避けられる上に、避けた方が無難。

 しかしこれは試しの場。真っ向から打ち勝たねばならない。


「ふっ!」


 両手を揃え、腰を落として待ち構える。

 そして災害が到達。

 走り響く衝撃が体を揺さぶり痛めつける。バラバラになりそうな体を、超常の祈りが支える。挟まれた精神はただ嵐を耐えるばかり。

 が、耐えたが故に、一瞬では終わらない。

 歯を食い縛り、全身で踏ん張るも、圧に押されて引き摺られる。草履が削れて壊れ、素足に。地面に血の跡を残して更に押し込まれてしまう。

 肉体は十全、それから祈りと気合い。意思の力で雑念を消し飛ばす。


 それから、反撃。

 ただ受けるのではなく、攻めるのだ。一呼吸し、強引に余裕を作り筋肉を奮う。押されながらも上から力を込めて押し下げ、大百足の頭を地面に抑えつけた。

 接触、制動。圧が弱まり、削れる地面も浅くなっていく。そして更なる距離を移動した後、遂に止まった。

 負傷や消耗は構わず強気な顔で見返せば、百足の長は首を戻し、高みから見下して言う。


「なかなかやるようだが、まだ認められんな」

「承知していますとも」


 答えると同時に踏み切り、上がっていく頭の上へ飛び乗った。

 長は振り落とそうと身をよじるも、信太郎はそうくると予想していたので、既にその姿は更なる高き宙へ。大きく跳び、頭より遥か上の位置を確保していた。

 そこへ続いて、牙が迫る。容易く命を奪う、大妖の象徴だ。

 呼吸一つ、落ち着いて抜刀。空中でも強引に姿勢を制御し、ぴんと構える。


「せえい!」


 鋭い風鳴り、後に衝突音。頭へと振り下ろしの一撃を放った。相手の勢いにも負けず、対抗し、打ち落とす。

 固く、震え痺れる腕。頑丈な頭に傷はないが、ぐらりと揺れる。確かに人間の力が通った。

 手応えに誇らしさを感じつつ、着地。

 すかさず永が駆け寄ってきて睨まれた。無茶を咎め、それから新しい草履や薬などを出す。何から何まで申し訳ない。力を示す場なのが惜しかった。


 信太郎は改めて挑むような顔つきで長を見上げる。


「さて、どうでしょう。まだ人間を認められませぬか」

「…………いいだろう。認めてやる」


 躊躇いの後に重い言葉を発した長。

 ここでようやく、しっかりと目が合う。興味の薄かった視線が、今や油断ならない相手を見るそれ。

 交渉の入り口に立てたのだ。苦々しさはありつつも、長は問いかけてくる。


「何が必要だ」

「一帯を調べる許可を。それから、亡くなられた方を調べさせて頂きたい」

「……必要というのならば、許そう」

「有り難う御座います」


 細々とした話も済ませ、その場を後にする。

 これで話は進む。解決に近付く。そうなればいいと、信太郎は希望を持った。






 信太郎達は再び鬼の気配を追って慎重に山道を歩く。百足の里を離れ、落ちていく日に照らされる見事な景色に目もくれず、前を睨んでいた。


 里での調査はつつがなく終えられた。

 楼奥に案内された先は、山中の川沿い。切り立った崖に面した岩場。そこに百足の遺体は残されていた。

 目立った外傷はないが、苦しげで、毒と思しき死に様。苦痛に暴れた跡が見えた。

 蛇と同じだ。そして気配も同じ。永が言うには気分の悪くなる嫌な匂いとの事。

 二つの件に共通点があると確かめられ、先へ繋がる道も見えた。

 成果としては上々。順調な進歩が確実にある。


 しかし永の顔は優れない。いつになく真剣に考えている。

 百足の主の試練を終えたばかりの信太郎には休息が必要だろう。だが凶行を止めるには休んでいられないと無理を押した。

 代わりに永が早く解決しようと張り切ってくれているのだ。

 信太郎も重ね重ね悪いとは思っている。ただ、性分なのだ。救う為に無理をして、それでも死に急ぐつもりはなかった。必ず生きて解決してみせる。


「行ったり来たり、と、どうにも不思議な動きじゃな。それに、ふむ。違う気配も混ざっておるか」

「もしや、やはり下手人は一人でなく複数人で、蛇の里から追ってきた気配と合流したのか?」

「そう考えた方が自然じゃろうか」


 気配の筋道から、正体を考える。

 難しい顔の楼奥も議論に加わった。


「例の太紋殿が何者かを味方につけたのでしょうか。同じく蛇と百足に恨みを持つ者、あるいは金銭で仕事を請け負う者という事も……」

「嫌な気配は恨み憎しみに由来するものじゃな。金で動く輩ではなかろう」

「そうですか。では我々を恨む人間が他にいると……。恥ずかしながら否定出来ません。我々は力を持つだけで、やはり妖怪であり、人間には快くない事も多かったのでしょう」

「反省は必要でしょう。ですがあなたの姿勢は間違っていないと考えます。里で見た人々の好意的な反応が、その証左です」

「そう言って頂けて助かります。いつか父上から長を引き継ぐ事になれば、必ずや変えてみせましょう」


 楼奥は決意を込めて語った。

 やはり好ましい。思考も筋が通っており、心強いと思う。彼が長ならばどれだけ話が滑らかに進んだ事か。

 その後も深く議論を重ねていく。


 が、その中でただ一人、永が立ち止まり、前を見つめて止まった。


「どうした、永」

「蛇の方でまた動きがあったようじゃ」


 不吉な報告。不機嫌な声からしても、重大な事態だと伝わる。

 ならば、慎重さよりも迅速な対応が必要か。


 一行は足を早めた。

 風を切り、危険を承知で山を駆ける。焦りは確実に不吉な想像を呼び覚ます。

 すると、慌てた様子の人物と出くわした。深留に従って蛇の里へ向かった、百足の部下だ。


「楼奥様!」

「どうした」

「深留様が、こ、殺されました!」


 絶句する一同。

 報告は最悪の想像を形にした。

 間に合わなかった。許してしまった。

 新たな死者を出てしまった。無力と慢心を悔いる。


 これが、何を意味するのか。このまま終わるはずもなく、向かう先にある終着は、破滅だ。

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