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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第三章 人魚と尋ね人

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二 海辺の厄介事

 大きな雲が威を誇る空の下。暑い潮風が吹く小さな漁村の程近く。海を臨む穏やかな砂地を、夫婦は訪れていた。

 花をつけた低木の前に、永はしゃがむ。にこやかな笑顔は正体を感じさせない。まるで無垢な少女のように、今を夢中で楽しんでいる。


「ほうれ見い。可愛らしかろ? この赤い色も鮮やかじゃ」

「うむ。確かに鮮やかだな」

「じゃろう? さて、名前はなんと言ったかの? 人の付けたものは分からんわい」

「……永。機嫌が良いのはいいのだがな」

「のう。難しい顔をしておらんで、主も花を愛でてはどうじゃ? 女心が多少は分かるじゃろう」

「女心が分からず済まぬ。が、それはそれとして」

「妻の楽しみを邪魔するものではなかろう。相も変わらず甲斐性無しじゃの」

「……あい分かった。おれだけで済ませよう」


 永が花から離れないので、信太郎は一人で溜め息を吐き、振り返って進む。

 その先には困り顔の青年がいた。


「お待たせしました。お話を聞かせて頂きましょう」

「ああ、よかった。助けてくれないのかと……」

「いえ、申し訳ありません」


 頭を下げれば、青年は安堵の息を漏らした。心配させてしまった事は失態である。信太郎は己を恥じた。


 後ろでは変わらず、猫も被らずに花に夢中の永。元々好きなのはしっていたが、こう他を無視してまでは珍しい。正体を明かすような口調は普通の相手には隠すはずだ。

 どうにも違和感がある。単に気紛れではなく、何か考えがあってわざとしているのかもしれない。

 とはいえ、分からない事にいつまでもこだわるべきではない。


 しつこく自己満足だと言われていようと、償いの善行は信太郎が己に課した使命なのだ。

 今はひとまず、勺二郎(しゃくじろう)と名乗った男を助ける事にする。


「困り事、とはなんなのでしょうか」

「まずはこれを見てくれないか」


 差し出されたのは一枚の絵だった。

 描かれているのは女性の顔に魚の体の、奇妙な生き物。明らかな妖怪。人魚であろうか。

 訝しむ信太郎を前に、勺治郎は真剣な顔で語る。


「どうかこちらを探してほしい」

「どのような意味でしょうか」

「この絵は、神社姫と名乗った妖怪でな。近頃すぐそこの入り江に姿を見せていたんだが、ここ三日ばかり姿が見えん。だから、探してほしい」


 真剣な様子に到底偽りは無い。彼の真摯な願いだ。力になりたいと思わせる熱意もある。

 しかし信太郎はどうしても疑念を抱いてしまう。


「妖怪は気紛れな存在です。ただ海に帰っただけではありませんか?」

「それならそれでいい。だが、もし悪意ある人間に捕まって、見世物にさせられたり不老不死目当てに食われたりしたらと思うと、黙っていられん」


 見世物小屋の木乃伊(ミイラ)。肉を食えば不老不死。

 神社姫とは違うかもしれないが、どちらも人魚に付き物の有名な話だ。

 可能性としては確かに考えられる。草薙衆でない、一般の人間がそう思っても不思議ではない。


 ただ、一般の人間がこうまで妖怪の心配をするだろうか。


「何故、そこまでこの妖怪が気にかかるのです?」


 所詮は妖怪。

 人として、優先すべき対象と定めるには難しい存在である。依頼人の性質を見極める為にも、信太郎は厳しく問いかけた。


 少しの沈黙。勺二郎は目を伏せ、ゆっくりと情感のこもる声で話し出す。


「……この絵。これは災いから逃れられると言って、神社姫本人が描かせたものだ。人を助ける妖怪なんだ。その恩がある。だから、もし悪意にさらされているのなら助けたいじゃないか!」


 徐々に大きくなる声が、強い思いを告げる。

 熱気が夏の暑気をも上回るかのよう。恩があるというのなら確かに筋は通る。

 信太郎は深々と頭を下げた。


「失礼しました。神社姫の捜索、引き受けさせて頂きます」

「ありがとうございます! 助かります!」


 輝かんばかりの笑顔は、やはり疑念からは程遠いものとしか思えなかった。






「ほうれ。やはり厄介事じゃったろう。妙な匂いがしておったからの」

「ならば初めからそう言えば良かっただろうに」

「言うても首を突っ込むじゃろうが。何も変わらん」

「ふむ。それもそうか」


 漁師や商人、小さくとも人の働きは盛んな漁村。その外れに位置し、活気から離れた勺二郎の家。

 囲炉裏端で、永は焼き魚を美味そうに頬張り、信太郎は静かに村の会合に出かけた家主を待っている。遠慮はなく、談笑はいつも通りに見える。

 ただ、魚を骨ごと食べ終えると、永は真剣な顔になってぽつりと溢した。


「本当にあの男を信用するつもりなのかえ?」

「……何を言うのだ。失礼だろう」

「分かっておるじゃろ? 女に言わせるのかえ?」

「まあ、確かに、怪しいがな。不老不死目当てに人魚を食おうとしておるのは勺二郎殿、という場合も考えられる」

「ほれ。分かっておるではないか」

「だが、あくまで怪しいだけ、考えられるだけ、だ。おれは信じたいと思う」


 真剣に言い切ったのは、理屈ではなく願望。他人を納得させられるものではない。

 それでも永は、好きにせい、と肯定するように笑ってくれた。文句を言っていても最後には味方でいてくれる。頼もしく、心強く、恵まれていると再認識した。


 今回の依頼に不審な点が多々あるのは確かだ。


 信太郎を見かけただけで妖怪絡みの頼み事をしてきたのは、初めからそういう人間だと知っていた可能性がある。もしかしたら永についても。

 漁村で聞き込んでみると、村の人々は勺二郎程熱心ではないのだ。居なくなっても大して心配していなかった。絵の御利益も半信半疑。探していると言ったらむしろ驚かれた。

 そもそも勺二郎も、いつの間にか村に移り住んでいたという不確かな経歴。人付き合いはあっても過去は語りたがらなかったらしい。

 神社姫を探す理由。勺二郎に隠し事はある。ただそれは、個人的な事情であり悪意は無いと判断した。


 とはいえ、今のところ神社姫について手がかりは皆無だった。

 連れ去る場面を目撃した者はなく、足跡などの痕跡も見つからなかった。

 犯人となり得る余所者と言えば古くから付き合いのある城下町の商人くらいだが、彼らも神社姫への興味は薄いらしい。

 収穫と呼べそうなのは、絵にまつわる妙な話ぐらいだ。似ていないと効果が無い、と何度も絵師に書き直させたらしい。その時の不遜な態度が気に入らないと言った者もいる。

 これは、神社姫の側にも何らかの目的があった事を意味している。それが果たされたから姿を消したのか、果たす為に姿を消したのか。その観点から調べる必要も発生したのだ。


 恐らくこの漁村でこれ以上の手がかりは得られない。だから推測になってしまうが、連れ去られた先にさっさと行くべきだろう。

 見世物小屋にせよ、不老不死の妙薬として扱うにせよ、行き先はこの一帯では城下町が一番だろう。

 とは思うが最後に一つ。出発する前に、この地ですべき事はまだあった。


「とにもかくにも夜、だな。妖怪の事ならば妖怪がよく知っているだろう」

「役に立たんどころか襲ってくるやもしれんぞ?」

「分かっているとも。身に沁みてな」


 海の妖怪への聞き込みである。

 ただでさえ危険な夜の海。労せず味方になってくれれば良いのだが。

 信太郎は荒事に備え、心身を万全に整える。

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