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人でなし夫婦道中記  作者: 右中桂示
第二章 河童と仇討ち

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三 川の歓迎

 明くる日。八幡宮の社務所に泊まった信太郎と永は、日の昇りきらぬ内に河童の棲む沼へと出発した。


 その道中にある村に着いたのは昼前だった。太陽が厚い雲に覆われ見えない、残念な昼である。雨の景色にも風情はあれど、事情を知れば不吉さが勝ってしまう。

 茅葺(かやぶ)きの人家がまばらに建つ、一般的な農村。農作業する大人と駆け回る子供がよく似合う風景が広がっている。

 しかし現在は長雨により、村中がぬかるみ、畑は水浸し。田んぼも水量が調節出来ていない。茄子や胡瓜は育っておらず、稲は沈んでいた。

 人にも活気がなく、暗い。笑顔は一つたりとも見かけず、声すら乏しい。じめじめと、雨が人心まで腐らせてしまっているようだ。

 一日で全てが失われる豪雨ではなく、しとしとと降る長雨なのが嫌らしい。真綿で首を絞めるような報復。ならばこそ、まだ助かる道は拓けている。


 いち早く解決しなければならない。村での休息を軽く済ませ、たぎる決意を胸に真剣さを増した顔で沼への道を行くのだった。

 あくまで、信太郎は。


「濡れた感触が気色悪いの。よくもまあ、こんな苦行を喜べるものよ。お主、人としての大切なものを失っておるのではないかえ?」


 一見妖怪らしく村の惨状には無関心で、不満たらたらなのが永である。眉根を寄せ唇を尖らせ、露骨に不機嫌な顔をしている。無関心で不機嫌だろうと信太郎が望むのなら力を貸してくれるのが有り難い。

 己の領域であるはずの山でこの様子、なんとも可笑しい事態だった。


 山間の地の上に長雨なので、険しくてぬかるんだ道は確かに優しくない。おまけに雨具は笠と簑だけ。歩くのは厳しい難行である。

 しかし信太郎はいたって真顔だ。山籠り、滝行、数々の修行を思えば軽いと、本気で苦にも思っていなかった。気持ちが燃えている事も相まって、山歩きとは思えない速い調子でずんずんと進んだ。

 永はその歩幅にも難なく付いてくるが、足と同じように口がよく回る。


「あのうるさい男は良い傘と良い合羽を持っておったの。何処ぞの文無しとは大違いじゃ」

「ああ、甲斐性の無い旦那で悪いな」

「そう思うのならなんとかせい」

「ならば今度作り方を覚えようか。武家の内職にもある。なんとか真似てみせよう」

「買えと言うとるのが分からぬのか阿呆め」

「一文無し故にな。苦労をかける」

「あのうるさい男の方が良い旦那になるのではないかえ?」

「武者の話が延々と続くが良いのか?」

「そこは嫉妬すべきところじゃろうが」

「本気でない事は分かっている。嫉妬などすまいよ」

「それでも自分の方が良い旦那になれると言っておくものじゃろうが」


 雨にも負けずに会話が成り立つ。

 不機嫌な妻の愚痴に夫が付き合うのも円満な夫婦生活のコツだろうか。ただ信太郎にその気はなく、悪化させるような口振りも普段通り。むしろ会話を楽しんでいた。

 それよりも番之助の話が出て、信太郎は思い出す。

 昨日聞いた意味深な行動を。


「番之助殿は、やはり主の正体に気付いておるのだろうか」

「さての。面倒にならぬならどうでも良かろう。騙し討ちのつもりはないようじゃし」

「しかしそれは河童の問題を優先したからであって、解決次第切り伏せるつもりという事も有り得るだろう」

「その時は逃げればよかろうに。それとも大人しく切られるか? どちらも罪人にはお似合いの仕打ちじゃな」

「……ふむ。その時はその時、か。まあ罰の一つならば受け入れるほかあるまい」

「受け入れるな阿呆。それにの、あれは武者狂いじゃ。わしを名だたる女武者と重ねただけなのかもしれぬぞ」

「それは、確かに有り得るな……」

「分かったなら安心じゃな。さ、時間はある。銭を稼ぐ手を考えよ」


 話は元に戻り、信太郎は一方的に責められる。妖怪は妖怪の理で動く存在。先の不安より今の快適さが優先されるのだ。

 道中は雨よりも愚痴と要求に悩まされた。調査というには不真面目過ぎる。

 それでも、口を動かす永は不思議と楽しげ。

 不満を和らげられたのなら、それで良い。信太郎はそう思うのだ。




 奥へ。奥へ。

 河童の沼へ向け、川に沿って下る。相変わらずの厳しい道、文句たらたらの永。様々な苦難を共にする道行き。

 その内に歓迎が現れた。

 雨音に混ざって、川から小豆を洗う音や洗濯をする音が聞こえてくるのだ。誰の姿も近くには見えないのに。


 妖怪。音を立てて人を恐れさせる、姿無き怪異である。

 しかし、ここにいるのは草薙衆と山姥。これしきで恐れなどしない。むしろ永は呆れ顔で文句をつけた。


「ふん。つまらん音じゃの。下手糞ばかりじゃ」


 辛辣な評価。同じ妖怪だからこその言なのだろうが、信太郎はこれまで聞いた音と違いがあるようには思えない。

 だが、こういう視点が人と妖怪の相互理解には必要なのかもしれない。信太郎は新たな価値観に触れて感心する。


「ふうむ。音の怪異に上手い下手があるとは思わなかった」

「はん。良いものと悪いものの違いも分からぬのか。風情に疎い輩じゃの。小豆洗いはもっとシャッキリ、小気味良い音でなければならぬ。これでは小豆触りじゃ」

「言われてみればそんな気もしてくるな。では洗濯の方はどうだ?」

「洗濯も全く腑抜けておる。もっと恐ろしく、姑への憎しみをぶつけるような洗濯でなければならぬ。そもそも雨音に負けておっては話にならぬじゃろうが。ほうれ、とっとと直さんか」


 山姥の威厳か圧か言霊か。

 たちまち周囲の怪異なる音が変わった。大きく、激しく、雨音を打ち消すような音に。

 それでも永は納得しない。がっかりした風に首を振る。


「音が大きければ良いとでも思うておるのか? 下手糞の上に風情を解さぬとはの。全く嘆かわしい。お主ら力の弱い者共は力でなく技で恐れさせると心得よ。意識の隙を突き、耳へと滑り込ませるように音を聞かせるのじゃ」


 山姥の指導は厳しい。

 音は試行錯誤しながら変わっていくが、認められる事は無い。駄目出しは延々と続く。

 すっかり永の独壇場である。

 もしかすると今までの苛々を解消する為のいびりなのかもしれない。だとしたら音の妖怪達に同情する。


 ただ、流石に長く騒ぎ過ぎたか、より力の強い存在が川から姿を現した。


「……何者だ」


 子供のように高い、しかし子供らしからぬ凄みを持つ声。

 その主は、小柄な体格、緑の全身に鱗、頭には皿、顔には(くちばし)、背中には甲羅の、特徴が多い妖怪だった。

 お目当ての河童である。

 すかさず信太郎は礼儀正しく頭を下げた。


「草薙衆の信太郎と申す。此度の騒動について話をしたく参った」


 しかし河童は信太郎をまるっきり無視し、永をきつく睨んでいた。荒い感情を声に変えて大いにぶつける。


「貴様はなんだ。化け物の癖に何をしている!?」

「わしはこの男の妻よ。甲斐性無し一文無しの駄目な男じゃが、それでもまあ旦那は旦那じゃ。こうして供をしておる」

「つまり人間の味方か!」


 鬼気迫る表情で河童が叫ぶと、数十の群れが川から上がってきた。その全てが怒りと敵対心を宿している。

 怪音の代わりに、満ちるのは狂騒。


「この人間め! 裏切り者め!」

来六(こいろく)の仇が!」

「我らは決して許さぬぞ!」


 川辺に熱き怒号が渦巻く。正に一触即発の事態。

 永は可笑しそうに微笑むが、信太郎はとても笑う気になれない。警戒に身を強張らせる。

 しかし敵対するのは悪手だ。話は必ず聞かねばならない。


「まあ待ってくれるか」


 手を挙げ、激情の嵐に割り込む信太郎だったが、河童達は意に介さず徐々に包囲を狭めてきていた。水掻きが水底へ引きずり込もうと伸びてくる。

 そこで信太郎も一旦河童を無視。ぬかるんだ土に足を使って円を描くと、諸肌脱ぎになり、中央で声を張って呼びかけた。


「相撲をしよう! おれが勝ったら、どうか主らの長の下へ案内してくれまいか!」

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