8. ブランにて(第一章第二節第二話)
ヴァルトが背中の剣に手をかけたのを見て、男たちの顔に緊張が走る。が、一人がすぐに気を取り直し、
「ビビんじゃねえ、こけ脅しだ!あんな長え剣が背中から抜けるはずがねえんだ!」
と喚いた。残る二人もその声に気を取り直してヴァルトに向かって進んでくる。
男の言う通り、ヴァルトが背の大剣を鞘から抜くのは不可能に見えた。普通の体格では腕が短すぎるのである。しかし、抜けない剣を持ち歩くほどヴァルトは馬鹿ではなかった。
大剣を少し鞘から引き出すと、手首と前腕の力で回すように横にずらして剣を引き上げる。この剣の鞘は刃の側に隙間が空いており、少し引き出せば横からずらすように取り出せる作りになっているのだ。もちろん普通の腕力でそんな真似はできないが、ヴァルトの力を前提にジョゼフが考案して作った鞘である。
「!!」
驚愕の表情を浮かべ、男たちが足を止める。それを確認すると、ヴァルトは持ち上げた剣をそのまま地面に叩きつけた。
「この剣はお前さん用に打ったもんだ」
別れた日、ジョゼフはそう言ってヴァルトにこの剣を渡した。
「お前さんの力に多少なりとも耐えられるよう、折れないことだけを優先して打った。だからやたら重い上に切れ味は良くない。剣というより鉄の棒に近いかもしれんが、こんなもんがお前さんの力で振り回されたら斬れようが斬れまいが同じことだろうよ」
ヴァルトの剣の切っ先が路地裏の地面に叩きつけられる。轟音が鳴り響き、石畳のひとつが粉々に砕け散った。その凄まじい威力に、男たちが腰を抜かす。足を止めずに突っ込んでいれば、石畳ではなく自分たちがああなったのだ。
ヴァルトはその鉄の塊をぶら下げたまま、男たちに話しかける。
「まだなにか御用ですか?」
「――!!」
男たちは言葉を失っているが、一様に首をちぎれんばかりに左右に振った。ヴァルトは大剣を軽々と持ち上げると、背中の鞘に戻して宿に向かって歩き出した。
「――あれは人間なのか?」
「二度とあいつには関わらねえぞ。分かったな」
「当たり前だ。俺はまだ死にたくねえよ」
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男たちを置き捨てて路地を抜けると、ヴァルトは逃げるように足早に宿に戻った。力を見せつければ男たちが退いてくれるだろうという読みは当たったのだが、予想よりも遥かに大きな音を立ててしまった。夜なので他の物音も少なく、あの轟音は相当響いただろう。人が集まってくる前に退散したかった。
「無事だったのかい」
宿に戻ると、女将が声をかけてきた。
「ええ、何とか」
「済まなかったねえ。何とかしてやれればよかったんだろうけどさ」
女将の目には真情がこもっているように思われた。無愛想な対応だったが、気にはしていたようだ。
「商売ですから、仕方ないですよ」
揉め事を忌避するのは当然だろう。それに実際、何ら危ないことはなかったのだ。ヴァルトは全く気にしていなかった。
「明日も泊まるのかい?」
「そのつもりです」
「じゃあ、明日の飯代は負けたげるよ」
根は善良な人なのだろう。
部屋のベッドで横になると、たちまち睡魔が襲ってくる。無理もない。昨夜は一睡もしていないのだ。
(ローズ――)
昨夜のことに思いを馳せると、どうしても肩を落として寂しげに歩く少女の後ろ姿が浮かんできてしまう。
(あれで、良かったんだろうか?)
やはり、自分もついていくべきだったのではないだろうか。色々と理由はあったにせよ、幼い少女の心を傷つけなければいけないほどではなかったのではないか。
(でも、ローズはまだ若い。この先、時間はいくらでもある)
自分が彼女と一緒にいたのはたかだか二週間程度である。あの快活な子は、また新しい生活に新しい喜びを見つけるだろう。自分のことなどすぐ忘れてしまうに違いない。そうであって欲しかったし、そうであるべきだった。
後悔と、これでよかったのだという思いと。その間を行ったり来たりしながら、ヴァルトは眠りに落ちていった。
どこにいるのかわからないが、ジョゼフとローズもこの地で、ヴァルトと同じ星の下にいる。ヴァルトは二人が平穏な眠りを得ていることを願っていた。
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翌朝。
朝食後、ヴァルトは宿の女将から道を聞いて討伐所へと向かった。
討伐所は中も外もいかにも役所といった風情の殺風景な建物であった。中には幾つかの長椅子と受付のカウンター、そして奥への扉と上へと続く階段があるのみである。ヴァルトは受付の一つに行って登録をしたい旨を告げる。
「では、これに名前を記入してくれ」
受付の若い男性は一枚の羊皮紙、そして羽ペンとインクをヴァルトに差し出した。
(あれ、そういえば)
今更ながら、ヴァルトは自分が読み書きできないことに気づいた。「最低限の常識」に読み書きが含まれていなかったということは、識字率は高くないのだろう。
「すみません、僕は字が書けないのです」
「ならば私が代わりに書こう。名前を聞いてもいいか?」
字が書けないと知っても、受付の男性は特に変わった反応も見せない。やはり、字が書けない者は少なくないようだ。
「ヴァルトといいます」
受付の男性は頷くと、羊皮紙の上部にスラスラと何か書き、
「次は、この部分に手形を」
と言ってヴァルトの右の手のひらにインクを塗った。ヴァルトがその手を羊皮紙の余白に押しつけて離すと、そこにくっきりと手形が残った。
「登録の手続きは以上で終了だ。討伐者の説明を聞いていくか?」
「お願いします」
「モンスターを殪すと《結晶》が残る。これは様々な用途に利用できるもので、それなりの値で取引されている。そのまま持っていたり誰かに売ったりしても構わないが、討伐所でも買い取っているのでほとんどの人が討伐所に持ち込んでくる。買取価格は《結晶》の重さによって決まるが、強いモンスターのものほど重い。つまり、強いモンスターを殪すほど稼げるというわけだ」
「モンスターの討伐と、《結晶》の持ち込み自体は未登録でもできる。ただ、討伐者として登録しておくと、持ち込んだ《結晶》の重さとその累計が記録されて、それによってEからD、C、B、Aとランクが上がっていく。Eランクは誰でもなれるからなにもないが、Dランクになるとプレートが支給されて討伐者であることを示しやすくなる。C以上のプレートがあれば大抵の町に入れるだろう」
「何か義務のようなものはありますか?」
「特にない。モンスターはヒト種共通の脅威なので、殪してくれる者はできるだけ優遇したいというのが国の考えだ。だから、買取も市場とあまり変わらない額で行っている。国が予算を出しているので売買で利益を得る必要がないんだ」
「ただ、これは義務というのとは違うが、ランクが上がってくると名指しで依頼をされることがある。もちろん断ることもできるし受ければ報酬もあるので、悪いことばかりではない」
「依頼?」
「討伐者は荒事に長けているので、そういう人員がほしい者は討伐所に依頼を出すことがある。例えば、何かの事情でモンスター発生地点の近くを通らなければいけない商人や旅人の護衛、あとは魔物退治などだな。まあ魔物は珍しいのでこちらはそんなに頻繁ではない。東西の境界近くの町だと傭兵の真似事をする討伐者もいるらしいが、さすがにそれは討伐所にくる依頼ではないな」
「指名がない場合は【Dランク以上】のような条件がついてくることが多くて、誰でもいいって依頼はあまりない。まあEランクは素人の可能性もあるからな」
ということは、今のヴァルトに何かを依頼する人は少ないということだ。ひとまずは本来の仕事であるモンスター討伐に専念するのがよさそうだった。
「モンスターはどこにいるのですか?」
ヴァルトの問いに、受付の男性は地図を取り出して指し示ししながら説明する。
「モンスターは発生するポイントが決まっている。この町の近くだとこのへんと、このへんと、このへんだな。あとは最近噴出が起きて追加されたのがここだ」
その場所はよく知っていた。
「ポイントが決まっているといってもその一点でモンスターが湧き続けるってわけじゃなくて、「そのあたり」という感じだ。正確な広さは分からんが、百メートル四方かそれ以上くらいあるんじゃないか」
討伐者はその近辺に赴いてモンスターを「間引いて」くるのが仕事というわけだった。
「噴出によって発生地域が増えるのなら、いずれそこら中が発生地域になってしまうのではないですか?」
「発生ポイントでモンスターが湧くのは一年か、長くて数年だ。そのようにして古いポイントが消え、噴出によって新しいポイントができるので発生ポイントの数はだいたい一定に保たれている」
「それに町とその周辺には特殊な魔術で結界のようなものが作られているので、町の中にいきなりモンスターが湧くことはない」
それならば発生ポイントにもその結界とやらを作ればいいのではないかとヴァルトは思ったが、そうしていないのは何かできない理由があるからだろうと考えて黙っていた。
その他、細々したことなど一通りの説明を受けると、ヴァルトは討伐所を後にした。
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ヴァルトの大剣が振るわれると、それを剣のようなもので受けた黒い影は受けた剣ごと2つに断ち割られて消滅した。あとには鈍く光る黒い石が残されている。
(今日はこのくらいにしておこう)
討伐所で聞いたモンスター発生地帯で、ヴァルトはその日二体目のモンスターを殪したところだった。
ヴァルトは討伐所で教わった情報を元にモンスターの発生地帯に赴いて、遭遇したモンスターを殪す日々を送っていた。ただ、討伐に出るのは数日に一度、一度に殪すのは一体か二体程度である。《結晶》は小さいものでもそれなりの金額で買い取られるので、ヴァルト一人が生きていくだけならそれで十分なのであった。モンスターがそれだけ人にとっての脅威であるということでもあった。
ヴァルトがそのように控え目に討伐を行っていたのは、まだ自分が災厄を呼ぶ存在であるかもしれないという疑念を捨てられておらず、あまり目立って人との関わりを作りたくなかったからだ。だからヴァルトはずっと一人だった。普通、討伐者は数人で討伐を行う。モンスターは強弱によって棲み分けがあったりしないので、いきなり強力なモンスターに出くわしてしまうこともある。戦力的にも、哨戒の面でも、一人は危険なのだ。
目立たないように調節したとはいえ、登録したばかりのEランク討伐者が一人でモンスターを殪して帰ってくるのである。他の討伐者には知られなくても討伐所には隠せない。討伐所の役人の間では、ヴァルトは大型新人としてちょっとした噂になっていた。もっとも彼らの口は固く、その噂が外に出ることはない。
何度目かの討伐を終えると、ヴァルトはDランクに昇格した。Eランクは初心者を意味しており、多少モンスターを殪した実績があればすぐにDランクに上がるらしい。ただし、そこからC、B、Aと上がっていくにつれて必要な《結晶》の累積量が加速度的に増えていくとのことだった。
そして、ヴァルトが討伐所に登録してからひと月ほど経ったある日、すっかり顔見知りになった受付の若い男性――ヴァルトが登録したときに応対してくれた者で、名はナゼールと言った――が、ヴァルトに声をかけた。
「子爵家から、討伐所に依頼が来ているんだ。条件はDランク以上だからヴァルトも参加できる」
子爵家というのはこの町を治めるモリエール家のことだ。といっても、この町の領主というわけではなく、このあたりを領土とする伯爵家から派遣された行政官のようなもので、伯爵家の家臣の一人といったところである。
「この町の西にある森に、子鬼の集落が発見されたらしい」
子鬼の知識は「最低限の常識」にもあった。人型の魔物の一種とされ、体は小さく知能も低いが、性格は残忍で狡賢い。群れを作って暮らし、畑を荒らして農作物を盗んだり、家畜を襲って食ったりするようだ。人を襲うこともあるらしい。
「普通なら兵士や傭兵の仕事なんだよ。討伐者はモンスター専門だからな」
「この町に傭兵は少ないですね」
「ここは西側と東側の境界から遠いからな。特別な理由もないのに仕事の乏しいところにわざわざ来る傭兵はいないよ。それに、今は兵士も動かしづらい」
「戦争が起きそうという話ですか?」
「そうだ。そうなったら前線の領から援軍が要請されるかもしれんし、ここが戦火に曝されることだって絶対ないわけじゃない。いざ何か起きたときに兵士が出払ってて対応が遅れましたじゃ子爵の立場がないからな。どうしたって慎重にならざるを得ないのさ」
「それで討伐所に依頼してきたわけですね」
「魔物退治は討伐者の専門じゃないが、一般人よりは遥かに向いているからな。実際、モンスターと比べたら子鬼はだいぶ弱い。もちろん個体差はあるが」
「子鬼の群れはどのくらいの規模なんですか?」
「三十から四十らしい。大規模ってほどじゃないが、突然発生する数でもない。どこかから移動してきたんだろう」
「こちらは何人程度の予定なんですか」
「討伐者は二十くらいだ。それと子爵の私兵が十くらい同行する」
「するとこちらも三十程度ですか」
「そうだな。子鬼退治にしては大所帯だ。たぶん――」
ナゼールは声を低くして、
「――別の目的もあるな」
と言った。
「別の目的というのは?」
ヴァルトが尋ねても、思わせぶりな顔をするばかりで答えない。
「出発は三日後の朝だ。どうする?」
ナゼールは強引に話を戻してきた。腑に落ちないところはあったが、ヴァルトは頷く。
「僕も参加します」
討伐所との関係は良好にしておきたかったし、この地のことを知るためにはいろいろな経験をしておいたほうがいいと考えたのだ。