7. 町(第一章第二節第一話)
ローズたちと別れたその日の陽が沈む頃、ヴァルトは麓の町に着いた。
ジョゼフに描いてもらった地図を頼りに歩いていったのだが、土地鑑の無さが災いして道に迷ってしまい、数時間で済むところを半日近くかかってしまった。
町は城壁のような石壁で囲まれており、その外側に農地が広がっている。この国の一般的な町の造りであるようだ。モンスターの脅威があるため、防衛能力のない小規模集落は珍しい。
門に近づくヴァルトを、門番が胡散臭そうな目で見る。
「何者だ?この町には何の用だ?」
「私はヴァルトといいます」
ヴァルトは名乗ると、ローズのことや、ジョゼフの世話になるまでの話などは適当にごまかしつつ、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
「あの炭焼きの爺さんがなあ。まあ、山で噴出が起きたって話は聞いてるよ。いつモンスターが来るかわからんところで一人暮らしはできねえよな」
「それと、紹介状を預かっています」
門番はヴァルトの差し出したそれにざっと目を通した。
「まあ、特におかしなところもないし、通っていいぜ」
ヴァルトに紹介状を返すと、門番はそう言って道を開けた。平和な地域なのか、あまり警戒の厳しい町ではないらしい。ついでに、門番は紹介状の宛名である商人の店までの道も教えてくれた。ヴァルトは紹介状を懐に戻し、門番に礼を言って町に入っていった。
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ジョゼフは単に「町」と呼んでいたが、ブランというのがこの町の名前らしい。この地域を治めるケルグ伯爵領にある町の一つだということだ。ヴァルトにとってはこの地で初めて訪れる町である。道行く人や立ち並ぶ商店、屋台などにも興味を惹かれたが、まずは紹介状の人物に会わねばならない。
目指す商店は比較的分かりやすいところにあり、門番に言われたとおりに進むと割とすぐ見つけることができた。
中に入ると、若い店員が腰と背中に剣を吊ったヴァルトを見てぎょっとしたような顔をしたが、紹介状を手渡して取次を恃むとすぐに奥に引っ込んで行き、まもなく店の奥に案内された。
そこにいたのは、人のよさそうな笑みを浮かべた中年の男である。
「やあ、ヴァルト。初めまして。私がここの主、ブリュノだ」
にこやかに言うと、右手を差し出して握手を求めてくる。ヴァルトが頭を下げて握手を返すと、
「紹介状は読ませてもらった。事情があって行くあてのない旅人だが、一方ならぬ恩があるのでよろしく頼む、とのことだった」
ジョゼフの剛毅な顔を思い出し、ヴァルトの胸に早くも寂寥の念が浮かんだ。老人と孫は今どこにいるのだろう。
「恩なんて――お世話になったのはこちらの方です」
「ヴァルト、私は貴族ではないよ」
「この話し方が染みついてしまっているのです」
ヴァルトの話し方にブリュノは怪訝な表情を浮かべたが、
「そういうことなら気にしないことにしよう。――それで、ヴァルト、君はこれからどうしたい?」
「いずれ旅に出るつもりでいますが、しばらくはこの町で生活したいと思っています」
ヴァルトは自分が災いを呼ぶかもしれないという危惧を捨てていない。同じ場所に長く滞在するつもりはなかった。しかし、ヴァルトはこの世界の生活を知らなすぎる。「最低限の常識」だけで生きていくのは難しそうであった。旅に出る前に、この地に馴染んでおく必要があると思ったのだ。
「剣を持っているということは、傭兵か討伐者でもやるつもりかな?流れ者では兵士にはなれないが……」
「戦うことくらいしか、人並みにできそうなものがなくて」
「でも、このあたりは前線から遠いし、傭兵の仕事はあまりないぞ」
「前線?戦争が起きているのですか?」
「なんだ、そんな事も知らなかったのか?
ブリュノが呆れたように肩をすくめる。
「人里を離れて生活していたもので……」
「西側と東側の対立は今日に始まったことじゃないが、最近は境界近くの領主同士の小競り合いが絶えないようでな。紛争と呼んで差し支えないようなものも増えているらしい」
西側や東側、境界というのもよく分からなかったが、これ以上怪しまれるのは得策でないと考えたヴァルトは黙っていた。
「それで、そのうち全面的な戦争に突入するんじゃないか、なんて噂もある。まあ、ここは西側の中でも最果てに近いからな。東西の対立もどこか他人事みたいであまり緊張感もないんだが」
見張りも緩かっただろう、とブリュノは言った。
「――というわけで傭兵の口はあまりないな。ただ、噴出が起きたということは、討伐者なら食っていけるかもしれん」
モンスターの発生地点を塞ぐことは基本的に不可能で、何もしなければモンスターが増え続けるので、討伐者による「間引き」が必要になる。モンスターは群れる性質があり、放っておいて群れが大きくなると町を襲ったりすることもあるため、討伐者が発生地点の近くに赴いてモンスターを殪し、その数を減らしてくるのだ。モンスターを殪すと得られる《結晶》を討伐所が買い取ることで、討伐者の生活が成り立っている。
「《結晶》は誰が持っていっても買い取ってくれるから、モンスターの討伐は討伐者じゃなくてもできるんだが、討伐所に登録して正規の討伐者になっておけば情報や依頼がもらえることもあるし、ランクを上げれば身分証の代わりになる」
討伐者にはABCDEの五段階のランクがあり、Eから始まって最高位がAである。Cランク以上であれば社会的な信用が増し、多くの町に自由に出入りできるようになる。モンスターはヒト種共通の敵であるため、それに対処する討伐所は対立や戦争と関わりなく国中に広がっており、情報が共有されている。
「討伐所に登録するには、どのようにすれば?」
「討伐所に行って受付でそう言えば誰でも登録できる。名前と、あと手形を取られるが、それだけだ。あとは持ち込んだ結晶の重さが記録されて、その合計が一定水準に達するとランクが上がる」
「なるほど。ありがとうございます」
「だが、今日はもう遅いから討伐所も閉まっているだろう。どこか泊まるあてはあるのか?」
「いえ、特に」
「では宿を紹介しておこう。金はあるのか?」
ヴァルトはジョゼフから渡された金貨や銀貨を取り出してブリュノに見せた。
「それだけあれば、ニ週間くらいはもつだろう。その間にうまいことモンスターを殪して《結晶》を持ってくればそれが金になる」
「では、そのような方向で考えてみます」
「ジョゼフには私も世話になった。養ってやるとは言えないが、できることなら協力しよう。わからないことや困ったことがあったらまた訪ねてきてくれ」
「ありがとうございます」
見知らぬ地で、知己があるというのはそれだけで心強いものだ。ヴァルトはブリュノと、それを紹介してくれたジョゼフに感謝しながら店を辞した。
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ブリュノに紹介された宿はブリュノの店の近くにあった。
「泊まりなら大銀貨一枚、食事付きなら追加で小銀貨ニ枚だよ」
女将らしい宿の女性がぶっきらぼうに言う。ブリュノの言う通り、手持ちの金額で二週間程度は滞在できそうであった。ヴァルトは食事付きを頼んで鍵を受け取ると、二階の部屋に荷物を置き、一階に降りて食堂に向かった。念のため、大剣はそのまま背負ってある。腰に吊っていた細剣は使いこなせる自信がなく、万一の時は大剣のほうが頼れそうであった。
席につくとすぐに食事が出てくる。店で出す料理らしくジョゼフの家で食べていたものよりも手は込んでいるが、食材の鮮度という意味では見劣りした。
それでも満足して食事を終えたとき、ヴァルトに声をかけてきた者がいた。堅気には見えない格好と相貌の男たちだ。
「よお、見ねえ顔だな」
「見た目に似合わねえご立派なもん担いでるじゃねえか」
「振れるのかよ、それ?持っただけ倒れちゃうんじゃねえの?」
「今日この町に来ました。背中の剣は貰ったときに試し振りをしたので問題なく振れると思います」
三人の男の態度は明らかに喧嘩を売っている者のそれだったのだが、この地に目覚めるまでの記憶がなく、目覚めてからの社会的経験に乏しいヴァルトにはそのあたりの機微が分からない。男たちの台詞を言葉通りに捉えて馬鹿正直に答えた。
「ナメた口きいてくれるじゃねえか」
男たちは小馬鹿にされたと認識したようだ。ヴァルトの堅苦しい話し方も男たちを苛立たせるのに一役買っている。
「喧嘩なら他所でやっとくれよ」
面倒臭そうな女将の声がかかる。
「だってよ。表に出ろや、おっさん」
「喧嘩をするのですか?」
女将と男の言葉で、ヴァルトにもようやく男たちの用件が理解できた。
(何なんだ、いきなり)
当然、ヴァルトには身に覚えがない。この町には来たばかりなのだ。喧嘩を売られるような縁がそもそもなかった。
(僕を知っているのか?)
ヴァルトはその可能性に思い当たった。自分が知らなくても。向こうは自分を知っているのかもしれない。
「あなたたちは僕を知っているのですか?」
「知らねえよ。見ねえ顔だな、って言ったろうが」
「てか、随分と余裕じゃねえか」
(なら、あいつらの仲間か?)
あいつら、というのは昨日――まだ昨日のことだ――ローズを狙ってきた黒装束のことだ。彼らが仲間を呼んだのかと思ったのだ。
実際のところ、その彼らは仲間に情報を伝えることもなく全員この世を去っているのだが、それはヴァルトの与り知らぬことであった。
だが、
(違う)
ヴァルトはその可能性を自ら否定した。この男たちは明らかに素人である。何らかの訓練を受けていたに違いないあの黒装束たちの仲間とは到底思えない。
「何をぼさっとしてやがるんだ、とっとと表に出やがれ」
「僕には貴方たちと喧嘩をする理由がありません」
「四の五の言ってんじゃねえよ」
三人のうちの一人、ひときわ体の大きい男がヴァルトの胸倉をつかむ。ヴァルトは反射的にその手を掴みそうになり、すんでのところで思いとどまった。
(ここで揉めるのはよくないな)
そのまま摑んでいれば、間違いなくただでは済まない。ヴァルトは黒装束の男の手を摑んだときのことを思い出していた。ここであれを再現するようなことがあれば、絡んできたのが向こうであろうと関係なく宿を追い出されるだろう。下手をすると兵士を呼ばれて更に面倒なことになるかもしれない。
「分かりました。行きますから手を離してください」
この服はジョゼフから貰った大切な服のうちの一着である。破かれてはたまらない。
「ここなら誰も来ねえだろう」
ヴァルトが連れて行かれたのは近くの路地裏である。既に日が落ちていることもあり、あたりには人の姿はおろか、気配すらない。月明かりによってお互いの顔が分かる程度であった。
「何の用ですか?」
「お前、さっきブリュノの店から出てきただろう」
「金目の物か、それを売った金を持ってるだろう。それを出せば勘弁してやる」
ヴァルトはようやく理解した。
どうやらブリュノの店はそこそこ名の知れた店らしい。そんなところへ見知らぬ男が現れてのこのこ入っていき、店主直々に応対されて出てきたということで、なにか大きい取引があったに違いない、とこの男たちは思ったのだ。ヴァルトに絡んだのが夕食後になったのは、見ていたのは三人のうちの一人で、残り二人を呼びに行くのに時間を食ったからだろう。
しかし、ヴァルトから見ればそれはとんだ勘違いである。
「そんな大金も金目の物も持っていませんよ。ブリュノの店には知り合いから紹介状を貰って行っただけです」
「正直に出さねえと痛い目見るぜ。こっちは力ずくでもいいんだ」
実のところ、ヴァルトはあまり強そうではない。ジョゼフの家にいたころに水に映った自分の姿を見たのだが、年の頃は三十前後、中肉中背に黒の短髪に濃いブラウンの瞳、美形でもなければ醜くもない、という特徴のない風貌であった。有り体に言えば、うだつの上がらない、しょぼくれた三十男…といったところであった。
男たちはそんなヴァルトを見て高をくくったのだろう。体格に似つかわしくない背中の大剣も、却って与し易しという印象を与えたかもしれない。
しかし、ヴァルトから見れば男たちこそ弱そうなのである。あの山の生活で、熊だのモンスターだの、果ては正体不明の黒装束だのと戦ってきたヴァルトからすれば、この男たちは子供がいきがっているくらいにしか見えなかった。
「ふう」
ヴァルトはため息を吐いた。そして男たちの顔を正面から見据えると、
「私にはよくわからないのですが」
「何だと?」
「何故、痛い目を見るのが自分たちかもしれないと思わないのですか?」
ヴァルトには、それがとても思慮に欠けた不合理なことに思えた。
「へ?」
男たちは呆気にとられたように一瞬沈黙し、そして
「ぎゃははははは!」
「何、おっさん、俺たちに勝てるつもりなの?」
「面白いなコイツ」
何が楽しいのか、ヴァルトを指差し、腹を抱えて笑っている。
「勝てるつもりとかではなくてですね」
ヴァルトは話を続けた。実のところ少し迷っており、考える時間を稼いでいるのだ。
(殴ったら、死ぬかもしれない)
そのことであった。手加減がうまくできる自信がなかったのである。死なないまでも、大怪我を負わせれば騒ぎになるだろう。来た早々の町で面倒を起こしたくはなかった。
「喧嘩したら、勝てるかもしれないし、負けるかもしれない。それはやってみないと分からないわけです。それなのに、なぜ相手が痛い目を見て自分は見ない前提で話すことができるのか、それがわからないのです」
時間稼ぎもあったが、それは本心からの疑問でもあった。さっきまで笑っていた男たちは一転して気持ち悪いものを見るような目でヴァルトを見ている。
「こいつ、どっかおかしいんじゃねえの?」
「もういい、やっちまおうぜ」
「素直に出さないからこうなるんだ。もう後悔しても遅いぜ」
男たちが身構えた。一人は懐から短刀を引き抜いている。
「質問には答えてほしかったですね」
ぶつぶつと呟きながら、ヴァルトは決意を固める。
(これしかないか)
ヴァルトは背中の大剣に手をかけた。