ムールムール
(マガテよ。兄を探すのなら早くした方がよいぞ)
(わかってるよ)
言われるまでもない。化物の危険に晒されているであろう兄ちゃんを一刻も早く見つけ出す。
(これだけのアンデッドを生み出したのだ。ムールムールはかなりの魔力を消耗しているはず。それだけお前を殺せず焦っているということだろう)
なるほど。
(強引なことをしてこないとも限らん)
すでに十分強引だ。病院中の人達をアンデッドに変え、物量作戦で俺を見つけて殺そうとしている。
だいたいなんで俺を殺そうとしているのか。ふと、ゴミ屑でも見るような部長の冷たい目を思い出す。
とにかく、やらなければ。兄ちゃんを探してカムラも元に戻すという使命感が俺を奮い立たせてくれる。
階段のように狭い空間でない分動きやすいし、まずはアンデッドどもを倒すことではなく移動に注力しよう。
そう思った矢先、目の前の天井が崩れて緑の塊が落ちてきた。
「生きてやがった!」
フロアに響く硬質で耳障りな声。床を破壊しながら下りてきたというわけか。アヌースの言う通り、焦りがあるらしい。
いや待て。ムールムールが小脇に抱えているのは……兄ちゃんだ!
「放せぇ!」俺は叫びながら2つの黄金球をムールムールの腕と顔にぶつけた。
「っがあ!」突然攻撃を食らい怯みはしたが、ムールムールは兄ちゃんを放さない。兄ちゃんはぐったりして意識がないように見える。
「兄ちゃんを! 放せって!」
光球を小刻みに反復運動させムールムールにラッシュのごとくぶつけ続けながら、俺も駆け寄る。ぶん殴ってやる!
拳の届く距離まで接近していざ殴ろうとした刹那、ムールムールを中心に辺りが歪み、力の波のようなものが俺を襲った。真正面から受けてしまい吹っ飛ばされる。どうやら光球も弾かれたらしく、俺の側に浮遊している。
「痛てぇな! てめぇといいこいつといい、マジで鬱陶しいぜ!」
「うるさい。兄ちゃんを放せよ」フロアの柱に寄りかかりなんとか立ち上がるが、頭を揺さぶられてしまい足の踏ん張りがきかない。
(マガテ、回復に力を割いてくれ)
(言われるまでもない)
「あ? 兄ちゃん? つーことはあれか、お前ら兄弟揃って天界の犬っころってわけか」
天界の犬っころ。言っている意味がよくわからない。それに、マガテを宿した俺は、むしろ地獄に近いと思うんだが。
「にしてもお前からは巨人の気配を感じねぇ。本当に兄弟か?」
「ヨル?」
「は? 知らねえの? そんなんで守護者務まんのかよ」
次から次へと謎の単語を吐きやがって! しかし、おかげで回復の時間を稼げるぞ。
「なんだよ、そのヨルってのは」
「今から死ぬお前にいちいち教えるかよ」
俺の質問はばっさり切り捨てられた。さすがにそこまではのってこないか。
「こいつは俺がしっかり使ってやるからさ。お前は何も気にすんな」
ムールムールが何か唱えると、黒鳥達が奴のすぐ側に集まっていく。その一方で、兄ちゃんは黒い球体に包まれて中空に浮かんだ。
本格的に俺の相手をするつもりなのだろう。体のふらつきはだいぶ治った。全力とはいかないが、戦えそうだ。
(アヌース、俺達の命に関わる質問だ。正直に答えろよ)
(我は常に真実を語る)
(お前、今たいして魔法使えない?)
(貴様! なめ――)
(正直に!)
(……忘却の際にいたその直後に受肉した貴様の体の損傷を回復してやったのだいくら貴様の内で疲労は回復したとはいえ魔力まですぐ元通りというわけにはいかんのだわかったかこの愚か者め)
もごもごと一息で話し切った。こいつ相当認めたくないんだな。
(この光球は出しっ放しでも平気か?)
(……一度でも表出すれば消すまでほぼ魔力の消費はない。しかし勘違いするな! ケチってこれを使っているわけでは断じて――)
この光球は魔力効率に優れているらしい。しかもさっきの衝撃波で消し飛ばされない強度も備えている。
(アヌース。光球の形状を変えたりできるか?)
(無論、赤子の手を捻るより容易い。どんな形にでもしてやろう)
(それじゃ、剣と盾に)
(ふむ、なるほどな)
1つの光球は俺の左腕のすぐ上で楕円形に変化し、もう1つは片刃の剣となり俺の右手に握られる。
(名付けて黄金球騎士形態!)
いい感じだ、ネーミング以外は。夜仕様の金玉みたいに言いやがって。
黒鳥達はどんどん集結し、やがて1羽の巨大な怪鳥になった。軽自動車くらいなら足で掴んで飛べそうだな。
「さくっと死ね」
黒鳥が力強く羽ばたいた。風圧を伴い致命の嘴が迫って来る。
大丈夫、しっかり目で追える。数も戦力もあちらが上だ。だからこそこの初撃が要になる。
嘴が俺の胸元を捉える数瞬前、素早くしゃがんで盾で嘴をかち上げる。万力を込めて黒鳥の喉に刃の根元まで剣をねじり込んだ。
両手で固く柄を握って刃を垂直に固定する。黒鳥の突進を利用し、途中、骨に剣を持っていかれそうになりながらも尻尾まで斬り裂いた。
よし。1つの脅威を切り捨てたと同時に走り出す。とどまってはいられない。アンデッドどもが俺に群がる前に決着をつける。
牽制のつもりかムールムールの大振りな横薙ぎが襲って来るが、難なく躱して懐に入り込む。
グゥワイン!!
金属のぶつかり合う音が響き、骨が痺れた。
さすがに鎧は斬れないか。
甲冑の胴と腰の継ぎ目が視界に入った。
ザク。
考えるより早く、反射的にその隙間に刃を滑り込ませる。左の脇腹に光刃が通った。
ムールムールは苦しそうに呻きながら、大剣の柄尻で俺の頭を殴りつける。
視界が弾け、地面に膝をつきそうになった。
(盾でしのげ! 剣はそのままだ! 此奴から離れるな!)
俺は必死に左腕で頭を守る。ムールムールはおかまいなしに俺を引き剥がそうと柄尻で滅多打ちしてくる。盾をまとった腕越しでも打撃の衝撃が頭に響く。こいつ、横っ腹を刺されてるのになんて力だ。
しかし、先程の衝撃波は襲ってこない。やはりムールムールも相当消耗しているのだろう。
(ありったけだ。踏ん張れよ)
アヌースの合図とともに、剣が燦々と輝き出した。剣から迸る力の奔流を感じる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」緑の騎士の絶叫。
右腕だけでは剣を支えきれなくなり、左手を柄尻にあてがい体全体で押し込むように剣の放つ衝撃に耐える。
その眩く暴力的な流動は、鎧の内に隠された悪魔の体を焼き焦がしていく。甲冑の隙間という隙間から無慈悲な光が溢れ出た。
やがて力の放出が収まるとともに、光は失せ、握っていた剣は消えていた。
倒れ込むムールムール。鎧は崩れていき、カムラが姿を現した。