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魔人の目覚め

白い天井が見える。「見知らぬ天井」、なんつって。体があちこち痛む。俺は会社の屋上から飛び落ちたわけだし当たり前だ。


左足はギプスでガチガチに固められている。腕には点滴も。どうやらここは病室らしい。

そんなことより、普通に自分の体を動かせている。確かアヌースが俺の体を使うはずじゃなかったか。


「アヌース?」恐る恐る呼んでみる。ここが個室でなければ変態扱いだ。返事がない。

「おい、アヌースって」

(……目覚めたか)


おお! 頭に聞き覚えのある声が響く。

「なあ、どうなってる? お前どこにいるんだ?」

(我はお前の内にいる。声に出さずとも、念じれば会話はできるぞ)


会話の方法なんてどうでもいい。そんなことより(逆じゃん!)

(……ああ。想像以上に我の力は弱まっていたようだ。この肉体の主従が逆になるとはな。だが、どうにか我はここに存在している。礼を言うぞ)


律儀! (礼なんかいらない! どうしてくれるんだ? 俺はまた俺として生きなきゃいけないわけか? お前の一部として意識だけ残るとか言ってたから受肉に応じたのに! 弱い俺を守ってくれるとかなんとか言ってたじゃないか!)


(そうわめくな。3日間だ。弱った力でお前の損傷をぶっ通しで修復した。我はすこぶる眠いのだ)


そのとき、病室の扉が開く音がした。


「……マガテ! お前!」

「兄ちゃん!?」


俺の唯一の肉親である兄ちゃんが病室に入ってきた。もしかして俺の自殺未遂を知らされて田舎から出て来たのか?


「お前っちやつぁ! 馬鹿たれが!」

そう言いながら駆け寄って来て、ゴツゴツした両手で俺の手を強く握りしめる。


「もう二度とこげん事すんな」

いつもは優しく逞しい兄ちゃんの声が震えてる。


「……ごめん、兄ちゃん」

本当にすまなく思う。飛ぶこと以外選べないくらいに視野が狭まり危ない状態だった。


「死ぬごとあるなら仕事辞めろ。そんなとこで頑張らんじいい。……程々が大事なんぞ」

……ああ。「うん、わかっちょん」


兄ちゃんの変わらない口癖だ。ずっとそうだった。大学の受験勉強で寝不足のときも、就職活動で精神的に疲れ果てていたときも、「やり過ぎるな。程々が大事」と言って俺を息抜きに誘ってくれた。


両親が死んでからは、年の離れた兄ちゃんが親代わりだった。俺のために高校卒業後は地元の建設会社に就職して養ってくれた。


俺なんかよりずっと勉強ができるのにもったいない。自分はいつも頑張りすぎるくらい頑張るくせに、俺が無理しているのがわかると決まってそう言うのだ。兄ちゃんの「程々に」という言葉を聞くと、不思議と心に余裕ができる。


だから、「兄ちゃん、もう大丈夫」俺も声が震えてしまった。


その後、先生が来て俺の怪我の具合や治療の処置状況を説明してくれた。

落下の途中、窓掃除のゴンドラがクッションになったことを差し引いても、これくらいの怪我で済んだのは奇跡だと言っていた。


昔から周りに比べて体の頑丈さや身体能力が高いという自覚はあったけど、まさか奇跡まで起こすとは。

怪我の治る速さも尋常じゃないらしく、ギプスはもう外してしまって構わない、あと2日もしたら退院してよいとのことだった。

なるほど、本当にアヌースは頑張ってくれたらしい。


「明日も来るけんな。大人しぃ寝ちょけよ」

兄ちゃんは俺の目覚めと先生の話を聞いてとりあえず安心したみたいだ。夕方には病院の近くに取ってあるホテルに帰っていった。


(まだ寝てんのか?)

その夜、味気ない病院食も食べ終えて、時間を持て余したのでアヌースに話しかけてみる。


(我は貴様の時間潰しの相手ではないぞ)

もしかして俺の考えてることは筒抜けなのか? それは勘弁だ。


(俺が何を考えているかわかるのか?)

(いや、感情はわかるが思考まではわからん。貴様も我の深淵な思索を感じることはできまい?)

深淵かどうかはさておき、それを聞いて安心した。


(もう寝てなくて大丈夫なのか?)

(うむ。思いの外、貴様の内は居心地が良くてな。一眠りでかなり疲労がとれたわ。褒めてやる)

元気になったら態度がでかくなったな。


(医者も言っていたが貴様の肉体はどうなっている? 我の助力があったからこそだが、それにしても回復が早い)

悪魔にまで驚かれる俺の体とは一体。


(昔から体の強さっていうのかな、それはダントツだったよ。というか取り柄はそれくらいか)

(なるほど。我は思い掛けず高スペックな器に宿ったのかもしれんな。そんな肉体を持ちながら、仕事を苦に自殺を図るとは……。情けない)


(先生のくだりといい、昼間眠いとか言ってたわりにしっかり起きてるじゃないか)

(目覚めたばかりの貴様は不安定だったからな。せっかく受肉して肉体の修復までしてやったのに、また自殺でもされたらかなわん)


監視のつもりか。(もう大丈夫だって)


(うむ。兄と話した後、貴様の精神が安定するのを感じた。方言は耳障りだが、弟想いのよい兄だ。なにより肉体から放たれるあの頑強さ、健全さ。面構えも精悍で猛々しささえ感じる。それに比べてお前の体はなんだ。内在しているものは素晴らしいがどうもひょろひょろと薄っぺらい。それになんというか、顔つきが女々しいぞ)


(中性的って言うんだよ。これでも割とモテる方なんだぞ。……兄ちゃんは親代わりに肉体労働で俺を養ってくれてたからな。そうなる前まではあんなムキムキじゃなかった。苦労してるはずなのに、家じゃ微塵もそんな様子見せなかったな)


(そんな兄を残して自殺とは呆れるわ。よいか、そもそも労働とは生きる糧を得るために、対価に見合った労力を提供する労使の契約だ。その労働が原因で死ぬなど本末転倒。貴様の兄が言っていた通り、労働など程々でよいのだ。貴様は肉体と魂を伴って物質界ダフマに舞い戻った。我の思惑とは違ったが、こうなった以上もっと自身の生を楽しめ)


説教臭いやつだ。悪魔のくせに生きるとか存在するとかいう話題になると、いやに熱くなる。しかし確かに仕事に殺されるなんて、もうごめんだ。生を楽しめ、なんか励まされたみたいだな。


そんなことを考えていると、天井の隅で闇がうごめいた気がした。見間違えかとも思ったが、俺の感覚が何かの存在を警戒する。

(まあアヌース。あそこになんかいる気がするんだけど)

(ダスターだな。塵や埃に受肉した低級の悪魔だ。大した力は持っていない。放っておけ)

(どういうこと? 悪魔とか普通にいるのか?)

(我を宿しておきながら何を言う。悪魔は物質界にも存在する。人間社会にまぎれて生活している者もいるぞ)

(まじかよ、初めて見た。もしかして悪魔が見えるのはお前を宿してるから?)

(そうだ。他にも様々な恩恵があるぞ。一時的な身体能力や治癒力の向上、我が力の使用、呪害じゅがいへの耐性――)

(ジュガイってなんだ? あとさ、悪魔は物質界に来るためには受肉が絶対必要なわけ?)


ダスターとかいう悪魔の動きを警戒しながらアヌースに尋ねる。わからないことが多すぎだ。


(無知なやつめ。この世界の在りようから懇切丁寧に教えてやらねばなるまいな)


アヌースの恩着せがましくかつ長ったらしい説明を要約するとこうだ。

この世界は今俺が生活している物質界と、その平行世界である霊的なもので構成されている精神界アストラの2つに分かれる。


さらに精神界は多層的な構造となっていて、善性な精神生命体ーー天使や神が住む天界エデン、悪性な精神生命体ーー悪魔が住む地獄ゲヘナ、そして物質界と精神界を隔てる境界シェオールの主に3つに分かれている。


基本的に天使や悪魔といった精神生命体は物質界に干渉できないが、物質界の生物や非生物に受肉することで干渉することができる。


精神生命体にはそれぞれ性質があり、自分の性質に近いものに引き寄せられるという。


そして呪害とは、人間が精神生命体に接したり傷を負わされたりすることで体に受ける負荷のことで、呪害を負うと精神生命体を視認できるようになる。また、程度にもよるが、呪害の負荷に耐えられずに死に至る場合もある。


(天使から受けた呪害を聖痕とかぬかしてありがたがる奴もいるがな)

(わかったもういい十分だ)


聞き慣れない言葉の嵐で頭パンク寸前だ。

呪文のような説明を聞いている間、天井のダスターはずっともぞもぞしながらとどまっていた。まっくろくろすけとでも思おうか。


本当に放っておいて大丈夫かな?しかしこの世で遭遇した初めての悪魔を無視して寝るなんてできそうにない。


(アヌース。あのダスターどうにかならない?)

(我が宿っている貴様にダスター如きは手出しできんよ)

(そう? お前この前まで消えかけてたじゃん)

(なんと無礼なやつだ。我が本来の力を取り戻したなら、物質界はあっという間もなく混沌の坩堝るつぼと化すだろう)

(本当か?)

(……)


こいつはったりかましやがった。だいたい人間から忘れ去られようとしているやつがそんな強いわけがない。

(貴様、疑っているな。よかろう、我の力の片鱗を拝ませてやる! ダスターから目を離すなよ)


ムキになる辺りますます怪しい。でもアヌースの力というのは気になる。

どうしよう、尻の穴から魔力を噴出するとかだったら。……やっぱりダスターは放っておこうかな。


(瞬きするなよ、危ないから)

危ない?


次の瞬間、視界が白に染まった。と思ったら、また元の暗がりに戻っていた。目がチカチカする、アヌース、一体何をした。

(どうだ、貴様の目を媒介して光に変換した魔力を放ってやった。その名も熱視線ハイビーム! ダスターも霧散したわ)


ハイビーム、車じゃないんだから。唐突すぎて何が起こったのか頭が追いつかない。

(お前、火事とか起こすなよ)

(なんだその反応は。そんなこと心得ておるわ。せっかく力を見せてやったというのにつまらん奴)


アヌースは機嫌を損ねたのか、ブツブツ言いながら俺の内の奥の方に沈んでいった。

まだ体は本調子じゃない。そろそろ寝よう。

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