5、焦げたら網の下に押し込む
あれからしばらく経った。転校生の伊藤くんも新しい制服を手に入れてもうすっかり溶け込んでいる。まるで焼肉屋さんの新メニューがいつの間にかレギュラーメニューになっていたかのように自然だった。
そんな中、事件が起きた。
試験週間で早めの下校になった私が、いつものように無意識で靴箱から靴を取り出すと、一緒にメモがひらひらと落ちてきた。
”今日部活無いから一緒に晩飯でも食べませんか? 焼肉少女だから焼き肉でいいでしょうか? 放課後、鶫橋のそばで待っています。”
それは意外にもあの野球部のキン肉マンからだった。
突然の呼び出しで一瞬固まってしまった。が、次の瞬間七輪が頭の中に浮かんできた。
割り勘かなぁ。まぁそれでもいいけど、無料で食べられるならもっといいなぁ。
意外とテンションが高くなっている自分に驚く。
学校で会話ができないぶん、こういう機会は相手を知るチャンスではある。いろいろ聞き出して作戦を練ろうかな。
鶫橋の下は深い草むらが生い茂っている。橋の上にはちらほら人影が見えるが、肝心のキン肉マンの姿は見えない。とりあえずスマホでもいじって待ってることにしよう。
一応近所の焼肉屋さんをスマホでチェックしてみる。どこのお店に連れて行ってもらえるのだろう。どのお店でも焼肉だったら何でも嬉しいけど。
と、キン肉マンが小走りで現れた。挨拶しようと手をふろうとしたが、その瞬間にその手を引っ張られた。
「え、え、何?」
「急ぐぞ! 見つかるから!」
どうやら誰かから逃げているらしい。野球部は試験週間でも練習があるのかな?
橋を渡りきって、土手沿いを避けるように路地の中を進んでいく。今気づいたけど、これ手をつないでるじゃん。なんだか急に恥ずかしくなってきた。
着いたのは住宅街のそばにある小さな焼肉屋だった。ネットで検索しても出てこないようなこじんまりとしたお店だが、中に入るとお客さんで埋まっていた。どうやら隠れた名店らしい。
「ここ来たことある?」
「無いよ。はじめてきた」
「なら良かった」
こういうお店を知っているというのはなかなかポイント高いぞ。印象ポイント30アップ。いや、そんなポイント別にないけど。
「ここの親父ネットとか使えなくてそういうの嫌ってて、検索しても出ないんだよ。」
「なるほど」
どんなお肉が出てくるのか楽しみである。
店内には学生は少なくて、中年の仕事終わりのおじさんが多い。換気扇は回っているがほとんど仕事をしておらず、タバコの煙も混ざってなんだかもやもやしている。
店長のおまかせをいつも頼むらしく、今日もそれを頼んでくれた。お肉多めでいろいろな部位が並んでいる。量は少なめではあるが、バラエティに富んでいて飽きそうにない。ここまではいい感じ。
「で、どうしたの? 急に一緒に晩飯なんて珍しいね」
「いやぁ、まぁ、たまにはいいかなと思って、ね」
肉を焼きながら会話するも、どうも間が悪い。緊張しているのかな?
私は平気でどんどん食べ続けるが、キン肉マンはキン肉マンのくせにそれほど沢山食べるわけでもなく、会話が続かない間は黙々と肉を焼いている。これといって有益な情報も得られず、キン肉マンのことはそれほど知ることはできなかったが、お肉はたしかに美味しかった。生姜ベースであっさり系ではあるがピリッとする辛さもある、バランスの良いタレ。特別高い部位があるわけではないけど、一枚一枚が分厚くて食べごたえがある。運動部員がガッツリ食べたいときにはちょうど良さそうなお店だと思った。
「いっぱい食べた〜ごちそうさま!」
「やっぱさすが焼肉少女だな。食べっぷりがいいわ」
「それほどでも〜」
よし、さっきのごちそうさまはまだ生きている! これはおごってくれるパターン!
そのまま会計してもらって、店を出た。
「ちょっと土手まで出るか。お腹いっぱい過ぎて散歩したいし」
「うん、いいけど」
正直わたしはまっすぐ帰っても良かったのだが、おごってもらった以上断るのも申し訳ない。しばらく散歩に付き合うことにした。
「なぁ、あの噂知ってる?」
「ああ、知ってるっちゃ知ってるけど……え?」
「いやぁ、その、あれ本気だから」
「は?」
これは……告白?
まさか、私告白された?
一緒に焼肉食べたのも、おごってくれたのもそういう事?
もう焼き肉の残り香どころではない。これは一世一代のチャンスかも!
「俺、お前のこと好きだから。付き合ってほしい!」
「ちょ、声が大きい!」
夜の土手のランニングコースはやけに声が響く。気合が入ってるのはわかるけど、これはさすがにちょっと。
「だめか? 俺だとだめか?」
「まだあんまり話もしてないし……知り合ったばっかりのようなものだから……」
好意があるのは嬉しいし私からもちょっと積極的に行こうとは思っていたものの、いざ本当にその場になると一歩引いてしまう。自分が積極的なのか消極的なのかわからなくなってきた。
「そうか……」
「うん……」
気まずい。何話したらいいのかわからない。さっきまで何も情報がないからってたくさん話してみたいと思っていた自分が嘘みたいだ。お互いに何も言い出せないまましばらく土手沿いのランニングコースを歩き、家の近くまで来たら逃げるようにその場を去った。こわかった。申し訳ない気持ちもあるけど、自分自身の曖昧さや本当の自分みたいなものが見えてきたようで、とにかく怖かった。
それからしばらくはお互いに学校でもわざと避けるように行動していたが、やがて噂も聞かなくなり、お互いにお互いの存在が消えていった。これがいわゆる自然消滅というものなのだろうか。恋愛の経験値がちょっぴり増えたような気がした。