ひとつめ
読みに来てくださった方々、ありがとうございます。
会話多めです。
からん、と軽快にベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
お辞儀は45度。
「お席へご案内いたします」
背筋はしっかりと伸ばす。
「こちらがメニューでございます。お飲み物はいかがなさいますか」
早口にならない。はっきりと喋る。
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
一礼を忘れずに。
しかめつらしく歩く私を見た店長はフライパンを操りながら、まだ鰹節並みの堅さだなぁと可笑しそうにつぶやいた。くっ、だってしょうがないじゃないか。こんなお洒落な雰囲気のお店で働くのは初めてなんだから。
ここは街のとあるカフェ。こじんまりとした店内とハズレのないメニューのおかげか、いまも平日の昼前だというのにお客さんがちらほらと訪れていた。
私はそんなお店で二週間前から働いている。どこか良いバイト先は無いかと、求人広告を探して街をあてもなく彷徨っていた結果帰り道がわからなくなり、行き倒れそうになっていたところを店長に拾われたのがきっかけだった。
とうに閉まっていた店に入れてもらい、図々しくも食事までいただいた私は感動した。あんなにクセの強い肉がこんなに美味しくなるなんて!
『これ、すごく美味しいです!』
パッと顔を上げてそう言った私の目にあるものが映り込む。それは私が探し求めていた求人広告の張り紙。それも──この店の。
『こ……ここで働かせて下さい!』
店内が落ち着いた感じで、今まで働いていた店とは全く違う雰囲気だったのが新鮮で。何より広告の「まかないあり」という文字に惹かれた私は、いつのまにか立ち上がって頭を下げていた。
『あー……あれか。実はもう予定していた人数は集まってて、明日外そうと思ってたんだけど……』
『……』
まじですか。
『でも君ならいいよ。僕の料理に、笑顔で美味しいと言ってくれた人を無碍にはできないからね』
『……!ありがとうございます!』
「あの頃の店長は優しかったです」
「あの頃の君は素直だったね」
「そうですね。それについては外的要因があると思われます」
「ええ、僕のまかないにそんな効果があったなんて……。もう出せないな、これからは君が作ってよ」
「……イエ、遠慮シテオキマス」
店長との皮肉合戦は、私の方が分が悪い。彼は自分が私の胃袋を掴んでいることや、料理が壊滅的なことを知っているからだ。
「あちゃあ、こりゃやり直しだわねえ」
私がじとーっと店長を睨んでいると、通りすがりに小声が飛んできた。
「……え?っわ!」
慌ててコーヒーを淹れていた手元を見る。皮肉合戦で手に力がこもったのか、予定量以上の湯が注がれたドリッパーの上にはこんもりと泡が出来てしまっていた。
「ああ、“ 待たせているお客様に申し訳ないけど ”はい、もう一回」
「うっ……そこをそんなに強調しなくても……」
「君、コーヒーと紅茶の淹れ方は上手なんだからさ」
「てんちょー、別に今それはそんなに関係ないと思うわ」
「日下部さん。部下の教育には飴と鞭の使い分けが大切なんだよ」
「えーじゃあアタシはどうなってるのー?サトウさんばっかりずるいー。飴の方は要らないからアタシにも店長の鞭が欲しいわー」
「こんなに無感動なドM発言は初めて聞いたよ。そもそもあなたは仕事でミスを全くといっていいほどしないでしょ」
「ほんとどうなっているんですかね」
「いいから君はコーヒーに集中しなさい。二度目は無いからね。さて、パスタができたから日下部さん、持っていって」
「はあい」
「店長私に対しての鞭多くないですか……」
「きっと比例してるからだよ」
「うっ……」
何にとは聞きたく無い。
まあそれはさておき。日下部さんとは、あの求人広告が出る前からここの店員の、真っ白な肌にとろんとした、伏し目がちな瞳とストレートの黒髪をもつ美人さんのことである。
今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気とは裏腹に、その形の良い口から発せられるのは残念としか言いようがない言葉ばかり。いわゆる残念系美女、それが日下部さん。ちなみに年齢はわからない。あれ、そういえば店長も何歳か知らないな。
私は淹れ終わったコーヒーをお客さんに出すと、自分は厨房で食器を洗いながら、ランチ定食の準備をしている店長に年齢を聞いた。
「店長っておいくつなんですか?」
「おいくつに見える?」
「ええ……うーん……28歳くらい……?」
「ざんねん、不正解だったので答えられません」
「なんか教えてくれなさそうな予感はしていました」
「そうとわかっているなら聞かなければいいのにね。逆に聞くけど、サトウさんは何歳なの?」
「私ですか?」
「うん。思えば君を拾ってその場で採用しちゃったから、名前くらいしか個人情報を知らないんだよね。働き始めてからも君は失敗が多くてそれどころじゃなかったし帰りは早く帰っちゃうし」
「さりげなく嫌味を混ぜないで下さいよ。それに、帰りは用事があるので早くせざるを得ないんです」
「へえ。まあ何があるのかは聞かないけど。で、結局いくつなの?」
「ええ……店長が教えてくれなかったから私も教えません」
「ふーん」
「何ですか……」
「いや、なんでもないよ。そろそろお客さんも増えてくる頃だし、テーブルの片付けでもしておいて」
「……わかりました」
「謎だらけだなあ。彼女は」
あなたもですよ、店長。