夜、どうしましょう
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皆さんありがとうございます
「なっ!」
いつも通りの(もう慣れてしきていた)日常を謳歌していたわけだが、神は俺につくづく残酷だった。なんで最近はこんなにイレギュラーなことが起きるんだよ。
いつも通りの机上に、イレギュラーな置き手紙が一枚。白い紙には黒いペンでこう書かれていた。
『あっ!そういえば旅行行ってなかったな。母さんどうだい、旅行行くか。
そうねー、でもあの子たちは大丈夫かしら。
大丈夫、大丈夫、ツテは用意できるから。
そうなの、じゃあ旅行行こうかしら。
そうだな、じゃあ行くか。
香澄、拓人くん、それじゃあ行ってくるね。
拓人!香澄ちゃんのことをよろしく頼むぞ』
すみません父さん、雪江さん、俺たちを連れて行くという選択肢が存在してないのですが、これは嫌がらせですか?
なんて呑気なことを考えてる暇は俺にはなかった。
「ってことは今日は兄さんと二人きりですね」
空間が冷めるような凍てついた声音が、俺を襲う。そうだった。こいつがいたんだった。危険が隠れ潜んでいるんだった。
「そうだな、さっさとご飯食べて、お風呂入って、ベッドに入って、寝るぞ」
「はいっ♡」
まあこいつはどうせ人の言うことなんて聞かないだろうがな。
「じゃあ私がご飯を作ります」
「いや、雪江さんが用意してくれてる」
俺はそう言ってキッチンへ向かおうとする香澄を制止させる。案の定冷蔵庫の中には雪江さんが作ったのだと思われる料理が存在していた。
「………そうですか。母さん邪魔なことをしてくれましたね」
それを俺に聞こえるように言わないでくれ。っていうか実の母親に対してこの態度なのか。ヤンデレは刻々悪化中ということか。
「香澄食べるぞ」
俺は先に席についておいた。とにかく今日は迅速に行動して、香澄にペースを取られたくなかったのだ。
「では、失礼して」
「香澄さん……なんでナチュラルに俺の膝に座ってんの?」
「え?どういうことですか?」
やばい、早速ペースを握られてしまった。
「私と兄さんは常に一緒にいなきゃいけないじゃないですか。ただでさえ、学校にいる間は自重してるんですから、これくらいいいですよね」
「…………いいよ」
押し負けてしまった。あんなに怖い笑顔を向けられたら誰だってそうなるでしょ。ん?
おい、待てよ。あれで自重だと?自重してるつもりなのか?あれで?
「兄さん、あ〜ん」
こんなん前もあったな。あの時は両親の目があったから恥ずかしかったけど、今はいないから逆に心地よ―――――ってダメだ。洗脳されてきてる。脳の思考回路が数段ずれてる感覚がする。
そして、俺は何度も何度も膝の上に座っている香澄に『あ〜ん』をさせられた。
「兄さん、美味しかったですか」
「ああ」
「では、最後にデザートのキスを………」
そう言いながら香澄は俺の方に顔を傾けてきて。唇と唇を合わせようとしてきた。そして、それまで残り数センチというところで、俺は叫んでしまっていた。
「おい!やめろ!」
「え?」
あ、ついついやってしまった。香澄と俺の距離は鼻先一寸。その至近距離で目線は交差する。互いに互いを凝視している。
しかし、その香澄の瞳が怖い。
「なんで?拒むんですか?そんなはずありません。だって兄さんは、私の兄さんなんですから。兄さんはそんなこと言いません。私のことちゃんと理解してくれてるんですから」
「香澄、わかった。わかったから。わかったけど、今実はお腹が痛いんだ」
もちろん、嘘八百である。こんな状況でお腹が痛くなるなんてことはありえない。しかし、ある意味純粋であるヤンデレはそれを理解できないのだ。
そして、出た結果がこれだった。
「まさか、あのご飯に変なものが。あのクソババァあああああああああ!」
怖っ。実の母親にさっきから怨念つけすぎじゃない。大丈夫、雪江さんは悪くない。だから、香澄!包丁持って出かけようとするな!
と、思いつつも。俺はトイレへと戦線離脱した。
ふう、やっと一人だ。一人の空間って素晴らしい。最近は香澄のせいでその時間が限りなく少なかったからな。
「兄さん、大丈夫ですか?」
嗚呼、早速ひとりの時間が消えました。
「ああ、心配かけて悪いな」
「いえいえ、兄さんが健康ならそれでいいんですよ。じゃあ――――」
香澄は続けて言う。
「中に入れてください」
「ダメだ」
即答だった。即答以外ありえなかった。
「そんなこと言わないで、開けてください、兄さん。兄さん兄さん兄さん、開けてください。その姿を見せてください。その匂いを嗅がせてください。その体に触らせてください」
ダンダンダンダン!
トイレの扉に大きな振動が伝わる。香澄がドアを叩いているのだろう。
「開けてください。開けてください。開けてください」
狂ったように香澄はくりかえす。っていうかめっちゃ怖えぇぇぇぇぇえええええ!
「兄さん聞こえてますよね。兄さん、いますよね。兄さん兄さん、返事してください………兄さん、私、兄さんがいないと」
啜り泣く声がそこに広がった。それを発するのは他ならぬ香澄自身。
そうなのだ。彼女はまだ、幼いのだ。だから、俺に執着してしまう。俺を独占しようとしてしまう。
そして、俺もまた香澄に甘いのだ。
だから、この関係が終わることはそうそうないだろう。
とは思うのだが。うん、やっぱり怖い!
「香澄、近所迷惑」
その声とともに俺は恐る恐る扉を開けた。
「知りません。近所の人とか関係ありません。もし突っかかってきたら、ヤっちゃえばいいんです」
相変わらず怖い。そんな香澄は俺にギュッと抱きついてくる。そして顔を俺の服に押し付けて。
そして、
「スー、ハー」
ああ、やっぱ出てこない方が良かったかな?
俺も馬鹿ではない。風呂場に鍵をかけて、香澄が進入できないようにしたのだ。もちろん窓からも侵入させないためにガムテープを貼っておいた。
これで、大丈夫だろう。
「はぁ〜」
ああ、癒される。今までいろんなことがあったけど、これでやっとリラックスできる。ああ、最高。
想定通り、香澄が風呂場に入ってくることはなかった。作戦通りと喜ぶことが、ぬか喜びとなることはその時はまだ、わからなかった。
「はあ、気持ちよかった」
と、その扉を開ければ。
「スー、ハー。スー、スー、スー、スー、スー」
どんだけ吸うんだよ。
その音を出しているのはもちろん香澄。そして、香澄手元にあり、香澄が顔を埋めているのは、俺のパンツだった。
パンツ?
パンツぅぅぅぅぅぅうううううううう?!
「な、何してるんだ!香澄!」
「あ、兄さん。見ての通り、兄さんエネルギーの補充です」
「な?!」
「スー」
続けるな。少しは恥じらいを持てよ。女の子だろ。
「兄さんが扉に鍵をかけてるから、仕方なく私はこっちにしてたんですよ」
「香澄、とにかく出て行け」
「は〜い」
おい!しれっとパンツも持って行こうとするな。そういう俺はそのパンツを奪おうと手を伸ばすが。
「やっぱり無理です!」
突如、香澄がそんなことを言い出した。そしてそのまま俺にダイブ!ぎっしりとハグされた俺はしかし自制心を保っていた。
「兄さん?」
「な、なんだ」
今日はペースにのらないと決めておいたからな。
「元気になってきましたね」
元気?なんのことだ。俺は朝からずっと元気だったぞ。そんな香澄の目線は下に向いていて、俺はその視線の方向に違和感を感じていた。違和感の正体はアレだったのだ。
「………」
違う。別に香澄に欲情してないし!妹に欲情するバカ兄貴がいるわけないし!そう、これは生理現象だ。たまたま偶然何かの弾みにこうなったのだ。
って、言い訳できるかぁぁぁあああああ!
「うわあぁぁぁぁぁああああああああ!」
そのまま俺は下着を持って全速力でその場を離れた。
や、やっと寝れる。なんとかパジャマを着て、なんとか部屋に入って、なんとかここまで来れた。
「鍵もかけたな、よし」
便利なことに俺の部屋には鍵があったのだ。香澄の件で見直さなければ、気づくことすらなかったが。
寝よう。明日に備えて。
「寝れない」
香澄が怖すぎて寝ることができない。寝て、次起きたら、目の前に香澄がいそうで(実体験)眠れない。
「はぁ、ちょっと下行って、飲み物でも飲むか」
その言葉通り、部屋を出て、階段を降りて行き、リビングの中に入ろうとしたのだが。
「レロ、兄さん……」
香澄、だよな。何してるんだ?
少し開いていたドアの隙間から、そこを除けば。
「ん…兄さん」
お箸を必死に舐めている香澄がいた。そして、そのお箸を見てみれば、俺が今日使っていたお箸ではないか。
そのまま香澄はそのお箸を舐め回し、思い他人を眺めるようなうっとりとした目でそれをしていた。
それは何分も何分も何分も続く。
そこには香澄がものを舐める音しか響いていない。
「今日は……….ここまで」
箸の隅から隅っこまで舐めきった香澄はそんなことを言って、それをそのまま保管袋のようなものに入れた。
ねえ、香澄。それをどうする気なの。
結局俺はそのまま部屋に戻り、鍵を閉め、一日の疲れを癒していた。




