第二十三話 剣士の成長
それから近くの街で、しばらく野営出来るテントや簡易料理道具一式を購入した。
そこまで本格的に修行する意味も分からないし、修行しない英留はその街で終わるのを待っていると言ったのだが、あんたは目を離すと何をするか分からない、と言われて、無理やり連れてこられた。
どうせ、この前の不殺全方向鎌鼬のため、しばらくはシーヤも充電完了にならないので、時間を空けたほうがいいとは思っていたところなのでちょうどいい。
何もない荒野の隅に、テントを張る。
やることもない英留は、この何もないところで何をするか考え、一つのテントに入っていった。
テントの外に立っていたフィメーラは、修行を木刀でするか、メリックでするか迷っていた。
結局実践で使うのはメリックであり、メリックで修行をする方がいいとは思うのだが、メリックはただの剣ではなく、聖剣であり、パナによれば魔法術式が組み込まれている。
そんなもので素人のフィメーラが修行をすれば、下手をするとライヌスを怪我させてしまうかもしれない。
木刀はそもそも練習用の剣ではあるし、これがいいのかも知れない、などと悩んでいた。
これは、当面の師匠であるライヌスに相談するのがいいのか。
そう言えばライヌスはどこに行ったのだろう? 先ほどから姿が見えない。
「何を!? ふざけるなっ!」
「!?」
ライヌスの怒号が聞こえる。
ライヌスが怒る声を初めて聴いたかも知れない。
「な、何? 何してるの……?」
仲間の怒号に緊張するフィメーラ。
誰がライヌスを怒らせたのか。
よく泣かせている馬鹿は知っている。
だが、彼が彼女を怒らせることにメリットがあるだろうか?
「と、とにかく声のした方に行ってみて様子を──」
「ヴァー! マーマー!」
そう思っていたらいつもの号泣と共に、ライヌスがテントから全裸で飛び出てきた。
「え? ええっ!?」
フィメーラはライヌスの全裸を毎日のように見ているし、最初に会った時には英留によって全裸にされたライヌスを見ている。
とはいえ、英留がライヌスを全裸にするだろうか?
英留はスカートをめくったり胸を揉んだりはする、だから契約書を書かせた。
とはいえ、ああ見えて、嫌がる女の子の服を強引に脱がせたりするような奴ではないと思っていた。
「ヴァー!」
「あー、よしよし、大丈夫だから」
泣きついてくる、剣の師匠を抱きしめてあやすフィメーラ。
「誰がこんなことしたの?」
「パパ! パパ!」
泣きながら幼児化したライヌスが口にするのはパパという単語。
残念ながらこの一行には男は一人しかいない。
アレがパパで自分がママなのか……そう思うと残念で仕方がない。
「エール! 出てきなさいよ!」
フィメーラはテントに入っていった英留に怒鳴る。
「お、おう……」
英留は気まずそうに、ライヌスの衣服一式を抱えてテントから出て来る。
「あんたライヌスに何したのよ?」
「いやな? あれだ、煽って脱がせるやつやったんだ。『お前の裸なんて見たくもないから絶対脱ぐなよ?』っての」
「ああ……」
フィメーラにも一度やったものだ。
さっきの怒号はそれで怒ったのか、と思うと緊張していた自分が馬鹿らしく思う。
「ライヌスは単純な子なんだから、からかうのはやめてあげなさいよ。はあ……」
さすがにこれは英留だけが一方的に悪いとは言えず、こんなことに乗せられて全裸にまでなるライヌスにも問題があると思ったので、その程度の注意に留めた。
「ライヌスも、こんなことに乗せられないの。可愛い女の子なんだから、こんな事じゃ街を歩いていればみんなに騙されるわよ?」
自分も田舎育ちの世間知らずであるという自覚はあるが、さすがに女の子としての最低限の護身は弁えている。
それすらもないこの子は、これまでどうやって生きてきたのだろうか?
そう言えば、英留がこの子は文字も読めないと言っていた気もする。
「ねえ、ライヌス」
「ヴァ?」
「ライヌスってこれまでどうやって生きてきたの?」
それは、聞き方によってはとても失礼な物言いだが、他に言い方もなかった。
「私は、剣士の父と、ずっと流浪の旅を続けていたのだ」
「流浪って……こんな旅をずっと続けていたの?」
「そうだな。幼いころからずっとそうだった。しかも、宿に泊まることはほとんどなかった。このようにテントを張って、そこで寝泊まりをしていたのだ。何しろお金がなかったからな」
「そう、なんだ……」
剣士、という者がこの世にそれなりの数いることは知っている。
彼らは剣を持ち、戦うことで生きている。
だが、それでどのように生計を立てているかまでは、田舎者のフィメーラは今もって知らない。
「私の父は、元は王城で衛兵をしていたのだ。だが、戦うことしか知らぬ父は、陰謀に巻き込まれてクビになった」
「……? どういうこと?」
フィメーラは、戦うことしか知らないことと、陰謀に巻き込まれてクビになることがつながらなかった。
「もしかして馬鹿だから、騙されて政敵を攻撃させられてクビになったのか? ほら、パンツくらい穿けよ。見ててやるからさ」
「ヴァー!」
英留がパンツを差し出しながら言うと、ライヌスは号泣を始めた。
「エール! あんたはもうっ!」
「いや、裸のまま真剣に話してたからさ、パンツくらい穿けよって思ってさ」
「それはそうだけど……言い方よっ!」
言いながら、フィメーラは英留からライヌスの服を受け取る。
「エール、後ろ向いてて。ライヌスはテントで着替えて、そのまま聞きましょうか」
「うん……」
まだ少し幼児化したままのライヌスを連れて、フィメーラはテントに入って行く。
テントの中は四人が寝泊まりするには十分に広いが、天井はそれほど高くはない。
その中で、言葉もなく、ライヌスは服を着る。
「……あのさ、あいつも確かに悪いけどさ、ライヌスもひどすぎると思うわよ?」
「う、うむ……分かっては、いるんだ……」
少し恥ずかしそうに、ライヌスが下着の上からシャツを着ながら答える。
「だが、幼き頃から、父にずっと『男は性欲しかない。女の身体をどうこうしようとしか考えていない』と教えられてきたのだ……それは、この前まで忘れていたのだが……あいつに裸にされたことで思い出してしまったのだ」
「うーん……」
英留は、まさに性欲しかない、女の身体をどうこうしようとしか考えていないようにしか思えない。
「だけど、あいつだって時と場所は……時々弁えないけど、注意しておけばそこまでわからない人間じゃないと思うんだけどな。あいつの言ってることって大半冗談で本気にする方がおかしいから」
「そうなのか……私は、あまりにも世を知らなすぎるのだな……」
憂い気にライヌスがつぶやく。
「それはやっぱり流浪の旅を続けていたから?」
「そうだな。父が城を追い出されてから、我々は流浪することになり、苦労が続き、母が死んでしまった。父は幼い私を連れ、『強くなれ、なれば自ずと金が入って来る』と言って私を鍛えたのだ。だが、それ以外は何も教えてはくれなかった」
「そうなんだ」
おそらく、彼女の父親自体、剣しか知らかったのだろう。
本当は他にも常識的な部分での知識はあったのだろうが、それが常識であり、教えなければならない、というところまで気が回らなかったのだろう。
「それで、父は色々な街を訪れ、自分に出来る仕事を探した。だが、領主の兵や商団の護衛などもなく、ずっと職には就けないまま、死んでしまった。私に最後に言ったのは『強くなれ』だった」
「…………」
彼女の父は、剣に関する価値観しかなかったのだろう。
フィメーラもあまり知らないが、仕事くらい、力仕事ならいくらでもあるのではないだろうか。
それでも、自分に出来ることは剣しかない、と思い、剣にこだわったのだろう。
だから、死んでもライヌスには剣しか残さなかった。
彼女に残したものは、ただ、その剣術だけで、それ以外は何もない。
とはいえ、彼女はそれでけで生きていけるほどの強さを誇っていたのだろう。
おそらくフィメーラや英留に会うまでは敗北などしたことはなかったのだろう。
強くなれ、と言い残した父が、唯一彼女に与えた剣とその技。
自分も田舎者で、純朴ではないだろうかといつも思っていたが、彼女はそれどころではない。
純粋に剣のみしかないのだ。
だから、その剣は何かに役立てたい。
フィメーラは、そう思ってしまった。
それは純粋に呼応した彼女の純粋な心。
「つまらないことを聞かせてしまったな。では、修行を始めようか」
「あー……やっぱりいいや」
「む?」
「剣はライヌスがいるから、あたしが覚えなくてもいいかなって。だってライヌスは強いんでしょ?」
フィメーラは、彼女から唯一のよりどころである、剣を習うのをやめる。
何故なら、その方が彼女がこの一行の中で目立てるからだ。
「うむ、自信はある。だが、あの男──エールにはやられてしまい、父の形見の剣も折られてしまったがな」
「え? あれって形見だったの!? 今、持ってる?」
「柄だけになっているが、形見なので持ち歩いてはいる」
ライヌスは、荷物から形見の剣を取り出す。
それは、装備や服を切り裂いた英留の技によって、握っていた柄と、ほんの少しの剣のみの形になっていた。
「分かった、これはあたしが直してあげる。あと──エール! どうせ聞いてるんでしょ? 来なさいよっ!」
フィメーラは外に向かって叫ぶ。
「ばれたみたい」
なんだか、やたら高い位置から、パナの声が聞こえる。
「そうみたいだな。いい加減、降りてくれないか?」
「無理。パナは高いところがすき」
テントの外から、英留とパナの会話が聞こえて来る。
そして、すぐにがさがさ、とテントの入り口が開く。
「よお……」
英留は入り口に留まったまま、手を挙げて挨拶をする。
「あんたね、この子の……何してんの?」
「いやあ、何しても何も……」
苦笑する英留の首の両脇からは、だらーんと、細い脚がぶら下がっている。
どうもパナを肩車しているようだ。
英留は、会った時にはパンツを欲しがるほどパナにセクハラをしていたが、好き好きと寄ってくるようになってからは、どちらかというと苦手としている。
だから、おそらくパナがよじ登ったのだろう。
「はあ、パナは降りて……いいわ、あたし達が出るわ。出ましょ、ライヌス?」
「うむ、分かった」
二人で、外に出ると、パナは英留に肩車されて、英留の頭にぎゅっと抱き着いている。
英留は少し困ったように笑っている。
「パナのぜっちょうき」
しかもパナは少し興奮しているようだ、まあ、パナには用事はないからほっといてもいいだろう。
「エール、ライヌスに謝って」
「は? なんでだよ?」
「心当たりないの?」
「いや、そう言われそうなことはありすぎてどれのことを言っているのかわからないからさ」
英留は素直にそう答えた。
英留自身はそう悪いとは思ってはいないが、謝れと言われる心当たりなら山ほどある。
ライヌスは可愛いから、話をしたいと思うし、それで日常会話をするだけですぐ泣かれるからだ。
「別に、あんたのからかいに改まって謝れなんて言わないわよ。そうじゃなくって、この子に会った時、あんた、この子の剣を折ったわよね?」
「ああ、まあ、それ以外の全ても切り刻んだけどな?」
「あれ、この子のお父さんの形見だったみたいなのよ」
「マジか」
さすがに形見の剣を壊した、となると話が違う。
ここは戦いの世界、でもないようだが、日本ほど治安がいいわけでも統治されているわけでもない。
盗賊はいるし、ライヌスだって最初会った時は、ある意味その一種だった。
奪うか奪われるかの世界で、奪われようとして壊した、それだけのことではある。
だが、その壊したものが、ライヌスの父親の形見だったのだ。
それはフィメーラの時と同じで、英留が完全に悪いかといえばそうでもない。
だが、この世界の常識的でないもので、彼女、彼女たちの大切なものを破壊したのは事実だ。
「それは、悪かったな?」
だから、英留は言われた通り謝ることにする。
そして、それ以上何かを言えば、泣かれることは分かっているから、何も言わない。
それは、外道ともいえる英留の誠意でもあった。
「別にいいさ、私はただ大切なものを賭けて勝負をして、敗れて奪われただけだ。──いや、違うのかもしれん。お前に対して強くなれなかったのは、それが心のどこかにあったからだろう。私は知らぬうちにあの剣をよりどころにしていたのだ。だからそれが奪われて、子供のころに戻ってしまったのだろう」
「そうか……」
ライヌスは、父親がほぼ全てだった。
野宿が多く、獣や盗賊に狙われる時も、父が守ってくれたし、彼女を強くしようと鍛えてくれた。
その父が死んだ時、彼女は何もかもを失った。
幼子のように泣き、泣き疲れた時に、父の剣を手にしたのだ。
そうだ、自分には父から受け継いだ剣技がある。
亡き父の剣で一旗揚げて報いよう。
あの剣は、そういった剣だった。
彼女の強さの象徴であり、自立の象徴でもあった。
彼女は、それを失ったのだ。
自分でもそれは大したことがないと思っていた。
だが、それは彼女の心を知らず知らずのうちに蝕んでいたのだ。
それは、ストレスとしてライヌスに積み重なっていた。
「剣はあたしが戻してあげるわ。だから、ライヌスもエールを許してあげて?」
「ああ、そのつもりだ。私もこれからは成長しよう」
「そっか……悪いな」
年相応の、スレンダーな剣士の笑顔。
本来なら数日前から仲間として何度も見ているはずのそれを、英留は初めて見た。
「ま、これからは……うわぁぁぁぁっ!? フィメーラ! その魔法を使うときはあらかじめ言えって!」
ライヌスと話をしていたら、いきなり視界が眩くなり、思わず叫ぶ。
「あ、ごめん」
やたら軽くそう言われ、キレてやろうと思ったが、子供にとって重要なことをおかんが軽く流すのはいつものことなので我慢する。
これでキレたら関係ないことまで叱られるからだ。
おかんってそういう生き物だから。
「もうまくを、焼かれたかもしれない」
「パナ!?」
英留の頭上で絶頂期だったパナが、ふらふらしていたので、慌てて下す。
「大丈夫か? 俺が見えるか?」
英留は目前のパナに聞く。
瞳の焦点は、定まっているようにもいないようにも見える。
パナの目を間近で見るのは初めてだ。
「このままキスにとつにゅう」
「よかった、見えてるんだな? 気をつけろよ、フィメーラ!」
口を突き出して顔を寄せてくるパナを止めながら、フィメーラに文句を言う英留。
「悪かったわよ。ごめんね? パナちゃん。あと、剣は直ったわよ?」
結構軽いノリで流すフィメーラだが、パナもそれほど気にせず、英留にキスをせがんでいるので、問題はないのだろう。
「感謝する。さすが勇者殿……」
ライヌスは受け取った剣を愛おしそうに胸に抱く。
それがあまりにも美しく、綺麗だったので、英留も何かちょっかいをかけたくなってくる。
「よかったな、ライヌス。これでお前はこの胸を大きくすることだけ考──でぇぇぇぇぇぇっ!?」
英留がライヌスの横に回り込み、その手を背後から胸を揉もうとしていると、ライヌスにその手を捻られる。
「エール、前から思っていたのだが、貴様は私の身体に気安く触れすぎないか? 私はこう見えても女だ。一定の気遣いくらいないのものか?」
「……あ、すみません……」
その口調が、まさに見た目通りの、気高い女剣士のものだったので、英留は思わず謝ってしまった。
「ま、肩くらいなら許そう。貴様には、借りもあるからな」
そう言ってライヌスは英留の手を、自分の肩に置く。
それは、恋人同士の歩行にも似た形。
身長が変わらない英留とライヌスには、恋人同士というよりも、仲間同士にも見える。
「これからもよろしく頼む。私も貴様の、貴様たちの役に立てると思う」
「ああ、わかった。よろしく頼む」
それは先ほどまでの幼い剣士ではなかった。
力強く、頼もしい仲間。
これからは、父から本当に独立することになるのだろう。




