第十三話 異世界女児
「見つけたぞっ!」
翌日、フィメーラと二人で宿の部屋を出たところで、英留の背後からそう叫ぶ声が聞こえた。
振り返ると、廊下の一番向こう、朝日が眩しい窓の前に棚引く黒い髪の長身。
昨日英留が二度ほど会って二度泣かせた女剣士ライヌスが立っていた。
既に旅準備万端のこちらとは違い、まだ、鎧を着ていない黒のワンピースのみの服装だ。
「こうして見ると、胸はフィメーラの方があるんだな。鎧の胸当てで盛ってたのか」
「どこを見てるのよ!? ちょっとあなた、こんなところで返り討ち? 場所を弁えなさいよ! ここにいるのはあたしたちだけじゃないのよ?」
「いや、そうではな──」
「再戦か! よしやろう! 行くぞ!」
英留は一切話を聞かず、駆け出した。
シーヤはあえて持たず。
「ちょっと待て! 待てと言って……ヴァー!」
迫ってくる英留に昨日のトラウマが甦ったのか、いきなり号泣を始めた。
「ちょっと、エール! 何してんのよ!」
後ろから追いかけてきたフィメーラに背中を叩かれる。
「え? いや俺、何もしてないけど?」
まだ触れてもいないし、そもそも、ライヌスのところまでたどり着いてもいない。
英留としてはちょっと脅かせたかっただけで、もちろんセクハラをちょっとだけするつもりではあったが、本気でまた脱がせたりするつもりはなかった。
「ヴァー! マーマー!」
「あー、よしよし」
ライヌスはフィメーラに泣きつくので、フィメーラはしょうがなくあやした。
確実にフィメーラより年上のライヌスが、泣きついてくる。
「まさにフィメーラのおかん体質に懐いているんだろうな」
「……あんた、昨日も言ってたけど、それ、やっぱり褒めてないわよね?」
フィメーラに睨まれるが、英留はそれをスルーする。
「……くすん……くすん」
ようやく下火になってきたライヌスが完全に治まるまで、フィメーラは撫で続ける。
「失礼した。失態を晒してしまったな。私らしくもない」
まだ、少し腫れた目で、きり、とした口調に戻り話すライヌス。
「いや、俺からすればお前ってそんな人間だと思ってるから、とてもお前らしく思ってるんだが」
「それは誤った認識だ。私は強く高潔な剣士を目指している。先程のような失態、これまでの人生においてほぼないと言ってもいい!」
「ほう。では、勝負でもしてみるか?」
あまりにも自信たっぷりに言うので、英留はゆらり、とシーヤを取り出す。
「ひっ! ヴァ……」
「やめなさいっ!」
また幼児化しそうになったライヌスを見たフィメーラが、英留の腕を叩く。
「大丈夫だから。それで? 話があるんじゃないの?」
「あ、ああ……」
恐怖の対象である英留を一発で止めたフィメーラに畏敬の瞳で見つめるライヌス。
「実は……私を貴様らと共に連れて行って欲しいのだ」
「は?」
だが、次にライヌスが口にした言葉に、フィメーラが驚く。
「どこに何をしに行くのかは分からぬが……私も連れて行って欲しい」
「え? あたしたちに? こいつもいるのに!?」
「俺は大歓迎さ」
「黙れ! ちょっとあなた! 妊娠願望でもあるの? Mなの? Mでしょ!」
迫ってくるフィメーラに、ライヌスは一瞬言ったことを後悔するような目をしたが、それでも真剣な目に戻る。
「も、もちろん、そのような願望はない。私の身は私が守る。だから連れて行って欲しい」
「分かった。だが、まずは危険物を持っていないか俺が全身を隈なく検査をしてから──ぶおっ」
英留の言葉に、フィメーラの裏拳が入る。
「黙ってなさい! それで、理由を聞いてもいいかな?」
「うむ……私は、名のある剣士になるべく修行を重ねているのだ。それで、もっとも効率がいいのが、見知らぬ相手と剣を交える事だと思い、互いの財産をかけて勝負を挑んでいたのだ」
はた迷惑な話だが、確かに財産をかけて戦うなら相手も本気を出すだろうし、剣の修行に向いているかも知れない。
「それでここ数ヶ月勝ち続けていたのだが、昨日無様にも負けてしまった。しかも、私の精神的な弱さまで露呈してしまったのだ」
「まあ、無様というか、可愛いというか」
英留の一言にライヌスの顔が赤くなる。
「……私はずっと剣の修行のみしていたので、対人的な精神が脆いことに気づいたのだ。私はこれを克服しない限り、強い剣士にはなれないと感じたのだ。それにはまず、この男と常に対峙し、払いのけるのが最も近道だと思うのだ」
「そうかも知れないけど……」
フィメーラはちらりと英留を見る。
「より、分かった。胸を貸してやろう。だから、お前も胸を出せ!」
新しい、しかも騙しやすそうな女の子の登場に生き生きとしている英留。
これは駄目だ。
自分ではこの子を守りきれない。
だが、自分にとって、こんなのでも英留は必要な人材なのだ。
となると──。
「ごめん、やっぱり無理。あなたを妊娠させない方法がこいつの股間潰すしか思い浮かばない」
「諦めるな! その方法取ったら自害する! ただし、可愛い女の子になれるなら考える!」
英留は股間を押さえて叫ぶ。
「大丈夫だ。自分の身は自分で守る。私はそれが出来る」
どうしてそんなに自信たっぷりなのか全くわからないが、とにかくフィメーラは不安で仕方がない。
「頼む、私はもっと強くなりたいのだ……!」
そう頼まれると、無下にも出来ない。
自己責任とは言っても、やはり人が傷つくところを見たくはない。
目の前で凌辱されていれば当然助けるが、何しろ相手は英留だ。
寝ているとき、用事で別行動をしているときなどもあり、確実にそこを狙うだろうから、まず助けることは出来ない。
だから、ライヌスを連れていきたくない、というのが正直なところだ。
とは言え、彼女の剣術は本物だ、ということもまた事実だ。
もし、シーヤが魔王に通用しなかった時、欲しい戦力ではある。
問題は彼女が魔王討伐などという途方もない使命を受け入れてくれるかどうか、だろうか。
それならば、可能な限りは守ってやってもいい。
「……分かったわ。取りあえずこっち来て」
フィメーラは、ライヌスと英留を呼び寄せる。
「とりあえず、あたしは勇者アラミス家の血を引くフィメーラ・アラミスで、これから魔王退治に行くの。まずはそれを分かって?」
「魔王……? そのような者聞いたことがないのだが……」
ライヌスが不思議そうに首を傾げる。
「そんなことないでしょ? 魔王よ? 魔王がいるんだからみんな怯えてるに決まってるじゃない」
「そう、か……まあ、私は世俗に疎いから知らないだけかもしれんな」
ライヌスは少し納得が行っていないのか、首を傾げるような表情で、だが、そう言った。
英留は確かにライヌスの疑問も分かる。
彼はまだこの世界にきて二日目だから、この世界を知っているかと言われれば知らないのだが、だが、この街を見た限りでも、人々は明るく、元気だ。
少なくとも魔王に怯えているようには見えない。
「それで、あなたがついてくるということは、魔王討伐に参加するということなのよ? まず、その覚悟を聞いておきたいわね」
フィメーラは大仰に聞くが、彼女も実際はただの英留の付き添いなのだ。
「問題ない。要するにその魔王とやらは強い敵なのだろう? ならば望むところだ」
「……まあ、いいわ。じゃ、あなたを仲間にする」
言い方が物凄く分かっていなさそうだったので、フィメーラは不安になるが、弱い子ではないので、連れていく分には問題ないだろう。
「感謝する。ではともに戦おう」
「うん、そうね。それで、あたしたち三人は仲間になったわけだけど」
フィメーラはそういうと、睨むような眼で英留を見る。
「……何だ?」
「仲間は性的対象にしない事」
「え? 仲間ってそういう対象じゃないか?」
「違うわよ! 何考えてるのよ!」
フィメーラに怒られるが、英留は何を言われているのか分からない。
「でも、仲間と触れ合って恋に発展することもあるよな?」
「それは好きにすればいいわ。でも、それと性的対象としてみるのは別って事よ」
「…………?」
本気で理解していない英留と、それにため息を吐くフィメーラ。
「あのね、例えば、あたし……じゃなくて、ライヌスだっけ? ライヌスの裸と、女の子の裸は別の物なのよ?」
「ライヌスは女の子じゃないって事か?」
「そうじゃないわよ。えっと、例えば、あんたが『女の子の裸が見たいなあ』と思うことと『ライヌスの裸が見たいなあ』と思うことは違うって言ってるの。誰でもいいから女の子の裸が見たいなら、仲間であるライヌスの信頼を失ってまで見るんじゃなく、他の子のを見せてもらえばいいってこと、そんな子いるわけないだろうけどね」
「んー……まあ、分かってるけどさ」
英留も馬鹿ではない。
もともとの学校は進学校だし、英留も都内の旧帝大ではない程度の国立大なら狙える程度には頭もいい。
「仲間なんだから、一時的な欲求の対象にするなって事だろ?」
これまで、家族のように親しかった紗佳奈をその一番の対象にしていた英留にしてみれば理解しがたいが、とはいえ、英留も紗佳奈が本気で絶縁を考えていたなら、それ以上の事はしなかっただろう。
「そうね。大事な仲間なんだから、大事にしなさいって事よ。それくらい出来るでしょ?」
「多分」
「絶対にしなさい!」
「ヴァー!」
「ライヌス!?」
ライヌスはまた号泣していた。
「ど、どうして泣いてるの?」
「フィメーラがライヌスを裸にするとかしないとか言ってたからじゃないか?」
「ええっ! それで駄目なの!? あーよしよし、冗談だから。大丈夫だから」
フィメーラがライヌスをあやす様子は何度見ても違和感がある。
長身で普段は口調も凛々しいライヌスが号泣して、身長は女の子の一般的で年齢も年下と思われるフィメーラがそれをあやしている。
だが、英留はそれを下剋上シチュだと考えて密かに萌えていた。
もちろんエロい意味だ。
「すまない、そのあたりがどうしてもトラウマになっているようで、すぐに恐怖を感じてしまう」
「ライヌスは、恐怖を感じると幼児化するの?」
「……自覚はない。だが、そうなのだろう。それを克服すべく強くなったのだ」
力があれば多少の事に動揺はしない。
相手が怒っても、たとえ切りかかってきても、自分なら対処できる、という自信があれば動揺することはない。
だから強くなった。
が、その過程で英留と出会ってしまった。
「結局あんたのせいじゃないのっ!」
フィメーラは英留の肩を叩くように押す。
確かに、あんな路上でいきなり全裸にされ、しかも性的に襲い掛かってきたら、女の子なら恐怖を感じることだろう。
しかも英留の口からは明確で具体的な結果を想像させることを口走っていたのだ。
トラウマにならないわけがない。
「まあ、分かるかったよ。そういうことはなるべくしないからさ」
「絶対って言いなさいよ!」
「いや、でも、この子から求めてくることだってあるだろ?」
「まあ、そうだけど……」
今後、克服をしようとする彼女がそのまま英留に恋をして、という未来がないとは言えない。
「俺はそうさせるだけの魅力はあるからな」
「それはないわね。顔だけはいいけど、それ以外が最低過ぎるし」
「いや、それは最初だけさ。そのうち自分から求めてきて、俺なしでは生きられない身体に──」
「ヴァー!」
「あーもうっ! よしよし大丈夫だからね?」
フィメーラはさすがに多少面倒くさそうにライヌスをあやしながら、面倒な子を拾ってしまった、と後悔していた。
明らかに年上だけど。




