表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

8.名探偵講師?宮下惣太郎登場

 『ここがフロイス村ですか!』


綾麿様に調査結果のご報告をさせて頂いた後も、潜入にあたって必要な細々とした予備知識の収拾を引き続き丹念に進めて参った私は、本日こうして準備万端、このフロイス村に到着したわけですが、想像以上に私好みの風景に、思わず感嘆の声を上げてしまいました。


『これはこれは!やはりこの出で立ちで正解だったようですね!』


厳重な警備の正門を、先日都内で学院長先生と面談させて頂いた際に支給されたこの教職員用のICカードでパスして、真っ直ぐに抜け出て参りましたその先、私の目の前に広がった風景は、緩やかな時間が流れるイングランドの、静かで、それでいて厳粛な、片田舎の風景そのものでした。


フロイス村及び聖フロイス女学院関連の映像画像は、やはりセキュリティの観点からでしょう、このスマートフォンが出回っている現代に於いて尚、一切公開されてはおりません。ネット上でも、幾つか画質の悪い遠景で撮影されアップされた映像画像が有るには有りましたが、それもアップされた途端にあっという間に削除されてしまうという厳重なる管理体制が敷かれております。ここは正に神秘のベールに包まれた雲上の学院、噂以上の聖域、我が国随一の不可侵の学院なのでありました。


そして私がそれらの数少ない資料や関係者の証言に基づいて導き出した答え、このフロイス村のイメージ、それが、20世紀初頭頃のイングランドでした。


『ふむ、この風景に実によく溶け込んでおりますね、本日の私のスタイルは。現代の日本に、このスタイルが映える場所がまだ残っていたとは、これには驚きを禁じ得ません』


子供の頃は夢中でホームズを読み漁り、成人した今はミス・マープルに敬意を表している生粋のミステリーファンである私にとって、タイムスリップしたようなこのフロイス村は、正に自分が小説の登場人物になったような気分にさせてくれる最高の舞台セットです。


『これは素晴らしい!私の読み通りでした。では役柄は英国紳士風新任講師・宮下惣太郎という設定で問題無いようですね。こんなに気分が高揚したのは初めての事です』


元々、日本の大学(勿論最高峰)を卒業後、アメリカの大学(当然最高峰)のマスターコースに進学して学位を取得していた私には、講師としてこの聖フロイス女学院に潜入する事は、然程難しい事ではありませんでした。


代々塔宮家に仕える家老の家系である我が宮下家も又、塔宮家同様に、家系図は室町時代迄遡る事が出来る由緒正しき家柄です。そういう意味でも何の問題もありません。


後は大勢の女学院生の中から、如何にして綾麿様の奥方様になられるイナバちゃんを見付けだすか……ですが……。


長年のミステリーファンの私にとって、最高の舞台とシチュエーション。この私とした事が、まるで10代の少年の頃のように胸が高鳴ります。


『さあ、名探偵講師・宮下惣太郎登場といきますか』


綾麿様の大学卒業に合わせて綾麿様の下に戻って来てまだ1年足らず。まさか早々にこのように風変わりな状況になろうとは、然しもの私も予想だにしておりませんでしたが、これは想像以上に面白そうですし、せっかくの機会です。どうせなら大いに楽しませて頂きましょう!


私は、最高の滑り出しを見せた物語の始まりに、大いに満足しておりました。


『しかし、まだ随分早いですね。ああ、ちょうど良いところにベンチが在りますから、少し休ませて頂きながら、もう一度イナバちゃんに関して現時点で判っている事を、整理でもしておきますか』


私は別に時間を読み違って早く着き過ぎてしまったという訳ではありません。敢えてこの早朝に着くように、深夜に車を走らせて来たのです。これも又名探偵の鉄則。あらゆる時間帯での現状を把握しておいて損はありませんし、敷地内を、建物の配置や通路など、人目を気にせず把握しておきたかったからなのです。


朝靄に煙る木立の中に点在するベンチには、早朝の今は、当然、人の姿はありませんでした。


私は手近なベンチに腰掛けながら、


『私とした事が、やはりステッキも用意してくるべきでした』


常に完璧を期する私にとっては許し難い手抜かりを反省致しましたが、


『まあ、用意してこなかったのですから、今更致し方ありませんね』


すぐに頭をイナバちゃんに切り替える事にして、カバンの中から持参してきたパソコンを出す。


綾麿様から伺ったイナバちゃんの手掛かりは実に乏しく、その上、当夜ご本人が酔われていらしたという事もあり、ご記憶も曖昧。


『本当に顔もはっきり覚えておられない方とご結婚なされるおつもりですか?』


そんなあやふやな状況で結婚相手をお決めになるなど、私に言わせれば愚の骨頂です。又いつもの気まぐれか、つまらない悪ふざけかと思い、いちいちお相手するのも憚られましたが、これも仕事とぐっと堪えて一応確認させて戴いた私に、


『ああ』


思いがけず、即、簡潔明瞭にお答えになられた綾麿様に驚き、まじまじとその顔を拝見して、私は己の目を疑いました。綾麿様の瞳が、かつて拝見した事が無い程、澄み切っていらっしゃったからです。


そんな綾麿様のご様子を目の当たりにした私は、そういうご結婚もこの方らしくて良いのかもしれないと、不思議と反対する気持ちは失せておりました。


綾麿様は、曲がりなりにも塔宮家18代目ご当主。私程ではありませんが(←失礼)、あれでもそれなりに人を見る目をお持ちでいらっしゃいます。その綾麿様が迷いなくあそこ迄仰るのです。イナバちゃんは恐らく何か強い光を持たれた女性に違いないと確信致しました。


『さて、そのイナバちゃんですが……、』


現時点で確かな点が幾つかあります。


まず、聖フロイス女学院生である事。これは恐らく間違いないでしょう。綾麿様も仰っておられましたが、こちらの女学院の制服一式は、生徒でなければ絶対に入手困難だからです。何故なら、このフロイス村内でしか購入出来ないのです。


次にイナバちゃんが居酒屋で飲酒しておられたという事実です。つまり、法を犯しておられない限り、イナバちゃんは20歳以上という事になります。


又この学院の校則から鑑みましても、これも間違い無いと思われます。


と申しますのも、初等部以上は全寮制のこの学院では、生徒の外出も厳しく管理されているからなのです。


基本的には、定められた長期休暇以外での外出は認められておりません。やむを得ない事情以外の理由で外出を希望する場合は、事前に申請を出して許可を取らねばなりません。ですがこれは未成年迄。20歳になりますと、成人として自主自立の精神の下に、ある程度の自由が認められるようになります。その一つとして(申請は必要ですが)外出も、許可を取ればいつでも自由に出来るようになります。


初等部から正に13年間、このフロイス村の籠の鳥だった生徒達は、成人して初めて、外の世界に出られるようになるわけです。


それから、これは役に立つかは判りませんが、ミルキーウェイのベガのファンだという事。


更に彼女自身は、綾麿様のご主張によれば、白兎イナバに似ていらっしゃるとの事。ただ、綾麿様がお会いになられたイナバちゃんはライブ帰りで、かなり派手な紫色のウイッグを付けて化粧をなさっていらっしゃったらしいので、素顔は分かりません。


綾麿様いわく、『清楚なお嬢様風に違いない』との事ですが、かなり酔われていらしたと思しき綾麿様の思考能力を考慮致しますと、全く信憑性に欠けるご意見です。


そうそう、それと、最近制靴を新たに購入している可能性が有りますね、靴を居酒屋にお忘れになられたシンデレラは。


そして最も重要な手掛かり、それが……、綾麿様とお揃いの指輪を左手薬指にはめていらっしゃるという事実です。


そしてその指輪ですが、これまた更に重要な手掛かりを一つ、私達に与えてくださいました。


指輪をよくよく観察しましたところ、“R”というアルファベットが一文字、刻まれていたのです。


このアルファベット、常識的観点から考えますと、氏名どちらかの頭文字というのが妥当な線だと思われます。


綾麿様のお名前は“塔宮綾麿”。その考察から当てはめますと、“R”の文字は該当致しません。


そうなりますと、あと一つの可能性(結婚指輪ですからこちらの方が可能性が高いですが)は、イナバちゃんのお名前の頭文字だという事になります。


つまりここ迄で判っておりますイナバちゃんについての事実と仮説をまとめますと……、


氏名どちらかは判かりませんが、“R”の頭文字を持つ、最近制靴を購入した可能性のある、20歳以上のミルキーウェイ・ベガのファン、そして恐らく綾麿様のお名前の頭文字が刻まれている指輪を左手薬指にはめていらっしゃる、というところでしょうか?


因みにこの指輪ですが、不思議な事に、絶対に外れないのだとか。試しに私も綾麿様の指輪を外してみましたが、びくとも致しませんでした。


『さて、ではこれらの手掛かりをもとに、イナバちゃん捜しを始めますか!それには……、』


やはり探偵には、優秀な助手・もしくは秘書?が必要です。特にここフロイス村のような閉ざされた世界では、内部事情に詳しい人物(今回の場合は生徒ですね)にお手伝い頂く事が、事件解決の(じゃなかった)、イナバちゃん発見の、重要なカギになります。


『そろそろ、早起きのシスター方は活動を始められる時刻でしょうか?ぼちぼち散策を始めますか』


私が、未だ僅かに朝靄煙る木立の中を更に真っ直ぐに奥へと進んで行くと、前から一人の女性がこちらに向かい歩いて来られるのが目に入ってきました。


その女性は、淡い水色のテニスウェアにネイビーのカーディガンを羽織って、手にはラケットを持っておられました。


それに気付いて周囲を見回しますと、確かに左手奧がテニスコートになっていて、まだ誰も人の気配はないようですが、彼女はこれからテニスの朝練でしょうか、あそこを目指していらっしゃるのでしょう。


そして当然ですが彼女も、自分の方に向かって歩いて来る見知らぬ男に気付いたようでした。僅かに目を瞠り、こちらを真っ直ぐに見ていらっしゃいます。


近づけば近づく程、私とした事が、その女性に目が釘付けになってしまい、失礼だと思いながらも目が逸らせません。


それ位、印象的な女性でした。ただ綺麗という言葉では言い表わせない程の謎めいた空気を纏った女性。神秘的という表現が一番近いでしょうか?


美しい大人の女性でありながら、愛らしい少女のあどけなさも残していらっしゃる。かと思えばどこか寂しげで、それでいて、こちらをチラチラご覧になられておられる少し彫りの深い大きな目は、クルクルクルクルと、見知らぬ珍入者に、溢れる好奇心を隠せずにいらっしゃいます。


フロイスの神は、どうやら私のお味方になってくださるようです。


私の助手は彼女しか考えられません。


いいえ、寧ろ彼女以外の助手でしたら、最早必要ありません。


(嗚呼、信じられません!なんという事でしょう!)


いい年をしたこの私の胸の鼓動が、ドキドキドキドキ、早鐘の如くとはこの事かという位高鳴って、情けない位に頬が紅潮してきているのが、自分でも分かる程です。


生まれて初めてと思える感動を、これ程次から次へと味わう機会が未だにこの私に残っておりましたとは!


さあ早速にして最大の、英国紳士風新任講師・宮下惣太郎の見せ場のようですね。


極上の笑みを浮かべて、優雅に彼女に声を掛けましょう。


笑顔の下のこの緊張と、柄にもないこの胸のときめきだけは、絶対に気取られる事が無いように、冷静沈着なマスクを被って……。


『失礼、―』


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ