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24.父王子は2度振られる

 「ハア~。娘を持つ父親というものは、どこの国でも皆、こういう憂き目を見るものなのか……」


「私はいったい何を間違えてしまったのであろうな。なぁサイード?」


「何も間違えてなどおられませんよ、叔父上」


叔父上の寂し気な声に胸が痛む……。



◇◇◇◇


 今夜、この瞬間の為に、いや違うか、蓮花の為に……か……、設えられた仮設の舞台で、今蓮花は、塔宮綾麿と名乗った、まだ10代にも見える幼さの残る顔立ちの男の胸に顔を埋めて泣いていた。


ずっとこの手で守ってきた大切な女の子。


その女の子は、私の知らないところでいつの間にか私の知らない男と知り合い、そして今夜、その男のもとへ、この私の手を擦り抜けて行ってしまった。


後悔が無いと言ったら嘘になる。


もっと早くにこの切ない想いを君に打ち明けていたのなら、全く違う今夜が訪れていたのだろうか?


君がずっと好きだったと抱き締めていたのなら、優しい君は、戸惑いながらも私の事を受け入れてくれたのかもしれない。


君は知らないのだろうね。


あどけなかった少女が、会うたびにふくよかな丸みを帯びた体つきの可愛らしい女の子に変わってゆくのを、私がどんな思いで見つめていたのかなんて。


その体に触れてみたいと、幾夜、私が眠れぬ夜を過ごしたかなんて。


君の甘やかな香りが、何度私の理性を狂わせそうになったかなんて。


今更何を言ったところで、時が戻せるわけじゃないけれど、それでも……、


私は君と一緒に、熱砂の砂漠を駱駝に揺られてみたかった。


君にあの、風と砂の造形美、自然が作り上げる美しいさざ波を見せたかった。


君のもう一つの故郷は、こんなにも素晴らしい国なんだと、君に知って欲しかったんだ。


蓮花……、私の思い描いていた未来には、いつも君が横にいたのだよ。


私はどうすればいいのだろう?


これから続く途方もない私の未来予想図に、君はもう居ないのだね……。



◇◇◇◇


 「叔父上は間違えてなどおられませんよ。もしも誰か間違えた人間がいるのだとしたら、それは私でしょうね」


「サイード!それは違う!私がもっと―」


「いいえ、叔父上。私がいけなかったのです。臆病者の私が……」


「ずっと怖かったのです、私の本当の心を蓮花に知られるのが」


「私を物語に出てくるような優しい紳士的な親戚のお兄様だと信じて疑いもしない蓮花が、私の心の内にある醜い闇を知ってしまったら。蓮花は私を恐れるかもしれない。いいえ、恐れてくれるならまだいい!ですが、厭われたら!汚らわしい男と疎まれたら!私は最早生きてゆけません!蓮花が私の世界から消えてしまったら、この世に生きている意味など無いのですよ、私には……」


「サイード……、それ程迄に蓮花の事を―」


そうだ、蓮花の居ないこの世なら生きていても意味がない。


だが……、蓮花は今も私の目の前にちゃんと居る。私には今迄一度も見せてくれた事がなかった、ぐちゃぐちゃな愛らしい泣き笑いを、私じゃない他の男に向けながら……だが……ね……。


「フッ」


私が独り自嘲気味に笑いを漏らすと、


「サイード?」


叔父上が、遂に私の心が壊れたかとでもいうように、恐る恐る私の顔を覗き込んでこられた。


「ハハハ、何というお顔をなされておられるのですか、叔父上。引っ掛かりましたね?主演男優賞ものでしたでしょう?私の演技は。私なら大丈夫ですよ。今申し上げましたお話は、全てもしも私が間違えていた場合の例え話です。全部私の作り話のフィクションですよ」


叔父上にご安心頂く為に、敢えてオーバーにアクションをとって、私の唯一の得意技、おどけた仕草で場の空気を変えてみた。


やはり長年の癖で、私にはこの道化の役回りがもう身に付いてしまっているようだ。


それならばやはり、主演は無理か……。私がノミネートされるのは、いつまで経っても助演男優賞。主演じゃない。


だが、それのどこが悪い?


助演がいなければ主演は生まれない。助演がいるからこそ、主演が輝けるのだ。だからやはり誰も、勿論私もだ、間違えてなどいない!


「叔父上、実は私にも、密かに温めておりました夢があるのですよ」


私は、先程胸に込み上げてきて未だに興奮冷めやらぬこのたぎる思いを、つい口に出してしまっていた……。



◇◇◇◇


 「以前ロンドンに留学させて頂きました折に観覧致しました本場のリア王の芝居にとても感銘を受けまして、自分もこのような舞台に立てたらとその時夢見たのです。ですがそれは叶わぬ夢と諦めて、以来留学の思い出と共に胸にしまっておりました」


するとあまりにも私の予想通りに、みるみる叔父上の表情が再び渋いものに変わられてゆく。私達を案じてくださる叔父上には大変申し訳ないながら、それを拝見していたら思わず吹き出しそうになってしまった。


「お前まさか、その臭い芝居で役者になれるなんて、本気で思っているわけじゃあるまいな!」


この御方は、意地っ張りで、素直じゃなくて、そのくせ大の寂しがり屋。それは叔父上のお傍に居る者ならばSPの者達ですら知る、周知の事実。


逆に言わせて頂ければ、大変失礼ながら、非常に解りやすくて扱いやすい、親しみの持てるお人柄という事。


だから私はこの叔父が大好きなのだ。


(嗚呼、叔父上……、貴方を父上とお呼びしたかった!)


「ハハハ、叔父上、ご安心ください、私もそこ迄の身の程知らずではございません。自分が役者になる夢は台本を見せて頂いた時点できっぱり断念致しましたので。ハハハ」


「ですがその日から私は新たな夢を思い描くようになったのです、我が国に、西欧諸国にも引けを取らないような本格的な大劇場を作りたいという新たな夢を」


「劇場?」


「はい、叔父上。新たなビジネスとしても投資先としても、面白いと思われませんか?勿論その劇場直属の劇団も立ち上げて、ゆくゆくは世界中で公演出来るように、やるからには世界最高水準を目指して誇るべき人材を育成出来ますよう、環境を整えてゆきたいと考えております」


「いえ、違いますね。正直に申しましょう。本当はとうに諦めていたのです、そのような夢物語など実現出来る筈がないと、たった今、蓮花の歌を聴く迄は」


呆れられるに違いないと思っていた私の途方もない夢物語を、叔父上は一笑に臥す事なく、真剣に耳を傾けてくだされておられた。


いつか誰かにこの私の密かな野望をご相談させて頂くとしたら、私と同じように留学経験がお有りになられるアクラム叔父上しかおられないと思って、大切に温めてきた私の実現不可能な夢物語。


誤算だったのは、現段階でお話しさせて頂くつもりなど全くなかったまだ時期尚早のこの構想を、つい吐露してしまった事だ。


それは偏に、蓮花の無限の可能性のある歌唱を聴いてしまったからに他ならない。


蓮花の声は、聴く人の心を直接包み込んで温めてくれるような、そんな優しさに溢れていた。


あの娘の歌に救われる人達が、もしかしたら世界中に居られるかもしれない。そう思うと、黙ってはいられなかった。


いつかあの娘が、我が国で、私達の前で歌えるように、その舞台を、国内の環境を整えてあげておく事こそ、これから私のなすべき道だ。


その為には我が国には様々な障壁が立ちはだかっている。それを打ち砕く事は、王族の私ですら困難極まりない。下手をすれば命を狙われる危険すらあるだろう事は端から承知の上だ。


だからこそ余計に私がやらねばならないのだ。


これは蓮花の為に私がやらねばならない私の務め。これだけは蓮花が選んだあの男にも出来ない、私にしかしてやれないのだから!


「叔父上?如何ですか?いずれ必ず世界の花となる蓮花の為に、私達の劇場で公演を行えるようにお力添え願えませんか?」


「……」


叔父上は暫く私の目をじっとご覧になられておられた。それはまるで、私の覚悟を見極めるように。


「お前は、今自分が申している事の意味が解っておるのだろうな?」


探るような強い眼差しに射ぬかれそうな程だ。


「はい、叔父上、私は何もかも覚悟の上でございます。それでも私は私の志を成し遂げてご覧に入れます」


私が立ち上がって胸に手を当てて膝を折り、叔父上に最上級の礼を示すと、


「私はあの娘が可愛い。あの娘の為ならどんな艱難辛苦にも耐えられる」


「失敗は許されない、先ずは国外だ。国外で秘密裏にテストをする。何年掛かるか分からんぞ。それでもやる覚悟はあるのか?」


叔父上の挑むような瞳は再び強い光を放ちだしていた。


「はい、叔父上。無論です!」


「ならば先ずは場所の調査だ。アジア近隣諸国に地域を絞り込み、立地条件、国民の嗜好、GDPなど、ありとあらゆる必要な情報を集めよ。その上で最も有益なる場所を精査し、モデルとなる劇場を作り、試行する」


「叔父上!!」


私は喜びのあまり今の状況も忘れて声高に叫んでしまった。


するとその声が、舞台で抱き合っていた二人の耳にも入ってしまったようで、泣いていた筈の蓮花が戸惑ったように私の名を呼んだ。


「サイード?」


たちまち蓮花をその腕で強く抱き締めていた若者が、更に深く蓮花をかき抱くと、まるで身の内に閉じ込めるかのように守って、一歩前に進み出た。


「例え何と仰られましても、蓮花はアラビアにはやりません」


我々を威嚇するようなその鋭い視線と態度に、彼の若さと、身を挺して蓮花を守ろうとする気概を感じた。


「叔父上、今一度お考え直し頂けませんでしょうか?このような器の小さな男に蓮花を託すなど、私は反対です!心配でなりません!」


風の音さえしない星見の広場に僅かに聞こえるのは、塔の上部で24時間360度稼動している防犯監視カメラの機械音だけだった。だからなのか、蓮花が自身を囲い込む男から身動きする衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。


「お父さん?それじゃあ、」


叔父上はゆっくりと立ち上がると蓮花の方へ歩いて行かれた。


「全く、どうしてこうも似て欲しくないところばかり、藤花にそっくりなんだ?」


「お父さん……」


「お前も、藤花と同じような顔をして、同じような台詞で、又私を振るのだな」


「お父さん!!!」


蓮花がとうとう男の鉄壁の囲いを打ち破り、その鬱陶しい腕をすり抜けて叔父上のもとへ戻って来た。チラッと男を見れば、呆然と自分の腕を見つめて立ち尽くしている。


(フン、いい気味だ!!!)


私は胸中でほくそ笑みながら、叔父上の傍に寄り、叔父上の胸で泣きじゃくりながら詫びている蓮花の背中を擦ってやった。


もう一度男を見れば、叔父上の腕の中にいる蓮花の背中を未練がましく見つめていた。


(そう簡単に私の可愛い蓮花が手に入ると思うなよ。そうさ、勝負はまだ何も終わっちゃいない!蓮花はまだここに居る、私の想いを何も知らぬままに!全てはこれから始まるのだ!!!)


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