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22.抜け目の無い男

 「ようこそおいでくださいました、アクラム殿下、サイード殿下」


どこからか再び宮下先生の声が響き渡ってきました。


(どちらにいらっしゃるのかしら?)



◇◇◇◇


 私達が星見の広場に到着すると、すかさず執事風の出で立ちをされた50代位の男性が私達のもとにやって来られて、洗練された仕草で優雅に礼をとられました。


「アクラム殿下、サイード殿下、蓮花様。ご足労をお掛け致しまして誠に申し訳ございませんでした。私は、本日の発表会を主催させて頂いております塔宮家当主に代々側近として勤めさせて頂いております、宮下と申します」


「みや……した?」


私は宮下先生と同じお名前に、つい反応してしまいました。


するとその方は優しい笑みを浮かべて、


「はい、宮下惣太郎は私の息子です、蓮花様。私は宮下祐太郎と申します。以後、どうぞお見知りおきを」


「宮下先生のお父様……」


そう自己紹介なさると、その方・宮下先生のお父様は、


「皆様、ご案内させて頂きます、どうぞこちらへ」


と私達をご先導くださったのでした。


「とう……み……や?」


それなのに、何事か呟いて難しい顔をしたままその場にじっとして動かないお父さんに、又つむじを曲げてしまったのかと明後日の方向に勘違いして焦った私は、


「お父さん、どうしたの?行きましょう」


とお父さんの腕を強引に引っ張って、宮下さんの後に続きました。


ご案内くださった先には、見事な天幕(と言うのかしら?)、まるで遊牧民の人達が住まうような大きなテントのような物が設えられてありました。


「皆様、間もなく日没でございます。それ迄どうぞ中でお寛ぎください。冷えたお飲み物などご用意させて頂いております」


宮下さんはそう仰ると、テントの入り口に当たるところの布を捲って腰を折られました。


私達は取り敢えずご案内されるままに中へ入ってみました。するとそこには、品の良い訪問着姿の綺麗な女性が三名、跪いて私達を出迎えてくださっておられました。


「ようこそおいでくださいました」


艶やかなその女性達は、優しい笑顔で私達を更に奥へと誘います。


厚いゴブラン織のカーテンのような布を、二人の女性が両側に立ち、通り易いように捲ってくださいますと、そこは大広間になっていて、毛の長い、素人目にも高級品だと一目で判る、(お父さんの国の御品かしら?)フカフカそうなオリエンタルな柄の絨毯が一面に敷き詰められていて、更にその上には、肌触りも座り心地も間違いなく気持ち良いに決まっている、すりすりしたくなるような、フカフカ、モコモコのラグが、角度を変えて重ね敷きされていました。


そしてその中央には、こちらも金糸銀糸を贅沢に使用して美しい文様に織り上げられた絢爛豪華な布をカバーに用いた巨大なソファー(いったい何人掛けなの?)と、それに合わせたように配置された5台のテーブルが設えられておりまして、そのテーブルも又、(樫の木かしら?)落ち着いた濃いブラウン系の木彫りの枠に綺麗な薔薇の花が彫り込まれた磨りガラスが嵌め込まれた豪華な御品でした。


天幕内は、歩いて汗ばんだ肌に冷んやり心地よい冷風扇が静かに回っています。


「シスター!」


その広間には、既にシスター・グレイスとシスター・マーガレットの両シスターが入られていらして、


「皆様、お帰りなさいませ。お暑かったのではございませんか?」


私達の姿を認めると、気遣わし気に近寄って来られました。


「お気遣いありがとうございます、シスター・グレイス。暑かったですが、久し振りに娘と甥とゆっくりと話しながら歩く事が出来ましたし、良い運動になりました」


私達の前ではあんなに感情をむき出しにして不機嫌だった筈のお父さんも、シスター・グレイス達の前では一気に王子の顔に戻り、友好的な穏やかな微笑みを浮かべています。


(さすがだ……)


「皆様、どうぞあちらのソファーにお掛けくださいませ。只今冷たいお飲物をご用意させて頂きます」


お父さんがさっさと再奥に陣取ってしまったので、私達も勧められるままそれぞれ順に座ると、すぐに先程の三人の女性達が、紫色の飲み物が入った涼しげなグラスを運んで戻って来られました。


「こちらはお酒ではございませんのでご安心くださいませ。塔宮グループが所有致しておりますワイナリーで収穫されました最上級の葡萄のみを使用して造らせて頂いております、貴重な100%葡萄ジュースでございます。どうぞお召し上がりくださいませ」


女性達がそうご説明くださったそのジュースは、テーブルの上に置かれた途端に芳しい葡萄の香りが私の前に広がる程の芳醇さで、一口口にしただけで、口の中いっぱいに濃厚な葡萄の甘酸っぱさが広がって、渇いた喉に何て心地よいの!


「美味しい!」


思わず顔が綻んでしまう程に、その葡萄ジュースは美味しくて。


こんなにコクが有るのに、喉に引っ掛かるようなドロドロ感も全くありません。


ただ……、


「蓮花様?」


「如何なさいましたか?やはりお口に合いませんでしたでしょうか?」


掛けられた声にそちらを向くと、お父さんの前にいらした女性が、グラスに入った葡萄ジュースを見つめて固まってしまっていた私を気遣わしげにご覧になっておられます。


「いいえ、そうではございません。申し訳ございません、大変失礼な事を。ジュースはこの上なく美味しゅうございます。ただ……」


「ただ?」


「あっ、いえ、あまりにも芳醇な良い香りでございましたので、香りも楽しませて頂いておりました」


慌てて私はそうお答えしましたが、実のところ、私にはこの葡萄ジュースの味に覚えがあったのでした。


実はこのジュースに似たお味の葡萄ジュースが、さる山梨のワイナリーから、秋になると毎年実家の方に送られて来ていたのです。私がその葡萄ジュースが大好きなのを知っているお母さんは、そのジュースが届くと、今でも必ず私のところ迄送ってきてくれています。


それで部屋に遊びにいらしたお友達にその葡萄ジュースをお出ししましたら、こんなに美味しい葡萄ジュースは初めてなので是非家族に贈りたいからワイナリーを教えて欲しいと仰るので、直接ワイナリーにお問い合わせさせて頂いたら、そちらのワイナリーでは、小売は一切されておられないというご回答だったのです。


「まあ、お口に合いましたなら、それは宜しゅうございましたわ。こちらは御手荷物になりまして申し訳ございませんが、宜しければお持ち帰りくださいませ」


にっこり微笑んでそう仰ると、三人の女性達がそれぞれのテーブルの下に葡萄ジュースが入っているらしい細長い手提げ袋を、手際よく置いていかれます。


「そのような事迄、困ります!私達の方が無理を申してお休み中に見学させて頂いているのです。どうぞお気遣いはご無用にお願い致します。それに私共にはこのように良くして頂くような理由もございませんもの」


私は戸惑いを隠せませんでした。


だって今どうしてこういう状況になって、こうしておもてなし頂いているのかさえ、さっぱり分からないのですもの。


ただお父さん達に学院内を案内するだけの筈だったのに、なんで……。


「とんでもございませんわ。これは、本日皆様をお招きさせて頂きました、塔宮家18代目・塔宮綾麿が、塔宮家が10年の時を掛けて漸く造りあげたこのジュースを是非共皆様に味わって頂きたいと申しまして、自身で用意させて頂いた品なのです」


するとそれを聞いたお父さんが、


「アッハハハハハ!」


と突然大きな声で笑いだした。


「お父さん?」


「これは傑作だ!このような場で、ついでに商売迄しようとは!」


「アハハハハハ!」


まだ笑っている。


「商売?」


「本当にたいした強者だね。まさかこんな所でセールス迄されるとは、さすがの私も予想もしなかったよ」


「セールス?」


「まだ分からない?はぁ~、何だかんだ言ってもやっぱり君もお嬢様だからね」


「いいかい?その綾麿とやらはこの葡萄ジュースを我々にもてなしがてら、お金は有るけれど熱砂に囲まれていてフルーツなどの農産物を輸入に頼らざるを得ない我が国に、この高級葡萄ジュースを買いませんか?と売り込もうとしているのだよ」


全く抜け目の無い商人魂だねぇ、とサイードが呆れとも感嘆とも取れるため息混じりにそう解説?してくれました。


「はぁ?」


私は、考えもつかなかった事をサイードに平然と説明され唖然としました。


(この葡萄ジュースを?)


(お父さんの国に?)


(売り込む?)


「益々どんな男か楽しみになってきたよ」


なんて言いながら、サイードは寧ろ楽しげに残りのジュースを飲み干しています。


どんなに憤慨しているかと思い、恐る恐るお父さんをチラッと見上げれば、驚いた事に、予想に反してお父さんも不快な顔はしていないようで……。


(全くアイツは……)


(会った事も無いお父さんの機嫌のツボ、しっかり押さえているって、いったいどういう事!?)


(そういえば、シスター方はこれから何があるのかご存知なのかしら?)


「シスター・グレイス。シスター方はこれから何があるのかご存知なのですか?」


気になったので思い切って伺ってみると、シスターは困られたお顔をなさって、


「いえ、実は私達も何も存じませんの。宮下先生が、『全て私にお任せください』と仰られたものですから、一任させて頂きましたので。ですから何故塔宮ホールディングスの方々が関わられておられるのかもさっぱり……」


頬に手を添えて戸惑った表情をされておられるシスター・グレイスは、とても演技しているようには見えません。


(シスター方もご存知ないなんて……)


その時でした、よく通るそのお声が天幕内に響き渡ったのは。


「ようこそおいでくださいました、アクラム殿下、サイード殿下」


「宮下先生!」


(どちらにいらっしゃるのかしら?)


そろそろ日没の時刻の筈。


明るい天幕の中に居ては外の様子は窺い知れないけれど、赤外線監視カメラに切り替えられた星の塔の周囲に灯りは一切ありません。そろそろ辺りは暗闇に包まれている頃でしょう。


私の緊張のボルテージは一気に高まり、思わず姿勢を正して周囲の気配を探っておりました。


「今宵は私の主であります塔宮綾麿ピアノ発表会に、皆様ご多忙のみぎりご参集賜りました事、主に成り代わりまして心より御礼申し上げます」


「ピアノ?」


(発表会って、ピアノ?)


「アイツが?」


私がつい声に出してしまうと、まるで機を図ったように、突然、天幕内を明々と照らしていた灯りが一斉に落ちて、足元に灯る微かな常夜灯の仄かな灯りのみになってしまいました。


「きゃっ!」


私は目が追い付かず、真っ暗で何も見えません。


途端に不安になって隣に居るサイードを見上げると、私が暗闇が苦手な事を知っているサイードは、そっと私の手を握ってくれました。


その手はさっき繋いだ時に感じた大人の男性の手ではなくて、小さい頃から知っている優しい従兄のお兄さんの手でした。


私がサイードの昔と変わらない優しい手にホッとして、やっぱりさっき感じた変な気持ちは私の勘違いだったのだと安堵していると、今度は、私達が座っているソファーのちょうど正面のゴブラン織りのカーテンのような厚い布が左右に開き始めました。


驚いてその様子を凝視していると、カーテンは天幕のちょうど半分、半円形に開いて、それに続いて天幕その物も同じように半円形に開いてゆきます。


私達が座っているのは、円形の天幕のちょうど中央、円の直径の部分なので、今私達の居る天幕は、まるで円形劇場の半円形の舞台のような感じでした。ただ明らかに舞台と違うところは、高さが無いという事。


(こちら側が観客だからかしら?)


私がそんな事を思いながらその様子に更に目を凝らしていると、いつの間にやら私達はちょっと湿っぽい夏の夜風を、直接肌に感じていました。


すると、突如目の前がパッと明るくなって、暗闇からの突然のフラッシュに、あまりにも眩しくて私は思わず空いていた右手で光を遮って目を瞑ってしまいました。


すぐにうっすらと目を開けて、手を下ろして何事が起こったのか様子を見てみると、そこにはサークル状に並べられた巨大なトラックが1、2、3……8台!ヘッドライトをキラギラと点けて停まっていました。


そしてそのヘッドライトの中心には小さな舞台が設らえられていて、そこに、綺麗に磨きあげられた漆黒のグランドピアノが1台、置かれていたのでした。


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