18.美女と用務員
そう、今回の来日の一番の目的はそれ……。
いつまで経ってもイエスと言わない私に、以前から薦めている自分のお気に入りの甥、つまり私の従兄との正式な婚約を結ばせる為なのです。
その従兄とは、小さい頃からネットを介して話しをしたり、お父さんの来日に同行して来た事も何度もあるので、気心が知れた仲の良い関係ではあるのですけど、恋人というよりは寧ろ一人っ子の私にとってはお兄さんみたいな存在で、お父さんには元々そういう下心?があったのかもしれないですけど、当の私達には、今更婚約とか、そんな雰囲気は全くないのです。
でも王子であるお父さんの命には従わなければならないらしく、何よりお父さんが内々にお祖父様のご承諾迄既に頂いているそうで、そうなればもう従兄には、断る余地など無いわけで……。
「何だそうなのかよ。そりゃあ良かったぜ!」
「はあ?」
「だってそうだろう?然しもの俺様も、アラビア迄行くのはちょいと億劫だなって思っていたところだったから、こちらにお出でくださるって言うのなら助かったぜ!」
これでわざわざ出向かなくて済むな、正に渡りに船とはこの事だ、とかなんとか独りで悦に入っているこの超絶ポジティブシンキング男に、さすがに呆れてしまった。
ここ迄いくと、ポジティブシンキング、単純明快、なんてものじゃない。能天気というか何というか、コイツの思考回路どうなってるの?だってコイツ、本気で良かったって思ってるし!
私の微妙な視線を感じたのか、目の前の男は豪快に笑って自信満々にこう言ってのけた。
「アハハハハハ!」
「お前、何て顔してるんだ!俺様は天才なんだ。俺様に出来ねぇ事は、あー、ちょっとだけ有るが、それも今克服中だから近いうちに皆無になる!だから、俺様に全部任せて、お前は安心して、黙って見てろ!」
(はぁ~、全くコイツは……)
(何する気なんだか知らないけど、もう勝手にして!)
(だけど、何でだろ?コイツがあんまり自信満々だからかな?コイツにこう言われると、何だか何とかなる気がしてくるから不思議だ……)
(だってどう考えたって絶対無理に決まってるのに、なのに、なのに私は今、コイツにちょっと期待しちゃってる、もしかして、って)
コイツに任せるって超絶とんでもない事しでかしそうで怖いのに、その一方で、何をするのか見てみたい、怖いもの見たさの自分も居て……。それは、これ迄ずっと慎ましく清く正しく生きてきた、その自分の努力全てを無にしてしまうかもしれなくて、そんな気持ちに自分がなっている事自体どうかしてると思うのに、でもそれを望んでいる、今迄隠れていたもう一人の自分がどんどん前に出てこようとしているのを抑えられない。
「よし、話は決まったな」
私がそんな取り留めのない事を考えている間に、またコイツが勝手に、さっさと話をまとめようとしだしたので、私は慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ何にも言ってないでしょ?何又勝手に決めてるのよ!だいたいどうするっていうのよ、一国の王子相手に」
「何だよ、蓮花の顔に、是非宜しくお願いします、って書いてあるぜ。何するかは、当日迄のお楽しみだな」
(絶対何にも考えてない……、ノープランだ……)
私がジト目で見ていると、
「参ったな~、そんなに熱い目で見つめられたら、然しもの俺様も照れるだろ?」
(はい?あ、熱い目って!?私のジト目がどこをどう解釈すればそうなる?)
(どなたか本当に助けてくださ~い。コイツ、話が通じない上に、私達と感覚もずれてるみたいなのですが!)
「解ったから、そう焦るなって!」
(はい?)
(いったい今度は何を解っちゃったんでしょうか?訊くのも恐ろしいのですが!!!)
「先ずは順番ってもんがあるだろ?俺様はこの見た目通り、真面目で良識を重んじる常識人なんだぞ」
(はあ?誰が常識人ですって?!)
(貴方にだけは、言われたくないです!)
「そうだ!さっきいい物見付けておいたんだった。危ねぇ危ねぇ、すっかり忘れてたぜ。せっかく二人っきりなんだし、最高の舞台だな。ちょっと待ってろ」
そう言うが早いか、私が止める間もなく、あっという間に体育館の舞台袖の方に走って行ってしまった。
私が、あまりのアヤツの話の展開の速さ、というか思考のハチャメチャさに最早付いて行けず、もうこれ以上ここにもアイツにも用はないし、いいから放っておいて帰ろうかと踵を返そうとしたところで、フワッと体育館の灯りが落ちた。
「わっ!」
「おい、どこ行くんだよ?待ってろって言っただろ!」
驚いて思わず足を止めたところへ、再びあっという間に袖口から出て来た兎オタクの声が暗闇に響いた。
(早っ!)
もっと早く行っちゃえば良かったと後悔しても、もう後の祭り。仕方なく声がした方を振り向いた私は唖然とした。
「な、何?その格好!?」
「どうだ?似合うか?」
戻って来た兎オタク男は、何故だか、まるで以前に観た、中世ヨーロッパが舞台の映画に出てきた貴族様のような出で立ちをしていた……。
◇◇◇◇
「どうしたのよ?その服?」
「演劇部の衣装をちょっと拝借しちまったのさ。どうだ?ピッタリだろ?」
そう言えば確かに、夏休み明けに予定されているフロイス祭という名の、聖フロイス女学院全校挙げての学校祭でのメインイベントの一つとして、高等部の演劇部の公演が多目的ホールで予定されていた。演目は確か、有名なフランスの民話、【美女と野獣】だった筈。
という事は、あれは察するところ野獣の衣装?!
「ちょっと、勝手に着たりして、汚したら怒られるわよ、早く脱ぎなさいよ!」
私が青くなって忠告すると、
「大丈夫、バレやしねぇって。それにしてもピッタリだ、まるで俺様の為に誂えたみてぇだぞ!」
両腕を伸ばしたり縮めたりしながらサイズと着心地を試している兎オタクに、気が気ではない。
さっき迄ペンキ塗りをしていた手で触ったりして、もし何か付けてしまったら。ピッタリだと言っているけど、そんな風に腕を動かしたりして、もしもビリッときたりしたら、それこそお詫びしてもしきれない。衣装が一着しか無いという事はさすがにないだろうけど、それにしてもそんなに何枚も用意してはいないだろうし……。
私がそんな心配をしながらハラハラしているのに、着ているご本人は意に関せずのご様子で、自分の姿に満足したのか、晴れやかな表情で私の方にやって来ると、私の目の前に優雅に膝をついて、
「一曲、踊って戴けますか?姫君」
そう言って、私に右手を差し出した。
その洗練された動作も、悔しい事にメチャクチャ様になっている衣装も、気が付けばいつの間にかすっかり夜の帳が下りて天窓から射し込んでくる月の光だけが頼りの仄暗いフロアーも、全てがまるでおとぎの国に迷い込んだような、そんな錯覚を起こさせるのに十分なシチュエーションだった。
私は不思議な程自然に、差し出されたその手に自分の手を重ねていた……。
兎オタクは私の目を見てにっこり微笑むと、私の手をギュっと握って颯爽と立ち上がり、天窓の下に導いた。
そして、おもむろに携帯音楽プレイヤーを上着のポケットから取り出して、手慣れた仕草で片手で操作すると、暫くして流れてきたのは……、
「ワルツじゃねぇけどな、今日のシチュだったら断然こっちだよな!」
あの有名な映画版の主題歌。
(やだ、涙が出そう)
コイツが選んだ曲がこの曲じゃなかったら、多分ここ迄の気持ちにはならなかったと思う。
コイツが自分と同じ事感じてた。たったそれだけの事が、何でこんなに嬉しのだろう。
今この瞬間も、もしかしたらそうかもしれないと思うと妙に照れくさくなって、わざと視線を足下に落とすと、私の腰に腕を回して、やや強引に体を引き寄せてきた。
コイツって、この間テニスをした時にも感じたけど、見掛けによらず力強くって、その瞬間、何だか身も心も羽が生えたようにフワフワしてきて、どうしちゃったの、私?
月明かりだけの広い体育館のフロアーに二人きり。
ダンスの経験は勿論有るけど、正直、男の人相手に踊るのは、先生かお父さんか従兄のサイードくらいだったから、理想のパートナーをずっと思い描いていた。優雅な仕草で私の前に膝をついて、にっこり笑って私に手を差し伸べてくれる素敵なパートナーを。
その思い描いていた理想のパートナーの何もかもが、何でコイツとこんなに被っているの?
力強いリードに、風を切る度に仄かに香るオリエンタルなコロンの香り。そしてしっかり繋がれた手から伝わる優しい温もり。
その全てが、私がずっと夢見てきたパートナーとそっくりで……、長年夢見ていて顔だけがぼやけていたその人の顔が、焦点が合ったらコイツだった。正にそんな感じだった。
夏の一夜の、夢の舞踏会。
「蓮花、決めたぞ!」
ぼんやりそんな事を考えながら甘やかなメロディーに身を任せていたら、軽快な動きでステップを踏みながら突如兎オタクが叫んだ。
「今日を俺達二人の記念日にしよう!」
「記念日?」
「ああ、二人が始まった記念日。二人の舞踏会の記念日だ」
「来年も再来年もその又翌年も未来永劫ずっとこの日は、世界中どこに居ようと、今夜のように二人っきりで踊って過ごそうな」
ほら、返事は?という兎オタクについ雰囲気に流されて、コクリと頷いてしまった。
その瞬間、指輪がスルリと緩くなったのを感じて、抜けちゃいそうと慌てて指を見ると、辛うじてまだ指にはまっていた。
兎オタクも同じように感じたようで、よし!と満足そうに笑いながらも、尚もくどくど、
「いいか?絶対ぇ忘れるなよ!」
と踊りながら何度もしつこく言ってくるので、だんだん面倒になって、
「記念日とかそういうの忘れるのって男の人の方だって誰かが言っていたけど」
って、つい言ってしまった。
すると兎オタクは突然ピタリと踊るのを止めてその場に立ち止まってしまったので、私は勢いのまま兎オタクの体にぶつかってしまった。
「ちょ、急に止まらないでよ!危ないじゃない!」
私が抗議すると、恐い位に真面目な顔をした兎オタクの顔が、吐息が感じられる程、目の前に在った。
「なら、この場で誓うよ。絶対ぇ一生忘れねぇって」
兎オタクはそう言うと、ゆっくり顔を近づけてきたので、意図を察した私は、思わず目を瞑って……、
じゃなくって、つい悲鳴をあげてしまっていた!
「キャアア、誰かぁ~、」
「宮下先生~、助けて~!」
すると……、
「蓮花様!どうなさいました?」
宮下先生があっという間に入り口から飛び込んで来て、私と兎オタクを引き剥がした。
(ええっ!?本当にいらっしゃったのですか!!!)
「み、宮下先生?!お、お帰りに、なられたのでは?」
「蓮花様が必ず私に助けをお求めになられると承知致しておりましたから、いつでも参上出来ますように、入り口のところで中の様子に耳をそばだてて待機致しておりました」
「……」
何の悪びれた様子もなくしれっと仰る先生に、呆れてしまいました。
(先生……、それを世間では盗み聞きと言うのですが……)
「アハハハハハ、やっと本性を現したな。見ろ、蓮花が引いてるぜ。コイツは元からこういう奴なんだぞ。解ったか、蓮花?」
「しかし、全くてめえの諦めの悪さには反吐が出るぜ!あれだけはっきり蓮花に振られたってぇのに、しつっこい野郎だな!」
(貴方がそれを言うか!?)
「蓮花様、私は生涯貴女様の味方です。この単細胞なお方に愛想が尽きましたら、いつでも私が貴女様をお望みのところ迄お連れ致しますので、どうぞご安心ください」
「うるせぇ、残念だったな!蓮花はつい今しがた俺様のプロポーズを受け入れたところだ。爺婆になっても一緒に居るとな。俺等二人の愛を引き裂く事なんて、この地上の誰にも出来ねぇぜ!アハハハハハ!」
(はい?ちょっと待て!!!)
「あ、あれ、プロポーズだったの?」
「当たり前ぇだろ!未来永劫二人で過ごそうって言ったじゃねぇか?」
(超絶解りにくいのですが!!!)
「綾麿様、お気の毒様でございますが、どうやら蓮花様に伝わっていなかったようですね。ご安心ください蓮花様、でしたら無効に出来ますので」
「うるせぇ、てめえはとっとと部屋に帰って、ふて寝でもしてろ!」
(はぁ~、もう勝手にやってて)
私がギャアギャア騒いでいる二人を残してとっとと歩きだすと、
「蓮花?!」
「蓮花様?!どちらへ?」
慌てたように二人が追いかけてきた。
「疲れたから帰って寝ます。どうぞごゆっくり」
「あっ、衣装はきちんと戻しておいてよね」
私はそれだけ言うと、
「待てよ、暗いから送って行く」
「いいえ、私がお送り致しましょう」
と又揉めだした二人を置いて、さっさと寮に戻ったのでした。
きっとこれから一生こんな風に賑やかなんだろうな、と笑いながら。




