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15.夏休みは波乱の予感

 「まあ、ご覧になって!新作も又なんてお見事なんでしょう!」


「ええ、本当に。これは……一寸法師……ですわよね?」


「あら?ですが、又一風変わった一寸法師じゃなくって?お椀のお舟じゃなくて、ペンキの缶に乗っておりますわよ?」


「まあ、本当に!しかもお舟を漕いでいる櫂がお箸じゃなくて絵筆ですわよ!」


「何故ペンキ缶に?本当に用務員さんのご発想はユニークですわねぇ。おほほほほほ」



◇◇◇◇


 再び、瞬く間に学院中に広がった体育館に描かれた壁画の噂。


今度は大学部だと伺って大急ぎで駆けつけてみましたが、体育館には、既に多くのギャラリーの方々が集まっておられました。


「あらっ、香椎さん。貴女もご覧になりに、わざわざ?」


私の姿を見付けてにこやかに近付いて来てくださったのは、シスター・マーガレット。私が普段から何かとご相談させて頂いております、大勢いらっしゃるシスターの中でもお話ししやすいお方です。何故ならシスター・マーガレットは、私の家の事情をご存知の、数少ない学院関係者のお一人なのです。


「はいシスター・マーガレット、素晴らしいと皆様が口々に仰るものですから、つい拝見したくなりまして」


私は正直にそうお答えしました。


(わたくし)もですのよ。あの用務員さんがこのように素晴らしい才能をお持ちでいらしたとは、正直(わたくし)も驚きましたわ!これだけの画才をお持ちでいらしたら、今すぐにでも画家として名を馳せますでしょうに、何故用務員さんをなさっていらっしゃるのかしら?あっ、いえ、別に用務員さんのお仕事を、よくないと申し上げているわけではないのですよ、ただ勿体ないと思いまして……」


「はい、(わたくし)もそう思いますわ」


私は心から同意しておりました。


あの方が描いた絵は、どれをとっても一流の画家が描いたと言っても誰も疑わないのでは?と思える程の素晴らしい出来栄えで、見惚れるばかりでした。


あの方は画家なのでしょうか?


今更ですが、私はあの方のお名前もお年も何も知らないのだと、その時漸く気付いたのです。


私がそんな事を考えながらぼうっと絵を見つめておりますと、


「そう言えば、あと少しで夏休みですわね。香椎さんは今年はどちらかにいらっしゃいますの?」


シスターが話題を切り替えて、私の夏休みの予定を訊ねてこられました。


全寮制のこの学院では、生徒は基本、自由な外出は許されておりません。外出出来るのは長期のお休み期間だけ、それも帰省に限られております。自由に外出が出来るようになるのは20歳になってからで、それでも事前に申請を出して許可を頂く必要があります。


因みにこの前私がこっそり出掛けたライブの際には、私は実家に所用があるという理由で申請を出して、ご許可を頂いておいたのですけれど……。


そう、よくよく考えれば、全てはあのライブの夜から始まったのでした。


私が間抜けにもあの居酒屋に靴を忘れたりしなければ、そもそもこんなおかしな事にはならなかったのではないかしら?いいえ、そもそも、いくらベガ君の結婚がショックだったからといって、よりによって、独りで居酒屋に行くなどという無謀な冒険をした事自体、間違いだったのではないかしら?


今更そんな事を悔やんでもどうしようもないのだけれど、何故だかこの先、更に色々と面倒な事になりそうな嫌な予感がしてならないのでした。


とにかく、こうなってしまった以上致し方ありません。早急にもう1度あの方とお会いして、きちんとお話しさせて戴かなければなりません。さすがの私もそう覚悟せざるを得ませんでした。


ああそれと、ついでにご報告申し上げますと、あの後ベガ君は、ライブでの宣言通りに、めでたく?白兎イナバちゃんと七夕の日に入籍致しました。あのライブの翌日に開かれた幸せそうな二人の電撃婚約会見は、一時期世間を騒然とさせましたが、意外や意外、髪を短く切り揃えてビシッと仕立てた真新しい品の良いスーツで会見に臨んだベガ君には称賛の嵐で、彼の軟派な印象を根底から覆し払拭するには十分なインパクトでした。


私もそんなベガ君を見て、彼が心から白兎イナバちゃんを大切に想っているのだと、そう迄して貰える程に想われている彼女が心底羨ましくなってしまったのです。


私にも……、それ程迄に私だけを想ってくださる人が、いつか現われるのでしょうか?


ポワンッ!!!


すると急に目の前に浮かんできたのは、あの夜、寝てる間に指輪を交換させられた、サングラスを掛けた怪しげなサラリーマンの姿だったのです!


(はぁ?な、何であんな奴が!!!)


(ない、ない、ない、ない、ない、ない、)


私が慌てて頭をブンブン左右に振って、兎オタク男の残像を蹴散らしていると、


「香椎さん!香椎さん!?どうかなさいましたの?」


挙動不審な私の様子を気遣って?声を掛けてくださったシスターの声にハッとして、無理やり笑みを貼り付けて、生徒総代としての顔を取り繕う事に、何とか成功致しました。


「あっ、いえ、何でもございませんシスター。余りにも素晴らしい絵でございましたので、つい、絵の世界に見入ってしまっただけですわ。おほほほほほ!」


「夏休みの予定でございますか?実はその事でちょっと困った事になっておりまして、シスター・グレイスにご相談させて頂きたく存じまして、ちょうどこの後少しお時間を頂戴致しております」


「シスター・マーガレット、突然で大変失礼致しますが、もしお時間宜しければ、シスターもご同席お願い出来ませんでしょうか?」


「学院長先生とご面会を?ええ、私は別に構いませんけれど……」



◇◇◇◇


 「はっ?お父様が?」


「はい、そうなのです。どうしてもこの学院を一度自分の目で見てみたいと前から申しておったのですが、来月来日する機会を得られたので日程を調整するから、是非訪問させて欲しいと申しておりまして……」


私の爆弾発言は、やはり相当な衝撃をお与えしてしまったようで、シスター・グレイスは一言口を開かれただけで目を見開かれて固まってしまわれました。


私はこのような面倒事を、しかも夏休みにお願いするなど、心から申し訳なく思って、


「本当に申し訳ございませんシスター。あの……ご無理して頂く必要はございませんので……、こんな直前のお話でございます。準備等も間に合わなくて当然なのですから……。ですから、もしご無理のようでしたら、遠慮なくそのように仰ってくださいませ。父には(わたくし)から、上手く話して断っておきますので、ご心配頂かなくても大丈夫ですわ」


私がご安心頂けるように、そう申し上げると、


「いいえ!」


常に冷静沈着で穏やかなシスター・グレイスが、突如叫ばれて、その場に立ち上がられたのです!


「シスター?」


私とシスター・マーガレットが唖然として立ち上がられたシスター・グレイスを見上げますと、


「このように我が学院に名誉な事をお断りするなど、とんでもございませんわ!」


「かつて、国内の要人の方々をお迎えさせて頂いた事は多々ございますが、国外の賓客は初めての事です。何とまあ名誉な事でございましょう!早速歓迎の準備に取り掛からねばなりませんわ!」


「シスター?それでは宜しいのですか?」


私が念の為にお伺いさせて頂くと、


「勿論ですわ。それで、具体的にいつおみえになられるご予定なのですか?ご来校なさるのはお父様お一人でいらっしゃいますか?」


「日程は来月の中旬、1週間の滞在予定でございます。完全に私的な来日でございますので、外交筋には勿論ご連絡はさせて頂いておりますが、特別なそういった予定は一切ございません。メインは、大学時代の親しいご友人の方とお会いする事なのだそうです」


(それとあと一つ……。こちらの方が問題なのだけれど……)


「分かりました。華美になり過ぎないよう注意して、ご準備進めさせて頂きますわ!」


シスター・グレイスの目はキラキラと輝き、心なしか、頬はほんのりピンク色に上気されておられるような……。


「シスター・マーガレット、忙しくなりますが、どうぞ宜しくお願い致しますわ!」


シスター・グレイスが、それ迄熱心に私達の話に耳を傾けてくださっていらしたシスター・マーガレットに、興奮冷めやらぬご様子そのままにお声を掛けられると、


「はい、学院長先生。このように名誉な事に携われるなど夢のようでございますわ!誠心誠意お迎えさせて頂きます。取り急ぎご準備を進めさせて戴きますわ!」


シスター・マーガレットも興奮気味に立ち上がられた。


私は、頭痛の種が更に一つ増えてしまったと、頭を抱えたくなってきたのでした……。


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