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「……空気が冷え切っていますな。来ますよ」
気が付くと、おじさんの息が白く色づき、揺れる草花に霜が降りる。
冷気が漂い始め、その大本はやって来た。
彼女が靴を踏み出すと、パリンと草が砕け落ちてゆく。歩くその場所には氷の道が出来上がっていた。
「……さて、始めましょうか?」
氷の花道をしずしずと歩いてくる、女性そのもののシュルエット。
その声が聞こえた途端、家のスケルトンとスライムの落ち着きがなくなった。
「これはお美しいご婦人だ。……人ではない様ですが」
青い鮮やかなグラデーションで彩られている着物を纏い現れた美女は、肩まではだけたきわどい衣装である。
そしてあらわになっている肌は青白く、人のものではない。
だが、おじさんの呟きには非常に同意である。
アイスクイーンの容姿を改めて確認して、俺はギリリと唇を噛む。
チクショウ、本当にプレイヤーが美形かどうかは、キャラのビジュアルに関係ないんだろうな?
その疑問に比べたら、相手がなんだろうが、そんな事は割とどうでもよかった。
氷の姫『アイスクイーン』は輝いて見えた。
ちなみのこれは美しいとか、そう言う意味ではない。本当に照明を反射する細かな粒子が周囲を漂っている。
おじさんは事前に仕入れた情報通り、一定の距離を保ちつつ、十分警戒しているはずである。
『アイスクイーン』はそんなおじさんに微笑を浮かべる。
意表を突く穏やかな笑顔である。ただおじさんもまた意表を突くという意味では同じだっただろう。
おじさんは彼女に普通に話しかけたのだから。
「お美しい方だ。モンスターとは思えない。こうしてお目に掛かれて光栄ですよ」
アイスクイーンも驚いたようで、微笑を驚きの顔に変えていた。
それも一瞬のことで、すぐに表情を元に戻せるのはやはり余裕の差だと思われた。
「そうね。私も愉快だわ。貴方の様に話しかけられたのは初めて」
「そうなのですか? 信じられない話ですね。貴女のような方を目の前にして」
おじさんがそう言うとアイスクイーンは指折りを数えて、今までの対戦相手を語る。
「……最初の相手は開始と同時に襲いかかって来たわ。次の相手は炎の魔法で私を焼こうとしてきたの。一番最近はアンデットだったし、ひどいと思わない?」
「そうですな。ご婦人にいきなり襲いかかるとは、不届きな輩です」
「そうでしょう? 戦いの中にも美学は必要じゃなくって?」
口元を隠して言うアイスクイーンにおじさんは肩をすくめて微笑みを返した。
「ええまったく。貴女は実に美しい。このチャンスに言葉の一つも交わさねば男が廃ると言うものです。どうです? 戦いの前に、一つ挨拶代わりに」
そうしておじさんは突然懐を探って、一本のビンを取り出した。
それは回復薬が納められているビンだった。
おじさんはビンを目の前にあくまでフレンドリーに掲げて見せたのだ。
やはり以外な行動だったのだろう、おじさんを見るアイスクイーンの目は明らかに好奇なものに変わっていて、クスクス笑い始めた。
「本当に面白い人。貴方とは趣味が合いそうね?」
「それは光栄。……本当ならばこんなものではなく、貴女にふさわしい美酒をといきたいところですが……仕方がありません。なに、試合前の景気づけです、失礼」
おじさんはビンを相手に放る。
アイスクイーンは咄嗟にビンを受け取って、中身の緑色の液体をガラス越しに覗き込む。
「面白い事を言うわね。貴重なアイテムをこんなことに使うの?」
「ええ。もちろん。では、今日の出会いに」
おじさんは自分用のビンを軽く掲げると、ゴクゴクと液体を飲み干し、殻になったビンを地面に叩きつけた。
それを見ていたアイスクイーンは無表情のままおじさんとガラスビンとを見比べて--
「あら、ありがとう。でもいらないわ」
『「あ」』
パリンと折角用意したガラス瓶を地面に叩きつけてしまった。
俺は思わず声を出し。おじさんもまた同時に声をもらした。
すると地面にぶちまけられた液体は、うにょうにょと動いていた。
「……」
「……ばれてしまいましたな」
おじさんとアイスクイーンは黙ってそれを目で追う。
そして動いた液体はもぞもぞと張っていくとスライムと融合した。
相手の作戦もすべて関係なしに倒すチャンスだったのに、俺は思わず舌打ちする。
おじさんはいい具合に話を振ってくれたと言うのに残念。
『チッ……しくじったか!』
『すとーっぷ! 審議! 審議です!』
そしてアイドルさんからの緊急で物言いが入ってしまった。
ちなみに今回大会初、試合中に審議だった。




