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『うむむむむ……』
ビローンっとおじさんの持ったスライムを眺めて俺は唸る。
スライムの中には透明の小さな核があるようだ。そしてやろうと思えば滴って地面に落ちた水滴がもぞもぞ動いて、砂鉄のように体に戻るあたりモンスターだなって感じだった。
透き通った向こう側にはおじさんのゆがんだ顔が見える。
無理やり実験につき合わせた彼の顔はお世辞にも気分はよくなさそうだったが、残念ながらいいアイディアは出てこなかった。
『うーん。こうやって見ていると生き物だとはとても思えない。生きているってなんだろうな?』
「……さぁ? 生命とは元来不思議なものですよ。ところで……これはいったい何を?」
おじさんはそう言うが、こう言う実験こそが今は大事だと思う。
『いや、スライムの生態とかって、モンスターって事しかわかんないわけじゃないか? ひょっとしたらその辺りに新しい奇策のヒントがあるんじゃないかと思って』
あの後あらためて動画を見なおしたわけだが、結局よくわからなかった。
俺自身、そもそも比較できるほどやりこんではいないという話だ。
そう言えばおじさん的にはどうなのだろうか?
俺の知らないことでも知っている。それがこのゲームのキャラである。
『おじさんは、どうさ? 相手の魔法におかしなところは感じなかった?』
かなり期待していたのだが、おじさんは首を振った。
「いえ、魔法主体の攻めでしたからなぁ。そちらの方は専門外なもので」
『そうか……じゃあやっぱりそんなの関係ないところで奇襲しかないかな?』
「奇襲ですか……それもよろしいでしょうが。もう少し詳しい相手に訊いてみたいところですな。眺めてわかる物でもないでしょう?」
『そうなんだよ。でももう一押し欲しいんだよ。こう言う地道な積み重ねが、画期的な戦法を生み出すきっかけになる――かも?』
「そうですか?」
いや、わかんないけど。
今のメンバーの一番の持ち味は、型に捕らわれないトリッキーな攻めにあるはず。
『まぁ魔法に詳しい心当たりもいまいちないし。結局自己分析に話は戻る。おじさん。もうちょっとスライムもってて』
「……了解しました」
結局俺の試行錯誤は続くわけだが。地味な時間は思ったよりと早く終わりを告げた。
『なに意味不明な事やってんの?』
『さすが師匠! 研究に余念がありませんね!』
俺が研究に夢中になっていると、小学生の声が聞こえ、そして小学生はどういうわけか、もう一人のプレイヤーと一緒だった。
声が聞こえただけで、画面の向こうでビビってしまう俺だ。
『アイドルさん?……なぜ貴女がここに?』
『何言ってんの! あんたがどうしても来てほしいっていうから来てあげたんでしょうが!』
『え? そうなの?』
俺が小学生を見やると、彼女は得意げに言った。
『そうです! 師匠が困っていると思って! 手を貸してくれるようにお願いしました! どうも前回はお役にたてなかったようなので!』
この子、いい子だがとても要領がいい感じである。そうしてまんまとおびき出されたアイドルさんは心なしか不機嫌そうに言った。
『……別に助けがいらないなら帰るけど?』
「帰らないでください。とても頼りにしています」
小学生の行為を無にすることなど出来るはずもなし。できる限り真面目に言った俺である。
『そ、そう? なら協力してあげましょう!』
すると極端に声のトーンが上がったアイドルさん。俺はひとまず冷や汗をぬぐった。
「素直に手伝わせてって言えばいいのに。馬鹿な神様ね」
くすくすと笑っているのはキャラクターで、ラリルレシスターズの長女だ。
『魔術師のルイスだっけ?』
つい口をついたのだが、過剰に反応したのはアイドルさんだった。
さっきは機嫌がよさそうだったのに、アイドルさんはなぜか烈火のごとく怒りだした。
『ちょっと! 何で私の名前は覚えらんないのにキャラの名前は覚えてるわけ!?』
『いやー。なんかキャラの名前だとすっと頭に入ってきて』
『納得いかない!』
怒りが収まらない様子のアイドルさんをなだめたのは、キャラクターであるはずのルイスだった。
「まぁまぁ。神様? そんなに怒らなくてもいいじゃない。せっかくこの日のために準備してきたんだから」
『な! 何言ってんの!』
「そうなの?」
思わず聞き返してしまったが、強烈に否定された。
『違うって言ってるでしょ!』
妖精のため表情はわからないが、随分あわてているらしい。
ルイスは随分楽しそうにあくび交じりに解説してくれた。
「違わないわよ。私だってずっと研究に付き合わされたんだから言わせてよ。この子ったら私にあなたの対戦相手の動画を見せてね? なんかわかることないかーってしつこいのなんのって。寝不足でお肌が荒れちゃうわ」
『わー! もう! あんた! いい加減にしなさいよ!』
「別にいいじゃないー。あははは、神様、いくら体当たりしても素通りだから意味ないわよ?」
『キー! 馬鹿にして!』
キーって普通に初めて聞いた。
俺はおたおたしつつも二人が落ち着くのを待って、さっそく本題に入った。
『あの……それで。何かわかったんですか? 研究の結果』
『研究の結果じゃないから! 一目見て看破したの!』
『そうなんですか? それはありがとうございます』
アイドルさんは、力強く言い切った。
これは深く突っ込まない方がよさそうだと、俺はお礼だけは言っておいた。
しかし俺の反応に対して、ルイスの方は非常につまらなそうな反応だった。
「……私としてはそのリアクションのなさが悲しいわー」
『いや。まぁ、こいつはこんなもんでしょ。助かるけど』
「そうね。私も研究成果を披露できないのはつまんないし。これくらいにしてあげましょう。まぁ結論から言うと……あなたの対戦相手の魔法はかなりありえない代物だってこと」
『……そこのところ詳しく』
「いいわよ?」
そう言うとルイスは、本当に前もって準備していたらしく、説明してくれた。
「相手が氷の魔法を使っていることはわかっているでしょうけど。魔法の使い方なんてそんなに種類はないわ。大きく分けて二つね。一定範囲内の相手を凍らせる魔法か、もう一つは冷気をぶつける魔法。本来一定範囲を凍らせる魔法は、無差別に相手にダメージを与えられるけど、威力がない。そして冷気を飛ばす魔法は威力が高いけど、狙いを定めなくちゃならない。でもあのモンスターは一瞬ですべての敵を凍らせた。もちろん使用者の力量だって威力に関係あるでしょうけど、あのレベルのモンスターを瞬殺する広範囲魔法なんて、便利すぎて私もほしいくらいだわ」
『……ああいうの普通は出来ないと?』
「私では無理。私の得意な炎の魔法みたいに周囲の物に着火できれば広い範囲はカバーできるだろうけど、氷は性質が異なるし、それだってあそこまでの威力は出ないわね。相手がモンスターだってことを差し引いても、今まで聞いたことはないわ」
俺は『アイスクイーン』の異名を思い出して背筋が寒くなる。
それでは本当に即死級のオート攻撃ということなのだろうか?
動画は、何度かの攻撃は耐えていたが、だからと言って突破できるかどうかは別問題。
見た目は普通に戦っているようにしか見えないのだから、反則だとも言いづらいところではあった。
『じゃあ、その大威力を何とか耐えないと、俺達はあいつに触れることもできないと?』
「まぁそうね。でもあのアイスクイーンの使っていた魔法は本来、動きを止めることに重きを置いているはずだから、その点を注意すればつけ入る隙はあるかも。問題は足止めされた後何が起こっているかだけどね。わかったのはこんなところかしら? 参考になった?」
『それはもう大いに。……攻略のヒントらしい情報を始めてもらった気がします』
「そう? それはよかったわ」
にっこりほほ笑む魔術師ルイスはできる美人である。
『……くっ! いいな! アイドルさん!』
俺もできる美女キャラがよかったと思わずにはいられない。
『デレデレしちゃって。最悪』
『顔見えないでしょ?』
『いえ。見えましたね。透けて見えました。幻滅です師匠』
『マジで! 女子って半端ないな!』
納得できないがそういうものだというのならそういうものなのかもしれない。
アイドルさんは語気を強めて言った。
『正直そんなに役に立つ情報じゃないと思うけど。参考にしなさい。いい? こうなったらいけるとこまでがんばんなさいよ? 簡単に負けちゃうのはつまんないから』
言葉が強いが、なんとなくアイドルさんが励ましていることだけは察して、俺はおとなしく感謝した。
『期待に応えられるように頑張りますよ……』
すると今度は小学生の妖精が元気よく飛び回った。
『はいはい! じゃあ僕も! 提案があります!』
『なんでしょう?』
『僕も師匠に協力したいと思ってて……それでライラさんと話してぜひ特訓してもらおうかと思って! 今準備してるんです!』
『と、特訓?』
困惑する俺に話を聞いていたおじさんが楽しげに頷いた。
「いいではないですか、我が神よ。いい友に恵まれてうらやましい限りです」
特訓というと思い当たる節もなかったが、続く小学生の言葉で納得した。
『はい! やっぱり結局はそれしかないと思います! 師匠は始めたばかりだから知らないと思うんですけど、プレイヤーキャラは必ずやるべき特訓があるんですよね!』
『へぇそうなのか』
ということは……。
自然と、おじさんの方を見る。
おじさんは随分驚いていたが、ある意味それは当たり前の事だった。
「もしや、その特訓とやらを受けるのは……私ですかな?」
『そうですよ? 定番の特訓です。名前もあるんですから!』
『へぇ、そりゃ面白い。なんていうの?』
『はい! 「死に慣れ」です!』
『「……」』
何とも物騒な言葉が飛び出したものだった。
その言葉のニュアンスは物々しい雰囲気で現れた彼女達のキャラクターによって言葉通りに物騒なものだと察することができた。
転移してきた彼らは完全装備でこちらに向かってきていたのだから。
白銀の聖騎士 リーン
死神の射手 レベッカ
さらにはゴトウ……ついこの間戦った剛剣の使い手。
彼らは皆一様に闘志を漲らせて、あるいは血走った眼をしていた。
おじさんも、彼らを前にしてひきつった笑みを浮かべた。
「なんですかな……また随分な顔が出そろいましたが」
おじさんは薄々とこれから何が起こるのか感じ取っているのかもしれない。
『ホントに好きにやっていいのね?』
アイドルさんは小学生に確認し、彼女も元気に答えた。
『もちろん! 「死に慣れ」っていうのはですね。契約したばかりのキャラクターはまだ生き返れるという状況に慣れていないので、身を以てそれに慣れる効果があるらしいです! これをすると、あと一歩の判断がより正確に出せるようになるんだとか!』
『な、なるほどね』
「ちょ、ちょっと急用を思い出したのですが」
『無駄だと思うけど? きっとあれからは逃げられない』
「……」
逃げようとするおじさんを俺は呼び止める。
そういうことならこの集められたメンツ以上に最適な相手もいないだろう。
何せ彼らは、俺達に敗北をたたきつけられた相手ばかりなのだから、手心を加えられる心配はない。
「いいじゃない。遠慮なくやらせてもらいましょう?」
「そうだ。本人の希望だしな」
「そうですよ。今更なしとかダメでしょう」
ラリルレシスターズがここぞとばかりにダメ押ししてきて、アイドルさんのため息が聞こえてきた。
『一切手を抜きませんから! ね? ゴトウ!』
「ああ、任せろ!」
小学生は元より、背後のワーウルフ達も心なしかやる気というか狂気を出して吠えていた。
「……なんですか? 皆さんやけにやる気ですが?」
後ずさりするおじさんに、俺は決定事項を伝えるのである。
『そういうわけらしいから。今からおじさんには彼ら全員と戦ってもらうってことで』
「ご無体な!?」
おじさんの声が裏返る。
『考えてみれば当たり前のことなんだよ。うん。基本的にキャラクターは死なない。だけど今までそうじゃなかったんなら、ある程度その感覚に慣れてもらわなきゃまずいって言うのは筋が通っている……気がするよね』
「い、いや。それはさすがに」
『それじゃあ、後お願いしていい?』
「ちょっと! 本気ですか!? 本気なんですね!!」
『……いいではないですかって言ってたじゃないか』
「くっ……私の神は死にました。地獄に落ちてください」
涙目で吐き捨て、剣を構えるおじさんは雰囲気が黒い一団に先制攻撃を掛けるべく駆けだしていた。
ドカンと大きな音がして、戦いが始まる。
これで一つレベルが上がってくれることを、俺は心から祈っておくとしよう。
壮絶な戦闘が行われる中、そこに小学生の妖精が飛んできて俺の側に降りてくると、こんな噂を聞かせてくれた。
『あ、そういえば、師匠。一つ面白い噂を聞いたのでご報告です!』
『え? なに?』
『はい。師匠のスケルトンってアンデットですよね?』
『そうだよ?」
確かに、うちのスケルトンはアンデット系のモンスターである。
頷く俺に小学生は、いくつかのURLを送ってきた。
『噂だとアンデット系のモンスターだけ、同系統のモンスターを倒すとパラメーターが上昇するって言うんです』
『ほんと!』
これはまた耳寄りな情報だ。
それがもし本当ならスケルトンの戦力がさらに上がるかもしれない。
『僕はやった事ないんですけど。このゲーム、ちゃんときっちりしたパラメーター表示がないからはっきりとは分かんないんですよ? でも攻撃力がちょっと上がった気がするとか、そう言う噂があるんです。ああでも、負けると弱くなったとか微妙な話なんですけど』
『つまり……アンデットがアンデットに勝てばパラメーターが増えて、負けると減ると?……うーんどうなんだろう?』
『まぁギャンブルです。今度の相手はそれくらいしないとまずいかもしれないなーと思って』
『んーそうね。相手も悪そうだしな』
なんにせわらにもすがるべきなのだろう。
俺達はスケルトンとスライムを見る。
やられるおじさんを見て、スライムとカタカタと揺れるスケルトンはそろってどんな表情かすらわかりにくかった。




