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距離をとって所々焦げた衣服を手で払い、おじさんは邪神と何か話をしているみたいだった。
『……本当にやるのですね?』
『ああ! もう決めた!』
『承知しました! その覚悟、確かに受け取りましたよ!』
意味ありげな会話と、あらかじめ決められたかのようなやり取りは、いかにも何かありますと言っている。
「だけど……僕らに何をしても意味なんてない。そうだよね?」
『その通りだ! 小細工上等! 恥かかせやがって!』
ゴトウは顔の足跡を拭って、すぐにいつもの調子を取り戻す。
ゴトウの踏みしめた足から砂のこすれる音がする。
相手のおじさんも今度はゴトウをしっかりと見据えたまま動かない。
相手もこちらも必殺の間合いはきちんとはかっている。
ゴトウはピリピリと殺気の渦巻く緊張感をいつも通り楽しんでいるみたいだった。
肩に担いだ剣はいつだって相手を真っ二つに出来る位置に構え。
固まっていた時間はしばらく続く。
おじさんはだけどバックステップをしながらゴトウとの距離を稼ぎに来きた。
絶えず突っ込んで来ていたかと思えばいきなり引くか。
タイミングを合わせプレイヤーがアイテムを投下。 まずいと思ったがゴトウはすでに追撃している。
「ゴトウ! 何かしてくる!」
それでもゴトウはこちらの声を聞きつけ、その場を飛びのく。
一瞬後に無数の袋が空中に現れ、おじさん剣士は袋を一閃した。
空中でぶちまけられたのは白い粉で、空中で四散すると一気に拡散する。
『ちっ! なんだこりゃ!」
「気を付けて! 目くらましだ!」
袋には大量の小麦粉が入っていたらしい。しかも投下したのは複数だ。
次々にこっちに向かって飛んでくるそれらを無視はできない。
僕は咄嗟に指示を飛ばした。
「何かしてきた! 壊して!」
『だがあめぇ!』
全身に力を籠めて、恐ろしい速度で回転するゴトウ。
剣で煙の目くらましを切り裂いて、一回転。それだけで信じられない風圧が空気を掻き混ぜ破裂する。
『キャウン!!』
だがワークンAの方から今まで聞いたことのない鳴き声が聞こえ、僕は慌てた。
「どうしたの!」
『うお! なんだ!? くせぇぞ!』
おじさんは追加の小麦粉を振りまき、煙幕にまぎれて走り去ったようだ。
こちらの被害を確認するが、ダメージはない。しかしゴトウとワー君Aは鼻を押さえて涙目だった。
『なんなんだ!? とんでもない臭いがすんぞ!』
「臭い?」
画面越しには匂いまではわからないが、どうやら悪臭が立ち込めているらしい。
それはワー君Aが咄嗟に砕いた樽からだった。
確認すると、砕けた樽の中から大量の生卵がぶちまけられていた。
「……なんだこれ? 樽に生卵が詰めてある!? 生魚もこんなに! こんなアイテムあったっけ?」
『いや、単純に卵買って樽に詰めたんだろ? 暇なことしやがって……」
「何そのいやがらせ!?」
『チッ! 本気で逃げる気満々か! ……どういうことだ?』
本当に遠ざかっていく足音を聞いてゴトウは顔をしかめている。
トラップアイテムが使えないからってまさか食材アイテムを使うなんて。
卵は多分ワー君達の鼻を潰しに来たのだろう。
だけど粉の目くらましなんてものは、所詮そう長持ちはしない。
けど僕は、この時僕はプレイヤーの悪評を思い出した。
「邪神か……女子供にも容赦ない。トラップ好きの戦闘スタイル」
僕はうっすらと彼の狙いがわかった気がした。
「迂闊に動いちゃだめだ! 引いて!」
だからこそ僕はゴトウを止めていた。
ゴトウはいらだたしげに、漂う小麦粉をにらみつけた。
『こんな粉、俺がまとめて吹き飛ばしてやるぜ!」
「待って! 相手は邪神だ! それにたぶん……相手は粉じん爆発を狙ってる」
『ふんじんばくはつ? なんだそりゃ?』
それは僕もたまに漫画で読む程度の知識だが、聞いたことがあった。
「空気に粉を拡散させて、一気に燃焼させて爆発を起こすんだ。これで炭坑や工場なんかで事故が起こったりするんだよ」
恐らくはこちらの接近戦主体の戦い方を見越して突っ込ませたいのだろう。
だけど冷静に事を運べば、さけられない罠ではない。
『へぇ。俺の爆炎陣を封じつつ、足止めも出来るってわけだ、考えたな』
本当に猪口才なことを考えてくる。そして僕はゴトウ達に指示をした。
「ここもまだ危ないかも、少し距離をとろう」
でも僕の愛読書にその手のネタが乗っていたのが運のつきだ。
迂闊に突っ込まなければ。爆発なんかに巻き込まれたりしない。
奇襲を仕掛けてくるにしても数秒か、そのくらいのタイムラグはある。
こっちはただ待っていればそのうちしびれを切らせて向こうからやってくるはず。
その時まとめて薙ぎ払えばいい。
一秒。
二秒。
・
・
・
十秒。
一分。
「……」
だが反撃はいつまでたっても来なかった。
それどころか爆発もなかった。
『ふんじんばくはつは?』
「……ごめん勘違いだったみたい」
どうやら勘違いだった。すごい恥ずかしい。
したり顔で語った分、恥ずかしさは倍だった。
小麦粉の目くらましは晴れ、誰も見当たらなくなったフィールドに僕達だけが取り残されていた。




