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「で? ……なんでこうなるんですか?」


「落ち着くなんてのは、緊張に慣れるしかないでしょ? そのためには普段やらないことをするのが一番」


「……え? それでデート?」


 俺は考える間も与えられずに喫茶店を連れ出され今に至るわけだが、状況は依然として把握できない。


 俺の前を歩いているのはアイドルさんである。その後ろ姿はあまりにも堂々としていていた。


「えぇ???」


 俺は混乱の極みあった。


「喜びなさい。こんなこと多分もう一生ないよ?」


「……は? 正気ですか? 余計なお世話なんですが?」


「……予想の範疇だけどむかつく」


「スキャンダルとかいいので? アイドルさん」


「ならなおさら堂々と歩きなさい。そんな間抜け面でおどおど歩かれたら目立ってしょうがないから」


「そんなにおどおどしてますか? 俺?」


「そりゃぁもう。その顔を拝めただけでも、無理やり連れだしたかいがあったなって感じ」


 それはもう楽しそうにくすくす笑うアイドルさんを見て、俺はいやがらせの類だと確信した。


 たしか文献ではデートとは好きあう男女がするものではなかったか?


 少なくても、こんな唐突に始まりはしないし、度胸試しでする物でもなかったはずである。


 街の中をこうやって誰かと歩きながら、俺は自分の身が固くなっていくのを感じていた。


 それを気取られたのだろう、アイドルさんは実に満足げだった。


「なに? それともあんたが、デートをやり慣れているとでも?」


 せせら笑うアイドルさんだが、なんだかここですぐさま認めるのは負けた気がしたので、俺は虚勢を張ることにした。


「はっ! 何をおっしゃいますやら。俺ほどデートに詳しい男はいませんよ?」


 ギャルゲーを嗜む程度には。心の中でそう付け足しておいたが。


 自分で張った見栄だが、自分でも寒いと思う。


「いうわー……すぐばれる嘘すぎるでしょ?」


 他愛ない嘘を吐いた俺に、アイドルさんは虫けらを見る目である。


 ちくしょう! まだ何にも言ってないんだ! そんなんわからないだろ!


 いたたまれなくなってきて俺も本当の所を白状した。


「……もちろん冗談ですけどね!」


「でしょうね」


「なんです? そのわかってました的な反応は?」


「別に? あんたみたいなのが経験豊富だったら、何か間違ってるとは思った」


「ううう……ひでーですね」


「何言ってんの、大サービスじゃない。さぁ行きましょう」


 いや、度胸を付けたいとお願いしたのはこっちなんだけど、それでもここまでアイドルさんが身を張る必要もあるまいに。


 正直に言おう、ドキドキしました。


 仮にもデートと呼ばれる行為をしたことがあるわけでもない。


 これからどこに連れて行かれるのだろうか? ショッピングか? 映画か? それとも俺の想定をはるかに超えるどこかなのか?


 ほぼ無理やりと言っていい感じだったが、意識させられるともうだめだ。


 ただこのままの状態でいる時間はそんなに長くなかったのは幸か不幸か悩みどころだった。


「はい着いた。デート終了」


「はい?」


 連れて来られたのは俺にこそ馴染みはないが、世の中では根強く人気を誇るスポットだ。


 ほぼ直行で連れて来られたその店を、大口を開けて見上げていた。


「何その間抜けずら。……笑う」


「……人の純情踏みにじっておいて言いたいことを言いますね、あなたって人は」


「へー。なんか期待しちゃったんだー? でもカラオケだってデートスポットでしょう?」


 看板のネオンサインには、カラオケの文字が躍っていたのだ。


「カラオケボックス?」


「そう。まぁ私の目的地はここよ」


 そう言って、アイドルさんにすぐさま一部屋とって押し込まれるまであっという間である。


 ソファーに縮こまって座る俺は、意図が掴めず混乱するばかりだ。


「な、何事です!?」


 アイドルさんは案内された部屋で二人っきりになると、ククッと笑いを押し、俺に告げたのだ。


「ふっふっふ。カラオケボックスなんだからやることは一つでしょう?」


 動揺する俺をよそに、アイドルさんは手早く準備をし始めた。


 歌でもきかせてくれるのかな? しかしなぜ故?


 マイクを手に取って、カラオケマシーンに次々曲を入れてゆくアイドルさん。


「はいこれ。頑張って?」


 俺はとてもいい笑顔でマイクをそのまま手渡され。しばし状況を整理した。


「……えー。 俺が歌うの?」


「その通り!」


 混乱する脳みそでは、まったく事情が呑み込めない。


 肝心のアイドルさんは、タンバリンなんか持っちゃって、聴き手に徹する気満々だった。


「誰かさんが私のこと全然知らないみたいだから、このさいしっかり覚えてもらおうと思って」


「いや、ちょっとまって! 歌なんてまともに歌ったことないって!」


「ふふん。今日はあんたの本気の間抜け顔が沢山見れて満足。あーなんかすっきりした」


「人の話を聞こう!」


 アンタが歌ってくれ! 何で俺が歌うんだよ!


 口をパクつかせる俺にしかしアイドルさんは実に楽しそうにソファーに深く座り込むと俺を指差す。


「歌手の持ち歌を、本人の前で歌うってこの状況こそが度胸試しになると思わない?」


「その通りだよ! まさに今度胸を試されてるよ!」


 マイク片手に絶叫する俺だった。


 前奏が流れる中、アイドルさんはある程度言いたいことを察したようだが取り合うつもりはないらしい。


 それどころか有無を言わせない圧力が笑顔の下から滲み出していた。


「正直ね? あんたに知らないって言われる度に、こっちは結構プライド傷ついてるわけよ。私の自信木端微塵よ? お分かりかしら?」


「……いえ、なんというか。ちょっと意地悪だったかなと思います我ながら」


「でも。私の事本当に知らなかったでしょ?」


「……はい」


 正直に答えなくてもいいだろうに、正直に答えた俺はアフォである。


 アイドルさんは特大のため息をついて、さっき小学生に向けていた完璧なスマイルを作って、俺に向けていた。


「とりあえずアルバムを受けから順に入れたから覚えて帰ってね?」


「えぇー……」


「それと私に指一本触れたら殺すから。私は合気道の有段者だと心に刻んでおきなさい」


「……ラリルレシスターズは凶暴だなぁ」


「なんか言った?」


「いえ、別に」


「よろしい! さぁ歌いなさい! 全曲覚えるまで帰さないから!」


 逃げられない、逃げられそうじゃ全然ない。


 度胸を付けたいと言ったのもまた自分である。葛藤し逡巡する時間はもうない。


 イントロが流れ、歌が始まりそうだ。


 ええい仕方がない!


 歌なんか歌ったのなんて小学校の合唱コンクール以来だが、ここはいっそ開き直って。


 俺は息を大きく吸い込んだ。




「こ、声が」


 解放されたのは3時間後である。後にも先にも俺の人生でこんなに声帯を酷使した事はない。


 ちりちりとかゆい喉は、明日若干ハスキーになっている事だろう。


「うん。はじめてにしたら上出来だったんじゃない? 人の歌を聞くって言うのもたまにはいいね!」


 などとアイドルの人は上機嫌だったが……俺自身は自らが日影の生き物なんだと痛感した。


「……実際どうだろう? 度胸ついたんだろうかこれ?」


「だから、度胸なんて簡単いつかないってば。でも緊張の余韻が残ってれば少しくらいはマシでしょう? そもそもあんたポーカーフェイスうまいじゃない」


「そうだろうか?」


 半信半疑すぎる。


「あれ? 楽しくなかった?」


「……」


 不思議そうに首をかしげるアイドルさんは本気で何を考えているのかわからない。


 ただアイドルさんはこんなことを言っていた。


「私は歌うの楽しいけどな? 聞いてもらうのも最高に楽しいから、どんなお仕事も真剣にやりたいの。私の歌を誰かに聞いてもらえる機会が一回でも増えるかもしれないじゃない? だから、ふざけてるって思われたくないんだ」


「……そですか」


 考えて見ればかませ云々にしたって、彼女の仕込みじゃあるまい。


 まぁ、これだけ歌った後だ。声帯も十分すぎるほどに開いた事だろう。


 言われた通り、緊張の余韻は悪くない具合である。今なら多少の緊張くらいなら乗り越えられる気がした。


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