35
待った時間はかなり長かったように思う。それは心労との戦いであった。
だがそんな静かな戦いはカランカランとベルが鳴り、終わりを迎える。
いや……ここからが俺にとって真の戦いなのかもしれなかった。
入り口から入って来たのは、サングラスと中折れキャップで軽く変装しているアイドルさんだ。
スキニ―パンツとボーダーシャツを着ていたが、なかなかどうして足が長い。
ほっそりとした格好だとなおさら頭身が高く、さすがという感じだった。
「……まったく。これだから男って困った生き物だよね。興味がなさそうな振りをしたって、アイドルと知り合いになったと思ったら興味津々なんだから」
ふんと茶色がかった額の髪を手で軽く整えるアイドルさんは何故か心底得意げな顔である。
いつもはきつめに吊り上った眼も、今日ばかりは自信に満ち溢れて凛々しく見えた。
ただ俺としてみたら心外なわけだが。
「人聞きの悪いことを言わんでください。アイドルさん」
「いい加減名前で呼びなさいよ! あんたね! 人を呼び出して置いて、もう少し嬉しそうにした方が心象がいいよ!」
「いや、まさか来てくれるとは思わなかったし……。でもいいんですか? 暇なんですか?」
「……おかげさまで。誰かさんのせいで大幅に予定が狂ったからね。スケジュールの大幅調整中よ」
「……なんかすんません」
こいつは地雷に触って言ってしまったらしい。失言だった。
額に指を突き付けられるが、そんな表情にまでケチを付けられたくはない。
「とりあえず。ここにときめいているファンが一人いるからそれで勘弁したってください」
ベルの音と共に復活した小学生もものすごく期待しているようだし、素早く矛先をそらすために、彼女を紹介すると、アイドルさんは劇的な反応を見せた。
その顔は青ざめ唇は震えていた。
「……誘拐事件? 通報した方がいい?」
「違うからね! そう言う冗談は今は止めて!」
マジっぽい反応に、正直慌てる。
だがすぐににたりとアイドルとは思えない顔で俺を見ていて担がれたことに気が付いた。
「フフン、まぁまぁそんなに慌てちゃ本当っぽいよ。……で? 君は誰?」
俺のジト目は華麗にスルーされた。
一方アイドルさんに声をかけられ、小学生はやたら素早い反応である。
「はい! 5年3組 神崎 優です!」
何度も練習していたっぽい自己紹介は妙に硬い。
しかしそこはさすがアイドルだけのことはある。ごく自然に営業スイッチを切り替えて素晴らしい笑顔を浮かべて返すアイドルさんはプロであった。
「応援してくれてありがとう。……それでこれはいったいどういう事なの?」
「いや、別にどうという事はメール通りですが?」
「まぁいいけど。じゃあ紹介して」
「というわけで、えーっとラリルレシスターズの「ラ」の人アイドルさんです」
「あんたホントしまいには怒るよ?」
対照的に後半で俺がものすごい目で睨まれた。もう少しプロの顔でいてくれてもかまわないのだが、俺は対象外らしかった。
ただこの怒気の渦巻く心臓に悪い会話は、傍から見ると遠慮がないように見えてしまったらしく。
小学生が、とんだスキャンダルを目にしましたよって顔で目を丸くしていたのである。
「えっと……仲がいいんですね?」
俺達は驚くほど同時に首を横に振っていた。
「本当にそう見えたなら、気のせいだ」
「全くその通りだから。わざわざ来てあげたのにこの態度。まったく信じられない」
「そうなんですか? そっか―びっくりした―」
二人そろって否定すると、小学生は素直に納得してくれたようである。
妙に息が合ってしまったものだから勘違いでもされたらどうしようと構えていたが、取り越し苦労だったようだ。
さて、いい頃合いなので御冠のアイドルさんにも、そろそろフォローを入れるべきだろう。
頼んで来てもらったことは間違いないし。
「感謝してますよ? ありがとうございます。実はこちらの子が貴女のファンらしくてですね。今度の試合の対戦相手なんです」
しかし事情を説明すると、アイドルさんの瞳はほんの一瞬だけすっと細まった。
「へーそうなんだ。ありがとう。私の歌聞いてくれてるんだ」
それからごく普通に俺の横に座ると、小学生に握手の手を伸ばしていた。
「い、いえ! いつも歌聞かせてもらってます!」
緊張している小学生は俺と話している時とはまるで違う、憧れの視線を惜しげもなくアイドルの人に向けていた。
背筋も伸びているし、興奮しているのか頬の血色もいい。
一方アイドルさんは俺にちらりと視線を投げ、どうだこれが普通の反応だとばかり訴えて来たので、見なかったことにしておいた。
「私もあなたの事は知ってるよ? とっても強い子だよね?」
アイドルの顔になった彼女はにこやかに小学生を褒める。
それはそうだろう。画像を持ち歩くほど研究していたんだから知らないはずはない。
そこまで研究されているとはまさか思っていないだろう小学生は、すごく感激していた。
「は、本当ですか! うれしいです!」
「男の子なんだから頑張ってね? こんなお兄さんさくっとやっつけないとダメよ?」
「……」
小学生はアイドルさんの台詞に微妙な顔だ。
俺も視線を逸らして笑うのだけはどうにか堪えた不意打ちだった。
「え? なに? 私変なこと言った?」
「……いや、別に? いいんじゃないですか?」
ふぅと肩を落として俺は思った。
このアイドルさん、でも観察力の無い人だと。




