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食堂の事情。  作者: ぐも
7/14

その7 魚釣り。

 帝国には「大道」の名で呼ばれる道がある。初代・金帝の頃に帝宮を置いた北都から、帝国内の各主要都市を結ぶ道路のことだ。車線の幅や数は時代を経て広くなっていったので、南部に比べて北部のそれは狭く、第五基地辺りでは四車線しかないのだが、八車線の南部同様、大道の両脇には路面電車が敷設されている。雪深い北部では、これを地下に埋設する計画が何度も持ち上がっているのだが、予算の都合か未だに地上を走っている。正門駅、というのは、正確には「第五基地正門前駅」であって、同じような駅名は基地の数だけ付けられていた。


 ひょっとしたら他の正門駅に行ったんじゃないだろうな、と約束の時間に駅に着いたナノハナは充血した目でホームの時計を見やった。同僚たちにはどんな服装が男性の好みであるかを散々言われたものの、寒さには勝てず、目の周りくらいしか露出していなかったし、野外活動にスカートやヒールは論外であった。暖かいズボンとハイネックセーターに厚手のコート、そしてマフラーと耳あてに毛糸の帽子の重装備だ。見えない重ね着枚数も相当だ。鞄も可愛らしさは二の次で、大きな無地の手提げが二つである。手袋をもう一枚重ねてくれば良かったなと、着ぶくれした体を揺らしながら掌をこすり合わせては唸る。


 駅にはナノハナの他に、完全防寒状態の初老の男がひとり、筒状の荷物を背に担いで電車を待っていた。ちらりと見れば、ナノハナと似たような格好で、服装に少しだけ安心した。離れて立っていたので、すぐに互いの存在を忘れる。


「ししょ……ナノハナさん!」


 電車の到着時刻ぎりぎりになって、リョクがホームに駆け込んできた。息を切らせて手前にいたナノハナを師匠と呼びかけて止めたのは、ここが食堂ではないからだろう。いつもの軍服ではなく、厚手の防水ジャケットにズボンで、恐ろしいことに耳当てをしていない。北生まれの帝族は寒さに強い、とナノハナは妙に感心する。着ぶくれしていないせいで、余計に細く見える。


 しかし弟子のくせに遅刻か、と嫌味の一つも言ってやろうと洟を啜ったナノハナだが、リョクが息を呑んだので少し黙っていた。リョクはナノハナの反応は見ず、ホームの更に奥の人影に目を丸くしていた。


「ハガネ中尉! 直接来るなら来ると……!」


 リョクが言葉を切ったのは、電車の到着を知らせるアナウンスの為だった。ぽかんと初老の男とリョクを眺めるナノハナと、無言でドア口に立つ男とをリョクが見比べている内に電車が到着し、初老の男はひとりで電車に乗ってしまった。


「乗りますよ、ナノハナさん!」


 え、と呟くナノハナの手提げ鞄を一つ持つと、もう一方の腕でナノハナの腕を引き、リョクは別のドアから電車に乗った。車内はそう混雑していないが、初老の男は先に長椅子に腰掛けていて、その近くの席は空いていなかった。リョクは少し考えた様子のあとで、初老の男とは離れた席にナノハナと並んで座った。


 その間ナノハナは、初老の男を観察する機会を得て、筒状のケースを釣り具だと確認した。ホームにいる間に気付けば良かった、といささか反省していると、リョクが小声で「すみません」と言った。


「あちらが今回同行をお願いしたハガネ技術中尉です」

「はい」

「口数の少ない方なのです」

「うん」

「……ちょっと変わってますけど、いい人です」


 じゃあどうして准尉の目が据わっているんですか、とは、ナノハナは問いたださなかった。その代わり、窓の外を見る。晴れているが、雪は積もっている。線路は山の中腹を通るトンネルに続いていた。その山が真っ白に雪化粧しているのを見たナノハナは身を震わせ、ぼそりと口を開く。


「持って帰ってから捌きたいですね」

「食堂で?」


 小首を傾げるリョクに、ナノハナは「う」と呻いた。私用での食堂使用は当然無理だ。私室の台所を使えば良いのだが、ナノハナは自室にリョクを呼ぶ気がなく、リョクの自室を訪れる気もなかった。


「そうだ、基地の部屋でやれば良いのでは」

「准尉、発言に気をつけなさい。若い娘を部屋に呼ぶと尻じゃすみませんよ」


 ぐ、とリョクが顔を真っ赤にしたのを見て、ナノハナは盛大に笑った。同時に、同僚たちの期待が全く的外れであると悟る。ナノハナにもその気は全くないが、リョクも同じであるようだ。ナノハナにとって、この距離は心地良い。




   ○


 釣り場は基地から山一つ越えた、川の上流にある。基地を取り囲む連山の一つに水源があるのだが、流れは基地とは逆側の裾にあるのだ。季節が季節であるせいか、客はナノハナたちくらいであった。じきに水面も凍るという川面には近づく気にもならず、ナノハナは釣を辞退し、さっさと火を熾して調理の準備に取りかかった。ついでに捏ねてきたパン生地を棒に巻き付ける。火元からの距離を測りかねていると、冷たい北風が吹いた。たき火の北側に棒を刺し、手をこすり合わせる。とにかく寒くて、ナノハナはこまめに体を動かした。


 一方、ハガネは一人で黙々と準備をすませ、川に糸を垂らしていた。リョクは一通りそれを見てから、おもむろに自分の釣り具を準備し始める。ナノハナが離れて様子を見ていても、リョクの苦戦が解った。どうするのかと観察を続けると、無言でハガネが手を貸していた。リョクもまた無言であるが、最後には礼を言う。ハガネも小さく頷く。いい人です、と言ったリョクの言葉を思い出す。ハガネとリョクの間に言葉は少ないが、時折、ハガネが水面を指差しては、リョクが「岩魚」「鮭」「鱒……帝国鱒?」と答えることがあった。川中の魚種を当てているらしい。そういう遊びなのだろう、とさして釣りにも魚の生態にも詳しくないナノハナは単純に頬を緩ませる。

 まるで親子のようだ。

 その発想がナノハナを遠い記憶に引き戻した。


「師匠! 見て下さい、釣れました!」


 釣り上げた魚を手にはしゃぐリョクに、ナノハナはあの頃とは違う笑顔を見せるしかなかった。


 ちらりと振り返ったハガネの黒い瞳は刃のようであったが、ナノハナにはそれに気付くだけの余裕がない。天真爛漫に笑顔を見せるリョクを直視できず、「おめでとうございます」と褒める言葉も固く、ナノハナは包丁とまな板をリョクに示す。興奮したリョクは、ナノハナの異常に気付かない。


 釣った魚は、ナノハナの両手に収まるマスであった。北部でしか釣れない帝国鱒である。帝国の動植物は、北部産出だと大抵「帝国」の名を冠する栄光に浴するのだ。串に刺してたき火で焼くだけで美味しそうだが、それでは目を輝かせるリョクには不満であろう。そもそも三枚に卸さなくてはならない大きな川魚をリョクに釣ることが可能だろうかと、ナノハナはこっそりため息を付いて、包丁を握った。


「頭を落として、腹を開いて内蔵を出して、背骨に沿って尾まで包丁を入れて、もう半分も同じに」


 小さいのでやりにくかったものの、ナノハナはマスを三枚に卸した。小骨を適当に取ると、用意してきた調味液に漬ける。


「あの、師匠。自分はどうしたらいいでしょうか?」

 すっかり魚を捌き終えてしまってから、リョクの困惑顔にナノハナは「あ」と間の抜けた声を出した。


「もう一匹釣ってくるべきでしたね」

 ぐ、とリョクが釣り具を見やる。と、ハガネが魚籠を差し出した。


「多少失敗してもいい」

 感情の薄い低い声だった。優しさよりは事務的なものの滲む低い声に、ナノハナは妙に落ち着いた。


「ありがとうございます」

 謝辞は素直に出てきた。ハガネはナノハナにあわせて小さく頭を下げ、空になったリョクの魚籠を手にまたも川に向っていった。この寒い中に泳ぐ魚も魚だが、それを何尾も釣り上げるハガネの腕前が凄まじいことは、釣りに無知なナノハナにも察しがついた。


「変わった方でしょう?」

「でも、いい人なんですね」


 困惑気味であったリョクに、ナノハナは笑顔を浮かべてそう答えていた。リョクの顔がぱっと明るくなる――その無邪気な笑顔に心臓が痛んだナノハナは、ハガネの無表情と低い声に安堵した理由を悟った。

 父は、感情豊かで優しい声をしていた。


 ナノハナはすぐにリョクから視線を逸らした。道具を渡すと、リョクの手元だけを見て指導を始める。リョクはおっかなびっくり帝国鱒を掴み、力を入れすぎて魚がぐにゃりとすると「ひっ」と息を呑んだ。ナノハナが無言でいると、取り繕うに口を開く。


「やっ、柔らかいですね!」

「そうだよ」

「こっ、この赤いのは……」

「血だよ」


 魚の口から垂れる赤い液体に、ナノハナは淡々と言葉を続ける。


「人も魚も血は赤いんだよ」

「師匠っ」

「赤血球だからね。ほら頑張れ」

 ぐぐぐ、とリョクが呻いてまな板の魚に包丁を入れる。頭を切り落とす。


「柔らかくてやりにくい……」

 そう言って腹を開こうとするが、少々ずれている。強引に刃を滑らせて腹を開き、内臓を掻き出す。


「こんなに赤いのか」

 妙に感慨深い呟きに、ナノハナは少しだけ笑った。そうして背骨に沿って包丁を入れて三枚に卸すが、中落ちが大分厚い。


「勿体ないですね」

「次は注意して下さい。卸した分はこの袋に入れて」


 ナノハナは調味液を入れたビニール袋をリョクに渡す。リョクは素直に指示に従う。


「さあ、次」

 リョクは一尾目ほどの動揺も無く、頭を落とし、腹を開いて内臓を掻き出し、背骨と身を切り分けた。物覚えが早い、とここでもナノハナは舌を巻く。背骨に残った身がまだ厚いものの、三尾目では大分薄くなった。


「上手ですよ」

 そう褒めてちらりとリョクの顔を見ると、端正な顔がパッと明るくなっていた。


「ありがとうございます!」

 その素直な感激を、ナノハナは直視出来ない。目を伏せると四尾目をまな板に載せる。


「お上手なんで、残りも捌いちゃって下さい。卸さないで、内臓掻き出したら、こっちの袋に漬けて」

「袋は中身が違うんですか?」

「実は釣れるとは思ってなかったんだけど、一応保存にね。最初に捌いた分は焼いておくから、お昼にしましょうか」

 ナノハナは、最初に切り身を入れた調味液の袋を手に取った。リョクの金の瞳が好奇心に輝いている。


「鱒の方には、酒と玉葱に何が入っているんですか?」

「茴香と大蒜をちょっと」

「もう一つは?」

「飽和食塩水……ってわかんないか。酒と塩と香草もろもろ」

「何時の間にそんな準備を?」

「あー、今朝は早く目が覚めてしまって。おかげで寝不足なんですけどね」

「ああ、だから目が赤いんですね」

「准尉、女性の化粧の不備をあげつらうんじゃありません」


 そんな会話の間に、ナノハナは鱒の入った調味液からスライスした玉葱を引き上げ、三つ並べたアルミ箔に並べた。卸した鱒の切り身を手頃な大きさに切り分けると、均分して玉葱の上に並べる。


「准尉が最初に卸した分は身が薄いですね」

 作業しながら言うと、リョクが真っ赤な顔をプイと背けたのが気配で解った。ナノハナは「あはは」と声にして笑う。


「味は同じだと思います」

「そうでしょう、私の下ごしらえが万全だし」

「自分で言いますか」


 ナノハナは持ってきていた茸を手で裂いて切り身の上に並べると、アルミホイルでしっかり包み、たき火の中に入れた。火ばさみは借り物だ。魚の焼ける美味しい匂いが漂ってくる頃には、リョクは魚籠の中身を全て卸し終え、いつの間にかハガネも無言で引き上げてきていた。ちらりとナノハナが二人を見やると、ハガネは言葉少なくリョクを労っていた。嬉しそうにニコニコと笑うリョクに、ハガネは無言で頷く。ハガネの表情は、マフラーや帽子のせいでほとんど解らないが、無表情では無さそうだ。リョクを見ると、年の離れた二人の関係が悪くないことが察せられた。二人の間に会話は無いのだが、微笑ましい光景だとナノハナは胸の痛みを堪える。ホイル焼きを皿に載せ、焼き上がったパンは棒に付けたまま二人に渡す。


「師匠、とても美味しいです!」

 そう言って笑ったリョクは無邪気で、ナノハナは軽口を返す余裕も無く曖昧に笑い返す。


「漬けた分はどうするのですか?」

 今は食べないのかとリョクが尋ねる。


「一晩おいて燻製に。お腹が空いているなら、私のを食べて良いですよ」

「しかし師匠が食べる分が」

「全部やるとは言ってない」


 ぐ、とリョクが恥ずかしそうに頬を染めて視線を逸らした。ハガネが頬を緩める。この時になってようやく階級の差をナノハナは思い出したが、ハガネは五月蠅く注意するタイプではないようだ。ナノハナは安堵すると同時に、すでにリョクに対しては階級の違いを気にしていなかったことに思い至り、少しばかり居心地が悪かった。

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