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食堂の事情。  作者: ぐも
4/14

その4 りんごの皮剥き。

「師匠はいますか?」

 翌日、食堂を閉める時間になってやって来たリョクは開口一番にそう言った。同僚たちがクスクスと笑う。仲良くなったのねぇ、とおばちゃんたちのお節介な言葉を聞いたことを後悔し、ついでに一晩失言を反省したことを後悔する。かの客に会えた喜びで良い夢を見ておけば良かった。


「准尉殿、やめてください」

「自分で師匠って仰ってましたよね?」

「師匠と呼びたかったら、魚を三枚に卸せるようになってからにしてください」

 それまではただの見習いです、と言うと、リョクは神妙な顔で頷いた。


「いつになったら魚を捌く訓練を?」

 訓練と来たか、とナノハナは息を吐く。同時に大量のイモをリョクに渡す。


「反復が大事です、准尉」

 むう、とリョクは呻くが、素直にイモを剥き始める。やはり飲み込みが早い、手付きが大分慣れてきている。自分は配属三日目でこうも上達したかなと師匠の矜持を聊か傷つけられた気分もあった。

 それでも、リョクの手元に注意して自身の割当をこなす。


 そうして大箱一つ剥ききった頃合いで、ナノハナは林檎を四つ、リョクの眼前に置いた。レンゲの許可は得ている――こと林檎に関しては、北部の名産品で数も多いため、つまみ食いに融通が利くのだ――リョクは生真面目な表情のまま、真っ赤な林檎を見た。それ以上の反応は無い。ナノハナは厨房の視線を感じつつ、真面目くさった声を作る。


「准尉、小腹が空いていませんか?」

「いえ、別に」

「私は空きました。厨房の皆さんもです」


 ナノハナは殊更おどけた風に肩を竦めた。


「剥いていただけますか?

 丸ごとと飾り剥きです」

「飾り剥き?」

「兎林檎と木の葉切りです。ちょっと見ていて下さい」


 ナノハナは林檎を一つ取ると、二種の飾り切りを作った。

 子供が喜ぶ兎林檎は帝国の定番だ。木の葉切りも包丁の練習によく使われる。ナノハナも大分練習させられたものだ。

 続いて、もう一つを丸ごと、途切れること無く剥ききる。それを八等分して芯を落とし、皿に盛る。


「やれますか?」


 はい、と渡した兎と木の葉をじっと見つめ、リョクは無言で頷いた。まず林檎を一つ手に取り、丸く剥き始めた。やたらと分厚い皮が、途切れ途切れになってイモ皮に積み重なる。

 皮の部分が大分勿体ないようにも思えたが、リョクはきちんと八つに切り分けた。

 続く飾り切りは大分苦戦し、葉脈の太い木の葉と、耳の無い兎が皿の上に鎮座した。


「悪くないですよ」

 俯いてしまったリョクに、ナノハナは皿の上の兎と木の葉を指差した。

 確かに、葉脈は太い葉もあるし、可哀想な耳無し兎は二羽いる。だが最後の一つは、それなりに形になっていた。丸ごと剥いた方も、剥き始めと剥き終わりで皮の厚みがまるで違う。

 イモの剥き方を見ていてもそうだが、リョクは飲み込みと成長が早い。手先も器用な方だろう。ナノハナは慰めではなく、リョクを認めた。

 

「本当ですか?」

「おやつに林檎を剥いて練習すると良いと思いますよ。

 こちらはお夜食にどうぞ」

 ナノハナは耳の無い兎と葉脈の太い木の葉を残し、他は厨房に持っていった。レンゲに渡すと、不格好な兎を見て「もうちょっと練習したら良いネー」と微笑んだ。ナノハナは曖昧に笑うと踵を返した。

 リョクに割り当てられた分は少し多い。横から手を出して、片耳の兎を頂戴する。


「良いのですか、こんな不格好な林檎で」

 不安げに訪ねるリョクに、ナノハナは小さく笑った。

「剥き方が悪くても、林檎の味は変わりませんよ」

 細かい所に拘るリョクがおかしくて、ナノハナは片耳の兎を頭から囓った。するとリョクは、金の瞳を丸くしてナノハナの口元を見た。


「頭から囓るんですね」

「特に拘ってないですけど」

「なんだか可哀想だ」


 心優しい乙女のようなことを言う。しゃりしゃりと囓る仕草は小動物の食事のようですらあった。

 どこの乙女だ、とナノハナは豪快に林檎を飲み込んだ。


「もう少し上手くならないと、兎に見えないですからね-」

 可哀想も無いですよ、と言うと、ぐ、とリョクが言葉に詰まったので、ナノハナは笑った。


「すぐに上手くなりますよ。そこは保証できます」

 飲み込みが早いし、手先も不器用ではない。ナノハナよりも上達が早い。

「本当ですか?」

「ええ」

 

 途端にリョクの表情が明るくなった。子供のような笑顔だ。ナノハナはようやく安堵する。昨日の恐ろしさがリョクの本質では無いのだと思えた。

 生真面な顔から、くるくると喜怒哀楽を変える様は見ていて面白い。これは尻を揉まれるよな、とナノハナは思う。尻をどうこうする気にはならないが、喜ぶリョクの頭は撫でてやりたい。

 ――良く出来たね、偉いねと言ってやりたくなる。

 嬉しそうな顔で、美味しそうに林檎を囓る姿、動く喉に安堵する。


 それで、今日はナノハナが表情を曇らせることになった。北部の寒さや、口やかましい同僚たち、身だしなみはだらしないけれども食べっぷりの良いあの客のために、少しずつ薄れさせていった感情が蘇ってしまった。


「師匠?」

 口の中に頬張った林檎を飲み込み、心配そうな声を上げるリョクに、ナノハナは玉葱を刻んだわけでもないのに鼻の奥が痛くなる。喉にものが詰まったように息が苦しくなる。ついさっき飲み込んだ林檎を消化している胃の動きが感じられた。知らず、腹を抑える。

 俯いたナノハナに、リョクが細い指をすっと伸ばした。ナノハナは咄嗟にその手を払う。

 そうして顔を上げると、リョクが金色の目で大きく瞬きをしていた。ナノハナは気を取り直すと、いろいろなものを林檎と一緒に飲み込み、にっこりと微笑んだ。


「准尉は、そういう顔をするから尻を狙われるんです」


 リョクが顔を真っ赤にして自分の尻に手をやったので、ナノハナは腹を抱えて爆笑した。


 笑うしかなかった。






   ○


 霧の中、遠くで声が聞こえる。姉ちゃん、姉ちゃんとナノハナを呼んでいる。

 ナノハナは濃い霧の中で、必死で声の主を探す。

 スズシロ、姉ちゃんはここだよ、こっちにおいでとナノハナは弟を呼ぶ。

 小さい頃は、弟の前から隠れる悪戯を繰り返したものだが、今は立場が違った。

 ナノハナは必死で弟を探し、泥の中を駆け回る。

 ぬるぬるする泥の中、裸足で何か柔らかいものを踏みつける。

 それが何か、ナノハナには解らない。

 東部と南部の境は、雨と熱気のせいで霧が濃い。

 霧が濃いから、姿も、声も、何もかもがぼやけてしまう。

 だというのに、あの声だけは明白に耳朶を打つのだ。


「ご遺族の方ですね」


 ナノハナは悲鳴を上げて目を醒ました。

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