その2 事情と実態。
帝国軍工兵科。
俗に「青線」と呼ばれる所以は、軍服の要所要所に入る所属兵科の色が鋼の青だからだ。その青い線に沿って赤い線が入ると工兵科の実戦部隊――航空部隊や戦地工兵部隊――を意味し、緑の線が入ると開発や研究の基地勤務を意味する。ちなみにナノハナたち食堂勤務だと、衛生兵科の白線と、栄養局を示す黄線が入る。
若い兵士は青線に緑の工兵科軍人である。
帝族特有の金髪金目はかなり目立つ。その上美形だ、おばちゃんたちには格好の話のタネだ。過去に何人かが見かけていたらしく、どこかの兵器開発部局勤務の実験機乗り、という情報が厨房を駆けた。
彼はカウンターでの発言の後、勤務中であるナノハナたちが宥めても引く気配を見せなかったため、閉室時間まで待たせた。日によっては会議のために食堂を使用することがあるのだが、この日は幸い空いていた。一通りの片付けを終えると、皆若い兵士のいる机に集まった。
「お待たせして申し訳ありません、自分は栄養局所属のナノハナと申します。
ええと、事情を伺っても宜しいでしょうか、准尉?」
襟の階級章を盗み見てナノハナが問いかける。帝国軍で階級章をつけられるのは尉官からだ。食堂のおばちゃん、もとい上級兵のナノハナはあまり関わりたくなかったが、最初に声かけられたのは貴女でしょ、とか、若い子の方が良いわ、と言われて正面に座らされていた。若い准尉の前では、誰かが用意したらしいお茶が湯気を立てている。その上茶菓子もある。工兵科の基地所属軍人の階級が高くなりやすいとは知っていても、若い男の子だ。おばちゃんたちには子供みたいなのだろう、とナノハナは茶菓子から目を逸らした。
「自分は、工兵科第八開発部局所属リョク准尉であります」
呻くように言い、リョクはぐ、と唇を噛んだ。話の先を待って様子を見れば、膝の上で握りしめた拳が、心なしか震えているようだ。ナノハナが助けを求めて周囲に視線を向けると、一人が声を上げた。
「第八って、大きな女性のいるところじゃなかった?」
ナノハナも含めた数人が同じように「あ」と声を上げた。時折この食堂で食事をしている、とても目立つ女性兵士がいるのだ。結構な美人である。体格が普通の男性の倍も良く、男性ではまず膨らまない部分がとても大きい。ナノハナは数回見かけただけだが、あまりにも印象が強すぎたせいで、鮮明に覚えていた。声も良く通るので、同僚らしき男性との世間話も耳に入ってしまった。確か、女性の腰がどうとか――ナノハナは首を横に振って記憶を彼方に抛ることにした。
リョクの反応を伺えば、かの女性軍人とは比べようもないほどに華奢な掌で、綺麗な顔を覆って天を仰いでいた。
なにかショックだったらしい。
「ええと……職場の人間関係に悩みが?」
それで転属したいのですか、と年下だが階級は上のリョクに尋ねる。豪放を絵に描いたような女性軍人の下では、繊細そうな若者は辛かろう、という気はした。
「酷いようなら委員会に相談を」
「え?」
リョクが、きょとん、とした顔をナノハナに向けた。そうして始めてナノハナの背後にいる女性陣の好奇の目に気付いたらしく、恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にして首を横に振った。ナノハナは当初、彼の年齢を自分と同じくらいに思っていたが、ずっと年下かもしれない。
「なんっ、なんで、女性ばかりこんなにたくさん……!」
そうやって戸惑う姿は初心な少年そのもので、数人が吹き出していた。「うちの息子を思い出すワー」とか「若ェ子はめんこいネー」とか、語尾上がりの北部訛りの混じる暖かい反応に、リョクがますます顔を赤くする。ナノハナは笑いを噛み殺し、神妙な顔を作る。
「衛生科は大体が女性ですけど、工兵科も半数はそうでしょう」
「そっ、そうですがっ、う、うううううう」
再びリョクが頭を抱えて俯いてしまった。話が進まない。そもそも食堂を利用していれば職員の男女比位解っても良さそうなものなのに、これまで全く興味を持たなかったのだろうかと不思議に思う。自分の口に入るものの経路が気にならないのだろうか。
ナノハナが困惑していると、背後で短いやり取りがあった。ぽん、とナノハナの肩を叩いたのは調理責任のレンゲだ。「食堂のおばちゃん」ではあるが、少尉の階級を持つ、歴とした女性軍人である。
「おばちゃんばっかり沢山いるよりは、年の近い子の方が話しやすいンじゃない?
私らは厨房で支度してるから、なっちゃんよろしく」
抗議の声を上げる間もなく、群がっていた同僚たちは食堂を出て行ってしまう。残され、ナノハナは困惑して俯いたリョクに声をかける。
「ええと、自分が代表で話を聞くことになりましたが……」
リョクはまだ顔を挙げない。
一応自分も女だし、とナノハナはいささかいたたまれない思いで目を逸らす。ナノハナは華奢な体格で、髪も酷く短くしている。顔立ちは父親に似て些か角張っている。仕事柄、化粧もほぼしていない。早くも艶が枯れている――だから女と思うな、安心せよとは、口が避けても言いたくない。ナノハナにだって、乙女の矜持くらいある。
「その、秘密は守りますから!」
口ではそう言ったが、ナノハナには同僚たちに沈黙を貫く自信はない。
「本当に?」
す、と金色の目に射竦められると罪悪感がわき起こる。が、ナノハナは頷いた。
リョクはまた目を逸らす。眉間に皺が寄り、拳に力がこもる。それでも、彼は今度は口を開いた。
「……料理を、練習したいんです」
「は?」
ナノハナはポカンと口を開ける。リョクは耳まで真っ赤だった。
「ええと、所属は基地なんですよね? 特に必要ないですよね?」
基地には食堂もあるし、許可を取れば外部の店舗でも食事が出来る。基地付きの兵士が自炊する事態は少ない――兵站の、食料の豊富さ。それこそが帝国が覇者であり、大陸の支配者である証である。それを支えるのが穀物を表す黄線を軍服に持つ農兵科の仕事であり、大地の恵みを余すところなく調理するのは衛生兵科のうち栄養局の務めだ。ナノハナたちの軍服の白と黄色には、帝国の兵たちの胃を満たすことを誇る意味がある。そうナノハナたちは聞かされているし、信じてもいるのだ。
「……前線勤務の可能性が」
「普通は配給がありますよ?」
余程のことが起きなければ、前線の兵士にも十分な食料が供給される。それが帝国の覇者たる所以だ――ナノハナはつとめてそう意識する。
帝国の配給食料は、殆どがそのままで食べられるし、調理の必要があっても温める程度だ。とにかくマズイと評判の東部レーションも、ここ数年改良傾向にある。数年前に実習で口にした時には、訓練生一同で東部レーション開発者の軍服から黄と白の線を抜こうかと恨んだものだが。
しかし一体何が若い兵士を駆り立てるのか――と考えたナノハナは眉間に皺を寄せた。恋愛や結婚のために、相手の胃袋を握るべく調理を始める者は、帝国において男女問わず多い。
「趣味でしたら、料理教室があります。休暇で通えば十分でしょう」
う、とリョクが俯いたまま息をつまらせた。白皙の美貌が青くなる。
「……行ったんです」
消え入りそうな鼻声に、ナノハナは慌てた。慰めの言葉に悩んでいると、リョクが掌で顔を覆って更に俯いた。華奢な身体は小刻みに震えている。
「……女の人ばっかりなのに、おっ、おしっ、尻をっ……」
「ごめん! 聞いてごめんね!」
階級も忘れ、子供を慰める口調になる。
料理教室に通う若い女性は多い。相手が決まっているならいいが、これから見つけようとする女性陣の中にリョクみたいな若い男を放り込めば、本人が真摯に学びたくとも周りは放っておかないだろう。何せ若くて美形だ。その上見た目通りに帝族ならば、帝族大弾圧後のこのご時世ですら、いやそれをくぐり抜けたからこその世襲財産があるととられる。
だが、「男性限定の料理教室に通えば良いのでは」と言いかけたナノハナは言葉を飲み込む。若くて華奢な美青年だ。女性にすら尻をどうにかされたとあらば、男性相手では限度を超えてしまうかもしれない。前線に出る時には腹の出た中年になっているといいね、と絶対に本人に言えない結論もぐっと飲み込む。
「もう……もう……!」
「ごめん! 本当ごめんね! でもね! ここも基地の食堂だし、所属外の人を入れるのはちょっと困るっていうか、困ります! せめて事情は聞かせて下さい!」
自分の言葉使いが滅茶苦茶になっていることに気づき、ナノハナは想像以上に己が動揺していたことに気付く。リョクの返事を待つ間、そっと深呼吸しておく。
リョクは青かった顔をまたも真っ赤にする。そして、声を絞り出す。
「部隊の中で、自分だけ魚をおろせなくて……」
どんな部隊だ、と咄嗟に口を吐いてしまいそうな言葉も飲み込む――この准尉との会話は言葉を飲み込んでばかりだ――帝国では軍に止まらず、魚を捌く機会が少ない。帝国の領土である冬の海は、長い間凍り付いてしまって漁自体が少なく、流通も少ない。南部からもさほど流入してはこない。小さな川魚はおおよそがそのまま焼き魚か煮物になる。大陸を横断する大河や運河を渡る川船勤務ならば魚を捌く機会もあろうが、ここは川さえ凍る北部だ。一体どういう機会に魚をさばく機会があるのか。
だが、リョクが嘘をついているようには見えなかった。どころか、出来ないことを相当に恥じていることが見て取れる。基地勤務の長い軍人の何人が魚を捌けるのか知っているのか、と言いたかったが、それを憚ってしまうほどに真剣だった。
ナノハナは息を吐いて天井を仰ぐ。どうにかしてリョクを諦めさせたいが、良い言葉が浮かばない。
「でも、林檎の皮剥きくらいは出来るんでしょう?」
それで十分じゃないか、と慰めようとしたナノハナの目に、脂汗をかいたリョクが写った。
ナノハナは、がたん、と音をたてて椅子から立ち上がる。少し待つように言い置いて、ナノハナは調理場から包丁とジャガイモを一つ持ってきた。
「どうぞ」
リョクが言葉に詰まる。
「剥いて下さい」
リョクが包丁とジャガイモを受け取る。左手には凹凸の少ない、やや大きめのジャガイモ、右手にはごくごく普通の包丁である。
ごくり、と生唾を飲み込んで、リョクは、包丁を逆手に握りしめてジャガイモに突き立てようとした。
厨房からも悲鳴が上がる。
「危ない! 危ないから! 包丁は普通に持って!」
ナノハナも立ち上がっていた。リョクが青い顔を見せている。
「しかし」
「ナイフの訓練はあったでしょう! そんな持ち方じゃなかったでしょ!」
「頸動脈を……」
「イモに頸動脈はない!」
そうれもそうか、とリョクが小声で呟くのを、ナノハナは気が遠くなりそうな気持ちで聞いた。リョクは包丁を順手に持ち替えたが、その先の数分間は最早、飲み込む言葉もなかった。
最初にジャガイモを載せてきた皿に、皮を剥いたものを載せ、ナノハナは一度調理場に戻った。
「どうだった?」
ジャガイモの持ち出しを許可したレンゲが問い、振り返って、沈黙した。様子を伺っていた数人が次々に皿をのぞき込む。
「あらぁ、ずいぶんちっちゃいのを剥かせたネー」
「沢山剥いたネー」
持ち出したジャガイモを見ていなかった同僚が微笑ましそうに言う。その後ろで悲鳴の主や、ジャガイモを見ていた同僚は青ざめていた。
「大きめのを一つです」
「え?」
「一つのジャガイモの皮剥きです」
「え」
「切ってから剥いたんでしょー?」
ナノハナが首を横に振ると、皆黙り込んだ。
帝国において、魚を捌く技術であれば、機会が圧倒的に少ないので必要とされない。だが、基本的な調理技術は男女問わずに求めるのが徹底した男女同権で知られる帝国の常識だった。特に、北部の保守層ほど調理技術と家電の修理技術が必須だと考える傾向が強い。料理教室の隆盛は、結婚修行のためだけではないのだ。北部出身の中年女性だらけの厨房で、皿の上のイモは、リョクが可愛い男の子であることの贔屓目を打ち砕き、沈黙をもたらしていた。
「……二重所属は禁止、勝手な出入りを認められません」
頭を抱えたレンゲが呻く。北部訛りも無く、毅然とした物言いに、食堂を預かる少尉としての責任感と、北部年配女性故の不安が胸中で鬩ぎ合っているのだろう、とナノハナは察した。
「ンでもー、友達ン所サ遊びに来るついでに皮剥きさー教わる、くらいなら目ェ瞑れっぺ」
向こうも夜勤があンべい、と言い足す語尾上がりの北部訛りに、ナノハナは苦笑混じりに頷く――そして気付く。
「私が教えるんですか!」
「ああ、そこは良っぺネー? 年近そうだし、イケメン」
ナノハナが青ざめた。無理だ、イモの頸動脈を狙う阿呆の面倒見きれない、と叫ぶ前に、レンゲにポン、と肩を叩かれる。
「まだ待ってンでしょー? ンじゃ、さっそく包丁の使い方からネー」
ナノハナは目の前が暗くなった。
全くの素人に料理を教えろと言われたところで、ナノハナ自身、技術に自信があるわけではない。将校倶楽部や一流レストランの料理人がやるような飾り切りは出来ないし、肥えた舌を唸らせる高級食材は触ったこともない。ごく平凡な、基地の下っ端職員なのだ。
一方のリョクは、開発局に配属されているのだから、一通りの教育は受けたはずだ。頭が悪いこともないはずだ。ナイフの訓練もそれなりに受けている。使い方が間違っているだけだと、ナノハナは自分自身に言い聞かせた。
リョクの所に戻って事情を伝え、ついでに逆手で包丁を持つなと厳命する。
「しかし、力が入りますか?」
自分は非力なので、と悪気もなく恥ずかしそうに言い添えるリョクに、ナノハナは悲鳴を飲み込む。
「准尉、イモです。イモを切るには相応の力で十分です」
「ああ、刺すのと切るのとでは力の加減が重要と言うことですね!」
軍はこの子にどういう訓練をしたんだ。ナノハナは得意げに頷くリョクから目を背けた。
幸いイモはまだ大量にある。明日のために剥かねばならぬイモが。
「とにかく私が剥きますから、見ていて下さい」
そう言ってナノハナは一心にイモの皮を剥いた。剥き終えるとイモをリョクに差し出す。リョクは感心した様子で頷く。頷くだけだった。
「准尉、イモはまだあります」
「はい」
「今、手本を見せました。やってみてください」
「えっ」
リョクが青い顔でイモと包丁を受け取った。おっかなびっくりといった様子でイモと包丁を扱おうとしたのを見かねて、ナノハナはリョクの正面から隣に移動した。イモと包丁を手にリョクを見ると、端正な顔が青ざめている。何かまずいことをしたようだ、とナノハナが戸惑っていると、厨房から声が飛んだ。
「准尉、隣か後ろから見た方がえーヨー。向かい合わせは解りにくいっしょー」
厨房からの北部訛りのアドバイスに、リョクが「あ」と声を上げた。少し照れくさそうに包丁とイモを持ち直す。急に隣に座ったから驚いたのか、と納得したナノハナは軽い謝罪の言葉を口にしたが、同時に軽い頭痛を感じていた。
乙女か。男に怯える乙女かこいつは。
とはいえ、女性にセクハラされて真っ青になっていたことを思い返し、少しだけ同情した。イモを剥くナノハナの手元を覗く金色の目は、確かに綺麗だった。
ナノハナにとってはそれだけだ。普通の娘ならば、イモではなくて自身を熱心に見つめて欲しいと思い、そのあまり尻に手が伸びるのだろう。
だがナノハナは、金色の熱い視線よりも、落ち着いた黒い視線の方が嬉しかった――たとえば、小声で「ごちそうさん」と言っていく、名も知らないあの客の黒い目だとか。食事中は何時も片手に本だの書類だのを持っていて、読んでいるのかと思えば時折厨房を眺めている。身なりはだらしないのに、食事を終えた皿はいつも綺麗に平らげられていて、去り際には挨拶をする。ナノハナを見ているわけでも無い、落ち着いた黒い目だ。
「早いですね」
リョクの声に、ナノハナは一気に現実に戻る。考えていた内容も恥ずかしく、頬が赤くなった。
「ごめんなさい、ゆっくりやりましょう」
「いえ、そのままで結構です。美しい手を見た方が手本になります」
さらりと言われた言葉に、ナノハナは吹き出しそうになるのを必死に堪える。厨房の方で「まあ」と物見高い呟きが聞こえた。
「准尉、気をつけた方が良いのでは?」
「何がです?」
きょとん、と金の瞳がナノハナを見上げる。こいつはとんだタラシだ、だから尻を揉まれるのだとナノハナは頭が痛くなる。
「イモを剥きましょう」
ナノハナはそう言って作業を促す。リョクは素直に従う。三個も剥き終える頃には、手付きは危なっかしいものの、イモは綺麗に剥けていた。剥かれたイモを眺めながら、ナノハナは最初の印象を改める。軍
はそれなりにナイフの使い方を教えていたようだ。未だに怪我もしていないし、不慣れな手つきも次第に熟れてきている。不器用なのではなく、経験と知識の不足であるようだ。
十個も剥き終える頃には、それなりにきちんと出来ていた。
「どうですか?」
「良いと思いますよ。丁寧ですし」
仕事でないのだから、速さは考えなくて良いだろう――とリョクの倍は作業をしていたナノハナは素直にリョクを褒めた。照れたように頬を赤くして笑うリョクは、ちょっと幼くて、可愛らしさがある。結構色んな表情が出来るものではないか。
「魚も捌けますか!」
「それは気が早い」
きらきらと目を輝かせた表情を見せたので、明言するとちょっと俯く。その仕草も可笑しくて、これは飢えた男女に放り込んだら危ないな、とナノハナは率直に思う。
散らかった机を片づけていると、リョクがおずおずと話しかけてきた。
「魚は、どうしたら料理出来ますか?」
「焼き魚だったら網で焼けば良いと思いますよ」
「油で揚げたりは?」
「出来ますけど」
「虫は?」
ぞわ、と総毛立つ。振り返れば、リョクは真剣な顔をしていた。揶揄や冗談では無さそうだ。だからこそ、虫をどうするのかとナノハナは聞けない。ナノハナは幼少期の経験から、昆虫や両生類、爬虫類の類いは苦手なのだ。特にネバネバするアレは駄目だ。絶対に駄目だ。だがリョクはそれを知らない。
「虫も揚げたら食べられるというのは本当ですか?」
「自分は遠慮したいですけど!」
「じゃあ、カエ」
「准尉! 誰にどう吹き込まれたか知りませんが、東部のクソ不味いレーションも魚が原料なんですよ!」
「ああ、それは知っています。自分が知りたいのはそうではなくて、虫やカ」
「准尉! それ以上そういう話をするなら出入り禁止にします!」
ヒステリックに叫ぶと、リョクはきょとんと目をしばたかせ、小声で「すみませんでした」と謝罪した。
「さあ机を拭いて! まずは野菜! 野菜を切るところからです准尉! それから魚類を捌きます!」
まずはイモで包丁の扱いを覚えることに専念するように、とナノハナは念を押す。
「そうでした、魚さえ捌けるようになれば……」
リョクが拳を握りしめていた。その姿にはどこか執念のようなものが感じられたが、ナノハナはあまり気に止めなかった。リョクにも手伝わせて調理器具を厨房に片付ける。
「どうでした、准尉」
厨房の面々が好奇心一杯の顔でリョクに話しかける。リョクは聊か戸惑いつつ頷くと、ナノハナを見やった。
「教えたらそれなりに皮剥きは出来ましたよ」
「あら良かったわー。次は調理サ覚えなきゃあ」
「いや、准尉は魚の捌き方を知りたいのであって」
火を通すのは配膳の直前だ、暖かいものは前夜から作り置きしない。そもそも准尉の拘りは魚の捌き方にあるのだ、とナノハナは同僚を遮ろうとした。
「あら、捌けても味が悪いんじゃ台無しさねぇ。見かけ悪くたって、味で誤魔化せることもあるし、お魚もお刺身にするだけじゃないでしょー?」
「焼き魚も良いけど、煮付けも美味しいよネー」
好き放題に言う。誰が教えるのか、と口を噤んでいると、リョクが向上心に燃える目でナノハナを見た。
「自分に出来るようになりますか?」
「自習して下さい」
はい、とリョクが素直に言うので、ナノハナは頭が痛い。
「明日も来ますー?」
「来ても構いませんか?」
「良ーヨー。なっちゃんもいるしネー」
同僚に肩を揉まれる。反論は無意味だ、とナノハナは無感動に心にもないことを言う。
「お待ちしております、准尉殿」
自分でもびっくりするほど、声には抑揚がなかった。