その13 彼の事情。
短いので最終話も一緒に更新です。
狂信の西部も盗人の東部も敵では無い。帝国の敵は雪だ。北部の人間は往々にしてそう言う。帝国の尋常でない科学力は雪に抵抗するために生まれ、ついで軍事転用されたと言う。北部に生まれ育ったリョクは何度もそれを聞いてきた。西部戦線の凄惨さや東部戦線の陰惨さを聞けば雪など可愛いものだが、すでに防寒具で膨れ上がった他地域者を見ると、北部の厳しさを甘く見るなと思う。
今はまだ初冬で、雪は降ったばかり、平野ではまだ地面が見える。寒さもさほどでは無い晴天の日だ。この程度の寒さで音を上げては春が越ない。
とはいえリョクもすでに上着の裏地は付けていたし、手袋も嵌めての今年初の雪かきだ。場所は第五基地の最奥部、第八部局の使う倉庫の前で、車の出入りのために道路の両側に避ける。屋根には積雪を溶かす廃熱管と太陽光パネルが設置されており、今はまだ氷柱を払う程度で事足りた。廃熱も陽光も、地下から湧き出る温水すらも意味をなさなくなった時が、北部の戦時だ。
力仕事を終えて汗ばむと、顎のガーゼに水分が染みこんで不快であった。何故ガーゼを貼るに至ったかを思えば、不快感は後悔に変わる。その後悔を感じることもまた不快であり、リョクは端正な顔立ちを歪めて白いため息を吐く。
後悔も不快も、リョクにとっては馴染み深い感情であった。
この数日、それをしばし忘れていた。
これは罰だろうか、とリョクは思う。安寧を貪った自分への鉄槌か、何かの報いかと考えてしまう。
リョクは、その端正で特徴的な容姿が表すような生まれではなかった。そういった家に帝族特有の色素を顕してしまったことが、彼の生い立ちを不幸なものにしてきた。リョクは自分を虐待し、弾圧した周囲全てを憎んで育った。誰に嫌われ、傷つけても構わない。リョク自身がそうとしか扱われなかったのだから、そうでない方法で他人と付き合う方法は知らなかった。
それでもこの数年、リョクは変わりつつあった。好意を向けてくれる人が出来たからだ。ようやく、傷つけ傷つけられる関係以外の付き合い方を学び始めた。己の無知を認め、教えを乞うことも苦ではなくなっていた。
親切に物事を教えてくれた相手に、実の家族にはついに持てなかったような愛情を持つことが出来るようになっていた。
それは淡い敬慕であった。
しかし、リョクが敬意を持ったひとりは酷く傷ついて倒れた。
傷はリョク自身が蒙るべきだったのに。
リョクは手にしたスコップを担ぐと、首を横に振った。詮無い考えを振り払い、それをもたらした不快なガーゼを張り替えようと決める。
と、道の先、坂の上からエンジン音が聞こえてきた。誰が来たのかと目を向ければ、支給品のコートやマフラーを風になびかせた女性軍人だ。見れば耳当ても手袋もしているし、ヘルメットの下には毛糸の帽子だ。コートの下、軍服の下の重ね着は容易に想像がつく。今からそれではこの先持つまい。
しばらくしてスクーターが止まる。女性はスクーターを降りると、ヘルメットもゴーグルも付けたままリョクの前まで小走りで来ると、帝国式の敬礼をする。
「帝国に栄光あれ、リョク准尉」
「栄光あれ」
リョクも返礼し、そして視線を逸らした。後悔の原因が、その女性を傷つけてしまった己の行動にあることを、リョクは自覚していた。己の無力さ、不器用さへの苛立ちが後悔に混じって不快になる。自分自身への不快感に、リョクは何度も苛まれていた。
とはいえ女性は気にした風も見せず、リョクを見上げる。
「コート無しで寒くないんですか?」
「雪かき中ですので」
「終わりましたか?」
「はい」
「なら、休憩しませんか? 暖かいお茶があるんです」
心遣いにリョクが視線を戻せば、そのひと、ナノハナは微笑んでいた。
「しかし!」
「シュタン大尉には許可を得ましたし、一緒にいたおじいさんとお孫さんも良いって言いましたよ。
だから、休憩です。師匠の言うことは聞きなさい」
腰に手を当ててナノハナは胸をはる。リョクはナノハナの言葉にあるちょっとした思い違いに気付くも、訂正してその表情を崩してしまう気にはならなかった。その得意げな笑顔がリョクの不快感を和らげていた。
ナノハナは笑っていた。今のナノハナは屈託無く笑えるのだ。そのことはリョクを安堵させた。
リョクは少しの逡巡の後に頷いた。
「解りました、師匠」
「よろしい」
じゃあ荷物を降ろして、とナノハナが指示を出す。リョクはそれに従う。
少なくとも、師匠と呼んで嫌な顔はされなかったのだから。
次話で完結です。