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食堂の事情。  作者: ぐも
12/14

その12 紙切れ一枚の価値。

「失礼しました。自分は第八部局のシュタン大尉と言います」

 巨人を蹴り飛ばし、馬鹿者を張り飛ばした男はそう言った。


「そこの馬鹿でかい馬鹿が同じく大尉で副隊長のサチャ、しれっとした馬鹿がツチ少尉」


 サチャは隣に立っているが、ぴゅーと口笛を吹いたりと反省の色がまるでない。ツチは表情も無く敬礼する。


「帝国に栄光あれ」

「え、栄光あれ」


 ベッドに座った状態でナノハナは返礼する。ちらりと足下の方を見れば、両手で顔を覆って俯くアカガネがいる。耳が真っ赤になっているのはナノハナの目にも見えた。


「謝罪に参りました」

 シュタンは荒んだ瞳で言う。え、とナノハナが反応に戸惑っていると、シュタンが言葉を続けた。


「まず、我々の先ほどの騒ぎを謝罪します。

 次に本来の謝罪案件として、コン准尉とリョク准尉の厨房での不始末を」

「不始末、と言っても……あの、お二人に何か処分が?」

「鉄拳制裁」

「久しぶりに右が出て、すっげ顔腫れてんの」


 ツチとサチャが交互に言う。サチャが遠慮無くシュタンの右肩を指で叩くと、布越しに金属音が響く。


「……義手ですか?」

「肩からだよ?」

「すごいっすよね」

「どうしておまえらが自慢気なんだ?」


 サチャとツチの言葉にシュタンが怒りを滲ませる。ナノハナは思わずアカガネを見やった。アカガネは何とも言いがたい顔で首を横に振る。


 コント集団か、とナノハナはため息を飲み込む。

 彼らの前で、深刻に悩む気には全くなれなかった。


「厨房でのことは、レンゲ准尉にも謝罪しました。貴女が倒れている前で殴り合いをして多大なご迷惑を」

「殴り合いって、リョク准尉が?」


 ナノハナは目を丸くした。リョクは華奢な部類に入る。とてもそういうことをするタイプには見えない。サチャが腹を抱えて笑い出した。


「あいつはすげぇ猫っかぶりなんだよ! 他所じゃ大人しく出来るのにな!」

「おまえは少し猫かぶれよ」

「隊長、サチャさんがかぶれる猫は猛虎の類いですよ」

「上手いこと言うな、おい」


 サチャがツチの頭を豪快に撫で回す。首が折れそうな勢いだが、ツチは文句を言わない。

 むしろ嬉しそうだ。


「あの、医務室ですよ、お静かに」

 勇気を振り絞っているのか、アカガネが控えめに言うと、サチャがまた笑った。


「セクハラしてる奴が何を言う」

 サチャの顎をシュタンの左拳が殴る。サチャが大人しくなる。ツチは黙る。

 スラップスティックコメディだな、とナノハナは眼を逸らす。アカガネは顔を覆って俯いている。


「いちいち間に受けないで下さい。で、中尉は大丈夫なんですか」

 シュタンの言葉にナノハナは再びアカガネを見た。え、とアカガネが目を丸くしていると、シュタンは自分の左肩を突いて示した。ああ、とアカガネが納得したように頷く。


「問題ありません。それより、安静にと聞いています」

「ああ、そうでしたか。では長居は良くありませんね」


 シュタンはアカガネをちらりと見やって立ち上がった。

「ならばあとは中尉にお願いしましょう」

「えっ、帰るのかよ」


 抗議の声はサチャだ。椅子から立ち上がったシュタンの足が動く。サチャの良く鍛えられた左腕はそれを防ぐ。徹底した男女同権を標榜する帝国にあっては、性別を理由に鉄拳制裁を免れることは無い。涼しい顔で防ぎ得る女性は珍しいが。


「解った解った、帰りますよ。

 お嬢さん、お体お大事に。襲われそうになったら潰しちゃって良いんだよ?」

「だからそういう言い方っ……」


 泣きそうなアカガネに対し、サチャは豪快に笑って医務室から去る。その背をツチが追い、最後にシュタンが続いた。シュタンは部屋を出る前に振り返り、ナノハナを見据えた。


「お困りのことがあれば第八部局へどうぞ。帝国に栄光あれ」

 シュタンはそう言い置いて出て行った。


 気まずい沈黙の後、ナノハナは「お仕事大変そうですね」とアカガネに声をかけた。アカガネが曖昧に笑う。


「帰宅のこともありますし、やはり医者の指示を仰ぎましょう。今、呼びますから」


 礼を述べるとアカガネは気にしなくて良いと言うように笑って寝台を離れ、電話に向った。ナノハナは一人で息をつく。あまりにも多くのことがありすぎて、頭の整理が追いつかない。


「じきに医者が来ます」


 戻ってきてそう言ったアカガネを見ることも出来ず、ナノハナは小さく頷いた。と、「あの」とアカガネが穏やかな口調で話し始めた。


「最近のリョク准尉は、楽しそうでしたよ」

「え?」

「普段は塞いでいることが多いんですけどね、なんだかんだでコン准尉といると生気が戻るっていうか、張り合いがでるみたいで。

 料理を習いたい理由、言っていましたか?」

「部隊の中で、一人だけ魚が捌けなくて恥ずかしいと」


 アカガネが笑う。

「コン准尉がね、ああ見えて、かなりの料理上手なんです」

 今度はナノハナが目を丸くした。


「それが相当悔しかったんでしょうね。リョク准尉はびっくりするほど下手だったんですが、今日の手さばきは見事でしたよ。隊長たちに褒められて、凄く嬉しそうだった。いつもは無表情なのに」

「そんな。だって、准尉は」


 リョクは、一度だけ空恐ろしい表情を見せた。だが他はどうだ。褒めれば目を輝かせ、魚が釣れればはしゃぐ、素直な若者だ。


「それだけ、貴女には気を許していたんです。

 リョク准尉が他人に懐くのはとても珍しいんです。さっきも、貴女を心配してコン准尉を追ったんですから。リョク准尉にも、貴女が必要なんですよ。だから、あまり自分を責めないで下さい」


 ナノハナが何も言えないでいるうちに、医者が来た。アカガネが外で待機している間に簡単な診察が済む。帰宅を許可されると、それを聞いたアカガネが車を手配した。ナノハナを車に乗せると、アカガネは「お大事に」と見送った。ナノハナの手には紙切れを握らせて。





   ○


 あまりにもせわしない一日であった。

 ナノハナは自室に戻った途端、寝台に倒れ込んだ。携帯端末を確認すると、レンゲから明日は休養せよとの指示が来ていた。もう一方の手には、アカガネに渡された紙片がある。


 何かあれば相談に乗りますから、と渡されたのはアカガネ個人の連絡先だ。

 貴女が過去を気に病むことはない、それは貴女が責めを負う過ちでは無いのだとアカガネは言った。

 ナノハナの過去を知ってなお、その責めがナノハナに無いと励ました。


 ナノハナは目を閉じる。

 弟の姿が目蓋の裏に浮かんだ。死体袋に詰められ、埋葬されるばかりになった弟の骸だ。そうして資料室で見つけた書類や、フユガや近衛の老婦人の顔を思い出す。

 もっとしっかりしていれば、スズシロが餓死することは避けられたと何度も自分を責めた。

 その後の出来事も回避出来たはずなのだ。


 アカガネの紙片を握りしめる。

 ずっとナノハナが思慕していた黒い瞳は、ナノハナを見ていた。そうしてナノハナが南部でしたことを知ってなお、ナノハナに親切を向けてくれた。

 甘えて良いのなら、甘えてしまおうか――そう思ったのは一瞬だった。ナノハナは罪を許されたく無かった。それを消してしまいたくなかった。

 弟を見殺した罪を解消してしまえば、霧の中で弟を探す権利も無くなってしまう。

 かつて自分がしでかしたことの痛みを、優しい黒瞳が許しても、ナノハナ自身は罪の痛みを手放せない。


 ナノハナは拳を緩める。

 リョクを思えば罪悪感しか湧いてこなかった。素直に喜びや感謝を表す表情を曇らせてしまったのは、ナノハナ自身だ。

 もしも間に合うのなら、ナノハナはリョクにしてしまった己の行為を謝罪したかった。リョクはまだ生きているのだ。この先の人生において、ナノハナのつけた瑕疵は消えるべきであった。


 スズシロとリョクは別の存在だ。死なせてしまったスズシロは二度と生き返らない。だが、リョクは生きている。


 謝ろう、とナノハナは決意した。リョクに逢うのは気が重かったし、リョクもナノハナの顔など見たくないかもしれない。リョクの考えていることは、ナノハナには解らない。


「ごめんなさい」

 紙片を見つめ、ナノハナはそう呟いていた。


 あ、とナノハナは自分の喉に、腹にと手をやった。

 得体の知れない女の指を思い出して跳ね起きる。食道に詰まる蛙を飲み込んだ蛇の指だ。

 携帯端末には、幼い頃に家族で撮った画像が映っていた。


「心配させてごめんなさい、でもありがとう。

 憎いから傷つけたんじゃ無いんです」


 ふらつく頭を抱え、ナノハナは何も詰まっていない喉から本心をはき出す。


 蛇は蛙を呑んでいた。

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