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アダーシャン伯爵夫妻の日常  作者: 々 千早
Ⅴ 伯爵夫妻の日常~夜会編~
27/30

窓際の伯爵夫人

久々によろしくお願いいたします^^


 声かけをされ、振り向いた先にあまりにも見知った顔があり、イリスと伯爵は同時に目を丸くした。


「マリーシュカ様」


 イリスの金色の相貌の先には、美しく着飾った夫の愛人の姿があった。

 相変わらずの輝かんばかりの手入れの行き届いた金色の髪はつややかで、美しく編み込んで結い上げられている。精一杯めかしこまれた彼女に注がれる羨望の眼差しが、隣に立つイリスにも痛い。

 わざとらしく声かけをしたマリーシュカは、イリスにはとても敵わない国宝級の微笑みを浮かべて伯爵の元へとすり寄る。

 その隣にいる伯爵夫人には一切、見向きもせず、周囲の目も気にせずまるで「己が真の伯爵夫人だ」といわんばかりの笑顔でウェンデルの隣に平然と並んだ。


「奇遇ですこと」


「……。……マリーシュカ」


「あら。ご挨拶はしてくださらないの?」


 ニコリと微笑むマリーシュカに、ウェンデルは苦虫を噛み潰したような顔をした後、嫌々彼女の手を取り、その手に口づけた。

 そして腰を折った低い姿勢のまま、彼女の美しい顔を下からねめつけた。


「……一体どういうつもりだ」


「どういうつもりもなにも。父が公爵夫人にご招待されたので、同伴させていただいただけですわ? お母様が体調を崩されて、代理でわたくしが。なにもやましいことはございません」


 にっこりと微笑んで説明するマリーシュカに、伯爵はグッと押し黙る。完璧な説明だ。けちのつけどころがない。

 もちろん、同伴させる者もいなくはないが、愛人がこういう公式な場に出るのは好ましくない。しかし、代理とはいえ正式に夜会に招かれたマリーシュカは、今日は〝愛人〟ではなく、〝ドラーヴス伯爵令嬢〟として扱わなくてはならない。

 マリーシュカの自信満々な、非の打ちどころのない出席理由に舌打ちを打たないのが不思議なくらい不愉快そうに顔を歪めたウェンデルは、やっと頭を上げてマリーシュカと顔を合わせた。


「邸内での自分の立場を理解した上でのこの行動か? マリーシュカ」


「何度も言いますけれど、今日、ここに来たのは、お母様の代理でお父様に同伴するためです。なにもおかしいところはないでしょう?」


 イリスなら思わず悲鳴を上げてしまいそうな絶対零度の凍てつく視線をもろともとせず真っ向から受け付けるマリーシュカの度胸は尊敬に値する。

 しばしの間、両者の間でにらみ合いが続いた。伯爵の深緑の瞳からは冷ややかな視線が注がれ、マリーシュカの青い瞳はまるでそれが誇らしげであるかのごとく堂々とそれを受け入れている。

 美貌の二人だ。気にしている人は山ほどいるだろう。実際、マリーシュカの背後には彼女をダンスに誘いたがっている男が大勢いるように見えた。

 これはまずいとイリスは冷や汗を流す。マリーシュカと伯爵が浅からぬ仲であるということは周知の事実。その二人が公の場で会しているのだ。

 どう考えても噂好きの貴婦人たちの話題の種になる。それはさらにその夫の耳に入り、それから夫の有人の耳にはいり、さらにその友人の――。

 伯爵の評価を貶めかねないマリーシュカの行動に、イリスは頭を必死で動かした。

 なんとかしようとオロオロしていると、にらみ合っている二人の間に声が割って入った。


「あの……」


 見れば、マリーシュカの背後にいた青年の中の一人である。マリーシュカはくるりと振り返る。


「はい?」


「よ、よろしければ、ダンスのお相手を……」


 マリーシュカは慣れた様子だが、女性をダンスに誘うことにあまり慣れていないのか、青年は耳まで真っ赤にして必死に声を振り絞っている。

 しかし、マリーシュカは一瞬、青い目をパチクリさせただけで、笑いを含んだ声で言った。


「あらごめんあそばせ。わたくし、この方と踊ることになっておりますの。次にまたお誘いくださいまし」


 ホホホ、と優雅に微笑んでダンスの誘いを断ったマリーシュカは、強引にウェンデルの腕を引いた。


「さ、行きましょ、ウェンデル様」


「あっ……」


マリーシュカのぬかりない一言で、イリスは引き下がることを余儀なくされ、人込みの中へ消えて行ってしまった。

 やがて、会場内に曲が流れ始める。

 残されたのは、イリスのみ。ポカーンとしていると、おずおずといった体でマリーシュカにダンスを申し込もうとしていた青年が手を出してきた。


「あの……もしよろしければ……ダンスのお相手を」


 目の前に手持無沙汰となった淑女が一人。ここで誘わないのは失礼にあたると思っているのか、青年は申し訳なさそうに手を差し出す。

 本心ではマリーシュカを誘いたかったが仕方なく、といった風な本心が見え見えな青年に苦笑し、イリスは首を横に振った。


「いいえ。今日は気分が悪いので、ダンスはご遠慮させていただくつもりでしたの。……あそこにいるご令嬢たちをお誘いになっては?」


 壁際を見やれば、世間話に花を咲かせる令嬢たちがいた。扇の裏で上品に微笑む彼女たちは、遠目から見ても平凡なイリスよりもよほどの美人揃いである上に、よっぽど社交に前向きなようにみえた。


「きっと、お誘いに乗ってくださると思いますよ」


 自身をつけるように微笑んで見せると、そちらのほうが望みがあると見込んだのか、青年は「そうですか」と頷き、イリスに謝罪すると、踵を返して壁際の令嬢を誘いに急いだ。

 指揮者を交えた奏者たちの練習音が会場内に響き始めたからだ。ダンスの曲が流れる時間は近い。

 先程の青年はなんとか、令嬢の一人にダンスのお相手を承諾していただけたようで、喜色満面で令嬢を広間の中心部へと誘っていた。

 その様子を老婆心で微笑ましく見送った後、令嬢たちと入れ替わるように、次はイリスが壁際へ移動する。

 壁際にいるのは慣れている。毎回、こういった夜会に出かけるのは〝遊び〟ではなく、あくまで〝社交〟のためである。社交は貴族の仕事である。夜会の場に出れば必然と仕事の話が出てくる。伯爵も、夜会は息抜きに来ているのではなく、仕事の話をするために来ているといっても過言ではない。

 聞かれたくない話の一つや二つもあろう。そういう場には言われない限り同伴することを遠慮しているので、呼ばれるまで壁際や別室で用意された料理や珍しい菓子類に舌鼓をうつ。


 マリーシュカはの相手は面倒くさそうだが、まあ最悪帰る時には探してくれるだろう。

広間の中央に集まりはじめる男女の隙間を慣れたようにかいくぐり、イリスは適当に空いている別室で用意されている料理を小皿に少量ずつ盛り付け、邪魔にならないように窓際の隅っこに陣取った。

 ぐー、とコルセットで締め付けられた胃が控えめな音を立てて空腹を訴える。コルセットを締めるのが久々だったため、今日は朝からあまり食事をしていなかったのだ。

早速、皿に盛りつけた冷たい前菜にフォークをさし、一息にぱくっと口に含む。


(生ハムメロン……おいしい)


 メロンは甘くなく、どちらかというとキュウリに近く淡白な味をしている。しかし、それに赤い、塩気のきいた生ハムがよく合う。いつも以上にメロンの味が瑞々しく感じるのは、海を越えた先の国から運ばれてきた舶来品なのかもしれない。この会場内にいったいいくつの生ハムメロンがあるのかは知らないが、これだけの量を用意するとなると舶来品を商う商人との繋がりが必須だ。いまだ衰えぬ公爵家の経済力と人脈に密かに感心した。

うっとりと美味しい生ハムメロンを味わいながら、広間をゆっくりと見渡す。隅っこゆえに広間全体が見渡せる。人が多すぎて伯爵の姿は見当たらなかった……が、著名人たちの姿をちらほら見かけた。

地方を旅する吟遊詩人に有名な哲学者、学者に大学教授、元国王お抱えの老画家……イリスでも顔を知っているような著名人で溢れている。北では名の知れた伯爵家であっても、まず呼ぶことが難しい人々ばかりだ。ほとんどがアンネ夫人主催のサロンに集まる人々であることは瞭然だった。

さすが公爵主催の夜会である。ひとつ学習して、イリスはもう一口生ハムメロンを口に運ぶ。


「失礼、お嬢さん」


 若い男の声がかかる。恐らく、イリスと同年代くらいだろう。一瞬、自分に話しかけられたのだろうかと身を固くしたが、間違っても〝お嬢さん〟と呼ばれる歳ではないのでもくもくと生ハムメロンを噛み砕く。


「そこで生ハムメロンを食している貴女です。お手すきですか?」


 いまにもダンスが始まるであろう時に悠々と生ハムメロンを食している女など、イリスしかいない。

ごくっ、と音を立てて生ハムメロンを飲み下したイリスは、動揺を抑えられないまま、黄色い瞳で声の方向を振り返る。


「は、はい」


「ああ、よかった。聞こえていないのかと思いました」


 伯爵よりも若い男だった。声からの予想通り、恐らくイリスと歳数はそう変わるまい。赤みがかった茶髪、紅茶色の髪に人当たりの良さそうな笑みを浮かべる彼は青年だというのに少年のようで、やんちゃな子供のように見えた。


 そしてその顔の驚くほど整っていること。髪と同じ紅茶色の睫毛は長く、眼下に翳を作っている。そ長い睫毛の奥はイリスと同じ――……黄色い瞳だった。これはイリスの生まれたケミストラ周辺に見られる人々に多い瞳の色だ。この国では少し珍しい。

 イリスは動揺したまま、口を押えて弁解した。


「あの、聞こえてはいたのですが、間違ってもお嬢さんと呼ばれるような歳ではなかったものですから私ではないのかと思って、その……失礼をいたしました」


「とんでもない。ところで、お手すきですか? 実はダンスの相手を頼むのに出遅れまして、困っております。どうか人助けと思って私と一曲、踊ってくださいませんか」


 すっと出された手は絹の手袋に覆われていた。刺繍の入ったお洒落な品だ。質もよく高そうである。手を出した瞬間にふわっと香った香水のにおいは最近、王都の高級香水専門店が売り出した夏限定の香水に似ている。

 そういうことかと、イリスは苦笑した。ダンスに出遅れたから、見るからに余りもののイリスと踊りたいと、そういう魂胆だ。


「申し訳ありません。少し足の調子が悪いものですから、今日はダンスは遠慮しております」


「ああ……そうですか」


「申し訳ありません」


 申し訳なさそうにぺこ、と頭を下げると、見るからに残念そうな顔をした若者は大袈裟に首を振った。


「いえいえ。お体は大事にしなくてはいけませんからね。……ところで無礼は承知でうかがいますが、おいくつですか?」


 出た。年齢の質問。童顔を気にしているイリスは少しうんざりした気持ちで答えた。


「……今年で二十二歳になります」


「随分と若い二十二歳ですね。まだ学生ぐらいの歳かと思いましたよ」


 若者がまだ疑わしそうに見てくるので、イリスは情けない気持ちで下を向いた。


「……よく言われますが、私は二年以上前に王都のジレンホール国立大学を卒業しております」


「そうですか。女性の国立大卒業生とはまた珍しい。何処にお勤めです?」


 大学を卒業した女学生はすべてがすべてというわけではないが、ほとんどが結婚。あるいは良家の家庭教師として何処かに勤め先を求める。イリスは実家の自営業があったので、卒業後は実家に帰ったが、数少ない同性の同級生はほとんどが各々の得意分野で活躍するために良家に家庭教師として就職した。

 それが何がどう転んでこうなったのかはわからないが―――イリスはいまの職業を答えた。


「夫の秘書をしております」


「なるほど。女性の秘書も近年では需要がありますからね。細かいところにもよく気付くし気が利くし、気配りもできるしで。贈りものの手配にしても、男性では格式ばってしまって、女性のように相手にあわせて柔軟に贈り物を変えることを考えない。女性秘書のおかげで交渉がうまくいったという話は王都ではよく聞きますよ」


 伯爵だったら男でも女でも、「それぐらいできて当然だろう」と言いたげだ。イリスの仕事ぶりを見ていないにしても、暗に褒める言葉を繰り出されてイリスは恐縮した。


「世間の女性も室内で刺繍や編み物にいそしむだけでなく、あなたを見習って社会に出て働けばよいのに。そう思いませんか」


 イリスは意見を求められて、少し困った顔をする。イリスは実家の事情もあり必要に迫られて仕事をしてきただけで、むしろ自分の存在が社会では異端であるという認識があった。

 仮に良い教育を受けたからと言って、望む職業に着ける可能性は今の時代、遥かに低かった。その豊富な知識を生かすことが出来る職業といえば、よくて研究職、あるいは両家の子女の家庭教師、地方の小学校の教師くらいだ。それにしたって、女性が働くことはあまりよく思われていなかった。


「ファルディアの社会は、まだ女性の社会進出を望んでおりませんからね……その点を考えれば、うちの夫は立派な方ですわ。女性が働くことに理解がありますから」


 あれこれ口出しする伯爵だが、女性が働くことに対して悪口を言っているところをイリスは聞いたことがない。使える人材は使う。それが伯爵の流儀だからだ。


「……ああ、失礼。名乗っておりませんでしたね」


 若者は唐突に胸に手を当ててイリスの前で頭を下げた。

 その礼は芸術家や貴族の子女が身に着けるような、洗練されたものであった。美しい男が洗練された動きで礼をする―――その光景に、思わず見入ってしまう。加えて目が離せない美貌なのだ。見つめてしまうのは仕方ないと言えよう。


「私の名前はハウエル・ウィクスサクスです」


「イリスと申します、ハウエル様」


「よい名だ。虹の女神の名だったかな」


 形の良い唇が確かめるように音をなぞる。

 あれ、これ何処かで聞いた流れだな―――しかしイリスは思い出せなかった。


「少し話しませんか。あの部屋で」


 青年――ハウエルがしめしたのは、ここから少し離れた個室だった。

 扉が半分空いており、幾人か男女が出入りしている――といっても少数だが――そこには著名人が何人か鎮座し、なにか真剣に意見を交わしていた。


 一体何を話しているのだろう? 思わず見つめ続けていると、ハウエルが耳元で囁いた。


「警戒しないで。大丈夫。あそこにいる人は善良な方ばかりです。―――誓ってなにもいたしません。少しだけお時間いただけませんか?」


 ハウエルの方を向くと、ニコリと口の端を上げて笑った。多分に色気を含む笑みは、お金をとられないのが不思議なくらい美しいものだった。加えて心をこめた声は蜂蜜のように甘く、イリスの喉に詰まっていた不信感を溶かし、イリスの警戒心を巧みにほどく。不思議な声だ。

 音楽が鳴り始める。伯爵はいないし、どうせしばらく暇だ。

 著名人たちの集まる部屋に興味を惹かれ、イリスはハウエルの手を借りて壁伝いにその部屋まで移動していった。

たいへん長らくお待たせいたしました……!

三年近く休んでいる間に応援コメント、評価のコメント、感想など、色々ありがとうございました。

励みになります……!(ノД`)・゜・。

高校生の時に作った小説がこんな大勢の方に読んでいただけていたなんて感謝感激雨あられ!休みがちにはなりますが、

他にもいろいろ書きたいものがありますし、完結に向けて頑張ります!

どうかこれからも末永くよろしくお願いいたします。<(_ _)>

次回も年内に更新出来たら……いいな、と思います。(;´・ω・)

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