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その八:え。

 『荒野行(あれのをゆく)』。管弦楽による、全四楽章からなる交響曲。スヴェレン皇国の作曲家、ゲシュランタ・エレザムによるこの曲は、大陸の西側にあるラセル荒野を旅する人々の哀愁と喜びを綴った彼の代表作の一つです。


 私は会場に設けられた席の、左右中央の列の前後真ん中から少し前に行ったあたりに座っています。え、最前列じゃないの? というそこのあなた、甘い、貴族御用達の砂糖菓子の十三倍は甘いですよ!(当社比)


 こういう規模の大きな楽隊の演奏を聴くには、最前列よりも少し後ろの席の方が、全体の音を丁度良く聴けるのです。ほら、あまりに前だと、全体の音というより、自分の席に近い楽器の音ばっかりが大きく聴こえてしまいますから。いつか演奏会に行くことがあれば参考にするといいネ!


 演奏はたゆたうような第三楽章に入っています。私はラファと隣り合わせて座り、演奏を聴いています。


 私はもう嬉しくて嬉しくて、それはもう熱心に壇上の楽団を目に焼き付けていたのですが、ラファは逆に目を閉じてゆったり音楽に浸っているようです。いやあ、同じ趣味を持つ人がいるって、良いですねえ。故郷では皆ピンと来ない表情だったし、ミュリーちゃんはミュリーちゃんで、「時代は音楽より逆ナン!」とか意味分からないこと言ってましたし。


 それにしても、さすが皇宮の楽隊。沢山の楽器から生まれる音色が、まるで一つの生き物のようにうねり輝いて、私たちの耳に届きます。


 いやあ、これぞオーケストラ! 小規模な楽隊とはまた違った、音に奥行きと厚みのある表情豊かな音色! 劇場とかじゃなくて屋外なのが残念ですが、私の給金ではそんなところの公演なんて聴きに行ける訳無いので、高望みはしませんよ!


 今はこれで十分。心を許せる人と、素晴らしい音楽を楽しめているんですから、これに文句つけたらバチが当たるってもんです!


 音楽は最終楽章に入ります。それまでの美しい流れるような調べから一転し軽やかな音が耳朶をくすぐります。


 楽しい時間はあっという間に終わりました。


 演奏会は終わりましたが、祭りはまだ続いています。陽気に声を上げてジョッキを傾けたり、歌を歌ったりする人たちの間をすり抜けて、私たちは歩きました。はぐれないようにしっかり手を繋いで。


 うほほーい。


 今日はもう役得どころの話ではないね! 本当にバチが当たったらどうしてくれる! 誰に言ってるのか自分でも分かりませんが!


 そういえば、演奏会が終わったあたりから、ラファの動きがまた硬くなった気がします。何かあったんでしょうか。とりあえず、演奏会自体はラファも楽しんでいたようなので、話を振ってみましょう。


「素敵な演奏会でしたね!」

「あ、ああ」


 とりあえず返事は返ってきましたね。


「ラファはやっぱり、音楽が好きなんですね」

「ああ」

「何かきっかけとかはあったんですか?」

「…きっかけか?」

「はい」

「そうだな…」


 手をあごに当てて考え込んでいます。


「強いて言うならば、親の影響か。父親が好きでな。俺も好きになった」

「そうですか。じゃあ、私と一緒ですね」

「そうだな」


 繋いだ手と見上げた先の目が暖かいです。


「ずっと一緒だったらいいですね」


 なんだかとっても幸せな気分だった私は、流れに身を任せて小さくそんなことを言ってみました。聞こえないだろうな、と思っていたら、少しの沈黙の後、ラファも小さく「…ああ」と答えました。


「…」

「…」


 って、え? あまりのことに一瞬スルーしかけましたけど、これはっ! これはっ!


 かなり自分の耳を疑ってしまった私は思わずまたラファを見上げました。


「ラファ?」

「いや…」


 仏頂面を背けましたが、耳が赤いです。どうやらラファとしても思わず口走った言葉みたいですが、私のじごk…高感度の耳は逃しませんでしたぜ! ぐへへ。


 ってやばい、中年の酔っ払いみたいな笑いが。


 不思議な空気が私たちの間にあります。何だか、距離が縮まったような、少しだけお互いの気持ちを知ることが出来た、ほのぼのとした余韻です。


 その時、唐突にラファが口を開きました。


「シャル」

「はい?」

「…話がある」


 急にいつになく真面目な調子になった、いや、いつもそんな感じなのですが、いつにも増して硬いラファの声に、私は顔を見上げました。


 続いて上からこぼれてきた言葉に、私はバカみたいに固まりました。


「来週、俺は国に戻る」

「え」


 …うーんと、ワンモアプリーズ?


「俺の雇い主が、来週帰国することになった」

「え」


 …つまり?


「俺も護衛についていく」

「…」


 ええと、状況を整理するなう。


 そういえば、出会ったばかりの頃に、ラファは今長期の依頼でこの皇都に滞在していると言っていました。つまり、その人がついに帰ることになったから、護衛のラファもついていくと。


 そういうことでしょうか?


「…ああ」

「…」


 ええと、ええと。


 私は状況に上手く追いつけず、言葉が出ません。お祭りの喧騒が、急に耳に届かなくなったような気がしました。


 明るい照明と道行く人の笑顔が、何だか夢の中のようにおぼろげに通り過ぎていきます。


「あの、えと」

「シャル?」


 ラファが私の顔を覗きこんできますが、私は目をあわせられません。ラファは腰をかがめて、目線を私と合わせていました。


「シャル、それでなのだが…」


 言いにくそうに口を開いたラファ。


「あ…」


 その続きは聞きたくない。お別れの言葉は聞きたくない。さっきまでの楽しい気分は露と消えて、私の中で、大切な物にヒビが入るのを感じます。多分この先を聞いたら、壊れてしまいます。


 だから、私は、気付いたときには走って逃げ出していました。ラファの前から。


「シャル!」


 後ろから、ラファの叫んだ声が追ってきましたが、私は人ごみをすり抜けて、逆に大柄なラファは追いきれなかったのか、すぐに声も聞こえなくなりました。


 私たちのお祭りは、どうやら終わってしまったようです。

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