【短編小説】配信家賃
酒を飲んでラーメンを食ってみても気は晴れない。腹の真ん中に空いた鬱屈という名前の穴は深い。
「何だってこっちが他部署のミスまで確認しなきゃならんのだ。キッザニアじゃないんだよ。」
ラーメン屋を後にした途端、ゲップと共に怨嗟がまろび出る。ビールとニンニクの臭いが恨みがましい。
コンビニで追加のビールと割高な冷蔵惣菜を買って自宅に戻るが、新居のマンションは余所余所しい。
鍵を左右のどちらに回すか手が馴染んでおらず、帰って来たという安心感が無い。
乱雑に靴を脱いでリビングに入った瞬間、おれの全身を疲労と怒りが支配する。
部屋の真ん中に女が立っていた。間接照明で薄ぼんやりとしか見えない。
「おう、帰ったぞ」
鞄やコンビニで買った酒を投げ、コートやネクタイをソファに放りながら訊くが女は答えない。
「お前さぁ、なんなの本当に。おれに何か用?」
女はやはり答えなかった。
「なんの恨みがあってここにいるのか知らんけど、おれに訴えるのはお門違いだろ」
惣菜をレンジに突っ込みビールのプルタブを引く。
苛立ちにビールを飲まされているみたいで更に腹が立つ。
レンジの中で呑気に回す餃子にすら苛立ってきた。
おまけに変な女が部屋に出るときた。
心理的瑕疵物件に該当しねぇから告知義務は無いと鼻で笑った不動産屋を思い出す。
世界の全てがおれを馬鹿にしてやがる。
「なんだ?おまえ。出るだけ出といて察して下さい、ってか。馬鹿がよ。おれはお前の保護者でもなけりゃ恋人でもねぇんだよ」
レンジがピーとなって餃子が回転を止める。取り出した餃子はまだ半端にぬるい。
電子レンジまで馬鹿にしてやがる。
面倒になってぬるい餃子を手でつまみ、ビールで流し込む。
不味い。
「いつ死んで、いつからここに居るのか知らんけどさ、これまでそうやって出ても問題は解決しなかった訳だろ?
じゃあやり方が間違ってんだから、方法を変えるのが普通なんじゃない?」
ひと息に喋ってビールで餃子を飲みこむ。
ビールの味も餃子の味も曖昧だ。炭酸の感覚も餃子の食感も鈍い。
それなのに憤りだけが鋭敏になっていく。
「例えばお前がなんか恨んでるとしよう。じゃあ代わりにお前を追い詰めた奴をぶっ殺したところでさ、おれにメリットは無ぇんだよ。
それに見合うメリットみたいなの提供できんの?
できないじゃん、お前。まず家賃を払うところから始めろって思うわ。いいよ、光熱費は。おまえ使ってねぇもん。でも家賃は払えよ。当たり前だろ?」
脳みそが空転を始める。自分の言葉に自分でキレ始める。
女は何も言わずに立っているだけだ。それにも腹が立つ。
「そうやって黙って立ってりゃ気を使ってもらえてきた人生なの?
おれはお前に気を使う必要が無いからな。
おい、聞いてんのか。返事くらいしろよ。黙ってちゃワカんねぇの。それともそこらの女みたいに泣くか?あ?」
パックに残った最後の餃子を飲み込み、ベトベトになった手をワイシャツで拭う。
油汚れってクリーニングか?
いや、裾も擦り切れてきたしそろそろ買い替えるか。
捨てると決めたシャツのボタンを2つ外した辺りで馬鹿馬鹿しくなり、引き千切るみたいにして脱ぐと弾けたボタンが床に転がっていった。
むかしはボタンが外れたら縫い直していたが、それも遠い昔に思える。
「そうだ。お前さぁ、家賃払えねぇなら家事やれよ。皿洗ったり洗濯もん干したりよ。
そこに立ってるだけじゃ暇だろ?朝も夜もおれは殆どここにいねぇし」
缶ビールを飲み干して握り潰す。柔らかすぎる空き缶が「おれはおまえだよ」と言った気がする。
それが被害妄想なのは分かっていた。
「そうそう、前から気になってたんだけどお前らみたいなのってパンツとか履いてんの?履いてたとして履く意味あんの?ねぇだろ」
キレ散らかす脳みそを経由して股間に血流が集まり始める。しかし酔いも眠さもあって全てがぼんやりしていた。
「はぁ。困ったね、まったく。
家賃は払えねぇ。家事もやれねぇ。脱げもしなけりゃ会話もできねぇ。
やれる事と言えばそこに察して欲しそうに立ってるだけ」
パンツの締め付けすら厭になってきて、気づいたら全部脱いでいた。
開放された腹部から巨大なゲップが喉を通過して飛び出した。
「ガボォー」
牛蛙の鳴き声みたいな音が出た。
女は相変わらず立っているだけだ。
部屋の隅に立てた三脚のカメラは、女のいる方向を向いている。
画角を確認した記憶はない。
瑕疵物件に住んでいます、と銘打って生活を垂れ流す配信を始めて3日だ。
配信ページを開くと、コメント欄に「うしろ」とだけ書かれている。誰の後ろか、何の後ろかは確認しなかった。




