消されるはずの記憶
空が晴れてくる。
「この死体、どうしよう」
「どうしようもないわ・・・」
「下手に触ると証拠が残る。そのままにしておこう・・・」
バサリ、と羽音がした。三人がうしろに振り返ると、そこにブッラクスーツを着た細身の男が立っていた。東洋的な美男子で、黒髪に黒目。胸に片手を当てると、丁寧にお辞儀をした。
「遅ればせまして、申し訳ありません」
「遅いわ、ジャック」
シドが眉間を寄せた。
「何をしていたんだ」
ジャックは無言のまま、もう一度頭を下げた。
ロビンはぱちくりと瞬きをする。
「君の家の従者のカラス?」
「あら、言ってなかったかしら?」
「俺、カラスに向って『ジャック』って言ってただろ?」
「ああ・・・名前、憶えてなかったから・・・」
シドとルイカは溜息を吐いた。しかし、それでいくらか緊張が緩まったようだった。
「本当、トラブル続きね」
「僕達退学かな?」
「たしか数ヶ月前にも同じ台詞言ったよな・・・」
もう一度、今度は三人同時に溜息を吐いた。顔を見合わせ、そして意味もなく微笑み合う。相談し合った結果、三人は空を飛んでクロトの家まで帰ることにした。気絶した男を一人、どうやって運ぶか頭を悩ませたが、ホウキを三角型になるように組んで、そこにクロトの手足の間接をひっかけることにした。
真っ直ぐに進むのは困難だったので、試行錯誤をした結果、ゆっくりと回転させながら目的の方向まで浮遊している。
ジャックはカラスの姿に戻り、横を飛んでいる。口にはルイカの鞄の肩紐を銜え、何度か上昇や下降を繰り返していた。
ホウキの房の部分に座っているシドは、脇腹を押えて呻いた。
「ああ・・・ヒビ入ったかも・・・」
「まぁ」
同じくホウキに座っているルイカは、シドを労るように肩に手を掛けた。
「ああ~ああ~・・・なんか、気持ち悪い。ホウキ酔いしてきた・・・」
ホウキの柄に逆さになって立っているロビンは、青ざめた顔で口元を押えた。
「ロビン。それはきっと、頭に血が上っているせいよ・・・」
「うえっ」
「げっ、吐くなよ」
ロビンは口元を押さえ、何度も吐きそうになる。彼が上半身をよじらせる度に、ホウキのバランスが崩れた。
「ああああ、揺れるっ。ロビン、てめぇ―うっ」
シドは脇腹を押える。慌てたルイカが重心を傾けたせいで、ホウキが大きく揺れた。三人の悲鳴があがり、クロトの体がずり落ちそうになる。
「「あぁああぁああぁぁぁっ」」
雨上がりの空に、三人の悲鳴が響き渡る。
その様子を人間に発見されなかったのは、今回、一番の奇跡だったのかもしれない。
***
部屋は薄暗く、藍色に近かった。クロトは薄っすらと目を開けて、寝室の天井を見つける。そこにルイカが現れ、心配そうに顔を覗きこんで来た。
そっと、ほほに触れられる。ひんやりとして心地いい。しかし、体がだるく、どこかしらが痛かった。
「軽度の火傷と中度の霜焼け・・・それに、精神的な発熱もあるわ・・・」
ルイカは囁くように言った。
「ごめんなさい・・・わたしのせいね・・・」
クロトは必死に口を開け、そして動かした。
君のせいじゃないよ。
言えたかどうかは分らない。自分の耳には、溜息のようにしか聞こえなかった。
それでもルイカが、微笑ってくれた気がした。
数秒の間が空き、ルイカは一度躊躇ってから、口を開いた。
「あなたにとって、この体験はとても辛いものだと思うの・・・あなたは言ったわね?普通に暮らしたかったって。わたしはそれを、壊してしまったわ・・・だからせめて、あなたのために魔法を使わせて欲しいの・・・」
魔法?
「そう。全てを忘れてしまう魔法・・・辛くて悲しいこと全部、出会ったことも一緒に暮らした期間も。全て無かったことにするの・・・」
卵は?まだ、孵化していないよ。
「ええ・・・正確にはまだ、あなたの側を離れられないの。だからあなたの記憶を全て消したら、あなたに姿が見えないように、あなたに声が聞こえないように、空気みたいに一緒に暮らすの・・・あなたの生活には極力干渉しないわ・・・」
・・・・そんなのは・・・悲しいよ。
「ええ。あなたが私を忘れてしまったら、私は悲しいわ。でも、私はあなたを覚えているから。ずっと、あなたのことを忘れないわ・・・」
―ルイカ。
「うん?」
本当に、辛いことは全て?
「そう。全て」
君が空から落ちて、卵に出会って、僕が卵の仮親になったことも・・・?
「そう、全てよ・・・」
一緒にパン屋に行ったり、ディナーをしたことも?
「そう」
エリックの情報も、君と親戚だってことも?
「そう。私に関することは全て。そのかわり、今日の悲しい記憶も失くなるわ」
クロトの脳裏に、苦々しい炎色が蘇って来た。
ジャックの最期。
サンズの最期。
――彼らの記憶も?
「そうね・・・少し、記憶の作りかえをしなきゃ・・・」
アマンダには何て?
「心配しないで。うまくやるわ・・・」
ルイカはクロトのほほを包み込み、おでこをコツンと当てた。
「無理強いはしないわ・・・選ぶのはあなたよ・・・」
僕?
「そう」
きっとこの記憶は、僕を苦しめるんだろうね。彼女との思い出の場所が多すぎる。彼らの死んだ場所は、この家から近すぎる。僕が体験した出来事は、あまりにも衝撃的で非日常で、残酷だ・・・
「ええ、そうね・・・」
でも――僕は、色んなひとに助けられっぱなしだ。
「え?」
色んな人に、守られてばかりだ・・・ベス、母さん、イヴ、君・・・僕はそろそろ、自分の足で踏ん張って、一歩を踏み出さなきゃいけないのかもしれない。そのために、君と出会ったのかもしれない・・・君は僕に出会ったことを悪いと思っているみたいだけど、僕はちっとも迷惑だなんて思ってやしない。むしろ、止まっていた僕の世界に非日常な君が飛び込んで来てから、僕は前よりも現実と向き合えるようになった。僕の心の中の時計が動き出した気がするんだ・・・。
ここで記憶を失くされたら、僕はまた、前の僕に戻るだろう。何の成長も無い、変化もない、それを望むことすらしない僕に・・・辛い記憶と引き換えに安らぎを得るよりも、僕は痛みを代償に、変化と成長を得たい。卵の成長も、見届けたいんだよ・・・。
ルイカは潤んだ瞳でクロトを見つめた。
細く、溜息が聞こえた。
「質問をするわ・・・あなたは、記憶の抹消を望む?」
とても優しい、囁くような声だ。
クロトの答えは、懸命に考えた結果だった・・・。
――NO。
***




