花葬
一階部分のドアは、階段とはほぼ反対側についている。床がそこまで届いていない。外に出るには、どちらにせよ屋上へ向わなければならなかった。
サンズが開け放ったドアから、雨が叩きこまれている。階下から立ち上る赤い色と黒い炎のせいで、外が雨であることを忘れていた。乾くどころか焦げている衣服が、一瞬にしてずぶ濡れになる。
「サンズっ。逃げ場はないぞっ」
ロビンは手を突き出して力を使おうとするが、雨の中では発動しない。一瞬だけ火の子らしきものが弾けたが、ロビンの指先からは煙が昇っただけだった。ロビンに肩をかりているクロトは叫んだ。
「何故っ・・・何故だっ。どうしてベスを殺したっっ」
屋上の縁に立ったサンズは、その声に振り返った。雨で周りの音は掻き消えているというのに、その声だけは、なぜかはっきりと聞こえた。
「あなたが、私と同じだったからです・・・」
「同じ・・・?」
「私とあなたは同類だ。あなたは神に選ばれた。だから、あなたを凡庸と化すあの女が許せなかったのです」
「俺はずっと、普通になりたかったっ。普通の人間みたいに、平凡に暮らしたかっただけだっ。神や悪魔に好かれなくとも、彼女にだけは愛されたかったっ。それをお前は奪ったんだっ」
サンズは奇妙な笑みを浮べた。悲しそうな、嬉しそうな、切なそうな、自虐的な。
「そう。私はあなたの大切なものを奪ったのです。もう、誰かに好かれたり、愛されたりすることなど、私は望みません・・・私はやっと、あの方から解放されるのだから」
サンズは泣いていた。雨で打たれて全てが濡れているというのに、それが分った。
「私は親から虐待を受け、孤児院でイジメを受け、そしてあの方に拾われました・・・お前は私と同じ目をしていると――どんなに嬉しかったかっ・・・わたしは初めて、理解者を得ました。あの方に仕え、あの方のために死のうと思いました・・・しかしあの方は、変わられた。悪魔に魂を売り渡し、ご自分の父上に手をかけ、あなたとその恋人に危害を加えよと私に命じられた・・・私は命令を断り、彼から逃げることも可能でした。しかしそれをしなかった・・・彼が完全に醜悪なる悪魔に成り果てているのならば、私は彼を置いて逃げたでしょう。しかし彼は、あの体の中にまだ生きておられた。私が殺されようとするのを助け、『逃げろ』と言ってくださったのです・・・こんな私に・・・こんな、誰からも邪険に扱われ、この世に存在価値などないと思っていた私に、彼は居場所を与えて下さったのです。その彼をおいて、逃げられましょうか・・・神さえも見放した私を拾ってくださった、あの方を置いて・・・・・・」
「だから悪魔に魂を捧げ、仕えてもいいと言うのかっっ」
サンズは何故か穏やかに、かぶりを振った。
「あなたは私を怨み、憎むべきです。私は、あなたに許して欲しくない・・・どうかわたしを憎み、恨み、その炎を絶やさないで下さい・・・」
サンズは胸の前で、懺悔するように手を組んだ。
「そしてどうか・・・私がいたことを忘れないで下さい・・・」
「何・・・?」
サンズの瞳は殺人犯というより、迷える子羊や、捨て犬に似ていた。
「憎しみほど、熱く激しいものはない・・・愛を知った者の憎しみほど、恐ろしいものはない。だからどうか、私を忘れないで下さい・・・私はやっと、あの方から解放された。愛しき、あのひとを思う心から・・・そして、私の主人を奪った、あの憎き悪魔から、私はやっと、解放される――」
サンズは天を仰ぎ、両手をめいいっぱいに広げた。
「まてっ、生きて償えっ。生きてっ。自殺は罪だっっ」
「大罪を前にして、自らを殺すことをなぜ悔やみましょうか・・・ミスター・・・」
サンズは真っ直ぐと、クロトの瞳を見た。
「この世に、神はいない・・・」
クロトは目を見開いた。
サンズはふと微笑して、目を瞑りながら天を仰いだ。
「そしてもう、悪魔すら・・・」
サンズは空中へと背中をあずけ、うしろへと倒れていった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
そう見える。
「やめろぉっっっ」
灰色の世界の中で、微笑した青年は金髪を煌かせている。
サンズの髪の陰から、彼を縛っていた『呪い』が見えた。
彼は仲介者、プローンだ。
彼の顔には、悪魔の手跡が残っている。
斜めになった彼の背中を待っていたのは、花畑だ。
一面に咲き乱れた名も知らぬ花の中に、ソラエルの像が立っている。
まるで空を恋しがり、まるでサンズを受け留めようとするように、両手が伸びていた。
顔のない天使の腕に向って、サンズの体が落ちていく・・・。
四人は負傷した体を引きずって、屋上のふちから下を覗き込んだ。
砕けた石像の上に、サンズの死体が乗っている。
折れた翼がサンズの肩のあたりに転がっていて、彼に翼が生えているように見えた。
クロトはふと目を瞑って気を失うと、その場に崩れ落ちる。縁からずり落ちそうになった彼を、三人は慌てて抱き上げ、しりもちをついた。
同時に、ため息を吐く。
いつの間にか雨足は、小雨ほどに弱まっていた。
両手を広げて血を流しているサンズは、まるで聖人のようだ。
三人は暫くの何も言わずに、ただ、その光景を見つめていた・・・。




