悪魔との戦い 前編
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ロビンは歯を食い縛り、後退りした。体がテーブルに触れ、ばたりと買物袋が崩れる。中の袋から白い粉が零れ、床に散乱した。シドは目を見開く。買物袋に飛びつくと、小麦粉の袋を破いて辺りに撒き散らし始めた。
「何をしているっ」
ベーキングパウダーや砂糖も振り撒くと、空中にまで白い粉が舞いだした。
「シドっ?」
「ロビン、発火しろっ」
「えっ?」
「発火しろっ」
ロビンはわけも分からず、拳を握り締め、目を瞑った。
「クロトさん、顔をかばってっ」
クロとは咄嗟に、片手で顔を覆う。
ロビンの体の表面を炎が滑る。空中を舞うホコリや小麦粉に引火した炎は、一瞬で部屋中に感染し、赤い塊と白い閃光のエネルギーになって、爆発した。
老朽化した床はその衝撃に耐え切れず、まるで蟻地獄のように全てのものを飲み込みながら、地下室へと崩れていく。足元を失くした四人は目を見開き、瓦礫や家具とともに地下へと落下する。
シドは壁に叩き付けられ、地下へ続く階段で脇腹を打ちつけた。
ロビンは真下に落ちて、降り注いで来る木片の下に埋もれた。
クロトは空中でジョンの束縛から逃れたが、本棚の角に一度ぶつかり、机の上に落ちて床に転がり、折れた大きな木材の陰に襲われる。
突然天井が崩れ落ちてきたサンズとルイカは、ほとんど反応できずにそのまま瓦礫に襲われた。家具が壁近くに配置されていたのが不幸中の幸いだが、円形のテーブルはそのままロビンと共にふたりの頭上に落ちてきた。必死にルイカの口元を押えていたサンズは、結果ルイカを庇うような形で気絶し、そのまま被さった。
ジョンはクロトの近くに落下して床に着地したが、クロトがぶつかったせいでバランスを崩した本棚を避けきれず、重量のある本の雪崩にあいながら、そのまま下敷きなった。
「うっ・・・」
「うう・・・」
ガラガラと瓦礫が蠢く。木材やら椅子やらをどけて這い出して来たのはクロトだった。服や皮膚の表面が多少焦げ臭かったが、大事には至らなかったらしい。のろのろと地面を移動していると、木片を被っているロビンが呻きながら起き上がった。
「な、何、今の・・・何で爆発したの・・・」
「『粉塵爆発』。科学の授業で習ったろ」
掠れた声が、階段の方でした。シドが起き上がる。
「憶えてないよ・・・そんなの・・・」
「ロビン・・・」
ロビンは横に視線を向け、そして瓦礫の隙間にルイカを見つける。
「お願いよ、早くどけて・・・」
幾つもの蝋燭の火は落下の衝撃で消えてしまったが、中には木片に乗り移って燻っているものもあった。ロビンとクロトは協力して瓦礫とサンズをかき分け、手足を縛られたルイカを引きずり出した。
ロビンは必死にロープを解こうとしているが、なかなか上手く行かない。ぐったりとしているルイカは、クロトに言った。
「指輪を取られたの。持ってないか調べて」
クロトは頭から血を流しているサンズを床に転がし、表を向いた彼の顔を見て驚いた。
「これは―・・・」
「呪いだよ」
シドが階段の上からサンズを覗き込む。
「ああ、やっぱりね・・・クロトさんのストーカーだ」
「ストーカー?」
「その、強~い香の香りの下で、嫌な匂いがしてたんだ」
クロトはサンズの胸ポケットから指輪を抜き出すと、その顔をまじまじと見つめた。普段髪で隠れている顔の半分の皮膚は異様に波打ち、たるんでいる。今まさに火傷をしたように痛々しいにも関わらず、綺麗なピンク色の手形が形成されていた。
「これは・・・まさか、ジョンに憑いている悪魔の―」
《ああ・・・俺の印だ》
四人ははっとして部屋の奥を見つめた。横倒しになった本棚が不気味な音をたてて動くと、その中から血塗れのジョンが現れた。目にはまだ、異様な光が灯っている。
《俺はこの部屋で呼び出された。そこの金髪を仲介人にして、こいつがな》
そう言ってジョンは、ジョンの中にいる悪魔は、自分の胸倉を叩いた。口元に笑みを浮べながら、這いずり出て来る。
《ここは天使崇拝してたこいつの親父が作った公園だ。だが、こいつは違った。もともと愛人が産んだ子供でな。父親に引き取られたはいいが、宗教宗派が違ったのさ。それで親父に人格否定され、そこからどっぷりと宗教研究にはまった。哲学だの何だの言ってるまではよかったが、こいつは馬鹿でな。力などないくせに、俺を呼んだのさ》
くくくく、とジョンは笑う。
シドは真剣な口調で言った。
「そして、体を乗っ取った・・・」
《そうさっ。こっちに出てきて十秒後には、俺はこいつの体に入ってたっ。仲介人を殺して自由に暴れてやるつもりだったんだっ・・・ひひひ・・・だが、こいつは完全には受け渡さなかった。俺があいつを殺そうをした途端、抵抗しやがってっ・・・いつもいつも、肝心な時に邪魔をしやがるっっ》
シドは視線を巡らせ、ロザリオを探した。ないよりはマシだ。そう思っていたが、ふと部屋全体に目を向けて、瓦礫の間から見える床の印に気付く。巨大な円形の内側に、ヘキサグラムが描かれている。魔術を行う時の魔方陣だ。
《クロティス=ニロー・・・あなたはいいなぁ・・・清い魂を持ってる。俺達はそういう人間を汚して、喰っちまうのが何より好きだっ。転落する人間を見ている時ほど、楽しい時はないっ。あなたは格好の餌食だ。この体を完全に手に入れれば、今度はあんたで遊んでやる番だったのに・・・予定が狂っちまったなぁ・・・》
クロトは息を飲んで、じりじりと後退りをした。
《へへへへっ。いい顔だっ。好きだぜ、恐怖に怯える人間の顔はっ》
ロビンは拳を握り、力を振り絞って体の表面を燃やした。やがてそれが瓦礫に引火し、ある瞬間から、素早く木材を侵略していく。一瞬怯んだ悪魔だったが、何が楽しいのか、不敵な笑みを浮べた。
《この体は人間のものだぜっ、お前同じ人間を殺すのかっ?》
「僕は敵と思った相手は、全て焼き尽くすことにしている。女でも子供でも、関係ない」
《はっはっ。こりゃあ将来有望な小悪党だなっ。ガキに人が殺せるか?」
「僕は実際に、人間を殺したことがある・・・」
ロビンの固い声に、悪魔の表情が変わった。
「一人殺すのも二人殺すのも、ましてや悪魔を殺すのも同じなんだよ・・・」
ロビンの感情の高ぶりに反応して、炎がいっそうに燃えて赤い影を落とす。ロビンの灰色の瞳は炎の色に染まり、妖しく揺らめいている。
「悪魔なら、人殺しの目を知っているね・・・?」
ジョンは唾を飲み込んだ。
《くそっ・・・》
尖った歯をむき出しにして、ジョンは忌々しそうに叫んだ。
《くそ、くそっ。お前達のせいで予定が丸崩れだっっ》
ジョンの体が膝から崩れ、地面に倒れる。彼の背中の辺りから黒い霧のような影が噴出し、離れようとする。
「逃がすかっ」
シドは階段から飛び降りて着地するなり、両手を床に叩きつけた。
「アヌコグッ」
バチン、と乾いた木材が爆ぜるような音がすると、途端に魔方陣の中にいた黒い霧状のものがその空間をグルグルと漂い出し、すぐにジョンの体の中に戻っていった。顔を上げたジョンは、険しい顔でシドを睨む。
《やってくれたな、小僧っ》




