床下のルイカ
床に並べられた蝋燭の炎は妖しく揺れ、仄かな暖かさと息苦しさをもたらしている。サンズが「ご主人様」と呼んだのは、作業用のツナギを着た男だった。
ざく切りにした黒髪に、黒い瞳の白人だ。その瞳には生気とは別物の、刃物のような危険な光が宿っている。顔のつくりは特別目立ったものではなく十人並みの美男だが、どこかしらに険があり、威圧感がある。
ツナギの男はルイカを見下ろし、無表情に言い放つ。
《早く殺してしまえ》
「は、はい・・・」
サンズは明きらかに、その男に怯えていた。
ルイカはその男をじっと見つめ、そして大きく顔を顰める。
「何を召喚したの」
冷たい瞳と視線が合った。
「あなた、直接自分の中に悪魔を召喚したのね?それとも乗っ取られたの?」
刃物が光に反射するように、彼の瞳の中が危険な色に変化した。
「どうして悪魔を召喚したりなんかしたの」
《黙れ小娘》
「そっちの本棚、宗教や魔術に関する本ばかりね。興味がおあり?」
《黙れと言っている》
「興味本意でそちらの金髪さんを仲介者に呼び出してしまったのね?」
《黙れっっっ》
あまりに大きな声だったので、ルイカは息を呑んだ。
彼の目は見開き、殺気が立ち込めている。
《わたしは今夜この体から奴を追い出し、この世での完璧な器を手に入れる・・・誰にも邪魔はさせんっ》
「奴・・・?」
男は自分の胸倉を乱暴に掴んだ。
《そう、こいつだよ・・・》
ルイカはじっと、男を見つめた。
「残ってるのね・・・コールナーの人格と思念が・・・」
《忌々しい奴だ・・・臆病で非力なくせに、最後の砦は渡そうとしない。肝心な所で、いつも邪魔ばかりをするんだ・・・わたしの体で悪さをするな、とな・・・》
男はくつくつと笑い出した。
《おかしな話じゃないか?俺を呼び出しておいて、悪さをするな?矛盾してるぜ。真実を見たい。この世の真理が知りたいだとっ。素人が手出しするのが悪いんだっ》
ドンドンドン、ドンドンドン。
ドアが乱暴にノックされる音が響いた。
誰かが、外で何かを叫んでいるようだ。
三人は天井を見上げた。
サンズは目を見開き、ツナギの男は舌打ちを打つ。ルイカを睨んだ。
「見張っておけ」
ツナギの男は階段を上って行く。
サンズが慌ててルイカの口を押えると、ルイカは香の匂いが嫌で顔を歪めた。
***
「おかしいな・・・ここじゃないのか・・・?」
鋲の打ってある木の扉を前にして、クロトは呟いた。
「もし犯人がいるなら、居留守使ってるのかもよ」
「俺、上見て来る」
シドはホウキを出すと、建物の屋上へと飛んだ。ちょうどそれを見送った時、公園の管理人室のドアが開く。外は灰色で薄暗いと言うのに、建物の中はそれ以上に暗かった。日常的にゴミを溜めているのか、薄っすらと腐臭が漂っている。
「なんだ、クロトか。どうしたんだ、こんな日に?」
ドアを開けたのは、ツナギを着た黒髪の男だ。クロトと同い年ぐらいだろうか。一見すると、人の良さそうな笑顔が作れる人物だな、と言う印象を与える。
クロトは意外そうに瞬き、困惑して笑顔を作る。
「あ、ああ。やぁ・・・ジョン。今日は出勤してたんだね」
「ああ。雨で花が痛んでないか心配でね」
「そう」
「何か用じゃないのか?」
「え・・・ああ、いや・・・その・・・」
クロトは益々困惑して、ロビンをちらりと見た。
ロビンは男の顔を不審そうに見つめながら、クロトに囁いた。
「知り合いなの?」
「この子は?――ああ・・・甥っ子のエリックだね?」
「え?」
クロトは眉間を寄せてジョンに振り向いた。
「どうしてエリックのことを?」
「前に話してくれたじゃないか」
記憶を辿っていくクロトはたっぷりと数十秒間をあけ、だんだんと確信に満ちて険しい顔になっていく。
「そんな筈はない・・・話していないよ」
「そうだったかな?」
男は曖昧に笑って見せた。
「じゃあ、誰か人伝に聞いたんだろう。それで、何の用なんだ?」
「僕は甥の話をしたことはあるけど、甥の名前を出したことはない」
「ひとの記憶なんて実に曖昧なものだよ。用がないなら帰ってもらえるか。俺もそんなに暇じゃないんだ」
ドアが閉まりかけた時、部屋の内側でゴトン、と音がした。ジョンが振り向くと、そこには二階の屋上から階段を降りてきたシドがいた。男の目つきが一瞬にして変わると、三人の鞄が怯えたように震え始める。クロトははっとして、思わずドアに手をかけた。無理やりにこじ開けると、驚いているジョンに構わず、部屋の中に入る。
「何だっ?」
三人は部屋を見渡した。天井までの背は高いが、『小屋』と呼ばれる通りほどの広さしかない。簡易のベッド、古くて小さなテーブルと椅子、投げ出された雑誌と新聞、買い足したまま中身を取り出さずにいる買物袋に、たまったゴミと埃ぐらいしかない。誰かを隠す空間など、到底ありはしなかった。
「不法侵入だぞっ」
「ジョン、この近くで不審な人物を見なかったか?」
「それはお前達だろうっ。早く帰ってくれっ。警察を呼ぶぞっ」
「そんなっ・・・ジョン・・・」
「大人しく帰ってくれるなら今回は通報しない。だから―」
《シドッ、ロビンッ、クロ― 》
三人ははっと床を見た。地の底から響くように、確かにルイカの声がした。
シドは階段を降りてすぐに、部屋の角に駆け寄った。ロビンもしゃがみこみ、板張りの床に耳を当てる。古くなった床には所々隙間が開いていたので、そこから必死に地下を覗き込もうとしている。
「ルイカっ、ルイカっ、いるのっ?」
「あったっ。地下室の入り口だっ」
シドは床板の隙間に指をいれて、それを引き上げた。蝶番のついたドアが開き、四角い闇が口を開ける。床の隙間を覗いていたロビンが叫んだ。
「あっ、何か動いたっ」
それとほぼ同時に、バタン、と入り口が閉まる音がする。
「うわっ」
シドとロビンが悲鳴の方へと振る向くと、首に手を回されてジョンに捕まっているクロとがいた。片方の手は背中へと回っていて、どうやらジョンに捻られているらしい。
「忠告は素直に聞くものだ」
「ジョンっ・・・何故・・・」
「そいつはジョンじゃないっ」
シドは鞄の中から、銀でできたロザリオを取り出し、突き出した。十字の真ん中に、アメジストという青い宝石が埋め込まれている。
「神と子と精霊の名のもとに―」
「黙れぇっ」
腕に力を入れられ、クロトの首が絞まる。ぐっとクロトの喉元が鳴り、シドは言葉を飲んだ。ほぼ部屋の真ん中にいるロビンは、注意深く辺りを見渡した。何か役立ちそうなものはないか視線を配るが、見当たらない。湿気の多い場所では、特異な能力も半減だ。しかも奴の側にはクロトがいるので、奴に攻撃できても、クロトにまでもに致命的な危害を加えかねない。
「それ以上、妙なことをすれば、こいつを殺すぞ」




